Memory

第3話 To the memory of Aegean






 ペターニのマリアの自宅に二人はやってきていた。たまにはフェイトとネルに二人きりにしてやろうと老婆心を傾けてアミーナを連れ出したマリアだったが、運悪く(運良く、だろうか)どしゃぶりの雨で戻れなくなった。
(あの二人、今日の夜は久しぶりのお楽しみかしら)
 そんなことを考えていると、アミーナが窓の外を黙ってじっと見つめているのに気付く。
「帰りたい、アミーナ?」
 むしろ帰りたいのは自分の方。たとえ自分が彼と一緒にいることができないと分かっていても、それでも心は彼を求めてやまない。
「……くる」
 だが、そのマリアの問いかけが耳に入っているのかいないのか、ネルの顔をした小さなアミーナはただぽつりと呟いただけだった。






「これが全てだ」
 ブラムスの話が終わっても、フェイトとネルには返す言葉が生まれなかった。
 少年の話を聞いていると、本当に彼がアミーナ──シルメリアのことを想っているということが分かる。だが、それだけで判断はできない。レナスもまたフェイトの味方になってくれた相手だ。ブラムスの言うとおりならばふたりは単にすれ違っているだけで、レナスの言っていることが正しければブラムスは自分たちを騙そうとしているということになる。
 その判断をするのは本当に難しい作業だった。
「会わせてもらいたい。シルメリアに」
 ブラムスが重ねて尋ねると、フェイトは咳払いを一つした。
「ちょっと聞きたいことが色々とあるんだけど」
「伺おう」
「まず、君と、そしてレナスやシルメリアたちとは敵同士、っていうことでいいのかな」
「その通りだ。もっとも、今の自分は不死人ではない。レナスらが私を倒さなければならぬ理由はないだろう」
「そして君にも戦おうという意識はない?」
「向こうが何もしなければ。もともと我が望みは誰とも関わることなくひとりで己が力を高めることのみ。シルメリアが我が城に来てからは、それがひとりではなくふたりになったというだけのことだ。もっとも、ヴァルキュリアたちが私を敵対視しなかったとしても、個人的に私を狙っている者はいる」
「それは?」
「ヴァルキュリア三姉妹たちを束ねる大神オーディンの懐刀、フレイ」
 いよいよ話が大事になってきた。だが、アペリス教の信者であるネルやラッセルにはその神の名は分からない。
「大神オーディンというと、地球に伝わっている地方伝承? ミッドガルとかいう?」
 RPGに詳しいフェイトはそうした地球の伝説などはどこの地方のものでもほぼ分かる。いわゆる北欧神話というやつだ。
「それは知らぬが、惑星ミッドガルは存在する。銀河連邦にも所属している」
「え?」
「もっとも、オーディンそのものがいるわけではない。あれは伝説だ。ミッドガルには別の者が存在している」
「別の?」
「そうだ。ヴァルキュリアの長女、【漆黒】の戦乙女アーリィ」
 フェイトは目を丸くした。
「じゃあ、エインフェリアを集めるのはシルメリアの役目なのに……」
「そうだ。アーリィもレナスも現界している。三姉妹がすべて同時に現界するのは初めてのことだな」
「ちょっと待った」
 今自分で話していながら、フェイトは妙な符号に気がつく。
「確かレナスは、オーディンがエインフェリアを必要としていると聞いたけど、ミッドガルでも何か問題が生じているのか?」
「知らぬ。神や戦乙女の考えていることが不死人に分かろうはずがない。ただ、戦乙女が現界している以上、何かがあったのは確かなのだろう。話を戻すが、私とフレイとの間にはいささか因縁がある。以前の戦いでフレイを打ち負かしたのが私ゆえ、その復讐をせんといきりたっておる。ついでにシルメリアも奪い返したいと考えているだろうな」
「話が見えてこないね」
 ネルが呟く。
「うん。僕もよく分からないのは──勢力図が見えないから、かな。あとはどうしてみんなが争っているのかも分からない」
「そうだね。あんたたちが言っているのは全部自分たちの都合だ。状況が分からないのでは協力しようもない」
「ふむ。確かにな。では少し詳しく説明するとしよう」
 そうしてブラムスは彼らの勢力図について細かい説明を行った。
 まず大神オーディンとフレイ。これが第一の勢力。
 この勢力から独立した動きを見せたのがアーリィ。これが第二の勢力。というよりも、勢力争いはこの二者によって行われている。ヴァルキリーはもともとオーディンの部下だったが、反抗的だったアーリィが反旗を翻したという状況だ。
 そして最後にレナスとシルメリアだ。とはいえ、このふたりも正確には協力しているわけではない。本来シルメリアはオーディンの命令でエインフェリアを集める役割だったが、ブラムスがその魂を引き取っているために本来の役割を果たせなくなった。しかも次に現界する予定のアーリィは反旗を翻している。そのため、オーディンはレナスを召喚した。
「だとすると、レナスはオーディンの部下っていうことか」
「違う。レナスもまたオーディンから離れた。つまり、現在オーディンに協力するヴァルキュリアはいない。そしてレナスとアーリィは対立している。理由はわからぬが」
 それこそ『神や戦乙女のことなど分からない』ということなのだろう。ブラムスにとってはシルメリアだけが全てなのだ。
「君の言いたいことはよく分かった。でも、レナスは僕たちに協力してくれて、君、ブラムスからシルメリアを守れって言われたんだ。正直に言うとどちらを信頼すればいいのか分からない」
「それは仕方のないことだ、運命の子よ。何しろレナスにはレナスの真実があり、私には私の真実がある。事実がどちらであるにせよ、それぞれがそれぞれの真実のために動いているのだから」
「事実と真実は違うってことかい?」
「そうだ。客観的事実だけを言うのなら、シルメリアが真に望んでいるのは私だ。そして私もまたシルメリアを望んでいる。これは真実であり、事実だ」
 ブラムスにとって都合の良すぎる展開だ、とも思える。このブラムスがもし自分たちを騙そうとしているのなら、それくらいのことは言うだろう。
「じゃあ君は、シルメリアの魂を元に戻そうとしているのかい?」
「──正直、迷っている」
 だが少年は顔をしかめて首をひねる。
「彼女は人間に裏切られている。次にどういう行動に出るか、想像もつかぬ」
「……優しい女の子、っていうわけじゃないの?」
「死者の魂を餞別する戦乙女に慈悲も何もあるはずがないだろう」
 話を聞くと随分と物騒な相手らしい。さて、どうしたものだろうか。
「じゃあ君は今のシルメリアに会ってからどうするか決めるつもりなのかい?」
「そういうことになるな。私は何を成すべきか、シルメリアが望むことを叶えるのだとしたら、もしかするとお前たち人間と戦うことになるかもしれん」
「ちょ、ちょっと」
「だとすれば、魂を戻すのは危険だ。私はお前たちと戦うことが望みではない。より強くなることだけが望み。私はそのためにシルメリアが必要なのだ」
 そういえば、この間もロメロやガブリエが、強くなるためにシルメリアが必要というようなことを言っていた。
「もう一つ聞いておきたいんだけど」
「伺おう」
「シルメリアを手に入れると、いったい何が起こるんだ?」
「ふむ」
 少しブラムスは考えてから答える。
「その命を吸収することによって、神々の力を得ることができるだろう」
 さすがに、フェイトとネルの動きが止まった。
 ロメロやガブリエがシルメリアの命を狙っているのは分かっていたが、そういう裏事情があったとは。
「君も……そうするつもりなのか?」
「話を聞くがいい、紋章の子よ。もし私がそうするつもりであれば、前回の戦いのときにそうしている。私は他の存在を吸収して強くなることを望まぬ。私は自分の力を無限に磨くことが望み」
 とはいえ、事情を知れば知るほど危険な感じがする。
 ブラムスが危険かといわれれば、それは分からない。ただ、ブラムスとアミーナを会わせると何かが起こる。それが怖い。
「どうしようか、ネル」
「どうするもこうするもないだろう?」
 ネルははじめから決まっているというふうに答えた。
「会わせてあげるべきだよ、私たちは」
「どうして」
「決まってる。彼は現状で私たちと敵対するつもりがない。ここで拒否したら私たちと彼は敵対することになる。できれば協力体勢を保つ方がいい」
「どうして」
「アミーナの敵が誰なのか、今の話を総合すれば、たったふたりだろう?」
「そういうことだ」
 ネルの言葉にブラムスが頷く。
「シルメリアの命を狙っているのはオーディンだ。だが、アーリィはシルメリアと敵対はしないだろう。むしろオーディン側と噛み合わせて一体でも多くオーディンの部下を殺させる、そうなることがアーリィにとっては都合がいいことになる」
「ああもう、こんがらがってきた」
 フェイトは頭を抱えた。アミーナの味方をしたいのに、そのために誰と手を組めばいいのかが分からない。
「つまり、アミーナの敵は誰なんだ?」
「シルメリアを完全に敵とみなし、排除しようとしているのはオーディンだ。もっとも、ロメロなどのようにその力を狙う者はいるだろうが」
「それに君はあてはまらないんだね?」
「それは先ほど立証した」
 それだけ分かるならいい。フェイトは頷いて了承した。
「ならアミーナを連れてくる。ただ、今はここにいないから、多分今日の夜にでも会えると思う」
 ふむ、とブラムスが頷く。そして「よろしく頼む」と頭を下げた。
「あと、最後に聞いておきたいんだけど」
「何だ」
「オーディンやアーリィが僕たち人間と敵対する、そんな事態になっているわけじゃないんだよね?」
「それこそ私の預かり知らぬこと。だが、その可能性は低いだろう。神々は神々同士、争っていればよい」
 つまり神々と人間とが争うという事態になることはない、と断言しているようなものだ。
「後は、アミーナがどうしたいのかが問題か」
 だが、今のアミーナと本体のシルメリアとでは当然人格が異なる。それに、もう一つ問題がある。
「そういえば、どうしてアミーナはネルの姿をしているんだろう」
 ふと呟いた言葉にブラムスが目を細める。
「何だ、気付いておらぬのか」
「え?」
 二人は目を合わせる。この口ぶりからすると、その理由をブラムスは知っているということか。
「どういうことなんだ?」
 フェイトが問い詰める。ネルも真剣だ。
「光には影が付き従う。お前が訪れたこの地にセフィラがあったことは偶然ではない」
「ぐ、偶然じゃ、ない……だって?」
 ネルも驚いているが、フェイトはもっと驚いている。何しろ、自分がエリクールに来たのは本当に偶然の産物だ。もしバンデーン艦に追い回されなかったとしたら、自分がエリクールに訪れることはなかったのだから。
「お前がこの星を訪れることは決まっていたことだ。それを人は運命とか宿命とか言う。ここにはセフィラがあり、光を受け止める影がある。だからこそ、お前はここへ来た」
「ちょ……ちょっと、待てよ! じゃあ僕がこの星に来たことも、誰かの作為だっていうのかよ!」
 さすがにそればかりは仕組まれているなどと信じたくはなかった。もし自分がエリクールに来たことが全て仕組まれたことなのだとしたら、あの命がけの戦いは全て何者かの掌の上、ということになるではないか。
「仕組まれていたというのは違う。これは運命だ」
「どう違うっていうんだよ!」
「この創られた世界の中で、人に完全な自由意志はない。全てが決められたレールの上を歩む。そのレールの上でどういう選択をするか、左か右か、イエスかノーか、その選択の自由があるだけだ。もし完全な自由を望むのならば、神々の力を得なければならぬ。運命には不死者であっても逆らえぬ」
「なら、人が死ぬことも生きのびることも決められてるっていうのか!?」
「その通りだ、紋章の子よ」
 わざわざ付け加えた言葉が、自分の運命をよく表していた。
「でも僕は、あのもう一つの世界で、アミーナとディオンの命を助けたんだ!」
 そう。運命は変えられる。そう信じたからこそ、自分はあの逆行した世界で自分を信じて行動した。それなのに──

「そのかわりに、死んだ者はいなかったのか?」

 ──この結果は、いったい何だというのだろう!
「結局それは『お前の』選択の自由だ。それにより確かに運命がかわった者もいるのだろう。だが、一人の人間の生は、別のもう一人の人間の死によって贖われる。運命がかわったのではない。運命が取り替えられたのだ。それが、創られた世界の宿命だ」
「僕は、じゃあ、何を信じていけばいいんだよ……」
 がっくりとうなだれる。何と声をかけていいのか分からず、ネルがその肩を抱く。
「……すまない。言葉が足りなかったようだ」
 だが、救いは当のブラムスから提出された。
「今のお前たちは、完全な自由を得ている。それは我等不死者も同じだ」
「なん……だって?」
 少年の姿で、ブラムスは多少居心地が悪いような素振りを見せる。
「お前たちは独立した。もはやこの世界にレールはない。お前たちが光であり、影であったのはもはや以前のこと。これから先の未来は、お前たち次第だ」
 ブラムスの言葉で、唐突にフェイトは理解した。
 父、ロキシたちが紋章遺伝子を生み出し、FD人たちと戦うという選択肢を選んだこと。それは、ただ単にこのエターナルスフィアを滅亡から救ったというだけではない。
 FD界からの完全な独立。それを達成するためでもあったのだ、と。
「そう、だったのか」
 先ほどまで激昂していたのに、ブラムスの最後の言葉ですんなりとそれが受け入れられた。確かにレールは引かれていたのかもしれない。ネルと会ったのも、その仕組まれた何者かのせいなのかもしれない。
 だが、そうしたら逆に自分はその何者かに感謝するべきなのかもしれない。何故なら、自分はそのおかげでネルに出会えたのだから。
「ごめん、自分で勝手に盛り上がってしまって」
「いや。それより、先ほどの問の答だが」
 先ほどの問。それは、何故アミーナがネルの姿をかたどっているか、ということ。
「ああ、それはいったい、どうしてだい?」
「影星よ。それは、お前の中に原因がある」
 ネルは少しだけ、身を竦ませた。
「……私がかい?」
「そうだ。影星よ。こう言えば分かりやすいだろう。お前は、光星たるこの男のために生まれてきた。そして、光に従う影となるために、お前は生まれてきたのだ」
「フェイトのために」
「そうだ。この星にセフィラがあるのも、我星や漢星がいるのも、全ては『お前が』この星にいるからだ。もっと分かりやすく言おう。この『エリクール二号星』は、お前のために創られたのだ」





The fascinating Rome

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