りあい ──エレノア──






 出会えないことが運命なのだとしたら、いずれ来る出会いもまた運命なのだ。






 アーリグリフとの戦争が終わり、さらには卑汚の風によるモンスターの凶暴化という現象も解決すると、アーリグリフの救世主たる人物はこのシーハーツに居残るようになった。何でも、ずっと共に行動をしていたネルの恋人になったというのだ。
(ファリンを助けてくれた人が、ネル様の恋人か。まあ、悪くない)
 ネル個人にはそれなりに恩もあれば、気に入ってもいる。シャロムという肩書きを彼女はよく理解していながら、その肩書きと上手に付き合っている、という感じだ。
「くれせんとぉ、くれせんとぉ、くーれーせーんーとぉ〜」
 ペターニの【風】の詰め所で仕事をしていたクレセントを訪ねてきたのは、言うまでもなく【闇】の二級構成員、ファリンであった。
 あの戦争を無事に生き抜いてくれたことをクレセントは初めて神に感謝してもいいと思った。彼女がいなければ、自分はこの世界で生きていく理由が半分なくなるところだった。
「あら、お久しぶりですね、ファリン♪」
 周りの目があるので現在は天使モード。にこにこと笑顔で友人を出迎える。
「今日はどうしましたか?」
「今日はぁ、ネル様からの連絡を届けにきましたぁ」
「ネル様から?」
「はい。明後日、【風】で時間のある人はぁ、ドーアの扉の宴会場に集合、ですぅ」
「宴会場?」
「はい。【闇】【風】【水】合同の親睦会ですぅ。あ、費用は全部【闇】持ちなので、気軽に来てくださぁい」
「そういうのはブルー様かサラ様にお伝えしていただけませんか?」
「だぁってぇ、ブルー様もサラ様も不在でいらっしゃいませぇん」
 現在ブルーはグリーテン方面への潜入操作中。サラもそのままくっついていったので、現在本部の最高責任者は自分ひとり。
「一日くらい、仕事のことも忘れて、ぱぁっと騒ごう!」
「それはファリンの発案ですか? それとも」
「もちろんネル様ですぅ。それから、今回は【風】と【水】の管理職にフェイトさんを紹介するから、二級構成員以上は全員出席厳命、だそうですよぉ?」
 つまり自分は必ず来い、ということか。
「フェイトさんというのは、例のグリーテンの技術者ですよね?」
「そうですぅ。強くてかっこよくて、もう、ネル様のコレじゃなかったら、絶対に狙ってたんですけどぉ」
 下品な物言いをする。が、ファリンがそこまでほれ込むのなら、悪い相手ではないのだろう。
「狙ってみたらいいと思います♪ ファリンの魅力ならネル様には負けませんよ♪」
「無理ですよぉ。フェイトさん、ネル様にぞっこんですからぁ。毎日見てて妬けるばかりですぅ」
 まあ、ネルのためにこの国に残ったというくらいなのだから、それも当然というべきか。
「分かりました♪ では【風】で参加希望者のみ参加、でよろしいですか?」
「おっけ〜ですぅ。クレセントとゆっくり話ができるのは嬉しいですぅ」
 ごろにゃん、とファリンが小柄なクレセントに抱きついてくる。
「私も嬉しいですけど、こういう場であまりなつかないでくださいね♪」
 にこにこ笑顔で、一瞬目を光らせる。周りの目をもう少し気にしろ、というのだ。無論ファリンもそのあたりの匙加減は分かっていて、これ以上やるとクレセントが本気で怒り出すのが分かると、するりと離れる。
「じゃ、これにて〜」
 嵐のように客人が過ぎ去っていく。やれやれ、と思いながら参加希望者を募らなくてはならなくなったことに、面倒さを覚える。
(誰かにやらせればいいか)
 適当な四級師団員に紙を一枚持たせて、参加希望を取らせていく。【風】の構成員がペターニのあちこちに散らばっているとはいえ、一日もあれば全員と連絡を取ることはできる。
(フェイト・ラインゴッド、か)
 どんな男なのかは以前から興味があった。ブルーも『そのうち会えるのが楽しみだ』と言っていたが、結局ブルーはまだフェイトと会えていない。
(まあ、じっくりと観察してみるか)
 そんな、気軽な感じで明日の親睦会に向かうこととなった。






 親睦会はかなりの賑わいだった。
【闇】のネル・ゼルファーをはじめとして、二級構成員のファリンとタイネーブ、その下に約五十人。【水】からは師団長のブラウン・ローディスと、二級構成員のルパート・グルス以下三十人。そして【風】からは二級構成員のクレセント・ラ・シャロム以下三十人といったところだった。それに加えてペターニ治安維持を任されている【土】の師団長ノワール・フォックスまで参加している。
 クレセントはブルーの代理としてフェイトの人となりを見定めなければならない。まあ、単なる親睦会なので、全員の前で何か話すとかあるわけでもないし、気楽なものだった。
(あれが、フェイト・ラインゴッドか)
 蒼い髪、そしてたくましい体つき。なるほど、ファリンが熱をあげ、ネルまでもが虜にされている理由がよく分かる。傍目で見てもいい男だ。
 とはいえ、そうした『男』を見る目は備わってきても、実際に恋心には至らないのがクレセントだった。何しろ今までの二十年の人生で培われた人間不信は並ではない。ブルーとファリン以外には鉄壁の仮面で自分の本性を守り、興味本位で近づくものを許さない。
 その男は誰に対しても分け隔てがなかった。常に笑顔で、それも自分のように作り物ではなく、心から楽しいと思って会話しているように見えた。
「クレセントぉ」
 いつの間にか隣に来ていたファリンが話しかけてくる。幸い、近くには誰もいない。
「けっこう集まったな」
 砕けた口調で言うクレセントに、ちょっとだけファリンが反応した。
「いいんですかぁ? そんな話し方で」
「必要なときに必要な口調ができればそれでいいのさ。誰も聞いちゃいないよ」
 もちろん、回りには充分注意している。半径五メートル以内に誰かが入ってきたなら即座に口調を改める。
「まぁ、私としてはぁ、その方が嬉しいんですけどぉ」
「私はお前の話し方の方が謎だな。そんな話し方で疲れないのか」
「そりゃぁ、私のはこれが地ですからぁ」
 やれやれ、とため息をつくクレセント。
「で、あれがお前の片思い相手のフェイト・ラインゴッドか」
「片思いってほどじゃないですぅ」
「いい男だな。ファリンが惚れるのも分かる」
「あらぁ? もしかしてぇ、クレセントもフェイトさんのことが気に入りましたかぁ〜?」
 ファリンも本気で言っているわけではないのだろう。冷たい笑みで「まさか」と言うと、ファリンも少しだけ息をついた。
「もう、フェイトさんとはお話しましたかぁ?」
「いや? 別に話をすることもない──いや、あったか」
「ふぇ?」
「アーリグリフ戦のとき、お前を助けてくれた礼を言わないとな」
 それを聞いてファリンもくすくす笑う。
「クレセントがお礼を言うようなことじゃないですけどぉ」
「じゃああんたは、私の命を誰かが助けてくれたらお礼を言ってくれないのかい?」
「まっさかぁ」
 ファリンも分かっていて軽口を叩いているのだ。こういう親友との会話は気楽でいい。
「あれ、フェイトさん」
 気づくと輪の中から抜けてフェイトがこちらに近づいてきた。
「こんにちは、ファリンさん。今日はタイネーブさんが一緒じゃないんですね」
「フェイトさん、私とタイネーブをセットにしてませんかぁ?」
 少し、ぷん、とむくれながらフェイトを睨む。
「違うんだ?」
「ひっどぉ〜い。私の一番の親友はぁ、この子なんですよぉ?」
 背の高いファリンがクレセントを抱きしめる。心の中で少しは真面目にしていればいいのに、と思いながら。
「はじめまして、フェイト様♪ 私はクレセント・ラ・シャロムといいます♪ どうぞよろしくお願いします♪」
 そしてシーハーツ式の敬礼を行うと、フェイトも同じように返す。
「歌うように話すんですね」
「よく言われます♪」
「フェイトさん、可愛いでしょ、この子」
「そうだね。ファリンさんが気に入るのもよく分かるよ」
 何か、さっき誰かが言ったような台詞を言う。
「クレセントさんはファリンさんと、昔からの親友なんですか?」
(は?)
 今、何と言ったのだろう、この男は。
「フェイトさんは、私のことをご存知じゃないんですか?」
「え? ああ、えーと、確か【風】で二級構成員をされてるんですよね?」
「……」
 まじまじと相手を見つめる。
 どうやら、この男は、本気で『シャロム家』という名前を知らない。
(なるほど)
 考えてみればそうだ。彼はこの国の人間ではない。ということは、女王家の強さは知っていても、形の上では一地方領主にすぎないシャロムのことなど知らなくて当然だろう。
(面白いな)
 どうやら珍しく、自分はシャロム家という名前に縛られずに話をすることができそうだった。
「私、仕官学校時代からファリンと仲が良かったんです♪」
 にっこりと笑いながらファリンを見つめる。
「こういうのも変な感じですけど、ファリンがいなかったら今の私はなかった。それくらい、大切に思っているつもりです♪」
 本人を前にして言うことができるのだから、どこまで本気なのかということは相手に伝わっただろう。
「だから、フェイトさん。お礼を言わせてください♪」
「お礼?」
「はい♪ ファリンを助けてくれて、ありがとうございます♪ このご恩は絶対に忘れません♪」
「ファリンさんを助けたって……修練場のときの?」
「そうなんですぅ。クレセントってば、そのことで絶対にお礼を言わないと気がすまないって言うもんですからぁ」
「でも僕はたいしたことしてないし。それに、困っている人を見たら助けるのは当たり前のことでしょう」
「それでもです♪」
 クレセントは少し前に出て、フェイトの手を取る。そして大きく頭を下げた。
「本当に、本当にありがとうございました」
 今まで。
 クレセントはそのことを意識しないようにしていた。ファリンが捕らわれ、助けられたというのは全てが終わった後に聞いた。もしも捕らわれたことしか聞いていなかったら、自分は間違いなく全てを放り投げてファリンの救出に行ったに違いない。
 自分の知らないところで親友が危地に陥り、それを助けてくれた救国の英雄。
 どれほど感謝してもしたりない。
「そう言われると、本当にいいことをしたんだっていう実感が出てきますね」
 フェイトはクレセントの肩をぽんぽんと叩いて顔をあげてくれるようにお願いした。
「ファリンさんはいい友人を持ちましたね」
「ええ、そりゃあもう!」
 ファリンも満面の笑みだ。
「フェイトさん、クレセントのこと、気に入ってくれましたかぁ?」
 フェイトは「もちろん」と笑顔で答える。
「でもフェイトさん、クレセントのこと、他に何も知らないですよねぇ?」
 クレセントが笑顔の裏で動揺する。
「クレセントさんのことって……何か、あるんですか?」
「ファリン♪」
 クレセントはにっこりと笑いながら注意する。
「いえいえ、たいしたことじゃないんですよぉ。それじゃ、少しゆっくりとお二人で話してください。ちょっとネル様のところに行ってきますからぁ」
 そうして脱兎のごとく逃げ差っていくファリン。やれやれ、自分とこの男を二人きりにして、何をさせたいのか。
「ファリンさんに、こんな可愛らしい親友がいるなんて、初めて知りました」
「こう見えても、一応二十ですから♪」
「え、僕より年上?」
 やはり年下に見られていたか。少しだけ悲しそうな顔を作る。
「背も小さくて童顔で胸もあまり大きくないから、どうしても若く見られるんですよね」
「あ、いや、そんなつもりはなかったんです。すみません」
 心の中で舌を出して笑う。この青年は、どうもからかうと面白い。
「やっぱりフェイトさんは、ファリンのような大人びた女性の方が好みですか? そういえば、ネル様とお付き合いされていると聞きましたし♪」
「ファリンさんは……クレセントさんよりずっと子供っぽいと思うけど」
「あら、ファリンのこと、案外わかってないんですね、フェイトさん♪」
 そして小悪魔のように笑う。
「ファリンはああ見えて策士なんですよ♪ 全ての行動が計算づくなんです。外見に騙されたら痛い目を見ますよ♪」
 自分もそうだが、と心の中で付け加える。
「気をつけることにします。それにしても、クレセントさんは話しやすくてほっとしました。もうここ数日、貴族の偉い人とかたくさん話して大変だったんです」
 貴族の偉い人。このペターニにいるくらいだから自分の父親とも話していていいようなものだが。
「このペターニの領主とは話してないんですか?」
「ペターニの領主? ええと、誰だったっけ」
「シャロム、っていうんですけど」
「シャロム……って、それ、クレセントさんの名前じゃないですか」
 彼は笑ったが、にっこりと微笑むクレセントに、徐々にそれが事実だということを認識し始める。
「え、じゃあ、クレセントさんって」
「はい♪ 実は、私の父がこのペターニ領主だったりします♪」
「そうなんですか。でも、それならどうして軍に?」
「いろいろあるんですよ♪ 乙女の秘密です♪」
 そう言うとフェイトも笑った。
「なるほど、それじゃ仕方がないですね」
 なんてことだ。
 この人物、自分がペターニ領主の娘だと知っても、まったく微動だにしない。
「クレセントさんは」
「クレセント。呼び捨てでいいですよ♪」
「あ、でも、年上ですし」
 どうやら彼としては、自分の家柄よりも年齢の方がずっと気になる事象であるらしい。
「いいんです♪ その方が、親密な感じがしそうですから♪」
「じゃあ、クレセントも僕のこと呼び捨てにしてください」
「私は誰に対してもこういう口調なので、ちょっと難しいです♪」
 そう、誰に対しても。例外はたったの二人だけ。
 だが。
(お前なら、三人目の例外にふさわしいよ)
 くす、とクレセントは笑う。
「フェイトさんは優しいんですね♪」
「そんなことありません」
「そんなことありますよ♪ それに優しくない人がファリンを助けに行ったりはしません♪」
「本当に、ファリンさんが大好きなんですね」
「はい♪ 大切な親友です♪」
 ちょうどそこに声がかかった。ネルがフェイトを呼んだのだ。
「呼ばれたので、それじゃあ」
「はい♪ またお話できるときを楽しみにしています♪」
 これは真実。
 まだ自分を完全に見せているわけではないが、次のときには本性を見せてもいいと思う。
 それで相手が引くか引かないかは、それは賭だ。
(本当に楽しみだよ、フェイト・ラインゴッド)
 彼の背に、一瞬だけ素の顔のクレセントが見つめた。





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