Seventh Heaven

第2話 Polyrhythm






 翌日。二人は朝から早速シランド城を訪れ、医務室に入った。クレアからの指示を受けていたのか、丁寧に門番が「お見舞い以外の理由では入れてはならないということになっております」と言ってのけたのには少々驚いた。
 仕事場に顔を出したら、おそらくクレアが嫌な顔をするだろう。二人はまっすぐ医務室へ向かった。
「おはようさん、お二人とも。随分と早いねえ」
 一晩中詰めていたのか、医者は昨日とまったく変わらず医務室にいた。
「あの子ならまだ目覚めてないよ。ま、そんなに時間はかからないだろうけどね」
 もっとも、彼女がサーフェリオの水中庭園で封印扉の向こう側にいた、などということは伝えていない。あくまでも『気を失った女性をここまで運んできた』という一点張りで二人は通していた。
「それから、彼女が身につけていたものはこっち。服は今洗ってるとこ。それにしても、随分と妙なものを持ってるね。よく使い方が分からないものばかりだよ」
 言われてフェイトは彼女の持ち物とやらを見ていく。
(これ……!)
 その中身を見て、さすがのフェイトも驚きを隠せなかった。
 ペンダントや髪飾りなどの他にまぎれてある、小型の機械。
 間違いない。
 これは、コミュニケーターだ。
(コミュニケーターを持ってるってことは、先進文明の人ってことか?)
 フェイトはそのコミュニケーターを手に取り、中のデータを確認する。コミュニケーターには自己データが登録されている。登録ナンバーが分かるだけで、それが誰なのか一発で判明するのだ。
 だが。
(随分古いコミュニケーターだな。自己データと翻訳機能で容量のほとんどを使ってる。解析装置なんてないに等しい。初期型だ。骨董品じゃないか)
 おおよそ、四、五百年も昔のものである。もともとコミュニケーターは名前の通り、翻訳機能を最大限に高めたものだ。その頃から言語パターン事態はさほど増えてはいない。今でも翻訳だけなら充分に使える。
 だが、こんな骨董品を好んで使う者はいない。重いし、何より不便だ。
(登録データ……抹消?)
 しかも、そのコミュニケーターには本人の登録データが全くなかった。つまり、発売直後の新製品と全く同じレベルだということだ。
(なんだ? 今宇宙では、骨董品ブームでもきてるのか?)
 だが、何をどう調べても登録パターンも何もかもがロストしている。これでは装置としての役割しかない。
「何か分かったのかい?」
 ネルが尋ねてくるが、フェイトは首を振った。
「僕にも分からないことばっかりだよ」
「それは、ホンヤクキかい?」
 ネルも何度か宇宙に出たこともあり、地球文明のことはある程度心得ている。
「そうみたいなんだけれど、少し変なんだ」
「変?」
「ああ、これ──」
 と、説明しようとした時、「ううん」と女性の声に二人は言葉を止めて女性を見つめる。
 女性は、ゆっくりと目を開いた。
「目、覚めたかい?」
 ネルはベッドの前にある椅子に腰掛けて尋ねた。だが、女性はきょとんとしてネルの顔を見つめている。
「ネル。多分、言葉が通じてないんだと思う」
 翻訳機を持っていなければ、当然宇宙人がエリクールの言語を理解しているはずがない。
「ああ、そうか。それがなきゃいけないんだったね」
「うん。あ、ちょっといいかい? 僕の言葉は分かるよね」
 女性は「はい」と頷いた。
「この翻訳機を君に持ってもらうから、ここの画面に人差し指を置いて。そう、そうしたら登録するから」
 コミュニケーターに使用者の指紋パターンが登録され、自己データの登録画面に切り替わった。
「名前は?」
 彼女はどうもコミュニケーターの使い方が分かっていないらしかった。不思議なものを見る顔つきをしている。
「名前?」
「そう。名前」
「名前……」
 彼女はじっと黙って、シーツの上に視線を落とす。
 だが、そこから先、彼女は何も言えなくなっていた。
「君?」
 尋ねると、女性は顔を上げて、フェイトを見つめてきた。
 泣きそうな顔に、思わずフェイトはどきっとする。
「名前、分かりません」
 コミュニケーターがまだ動いていないため、聞いたこともない言語にネルは顔をしかめた。
 だが、その言葉の意味はフェイトをかなり驚かせていた。
「分からない?」
「はい。何も、全く、覚えていません。ここはどこなんでしょうか。私は、私は……」
「大丈夫だよ。ここは安全だ。記憶が見つからないなら、ここでゆっくりと取り戻せばいい」
「……はい」
 フェイトの言葉でようやく何を話しているのかが分かった医者とネルであったが、その話の内容からして、あまり嬉しいことではないようだった。
「記憶がないって?」
 ネルの質問に頷いて答える。
「うん。まあ、ひとまずはここにいる限り問題ないけど、困ったな、コミュニケーターは登録しないと使えないし」
 ここはひとまず、仮の名前を入れて後で名前が判明したら登録しなおせばいい。
「名前だけでも思い出せるといいんだけど」
 女性は首を振った。
「じゃ、名前がないと不便だから、君の呼び名を決めておこうか」
「お願いします」
 頭を下げて頼まれると、そこでどうしたらいいものかフェイトも分からなくなる。
「どうしようか、ネル」
「あんたが決めるって言ったんじゃないか。でも、もうアミーナなんて名前をつけるのはやめておくれよ」
 フェイトは苦笑する。彼女の事件が解決したのは、つい一ヶ月前のことだった。
「じゃあ、そうだな」
 こういう時、フェイトは絶対に知り合いの名前を拝借する。一度経験しているだけに、ネルには容易に予想がついた。
「セラ、って名前はどう?」
「セラ?」
「うん。僕はすごい好きな名前なんだけど」
「セラ……」
 なんとなく、彼女は視線を宙に舞わせる。
「ありがとうございます」
「いや、名前をつけただけだから」
「いえ。何かそう呼ばれると、記憶を取り戻せそうな、そんな気がしたんです」
 セラ。
 そう呼ばれて喜ぶ女性──まだどこか少女のようなあどけなさを残してはいるが、彼女は本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
 綺麗だ。
 素直にフェイトは思った。その顔が赤らんだことに、当然ネルは気づいていた。
「フェイト?」
 嫉妬深いのは彼女の特徴である。容赦なく耳をつねる。
「痛っ。何するんだよ、ネル」
「もう、話はできるのかい? 私の言葉は分かるようになったかい?」
「あ、はい」
 どうやら、名前を登録した時点で話の内容がネルにも判別できるようになっていたらしい。
「私はネル・ゼルファー。こっちはフェイト・ラインゴッド。よろしく、セラ」
「はい。よろしくお願いします」






「どうしたの?」
 それから数日、病室で窓の外を見ている彼女を目にして、フェイトは優しく声をかける。
 もう体の方は完全に回復している。問題は精神だけだ。
 彼女が何者なのか。
 彼女自身が、それは一番不安に感じているに違いない。
「フェイトさん」
 病室に入ってきた彼を振り返って、それでもセラは笑顔を見せる。
 決して笑えるような、そんな状態じゃないだろうに。
「何を見ていたんだい?」
「ええ。あそこで子供が遊んでいるな、と思って」
 外を見ると、猫と戯れている女の子の姿があった。
 女の子も四つん這いになり、猫とじっと見詰め合っている。
 ある意味、かなりシュールな絵だと思ったが、あえてフェイトは追及しなかった。
(……っていうか、あれ、マクウェルさんとこの猫と、アクアじゃないか?)
 まあ、シランドの中なら危険なことはないだろうが、アクアがいなければエヴィアはきっと仕事がはかどっていないだろう。いや、近くにいてもはかどらないだろうが。
「セラも昔は、猫と遊んでいたのかもね」
「そうですね。動物は好きです」
「僕は昔、一度だけ犬を飼ったことがあるんだけど、一度噛まれて大怪我したことがあるんだ」
「まあ」
 セラがくすっと笑った。
 こうした会話を繰り返すことで、何かのきっかけで記憶を取り戻してくれればいい。
 だが、何日もこうして続けていながらも、全くといっていいほど効果は出ていなかった。






 一週間が過ぎて、日常が帰ってくる。
 きっと、二度とないであろう長期休暇を終えたネル・ゼルファーは──ものすごく不機嫌だった。
「あら、すごい顔」
 不機嫌オーラ全開のネルを目にしたクレアが思わず口にしていた。
「何言ってるんだい。いつもと同じだよ」
「隠さなくてもいいでしょう? あなたの不機嫌の理由なんて、とっくに分かってるんだから」
 そう言われてはネルも返す言葉がない。
 あの少女、セラが目覚めた後のフェイトといったら、もはや自分など眼中にないというほどセラのことばかり気にかけていた。
 彼女の記憶を取り戻すためにどうすればいいのか、毎日毎日毎日毎日そのことばかりで、自分のことなどほとんどかまってもらえなかった。
 いや、かまってもらうという言い方はおかしい。自分は別に、フェイトに強制してここにいてもらっているわけではないし、自分がまるでフェイトに依存してしまっているような言い方ではないか。
「それで、あの子、何か思い出しそうなの?」
「いや」
 だが、フェイトがいろいろ話しかけたり、あちこち連れ歩いてはいるものの、全く何も思い出すことはなかった。結局セラの正体は分からないままだったのだ。
「それじゃああなたも辛いでしょうね。フェイトさんは優しい人だから、困っている人を見捨てることはできないでしょうし」
「だろうね」
「でも、安心なさいな。困っていなくてもフェイトさんが傍にいるのはあなただけなんだから」
「だといいけどね」
 そう答えられるあたり、ネルもまだ冷静だということだろうか。
(でも、自分の彼女を放っておいて他の女の子ばかりっていうのは、あまり感心しませんね)
 少し釘をさしておかなければいけないだろう、とクレアは不機嫌ネルを仕事場に残し、席を離れた。
 だいたい彼が行くところなど予想がつく。セラの病室か、それとも彼の自室か、旧エレナの部屋か、その辺りだろう。
 仕事が再開したとはいえ、特別彼に仕事があるというわけではない。彼は自分たちを助けてくれるという協力者であって、その地位はシーハーツ女王が保証している。彼が自発的に協力してくれることはあっても、ルーチン業務を彼に任せているということはない。
 だから、きっとセラの部屋なのだ。
 そう狙いを定めて部屋に近づいていくと、ちょうどその部屋からフェイトが一人で出てくるところであった。
「あら、フェイトさん」
 まるで偶然であるかを装って彼に話しかける。
「あ、クレアさん。どうしたんですか、こんなところに」
「いえ、ちょうどフェイトさんを探していたんです」
「僕を?」
「ええ。少し今、よろしいでしょうか」
「かまいませんけど」
「じゃあ、カフェにでも行きましょうか。少しゆっくりと話したいですし」
「分かりました」
 そうして、二人はシランド城から出ていった。






「ねえねえ、ファリン。何か、ネル様、すごい不機嫌じゃない?」
「もう〜、馬鹿ですかタイネーブはぁ! フェイトさんがセラさんにかまってばかりなんだから、ネル様が不機嫌なのは当たり前じゃないですかぁ!」
「あ、そうかあ。一週間も休暇があったのに、結局かまってもらえなかったんだ」
「タイネーブの頭はウニですかぁ!? ネル様に聞こえるじゃないですかぁ!」
(あんたもね)
 この豪華絢爛漫才コンビは、つくづく自分をからかうのが好きらしい。いままで浮いた話がまるでなかっただけに、フェイトとのことに関しては何かというと自分をからかってくる。
 一度、本気でシめた方がいいだろうか。
「そういえばさ、ファリン、見た?」
「何がですかぁ?」
「さっき、フェイトさんとクレア様が、二人で城から出ていったの」
「何てこと言うんですかぁ! そんなことがネル様に知られたら、絶対血を見るに決まってるじゃないですかぁ!」
「あんたたちね……」
 もちろん、この場合悪いのは明らかにこの二人である。
 上司をからかうにしても、限度というものがある。
「一度本気で血を見ないと分からないらしいねっ!」
『外回り行ってきまーすっ!』
 全力で部屋から逃げ出した二人を、あえてネルは追わなかった。
 そう。自分でもいらいらしているのは分かっているのだ。
 だが、そのことを素直に彼に伝えられない。彼が自分のことを好きだということに疑いはないが、クレアの言うとおり、彼は優しい。困っている人を見捨てることはできないからだ。
「やれやれ。大変な奴を好きになったもんだね」
 ため息をついて、彼女は窓から外を見た。
「それにしても、クレアと一緒だって? よりにもよって」
 もう一度ため息をついた。その分だけ幸せが逃げていくような気がした。





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