冬の話(前編)






 銀河連邦が事実上機能しなくなってから、クリフ・フィッターは忙しい毎日を送るようになっていた。
 やることはいくらでもあった。エクスキューショナーによって破壊された星々を救援にかけつけ、苦しんでいる人たちを助ける。もともとそんな役割を負うつもりなどなかったのに、気づけば長年の相棒であるミラージュやランカーと一緒につるんでそんなことをしている。
 気がつけばこの銀河系で自分の名前は一躍有名人になってしまっていた。全く、政治家なんてやるものではない。
 この日は航宙艦での移動二日目にあたる。昨日、エクスペルのクロス女史と会談を終えたばかりで、まだ疲労が残っている感じだった。
「たりーよなあ、ったく」
 クリフは行儀悪く、足を卓の上に放り出す。
「ミラージュさんに怒られますよ」
「とはいってもな、さすがに移動の連続、たまに地上に降りたと思えば、あんな裏に何考えてるか分からない奴との会談だ。息つく暇もないぜ」
「部下に示しもつきませんぜ」
「ったく、お前も小言が多くなってきたな」
 よっ、と声を出して足を下ろす。
「また、件の方から来てましたぜ、求愛のメール」
「やめてくれ。あんまり会いたい相手じゃねえよ」
「でも向こうもこう何度もメールをしてくるってことは、それなりに気があるんじゃないですかね? ま、ミラージュさんがいる以上、応えることはできないわけですが」
 クリフは応えない。そのかわりにメールボックスを開く。
 重要度Aのメールだけがクリフに転送されてくる。その相手。

『惑星ミッドガルド大統領、アーリィ・ヴァルキュリア』

 ミッドガルド銀河連邦に入ったのはかなり昔のことだ。
 ただ、この星では宇宙へと旅立つ技術がありながら、星民はこの星から旅立とうとしない。せいぜい銀河連邦へ行く外相くらいだ。
「ミッドガルドへは行ったことがおありですか」
「いや、ねえな。古代建築物や自然の多い環境の星だってのは聞いたことがある」
「あの星にはちょっとした言い伝えがありましてね」
「ほう」
 クリフは半分聞き流しながらメールの文面を追う。
「戦女神が三柱そろったとき、宇宙の全てが消滅する、と」
「そりゃおだやかじゃねえなあ」
「ええ。で、ご存知ですか」
「何がだ?」
「その星では戦女神というのは『ヴァルキュリア』というんだそうです」
「へえ」
 声のトーンが落ちた。
 文面に、決して見過ごすことのできない内容があったからだ。

『貴公がよくご存知の紋章遺伝子の継承者に関して、話があります』

 さすがにフェイトやマリアのことをもちだされては無視しつづけるわけにもいかない。
 かといっていったい何を探られているのかも分からない状態ではうかつに飛び込むわけにもいかない。
「どうですか、今回のメールは」
「お前、目、通したか」
「そりゃまあ、一応」
「ちっ。ならさっさと報告しろよな」
「すいません。まあ、急ぎってわけでもなさそうだったんで。で、どうします」
 ランカーの質問にクリフは腕を組んで考える。
「まあ、これ以上無視することはできねえな。前からやけに俺にこだわってたから、何の理由があるかと思ったが、まさかあいつらのことだったとはな」
「ま、別にミッドガルドに行ったからっていきなり捕まることはないでしょうや」
「だといいけどな。キナ臭いのには違いねえ」
「どうします?」
「とりあえず、俺一人で行ってみる」
「いいんですか」
「かまわねえさ。万が一のことがあっても、お前やミラージュがいれば何とでもなるんだ。とはいえ、そんなことにはならねえだろうけどな」
 とはいえ、紋章遺伝子のことで呼び出されたのだ。万が一ということは考えておいた方がいいだろう。
「ネオ・イーグルで行く。出発はそうだな、明日にでも行くとするか。到着予定時刻を先方に送っておいてくれ」
「分かりました」
 その指示を出してから、クリフはふと思い至る。
「ソフィア嬢ちゃんはどうしてる」
「そりゃ地球じゃないですかね。復興も大分進んで、初中高等教育まではほぼ百パーセントの復旧ができてるって話ですから」
「そういやまだ高校生だったか」
「そうじゃなかったですかね。前の事件のときは、そろそろ受験勉強がどうとか言ってましたよ」
 なるほど、と頷く。
(紋章遺伝子のことならマリアやフェイトだけじゃねえ。嬢ちゃんだって関わってくる。もっとも、嬢ちゃんのことを知ってるのはFDを除けば俺たちだけだが)
 ソフィアのコネクションはトップシークレットだ。フェイトとマリアについては銀河連邦の中にも知っている者は存在する。だが、ソフィアのコネクションについてはロキシ博士たちが一切の資料を残していなかったため、銀河連邦に知られるルートが存在しない。
 コネクションは兵器としてはまったく役に立たないが、紋章遺伝子というだけで銀河連邦のお役人にとっては垂涎ものだろう。モルモットとしていくらでも使いたいに違いない。知られない方がソフィアのためだ。
(もっとも、アーリィ大統領がいったいどういうつもりかは分からないがな)
 何を考えているのかは分からないが、まずは話してみなければ分からない。
 クリフは重い気分をずっと抱えることになった。






 惑星、ミッドガルド。
 酸素含有率二一%。重力一.〇三G。地軸の傾きは二五.五度。植生、大陸構成などもかなり地球に酷似した惑星である。
 この星を統治するのは大統領アーリィ・ヴァルキュリア。彼女が政権を握るようになったのは今から八年前。十三年に渡る内部分裂、抗争の中から、一人の救世主が現れた。それが当時十八歳だったアーリィである。
 抗争が始まったのはアーリィが五歳のとき。その最初の抗争で、彼女の両親は死んだ。そして彼女は十年の間、姿をくらました。もっとも、そのような哀れな少女のことなど正確に記録されていたわけではない。あくまでも後日、彼女が回想した内容だ。
 十五歳になった彼女は、私設部隊『エインフェリア』を率いて一地方の独立に成功。そのまま武力を蓄えると、たったの三年で他の小国を全て抑え、ミッドガルドに統一国家を築き上げた。このときまだ十八歳。だが、『エインフェリア』の長にして類稀なるカリスマをもった彼女は、既にこの星の救世主として認知されていた。
 それからの八年というもの、連邦におけるミッドガルドの発言権は年ごとに力を増していった。加えて二年前のエクスキューショナー事件により組織として機能を果たさなくなった銀河連邦の中で、ミッドガルドの占める権限は銀河系の中で飛躍の一途をたどる。
(緑が豊かな星だな)
 海陸の面積比が一対一になると、その星では人間が生存するのは難しくなる、といわれる。だが、ミッドガルドは海洋と陸地の比は四対六で陸地の方が広い。よくもまあ、こんな水の少ない星で生きていけるものだ。
 その分、人口は少ない。星全体でも一億を切る。いまや全宇宙で五百億を数える地球人の五百分の一。クラウストロ人だって五十億はいる。
(つくづく変わった星だな)
 だがミッドガルド人はつきあってみると案外普通のヒューマンだ。渉外役となっているミッドガルド人とは何度も顔を合わせているが、礼儀正しい人物だった。
(さて、出迎えは誰が来やがるか)
 大気圏外にある宇宙港に到着したイーグルから出るクリフを出迎えたのは、車椅子に乗った人物だった。もちろんクリフはその人物を知っている。そして、その車椅子の後ろに控える鎧武者も。
「ようこそミッドガルドへ、クリフ・フィッター様。我らミッドガルドはあなたを歓迎いたします」
 歌うような声が流れる。
「ああ、悪いが堅苦しいのは嫌いなんだ。クリフでいいぜ。あんたは確か、シホ、だったな」
「クリフ様にご存知いただけたとは光栄のいたり」
 目を閉じている彼女はにこりと微笑む。
「アーリィ様の命により、お迎えにあがりました。私は生来目が見えませぬ。このような姿でお迎えにあがるのをお許しください」
「何言ってんだ。アーリィ大統領の『エインフェリア』の中でも、その癒しの力で何度も味方を救ったって聞いてるぜ。堂々としてりゃいいっての」
「ありがとうございます。では、こちらへ」
 シホを乗せた車椅子が移動を始める。それと同時に鎧武者も動く。
「待てよ、そっちの兄ちゃんの紹介がまだだろ」
 クリフは肩をすくめた。
「あんたと同じ『エインフェリア』の一人、スオウ。先のエクスキューショナー戦でも単身で打ち破った豪の者って話を聞いてるぜ」
 スオウと呼ばれた鎧武者は一礼する。口がきけないというわけではないようだが、無駄なことは話さないということなのか。
「失礼いたしました。ですが、スオウは私の護衛をかって出てくれただけなのです」
「俺があんたに襲い掛かるとでも?」
「そんなことがないのは重々分かっていますが、スオウは何分、心配性、ですので」
 くす、と笑う。どうやらシホはスオウのことを好いているらしい。スオウはそのような素振りを少しも見せないが、まんざらでもないのだろう。
「クリフ様は、随分私たちのことに詳しいみたいですね」
「そりゃまあ、呼ばれた相手のことは多少勉強してくるさ。アーリィ大統領が率いる十六人の『エインフェリア』。その力が並外れてるってことはな」
「恐れ入ります」
「ま、それも同じ『エインフェリア』のロレンタから聞いた話だが」
「ロレンタをご存知で?」
「ああ。何しろミッドガルドの渉外役は全部あのおばさんだろ。押しても引いてもびくともしない相手で、渉外役としては本当によくできた人間だな、ありゃ」
 またシホは、くす、と笑う。
「私たちエインフェリアはお互い仲がいいんです。年齢、性別、いろいろと違うところはありますが、私たちはアーリィ様の宿願のために集まった同志ですから」
「そうか。ま、あんたらが俺に何を期待しているのかは知らないが、そういうことなら大統領のところに連れていってもらうとするか」
 正直、クリフはまだこの星に来て緊張を解いていない。特にこの目の前にいるスオウからは、殺気ではないが、どこかこちらを監視するようなところがある。
 まあ、お互い相手を信頼しているわけではないというのは当然のことだが。
「この星では環境を維持するため、エアカーなどの設備は基本的に使用しません」
「ほう?」
「ごく限られた部分にのみ、転送装置を利用いたします。どうぞ、こちらへ」
 そしてシホに連れられて、クリフはミッドガルドの本拠地へと入っていく。
 さて、鬼が出るか、蛇が出るか。






 到着日から接待攻撃にあうのは勘弁してほしいなと思っていたら、その日は一日ゆっくりして、次の日に会談をするとのことだった。クリフとしてはありがたい申し出だったが、普通、要人を迎えてその対応はいいのだろうかとも思う。自分が出向いていった先で、初日に何もなかったのはこの一年、記憶にない。
 シホに尋ねると「クリフ様は、食事はゆっくりとなさりたいというのがご所望のようでしたので」と答えられた。最初から見破られていたのか、それともこの場でそう決まったのか。
 もし必要なら自分なり誰なりが一緒に食事を取るのは全く問題ないと申し出があったが、わざわざのんびりとれる食事を無碍に断る理由もない。今日くらいはゆっくりさせてもらうことにした。
 城下町に出るのなら案内役をつける、とも言われた。それは確かにいてくれるとありがたい。かといって気を使うような相手では困る。それを見越してか「気楽に話せる者を人選しますが」と言われた。どうやらこの少女相手には隠し事はできないらしい。
 クリフは考えた末に「じゃあ頼む」と答えた。シホは嬉しそうに頷いた。
 そうしてクリフは城下町を見させてもらうことになった。案内役としてあてがわれたのは、ユメルという名の少女だった。
 無論、クリフはその相手もよく知っている。十六人の『エインフェリア』の一人。無邪気な顔で凶悪な紋章術を使うとされている。
「お土産ならこっちの店の方が安くて品揃えもいいですよ! さあお客さん、寄っていった!」
 店員に言われるなら分かるのだが、何故ユメルが言うのかが分からない。だが、シホの言ったとおり、確かに彼女は気楽に話せる相手だった。
「ミッドガルド人に対する味方が変わるな」
 クリフが苦笑しながら言う。
「は?」
「いや、ミッドガルド人ってのは、全員がきちかっちんと礼儀正しく真面目なのかと思っていた」
「なにそれー。アタシが真面目じゃないとでもいうの? こんなにあなたに尽くしてるのに!」
「気色悪いからやめろ、それ」
 さすがに二十にもならない子供を相手に本気になれるようなクリフではない。相手もそれがわかっていてけたけたと笑う。
「これでも容姿には自信があったんだけどなあ」
 それは分かる。シホは綺麗だったが、ユメルは可愛い。それも他のミッドガルド人にはない、場を明るくするようなところがある。エインフェリアの中では貴重な存在なのだろう。
「同じエインフェリアの中にいい男がいるんじゃねえのか?」
「いやー、それはない。全然ない。唯一、いいかな、と思ったロウファさんはナナミに取られちゃったし、同じエインフェリアで恋愛感情持てそうなの一人もいない」
 全否定。いったいエインフェリアの男とはどんな人間なのか。
「ロウファっていや、この国の軍務大臣だったな」
「はい。やっぱり真面目な人じゃないとそういう役職は似合いませんよねー。私なんかほら、ちっちゃくて威厳がないですし、こういう性格なもんで、見事にホされちゃいました」
 言われて現在の閣僚の名前を思い出す。
 大統領アーリィを筆頭に、内務大臣メルティーナ、外務大臣ロレンタ、軍務大臣ロウファ、法務大臣ベリナス、財務大臣ジェラード、宮内大臣シホと、六人の腹心が存在する。そしてアーリィの護衛隊長にアリューゼ。諜報活動専門のバドラック。警察長官のジュン。さらにミッドガルド軍を率いるのがガノッサで、その下にラウリィ、ジェイクリーナス、ジェイル、スオウ。紋章術士を束ねるのがナナミとユメル。これでエインフェリア十六人衆だ。
(この間のエクスキューショナー戦だって、スオウだけじゃなく、ほとんどの奴が単騎でエクスキューショナーを倒してやがる。とんでもない連中ってことだが)
 シホやユメルと話しているととてもそんな感じは受けない。
「だが、アーリィ大統領には随分と可愛がってもらってるみたいじゃねえか」
「は?」
 ユメルがきょとんとする。
「いまやミッドガルドの政治はエインフェリアなしじゃ何も進まないって評判だぜ」
「んー、それはまあ、間違ってないんですけど。でもエインフェリアといってもピンキリですから。万が一エインフェリアの中から何人か切り捨てられるとしたら、私が第一候補ですねー」
 とほほー、とユメルが言う。
「大変だな、お前さんも」
「ええ、まあ。でも仕え甲斐のある方ですからね。気にはなりません」
「下がしっかりしてりゃ、上は安心できるってもんだ。お前さんみたいなのがいるからアーリィ大統領も安心して政治ができるってことじゃねえか」
 お世辞ではない。そうした信頼というのは何をするにおいても思い切った決断ができるものだ。
「ありがとうございますー。慰めてくれるんですね」
「ま、若くて綺麗な姉ちゃんがしょぼくれてんのを見るのは好きじゃねえからな」
「いいんですか? そんなこと言って。故郷の彼女が怒りますよ?」
「あー……」
 クリフは自分より強い相方のことを思い出す。
「浮気しねえ限りは大丈夫だろ」
「へえー」
 にやにや、とユメルが笑う。
「そこのとこ、もう少し詳しく聞きたいですねえ」
「なに、話してもたいした面白いもんじゃねえさ」
 そう、面白くはない。
 何しろ自分ではかなわない相手なのだから。





冬の神話(後編)

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