Seventh Heaven

第9話 take me take me






「ネーディアン?」
 その言葉が理解できたのは間違いなくフェイトただ一人だ。それは地球人であり、十賢者の乱を知る者だから理解できるのだ。
「はい。私はそのネーデ人です。気の遠くなるくらいはるかな昔にあった星。今ではもう存在しない星。それが私の故郷です」
 セラの言葉に、クレアたちは一切口を挟まなかった。フェイトが理解している。それなら、後で彼の口から分かりやすく説明してくれるだろうという信頼があるからだ。
「じゃあ、名前も思い出したのかい?」
 フェイトが尋ねると、彼女は小さく頷いた。
「でもこのまま、セラ、と呼んでください」
 彼女の本名を知りたいとは思ったが、それは何か理由があるのだろう。それについてはあえて追及しない。
「それじゃあ、朝の件については覚えてる?」
「はい。ただ、私もぼんやりとしていましたので、しっかりとは」
 そう前置きしてからセラは話し始めた。
 夜中に目が覚める。だが、体の支配権が奪われたかのように、勝手に手足が動く。
 夢でも見ているかのような感覚。ふわふわとした感覚の中、自分の体は大聖堂へと向かう。
 鍵は閉まっていた。でも、彼女が手をかざすだけでその鍵は自然と外れる。
 そして、中に入る。
 大聖堂。その先には、カナンへの道。
 そのカナンへの道を出現させようとした時のことだった。
 突然、入ってきた見知らぬ男。
 自分に襲いかかろうとしてくる。
 恐怖。嫌悪。嫌な感情が心の中にあふれる。
 次の瞬間、体の周りに勝手に風が生じていた。
 その風が、目の前の男を切り刻む。
 四肢が吹き飛び、大量の血を浴びる。
 その惨劇に、自分の心がショックを受けないように、記憶を閉ざした。
「それが、全てです。あの人に襲われたのはショックでしたけど、でも、あんな死に方」
 セラは泣きそうな顔になったが、フェイトはその彼女の髪を優しく撫でる。
「君は悪くない。だって、君の言う通りなら、その風っていうのはきっと」
 後ろを振り向く。クレセントが頷いた。そう、風の正体はきっと、クラウドに関係しているはずだ。
「クレアさん、これでセラの容疑は晴れますよね」
「いいえ。その話が真実かどうかを確かめなければいけません」
 あくまで意固地にクレアは言い張る。フェイトの表情が変わった。
「でも、今はそれを追及している場合でないのも確かね。いったんセラさんのことはフェイトさんにお任せします」
 それを聞いてフェイトはほっと安心した。
「はい」
「まずはネルを助ける算段を立てましょう」
 クレアの意見に全員が一致する。ただ、セラだけが状況を把握していなかった。
「私は意識を失っていてよく覚えていないんですけど、何があったんですか?」
 どうやらセラは誘拐されそうになったことからして記憶にないらしい。完全に意識のない状態で事が起こったのだろう。
「誘拐されそうになったことは覚えてる?」
「私が、ですか」
 質問に逆に質問で返される。
「さっき、君が寝ていた病室に不審人物が来たんだ。そして君を連れ去った。その大聖堂から先にある、カナンという場所に連れていかれたんだ。多分、朝の時のも、君は体を操られて、カナンへ誘導されていたところだったんだと思う」
 カナン。エレナの旧実験室のある場所。そこでセラをどうするつもりだったのか。
「どうして私を」
「もともとその男は、君をこの時代へ連れてきた張本人だと言っていた。君の紋章遺伝子の力を利用するみたいな感じで言っていたけど」
 セラは考えてから答えた。
「どうして私なのかは分かりません。ただ、確かに私は遺伝子に紋章を刻まれています。本来あるはずのない回復の紋章術を使うこともできますし、それが原因なのかとも思いましたけど」
「そんな口ぶりじゃなかったな、あのクラウドって男は」
「クラウド?」
 セラが目をぱちぱちと瞬かせる。
「あ、うん。君を連れ去ろうとした男の名前」
「私を」
 セラは少し考え込むように床を見つめる。
「私、その人に会いたいと思います」
「いずれにしても、ウルには行かないといけない。ただ、君をクラウドに引き渡すつもりはない」
「ありがとうございます」
 ぺこりと頭が下がり、月の形をした髪飾りが揺れる。
「だいたい話は終わったかしら」
 クレアは何とか理解しようと必死に話を追いかけていたが、どうにもつかめないことが多かった。
「いろいろと説明をしてほしいんだけど、いいかしら」
 さて、クレアたちにこれをどう説明すればいいのだろうか、とフェイトは頭を悩ませた。
 フェイトは、他の誰も知らない事実をいくつか知っている。まずはFDの件。この世界がエターナルスフィアと呼ばれるゲーム世界であり、それがゲーム製作者から独立した世界なのだということ。次に、この世界にはエリクールのような星がたくさんあるということ。もっとも、この話はクレアも知っている。ヘルメスの件で宇宙に出たことがあるからだ。
 そして最後に、このエリクールに住む人たちの話。先日、逆行した世界でエレナから教わった知識。エリクールの先祖がネーディアンだったということ。
 それらをふまえて話をするとなるとどうなるかは想像がつく。結局は理解できないだろうし、理解できたとしたらそれは混乱の材料にしかならない。
 もちろんFDのことなど話すわけにはいかない。この世界の人たちに自分の存在意義を考えさせることには何の意味もない。必要なことだけを簡潔に伝えるべきだ。
「あら、随分と変わったメンバーが集まってるわね」
 フェイトがちょうど説明を始めようとしたとき、会議室にもう一人の来客が現れた。
「マリアさん」
 最初にその姿に反応したのはヴァンであった。
「フェイトにクレア、ヴァンにタイネーブ。ああ、すっかり言うの忘れてたけど、結婚おめでとう二人とも」
 ヴァンとタイネーブがそろって「ありがとうございます」と答える。
「二人は見ない顔ね。それにネルの姿が見えないようだけど?」
 この状況にあっていったいどうやってマリアに説明したものか。
 大きくため息をついたフェイトは仕方なく最初から全てを説明することにした。
 フェイトが現状把握している知識をふまえつつ、セラと出会った時から、ネルが連れ去られたところまで、状況を説明した。
 するとこの自分より小さな姉は、その綺麗な顔に表情を見せず、弟を見てはっきりと言った。
「あなた、馬鹿?」
「なっ」
 いきなりそんなことを言われては、さすがのフェイトも鼻白む。馬鹿だと言われる理由も、マリアが憤っている理由も分からない。
「あなた、分かってないの? ようするにあなたは一番大切な人を見捨ててその女の子を取ったってことでしょ?」
 それを言われるとさすがに辛い。だが、それをセラの前でわざわざ言わなくてもいいと思うのだが。
「あなたがセラ?」
 気高さすら見せるマリアの言葉に、セラがびくんと跳ねて首を振る。
「だいたい話の内容は分かったんだけど、少し質問してもいいかしら」
「は、はい」
「どうしてあなた、名前を言わないわけ?」
 いきなり彼女が隠したいことを直球で尋ねた。
「それは」
「言わなくてもいいわ。つまり、あなたの名前を私やフェイトが知っている可能性のある名前ということね。それも、知られるといけないような」
「すみません」
「いいわよ。でも、あなたがネーディアンだっていうこと、その遺伝子紋章をクラウドって奴がどう利用したがっているのかが分からないわね。ホムンクルスを作ってるんですって?」
 クレアの方を見て尋ねると、クレアがしっかりと頷く。
「ええ。彼にとって忠実なホムンクルスを作るということを考えていたわ」
「悪趣味ね」
 一言で簡潔な感想を述べる彼女に、ヴァンとクレアが笑った。
「ですが、マリアさん。その男はそれを本気で考えているということです」
「分かってるわ、ヴァン。そのためにも、セラ。あなたの協力が必要なの。分かる?」
「はい」
 少女はもうおどおどする様子もなく、まっすぐにマリアを見詰めた。
「あなたには囮になってもらう。その男が何を考えているかは分からないけど、まずはネルの救出が最優先。あなたはすぐに殺されたりする心配はないから、もしかしたら一旦相手に引き渡すことになるかもしれない。分かる?」
「はい」
「問題はどうするかっていうことなんだけれどね。まずはそのウルというところに行かないとならないんでしょうけど、地図はあるの?」
「こちらに」
 既に用意してあった地図を、会議室のテーブルに大きく広げる。
 ウル地方はカナンの近くだけに、かなり細かい地図が作成し、管理されている。
「クラウドのいる場所は」
「おそらくはこの山の中腹にある洞窟」
「それほど離れているわけじゃなさそうね。出入り口は一つだけ?」
「少なくとも後日の調査ではそれ以外には見つかりませんでした」
「転移の術を使うってさっき言ってたわね。ということは、洞窟から他の場所にも転移できると見ていいんでしょうね」
 マリアの頭の中は、ネルを救出する方法と、クラウドを逃がさない方法を同時に検討していた。きっとそれは不可能ではないはずなのだ。ただ、それには情報が足りなさすぎる。
「セラを連れていったら間違いなくこっちは手の打ちようがないわね。でも向こうはフェイトと二人で来いってことだし……」
 そして、しばらく考えていたマリアの口はしが上がった。どうやら、何か閃いたらしい。
「何かいい方法が?」
「ええ。ちょうどセラの外見のおかげでね。相手を騙せるかどうかは分からないけれど、私が変装すれば問題ないでしょ?」
 変装。
 それを聞いてフェイトはマリアとセラの髪を見比べる。
「確かに色は似てるけど、長さが違うよ」
「切ればいいじゃない」
 さら、と言ったその言葉に、クレアとヴァンが猛反対した。
「何をおっしゃるんですか!」
「そうです! 女性にとって髪は命ともいえる大切なものじゃないですか!」
 さすがにそれだけの猛反対が来るとは予想してなかったのか、マリアも一瞬引いた。
「たいしたことじゃないわよ。もともと私の髪は願かけみたいなところがあったもの。それがかなったのにずっと切らなかったから、ちょうどいい機会だわ」
「ですが!」
「ヴァン。いいのよ、私もいい加減、吹っ切れないといけない時期だっていうのは分かってるし」
 マリアがその胸をぽんと叩く。だが、ヴァンはそれでも顔をしかめたままだ。
「ですがその、よろしいのですか?」
 ヴァンがちらりと一瞬、フェイトを見る。
「いいのよ。もう済んだことだし。いろいろとありがとうね、相談に乗ってくれて。でももう大丈夫だから」
 マリアとヴァンが知らないところで理解を深めている。傍から見ているフェイトには何のことだ全く分からない。
「というわけだから、私があなたの変装をして、フェイトと一緒に行くわ」
「すみません」
 セラが大きく頭を下げる。だが、マリアは「いいのよ」と答えるだけだ。
「それより、あなたが謝る相手は他にいるのよ。それは分かってる?」
 彼女が怒っているのは決してセラに対してというわけではない。
 セラと引き換えにみすみすネルを敵の手に落とすことになったフェイト・ラインゴッドに対してなのだ。
「そんなに苛めないでくれよ、マリア」
 さすがにしょぼくれてフェイトがうなだれる。
「ようやく自覚が出てきたみたいね。言っておくけど、こんなことが二度あったりしてみなさい。今度こそあなたを石にするわよ」
 本気で言っているあたりが怖い。しかも記憶がないとはいえ、実際に石にされかかったタイネーブがこの場所にいるのだ。たいした度胸だというべきだろう。
「それじゃ、少し準備しないといけないわね。クレア、誰か髪を切ってくれる人、準備してくれないかしら。さすがに自分で髪型を整えるのはうまくできないし」
「私がやりますよぉ♪」
 手を上げてきたのはクレセントであった。
「こう見えても手先は器用ですし、いつも他の方の髪を切らせてもらってます♪」
 マリアはそれを見て、随分と明るい女の子だなと思った。
「あなたは?」
「はい。私はクレセント・ラ・シャロムといいます、お願いします♪」
「マリア・トレイターよ。それじゃ、お願いするわ」
「はい♪ セラさんもどうぞこちらへ。一緒に見立てますから」
「はい」
 そうして三人が出ていくと、フェイトは何とも言えない表情になる。
 確かにセラとマリアが入れ替わればある程度は騙せるだろう。それに、至近距離でアルティネイションを放てば、剣でも何でも武器を無効化することができる。何しろ、彼女の力なら、剣を水に変えることだって可能だ。
「よろしいのですか、フェイトさん」
 クレアが尋ねてくるが、フェイトは頷くしかなかった。
「よくはありません。でも、マリアが僕のためにそこまでしてくれるのなら、今回は甘えようと思います」
 そう。
 これはマリアがフェイトのことを吹っ切る儀式であると同時に、自分の失敗をマリアが少しでも軽減してくれるようにと気を回してくれているのだ。
「ではその間に、この辺りの地形について簡単にお伝えしておきます」
「よろしくお願いします」
 そうして、ネル奪回作戦は実行へ移されることとなった。





twinkle snow powdery snow

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