Seventh Heaven

第5話 puppy love






 そうして、フェイトはヴァンの部屋に向かった。調査は常に自分の足で。そして情報を手にするには自分の目と耳で手に入れなければならない。それが鉄則だ。
 それを教わったのは何故か、自分の母親からだったが。つくづく何でも知っている親だと思う。
(実際、父さんにコンプレックスを感じることは確かにあったけど、頭が上がらなかったのはどちらかというと母さんの方なんだよな)
 父親は超えたくても超えられないというような葛藤が自分の中であったのだが、母親に対しては自分は絶対にかなわないと最初から白旗をあげていたような気がする。
 いずれにしても、フェイトがここで考えることは両親のことではなく、かわいそうなセラをいかにして救うかというその一点だった。
 その鍵は、ヴァンが握っていると言ってもいい。
「失礼します」
 そこに入ると、ヴァンはうずたかく積み上げられた報告書の山に埋もれるようにして必死に書類と格闘していた。まるで普段の自分のようだ、と一瞬思った。
「ああ、フェイト殿ですか」
 年長格のヴァンではあるが、決して相手に対する礼儀を損なうことはない。普通、位も高く、歳も上ならばもう少し居丈高にしてもいいようなものだが、この人物には決してそうしたところがない。
 まさにシーハーツの模範となるべき騎士像。それがヴァン・ノックスである。
 また、最近では彼もそのことはうすうす感づいているらしく、あえて意図的にそう振舞おうとしている節がある。
「だいたい来訪の理由は分かりますが、フェイト殿も随分と難解な問題に巻き込まれましたね」
「いえ、僕なんか全然です。責任者のヴァンさんや、当事者のセラの方がずっと」
「ですが、そうしてセラさんのために行動なさっている。フェイト殿は立派だと思います」
 相手の立場や年齢で態度を変えないヴァンを嫌う者は少ない。まして、先日【闇】のタイネーブとの結婚が正式に発表され、その意味でもいまやヴァンは時の人だ。
「尋ねたいことがあるんですけど」
「かまいませんよ。というか、来られるとしたら私のところだろうと思って、待っていたところだったんです。それに来客があれば仕事を休む口実になりますので」
 そうやって相手の緊張をほぐすところも、人格者として通る理由の一つである。
「聞かれたいのは、今朝の状況ですね」
「ええ。それから、被害者のラオのことです」
 それを聞いて、ヴァンは納得がいったように頷いた。
「なるほど。目のつけどころがいい」
「ありがとうございます。ラオはどういう人物だったんですか? クレアさんやヴァンさんは、決して高く評価はしていなかったように見えましたけど」
「観察力もありますね。確かにそのとおりです。あの男は戦いを好み、自分を律することができませんでしたから。ただ名のある貴族の子弟というだけで周りからは持ち上げられ、取り巻きもいましたね。ですが、私とクレア様の考えでは、あいつを二級以上の構成員にすることは全く考えていませんでした。奴に一軍を任せたら、とんでもないことになるのは自明でしたから」
 さすがにその辺りはクレアもヴァンも見る目があるということか。
「でも、本人は不満があったんじゃないですか? アーリグリフ戦では武勲もあげたんでしょう」
「ええ。ですが独断専行がありましたので、相殺という形を取りました」
 なるほど、とフェイトは頷く。それだけそのラオという人物は二人に警戒されていた、ということだろう。
「高く評価されない理由で、具体的なことを聞きたいんですけど」
 ヴァンは少しだけ顔をしかめた。少し間があった後に、重く口を開く。
「あまり聞かれたくないことではありますが、あの男はアーリグリフ戦のときに、民間人の女性に襲いかかったことがあるのです」
 フェイトは目を見張った。
 その内容は、彼の想像をはるかに超えていた。態度・素行が悪いということがある程度だと考えていたのだが。
「まさか、この事件でヴァンさんやクレアさんが考えているのは」
「ええ、もうお分かりのようですね。光牙師団だけで解決しなければならない理由。それは、ラオがあのセラさんに襲いかかり、施術のような力でラオを無意識に殺したのではないか、ということなのです」
 セラは恐怖で、施術のような力を発動した。そうヴァンは考えているようだった。
「興味深い話ですけど、いくつか疑問があります」
「どうぞ」
「まず殺害場所。ラオが連れて行ったとすれば、随分妙だと思います」
「そうですね。それは私もクレア様も同じ意見です。それに、見ず知らずの人にセラさんがついていくというのも考え難い」
「ということは、ラオが強引に連れ込んだ」
「と考えるか、もしくは騙したということも考えられます。たとえばフェイトさんが大聖堂で待っているから来てほしい、と呼び出したとか」
 フェイトが驚いたような顔をみせる。そして怒りに変わった。もしもそうなら絶対に許さないという表情だ。
「でも、大丈夫です。セラさんが発見されたとき、セラさんの衣服は血にこそ汚れていましたが、襲われた形跡というものはありませんでしたから」
 ほっと一安心したフェイトを見て、ヴァンが微笑む。
「本当に、フェイト殿は考えることがすぐに顔に出ますね」
「すみません」
「いえ、いいことです。私のようにいつでも同じ表情しかできないというのは、これはこれで不都合が多いのですよ」
 ──この青年も、まだ三十ほどだというのに、アーリグリフという国を捨てた経歴を持つのだ。苦労の並大抵ではなかっただろう。
 自分を守るために、騎士の模範となろうと努力した結果だ。人はそれを成功というだろう。
 だが、彼の本心はきっと誰にも知られることはないのだ。こうして話しているフェイトにも。
「ラオの死因は」
 話を変えると、さすがにこれはヴァンも困った顔をした。
「出血性ショックかもしれませんが、こればかりは何ともいえませんね。なにしろ、遺体がああですから」
「切断されていたのは」
「両腕と両足。つけねから切られています。ですが、剣ではありません。剣ではあれほど綺麗な切断面にはなりません。よほど施術的な力です」
「そんな施術を、ヴァンさんはご存知ですか?」
「聞いたこともありません」
 つまり、どうやったのかは分からないということだ。
「でも、殺す方法がないのなら、セラのせいというわけでもないですよね」
「確かに、凶器は出ておりませんが」
 ヴァンは腕を組んで考える。
「ですが、状況的によくありません。あれではセラさん以外に容疑者は出ません。他の扉も全て調べましたが、鍵はしっかりとかかっていましたし、誰も出入りしたような様子もなければ、目撃者もいませんでした」
「セラについては? 一人で歩いていたり、誰かと一緒にいたというようなことは」
「残念ながらそれも、見た者がいないのです。いつ、どうやってあの大聖堂に入ったのかも分かりません」
 鍵は神官が管理している。当然ヴァンもそのことは知っている。
「じゃあ、鍵は」
「衛兵が確認しています。誰も大聖堂の鍵には触れていません」
 現状で、ラオと接触があったのは、どう考えてもセラしかいないということになる。
「ラオの昨日の仕事は──」
「非番でした。とはいえ、兵舎はこの城にあるわけですから、どこにいても不思議はありません」
「けど、真夜中に出歩く必要はない」
「そうですね。だとするとむしろ、出会い頭という可能性もなくはない」
 いずれにしても。
 ラオとセラとの接点を見つけることは難しい、ということだけが分かった。






 これからどうしようか、と悩みながら廊下を歩いているときだった。
 別に油断していたわけでもない。
 考え込んでいたわけでもない。
 それほど、彼の背後に立った人物が、綺麗に気配を消していたということなのだろう。
 彼は、突然後ろ襟首を掴まれる。
 後ろに体重をかけられ、相手の手が自分の喉にかかる──その手には、ナイフ。
 後ろにいる人間を確認することはできない。
 だが、彼には自分を殺そうとしているのが誰なのか、分かっていた。
「ク、レセント?」
 そう口に出すと、後ろから「へえ」と楽しそうな声が返ってきた。
「よく分かったね。まさかお前が私に気がつくなんて思わなかったよ」
 ナイフを首から離さず、小柄な体がフェイトの背に密着する。
「こうやって脅迫されるのは二回目だから。今度は、なんだい?」
 ふふ、と背後で笑う。まったく、この女性はどうしてこんなにも自分をつけ狙うのか。
「何だと思う?」
「分からないから聞いてるんじゃないか」
「簡単なこと。お前がいたからさ」
「僕がいたから?」
「そう。お前を見ると、こうしたくなってたまらない」
「僕はストレス解消の道具じゃない」
「言うね。自分が誰に命を握られているのか分かってないみたいだね」
 ぐい、と喉にナイフが食い込んでくる。
「ま、いいさ」
 ぱっ、とナイフが離れた。拘束が解かれて体が離れる。
 振り返ると金色の髪がさらりと流れる彼女の小さな体があった。
 あいかわらず、愛くるしい顔だ。十四、五くらいに見えるほどの童顔。
「あいかわらず、さえない顔してるね」
 それにしても、と思う。この女性は本当にクレセントなのだろうか。少なくとも自分が見ている限りでは、彼女は誰に対しても丁寧で、優しく、親切で、こんな乱暴な言葉の使い方などしない女性だった。それでいて愛くるしく、誰の目にも可愛らしい女性に映っていた。
 それなのに。
「何か、失礼なことを考えていないかい?」
 ぶんぶんと首を振る。全くクレアといい、ネルといい、どうしてエリクールの女性たちはこちらが考えていることが分かるのだろう。
「クレセントはブルーさんの命令で?」
「そんなところかな。ちょっと報告に来たってわけさ」
「クレアさんにかい?」
「まあね。でもそれは口実。別に報告くらいでわざわざ私が来る必要はない。他に目的があってね」
「いろいろと大変なんだね」
 この女性も二級構成員ということは、ファリンやタイネーブと同格ということだ。それだけ重要な任務を言い渡されているに違いない。
「目的は、お前さ」
「は?」
「お前に会いたかったから、わざわざ来たんだ」
 ──これは、何の冗談だろう。
「僕をからかうため、かい?」
 おそるおそる尋ねてみる。
「それもある。だが、他に大事なことがあってね」
 すると、突然クレセントは頭を下げた。彼女の金色の髪が、重力にしたがって彼女の顔を隠す。
「この間はすまなかった。感情が高ぶっていたとはいえ、騎士としてあるまじき行為だった。反省している。すまない」
 これほど、丁寧に、礼儀正しく謝られると、かえって裏がありそうで怖い。だが、そう考えていることも相手には筒抜けかもしれない。フェイトは恐ろしくなって考えるのをやめた。
「クレセント」
「なんだ」
 顔も上げずに、彼女は答える。
「この間、僕が殺されそうになったのは謝られたんだけど、それならどうして今日も同じように襲い掛かってきたんだい?」
「そんなのは決まっている」
 顔をあげたクレセントは、愛くるしい笑みを浮かべた。
「お前をからかいたかっただけだからだ」
「僕は! からかわれるためだけに死ぬかもしれないっていう恐怖を味わったわけか!」
「そうだ。なかなかない経験だろう? それに、私も本気ではなかったから、一切傷もつけていない。何か問題があるか?」
 問題だらけだ。
 だが、先日の件でのわだかまりがなくなったのは非常に助かるが。
「ところで、詫びついでに一つ情報を提供したい」
「情報?」
「そうだ。ラオの件について調べているらしいな」
 ──事件は今朝起こったはずなのに、もうクレセントに届いている。
 早いな、とフェイトは考える。ならばもう、城内に噂は蔓延していると考えていいだろう。
「私はお前が何について調べているかなど知らないし、興味もない。だが、一つだけ言えることがあるとするならば、あの男はもともとこのシーハーツという国において異端で、邪魔者だった」
「邪魔者?」
「ああ。何しろ奴は、シャロム家の反乱に半分足を突っ込んでいたからな」
 今度こそ、フェイトは絶句した。
 シャロム家の反乱ということは、つまり。
 ──クレセントの母親の。
「それに関係があるとかないとかじゃない。ただ、あいつが殺されてほっとしている奴は多いってことさ。特にシャロム家の反乱に加わっていた奴らにしてみると、随分助かったと思ってるんじゃないかな」
「クレセント。そのことは」
「誰も知らないことだよ。私と、お前の他にはね。クレア様やネル様だって、多分知らないだろうね」
「どうして僕に?」
「そうだねえ」
 にっこりと笑って、クレセントは接近する。
 それこそ、彼女の吐息がかかるくらいまで。
「く、クレセント?」
 壁際まで追い込まれたフェイトが、小柄なクレセントの上目遣いの攻撃にあう。
「お前が気に入ったから、かな。お前の芯の強さといい、素直なところといい、ネル様が惹かれるのも分かるよ」
 冗談、と言いたかったが、その視線が反論を許さなかった。
 ──と、その時。
「あ、クレセント?」
 別人の声がかかったときには、既にクレセントはフェイトから離れていた。
「あ、こんにちは、ルージュ様♪」
 ……語尾に音符のようなものが見えたのは気のせいだろうか。
「あ、なに、フェイト君も一緒か」
「こんにちは、ルージュさん」
「こんなところで何やってるの? ネルに隠れて逢引?」
「なっ──」
 反論しようと思った瞬間、隣から否定の声が上がった。
「違いますよ。確かにフェイト様は素敵な方ですけれど、私ではネル様にはかないませんから♪」
 絶句。
 今まで、小悪魔チックに自分を誘惑し、さらには殺気まで見せていたクレセントはどこへ行ったのか。
 そんな彼女は優しそうな聖母の笑みを自分に向けてくる。
 ──その瞳までが、本気で優しそうだから性質が悪い。
「そっか。フェイト君はネル一筋だからねー。クレセントもふられちゃったか」
「ちょっと待ってください。『も』ってなんですか」
「フェイト様がそれだけ素敵な男性っていうことですよ♪」
(誰だこの女)
 本気でフェイトはそう思った。姿外見こそ先ほどまでのクレセントに他ならないが、完璧に人格が変わっている。これは演技とかいうレベルのものではない。
(……騙されるわけだよなあ)
 クレセントの本性を知っているのはブルーとファリンだけということだったが、おそらくそれ以外は完璧に隠しおおせているのだろう。
 フェイトは心の中でため息をついた。





plastic smile

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