Seventh Heaven

第8話 secret secret






 何故。
 どうして。

 フェイトは完全に茫然自失となっていた。
 目の前で消えた、最愛の女性。
 誰よりも、誰よりも大切で、他の何にも取り替えることができない存在。
「ネル」
 フェイトは目を見開いたまま、右手で頭をおさえる。
「フェイト」
 ネルがいなくなったことで、遠慮がなくなったクレセントが近づいてくる。
 そして、思い切り彼の頬を平手で叩いた。
「いつまでもほうけてる場合じゃないだろ。お前、このままネル様をほったらかしにしておくつもりか」
 それで、すぐにフェイトも目が覚める。頭を軽く左右に振ると、目に光が戻ってきた。
「もちろん、そんなつもりはないよ」
「じゃあ行動だ。まずはこの娘を連れて戻るよ。奴はウルへ来いと言ったんだ。今度こそこの娘を手に入れるための準備を万端にしているだろうね」
「でも、ネルだけは渡せない。もちろん、セラだって渡すつもりはない」
「フェイト」
 その彼に向かって、クレセントは真剣な表情で見つめた。
「それでも、最悪の場合にどちらかを選ばなければならない場合、お前はどっちを選ぶつもりだ?」
「そんなのはネルに決まってる」
 何の迷いもない答だった。逆にクレセントが驚かされるほどに。
「でも、二者択一なんてネルは絶対に喜ばない。それは本当に最後の手段だ。僕は全員が助かる道を探す。いつだって」
 ふう、とクレセントは息をつく。
「なるほど」
 うんうん、とクレセントは頷いた。フェイトがいぶかしげに見る。
「どうしたんだい」
「どうしたもこうしたも。ネル様クレア様ルージュ様、それにファリンにタイネーブその他たくさんの女性がお前に惚れるのかが分かった気がしただけさ」
「?」
 疑問符を浮かべたフェイトに向かって、クレセントは妖しく笑った。
「ああ、教えてやるよ。その前にフェイト、それ」
 クレセントがフェイトの後ろを指さす。何も考えず、彼は後ろを振り向く──瞬間、クレセントの手が伸びてきて彼の顔を掴んでクレセントに引き寄せられる。
「ん、ぐっ?」
 そのまま、強引に唇が押し付けられる。力任せの、本当に重ねただけの口付け。
「何を!?」
「ふふ、気に入ったってことだよ。フェイト・ラインゴッド。この間も言ったはずだけどね。ま、安心しなよ。別にネル様を恋敵に持つつもりなんてないからさ」
 この、自分より頭一つ小さな、可愛らしい女の子が不敵に笑う姿を見て、フェイトは改めて思いなおした。
「でも僕は、君のお母さんを殺した犯人を」
「分かってる。でも、母上が反乱を企んでいたのは事実だからな。だからそれは割り切ることにした。それにもともと、その件がなければ私はお前が気に入っていたんだ」
「どうしてだい?」
 フェイトが尋ねると、クレセントは少し首をかしげる。
「初めて会ったときのこと、覚えているか」
「あ、うん。僕がこっちに来て間もない頃にあったパーティで紹介されたのは覚えてる」
「そのときだよ、気に入ったのは」
「……一目ぼれ?」
「お前、自分の容姿にそんなに自信があるのか? ナルシストか?」
「いや、今のクレセントの言葉を解釈したらそうなるよ」
 はあ、とため息をつかれる。
「違う違う。お前は私の家柄のことなんか全く気にしないで話してくれただろう。それだけだ」
「家柄なんてよく分かってなかったし」
「それが尋常じゃないんだよ。当時のシャロム家は、王家を除けば筆頭の家柄。それを知らない奴なんてのが珍しいのさ」
「それだけ?」
「それだけ」
 釈然としない。たったそれだけのことを、クレセントがとても大切にしているというのがよく分からない。
「きっとお前には分からないんだよ。家柄に縛られた人間がどうやって生きてるか、なんてな」
 クレセントは自虐的に笑った。
「たとえばお前、女王陛下の前で普通に話せるか?」
「いや、それは無理」
「シャロム家っていう名前には、それと同じだけの力があるのさ」
 クレセントは肩が凝るという様子を見せる。
「でも、あくまでも臣下なんだろう?」
「……多分ね」
「何だよそのあいまいな表現」
「形の上では臣下でも、女王陛下の意のままに動く大貴族は少ないってことさ。そんな私がシーハーツ軍に入っているのだから皮肉がきいている」
「そういうものなのか」
「そういうものなのさ。シャロム家を前にする人間の反応は三つ。こびへつらう。敵視する。無関係を装う。このうちのどれかだな。そういう反応をしなかったのはブルー様とファリンくらいだ」
「だから僕?」
「そう。お前はシャロム家の名前を知らなかったからな。ブルー様やファリンは知っているだけにシャロム家を完全に無視した言動はしない。でもお前は完全に違った。何しろ知らないんだからな。無知ってのは時に強いもんだな」
「褒められてる気がしないよ」
「褒めてないからな」
 そう言いながらもクレセントは機嫌が悪くはなさそうだった。






 戻ってきたフェイトたちであったが、もちろんクレアや他のメンバーの顔が明るいはずもなかった。何しろ、ネルが誘拐されてしまったのだ。
「クラウドが犯人でしたか」
 会議室に集まったのは、クレアとフェイトの他、ヴァンとクレセントの計四名。セラはひとまず病室に寝かせてある。
「クラウドというのは、どういう人物なんですか?」
 その言葉に少しクレアが顔をしかめた。
「私とネルがクリムゾンブレイドになった時に受け持った最初の事件でした」
 そうしてクレアは話し始めた。
 ウルの町であった事件。近隣の村を襲っていた魔物たちの討伐にクレアとネルの二人で解決にあたった。その魔物=ホムンクルスを作っていたのが、かのクラウドだ。
 結局は何とか魔物を全て討伐できたのだが、肝心の張本人であるクラウドには逃げられてしまっていた。
「いつかは私たちの前に立ちふさがるとは思っていましたけど、こんな形でとは」
「ですが、そのクラウドがセラを連れ去ろうとしていたんです。それに、あいつはセラをこの時代に呼び出したと言っていました」
「この時代に?」
 そう。その言葉は引っかかる。
 つまり、セラは。
「ではセラさんは、この時代の人間ではない、ということですか」
 この中でFDの事情を知っているのはクレアだけだ。だが、あえてフェイトのことまで追及しなければヴァンやクレセントが話を聞いても問題ない。
「過去や未来から呼ばれた、という可能性はあります。でも、何とも言えません」
 セラの記憶が戻れば少しは分かることもあるだろうに。だが、そのセラは今はベッドの上で寝込んでいるのだ。
「それに、クラウドはこのエリクールの人間ではありません」
 そう。彼は『紋章術』と言った。もしもこの星の人間なら『施術』というはずだ。そしてクラウド自身がそれを認めた。
 ならば。
(やっぱり、考えたとおりなんだろうか)
 そう。最初に考えた疑問。ネルに伝えた疑問。
 この件には、FDが関わっている。
 つまり、クラウドは──
「失礼します!」
 結論にたどりつく直前に、会議室にタイネーブが駆け込んできた。
「どうしたの、会議中よ」
「すみません。それが、セラさんが」
「また奴が来たのか!?」
 フェイトが立ち上がる。が、そうではなかった。
「いえ、目を覚まされたんです。そして──」
 ひょこ、と。その脇から蒼い髪の少女が現れた。
「急いで、お話しなければいけないことがあります」
 少女は凛とした態度で言った。
「セラ。君は──」
 小さく、その女の子は胸元のペンダントを握って頷く。
「思い出しました。だから、皆さんに伝えなければいけないことがあるんです」
 セラの言葉には重みがあった。そして、全員がその彼女の言葉に集中した。
「私は、過去から来ました」
 その言葉に、ある程度予想ができていた一同は、彼女の話に注意を払った。






 目が覚めた時、ネルはあの村の洞窟にいた。
 もちろん、記憶によく残っている。彼女の最初の任務にして、数少ない失敗に終わった任務。
 それが、クラウド、という男の起こしたウルの村での事件だった。
「目覚めたか」
 男の声がする。テーブルの前に座っていた男は、一度作業を止めて端麗な顔が自分をちらりと見た。だがすぐに何物かをテーブル上で作り始める。
 自分の手足は縛られて床に転がされていた。人質としては仕方のないことだ。何しろ、自分は手足さえきちんと動くのならどうやってでも脱出することができる。それを封じるのは男の立場では当然といえた。
「あんたに聞きたいことがある」
「人質に質問する権利があるとでも?」
「私は人質かもしれないけど、切羽詰らない限りあんたは私に危害を加えない。そんな無駄なことをする人間じゃないっていうのは分かってるよ」
「ふ」
 作業の手を止めずに男は笑う。何を作っているのか、どうも小物をクリエイトしているようにも見えるが。
「あんた、FDの人間かい?」
 その言葉は、さすがに彼の行動を止めた。そして目を丸くして彼女の顔をまじまじと見る。
 もちろん彼女は怯まない。その目を受け止めて、彼がFD人であるということを確信する。
「なるほど。フェイト・ラインゴッドの仲間なら知っていても当然ということか」
 どうやら、フェイトの考えは正しかったらしい。エリクールで生じる不可思議な事件には、全てFDが何らかの形で関わる。
「セラもFDの人間なのかい?」
「あの娘は無関係だ。エターナルスフィアの住人だよ。私がここでやりたいことを達成するためにはあの娘が必要なだけだ」
「あんたも、私たちのことは所詮『ぷろぐらむ』にすぎないっていうクチかい?」
 その言葉の意味は今ひとつまだ理解できない。だが、自分たちが作られた存在だということを示す言葉だということは分かっている。
「この未開惑星でその言葉を知っているとはな。いろいろと知識はあるようだが」
「答になってないよ。あんたにとってはその答を言うことは、別に問題はないはずだ」
「確かに」
 完全に作業の手を止めた男は腕を組んで彼女の方に向き直る。
 数メートル、という距離が非常に近く感じられた。
「そうだな、お前たちをプログラムというにはいささか私はお前たちに深く関わりすぎた」
「ふうん。割り切っているというわけでもないようだね」
「それは仕方がない。もともと私はお前たちを作った存在だからな」
 やはり、スフィア社の人間。
 クラウドの正体が分かったのはいい。次は彼の目的と、セラの正体だ。
「ブレアたちの仲間なのかい?」
「もしそうだとすれば、私はここにいないだろう。何しろブレアは完全にエターナルスフィアを閉鎖しようとしているからな。通常のアクセスは全て禁じられているんだぞ。この世界にアクセスできるのは裏コードを知っているものだけだ。一般のユーザーはこの世界にはいない」
 エレノア、それにフラッド。コンピューターの技術が高く、スフィア社に縁のある者だけがこの世界にアクセスしている。逆にスフィア社のブレアたちはこの世界へのアクセスを全く行わない。
「ブレアたちがこの世界へのセキュリティを強めるばかりだからこそ、私は自由にこの世界に入り込むことができる。セキュリティサービスの体制は昔から何も変わっていない。その気になればいつまでもこの世界に住むことはできる」
「なんでわざわざこの世界に?」
「向こうの世界はつまらん」
 クラウドはあっさりと答えた。
「それならば、この世界でやりたいことをやるだけだ。ゲームの中ならば、どのような犯罪をしても咎められることはない。PK、プレイヤーキラーになることも自由だ」
 つまり、この世界で殺人をしても問題ない、と言っているのだ。
「やっぱりプログラムだと思ってるんじゃないか」
「だから、そう割り切るにはいささか関わりすぎた、と言っているだろう。この世界での居場所もまた、私の本当の居場所の一つなのだ。意味もなく人を殺したりはせんよ。それにお前たちはプログラムだというには思考が高度すぎる。我々FD人と同じレベルで思考できるのならば、それはもうプログラムとは言わん。一つの生命体だ。まあ、完全に認めるのも難しいものだが」
 FDとエターナルスフィアの両方が自分の活動場所。そう考えている以上はこの世界でも無理はできない。
「なるほどね。あんたにとってはここがもう生活の半分を占めているわけか」
「そういうことだ。いっそ、こちらの世界で完全に暮らすことができればいいのだがな。その点、私にしてみればエレナが羨ましい」
 ネルは意外そうに彼を見つめた。エレナは確かにこの世界を愛していたが、それとは別に故郷も愛していた。だから星船でこのエリクールから出ていった。
 それに対してこの男は故郷はいらないからこの世界にいたいというのか。
「あんた、エレナ様の居場所とか、知っているのかい?」
 ふと、そんなことを尋ねてみる。
「知っている。もちろんこの星にはいない。全く、エレナも無駄なことをする。何をしたところでこの世界からFDに戻ることはできない。何しろ、あいつの体は向こうにないのだからな」
「あんたの目的は、エレナ様に関わるのかい?」
「いや。私はあくまでこの世界で自分が何ができるのかを極めたい。科学者と同じだな。その方向性が『人造人間』へと向かっただけだ」
 あくまでも、ホムンクルスを作ることが目的と。そう彼は言うのだ。
「あんた、いつからそれをやっているんだい?」
「さあ。この世界では三十年はやっているだろうな。何度もデータを改竄して年をとらないようにしてはいるが、こう見えてもこの世界で百年は生きている」
「やっぱり、あんたが父さんたちと戦って逃したっていう魔導士だね」
「確かにネーベルやアドレーと戦ったことはあるが、それは言っても仕方がないことだろう。あの二人が戦った相手など、この星に何千人いることか。私はその中の一人にすぎない。あの二人がいかに優秀でも、私以外に遅れを取ったものがいないとは言い切れないだろう」
 確かに。それをいくら追及しても意味がない。ならば、聞きたいことはもう一つだ。
「あんたはセラをどう使うつもりだい?」
 男は少し考えたが、答えた。
「あの娘の遺伝子には紋章が刻まれている。その紋章遺伝子を私は必要としている。それはお前たちの血の中にもあるものだ。お前たちの言葉だと『血統限界値』といえば分かりやすいか。パーセンテージでいうのならあの娘の値は百パーセントだ」
 さすがに。
 その言葉にはネルの思考が完全に停止した。
「まさか」
「本当のことだ。だから私はあの娘を呼び寄せたのだ。過去からな」
「過去」
「そうだ。あの娘の正体を知りたいか」
 そこまで教えてくれるのか。
 ネルは、彼の次の言葉を待った。
「あの娘は、お前たちの先祖だ」





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