組曲『Ghost』
Overture
夜。
フェイトは散策コースの木々の間、昼にアイーダがいた場所に同じように座った。
真っ暗な森林は怖い。人気がないのは当然だが、少しの風でまわりがざわめき、それがいっそう不安を駆り立てていく。
(もしこんなところにアイーダがずっと一人でいるのだとしたら、すごい度胸の持ち主だよな)
夏とはいえ、さすがに夜ともなれば少々肌寒い。
水筒の水を一口飲む。それで少し心が落ち着く。
(さて、我慢比べだ)
そうしてフェイトはしばらくその場に留まっていた。
それから一時間、いや二時間もしただろうか。
誰かの足音がする。こんな時間に散歩もないだろう。だとしたら、だいたい想像はつく。
舗装された道を歩く一人の女性。
(アイーダ)
ぴくりとも動かず、その女性を見る。が、その女性はぴたりと足を止めて、こちらを見た。
「そんなところで何をなさっているのですか、フェイト様」
「あれ、見つかっちゃったか」
気配は隠したつもりだったのだが、まだまだ甘かったか。
「もしかして、隠れて私を驚かせるつもりだったのですか」
「いや、そんなつもりはなかったけど」
「なるほど。そして驚いた私の弱みをにぎり、ばらされたくなかったら言うことを聞けと、いたいけな私にあんなことやこんなことを」
「いやいやいやいやいやいやいやいや」
どうしてこの子はすぐに話を拡大したがるのか。
「冗談です」
「分かってるよ」
さすがにもう慣れた。この程度では動じない。
「それで、昼に私に言い負かされたフェイト様がどうして夜にこんなところにいるんですか。もしかして待ち伏せですか。言い負かされたのをうらんで、覆面をして私に後ろから襲いかかるつもりだったのですか。そして『アデュー』とか言いながら立ち去って」
「もうその話はいいから。僕は単に、本当に霊がいるのなら見てみたいって思って来ただけだよ」
放置しておくといつまでも話し続けそうだったので、適当なところで区切る。
「そうですか。フェイト様はすっかり私に対して興味をなくしたものかと思っていました」
「別に興味があるとかないとかじゃない」
フェイトは苦笑した。
「納得のいかないことは明らかにしないと気がすまないのさ」
「そうですか」
すると、アイーダはフェイトの隣に腰を下ろした。
「アイーダの方こそ、僕のことが嫌いだろう?」
「ええ」
あっさりと肯定する。ちょっと凹む。
「ただ、これだけ失礼なことをしてもまだ私に構おうとするフェイト様には、少し興味があります」
「む。ということはもしかして、アイーダは僕がここにいることを知っていて、僕の弱みをにぎって僕をいいように──」
「脳は大丈夫ですか?」
「──なるほど。今度からそう切り返すよ」
苦笑した。本当に、変わった子だ。
そうしてフェイトが背中を木に預けたそのとき。
急激に、周りの温度が下がった。
異変に先に気づいたのはアイーダだ。すぐに立ち上がると、周囲に視線を配る。
フェイトもまた同じように立ち上がった。木を背にしたまま、急激に冷え込んでいく周囲に違和感を覚える。
「これは……?」
「静かに」
闇の中。
隣で、アイーダの目がまた、紫に輝く。
「どうやら、ビンゴ、ですね」
「な、何が?」
「霊現象が起きるとき、普通、温度が急激に下がります」
「へえ、初耳」
「霊というのは一種のエネルギー体です。今まで何もなかったところにエネルギー体が生まれるわけです。その分のエネルギーを他から吸収しなければなりません」
「それで、どうして温度が下がるの?」
「周りの空気も含めて、すべての物体には熱エネルギーが存在します。つまり、その熱エネルギーを奪い取って、霊現象が発動するのです。いわゆる、吸熱反応、という奴です」
さすがはオカルトマニア。知識が細かい。
「来ます──そこっ!」
アイーダは右手に持ったナイフを投げつける。そのナイフは施力がこもっているのか、鈍い光を伴っている。
そのナイフが、空中に刺さった。
「な」
あまりの現象に、フェイトは目を疑う。
その、ナイフが刺さった空中に、徐々に何かの異形が姿を現し始めた。
「ゴースト……これは、予想外です」
アイーダが首をひねった。
「な、何が?」
「予想以上に、大きな捕り物になりました」
「大きいって、どれくらい」
「現界する際の温度低下、そして現界したものの体積から考えて、ランク15は下らないでしょう」
高いのか低いのか分からない。
「不運でしたね、フェイト様」
「何が!?」
「もしこれほどのゴーストに本気で襲われていたら、フェイト様は既に冷たい躯になっていたはずです」
まだ生きていることに感謝。
「そのあたりに漂っている無害な霊ならランクがどれほど高くても2。悪さをするようになるのはランク5くらいからです。ランク10くらいまでくると普通に人を殺せます。これほどの力のあるゴーストが、男性を殺すことなく意識を奪う程度にとどめたとは、その男性はよほど運が良かったですね」
「それで、どうしてアイーダはそんなに落ち着いているの!?」
「え? ああ、それはですね」
すると、アイーダは右手を構える。人差し指と中指だけぴっとそろえて立てて、残り三本の指はしっかりと丸める。
「それを倒すのが、私の使命だからです」
その右手に光が灯る。
そして、完全に現れたゴーストに対して、右手を向けた。
「アイー……」
その姿を見たフェイトは絶句した。
彼女の目が紫に輝いているだけではない。ショートカットだったはずの黒い髪は腰まで伸びている。いったい何が起こっているのか分からないが、これはただごとではない。
ただごとではない。が──なんだろう、この神々しいまでの気は。
そして、彼女が宣言した。
「『去ね!』」
右手から放たれた光が、ゴーストに刺さったナイフに当たる。すると、そこを起点として光がゴースト全体に広がっていく。
そして、ゴーストは消えた。
「終わりです」
「え?」
「とりあえず、異界に返しました。消滅させたわけではありませんが、もうこの散策コースに霊が出ることはないでしょう」
瞬く間の出来事だった。
突然現れたゴースト。そしてそれを一瞬で消し去ったアイーダ。
「いったい、何があったの?」
「霊が現れて、それを私が異界に送り返しました。それだけです」
「霊って、今のが? でも、確かに何かそれっぽいのが見えたけど、でも」
「フェイト様はそれを確認しにいらしたのでしょう?」
見ると、既にアイーダの姿は元通りだった。髪もいつものショートカット。目も黒に戻っている。
「えっと、アイーダ。君は……」
「あのゴーストが見えたのなら、フェイト様には正体を明かしておいた方がいいでしょう。シーハーツ軍連鎖師団『土』の四級構成員は世を忍ぶ仮の姿。その正体は」
フェイトは息をのむ。
「シーハーツに現れる『霊』と戦うゴーストハンター。その、六代目です」
「ゴーストハンター?」
アイーダは小さく頷く。
「私がシランド勤務を強く希望したのも、このシランドが霊の出現地になっていることが理由です」
「じゃあ、三級構成員を引き受けないのも、ゴーストハンターの仕事ができなくなるのを防ぐために」
「いえ。単に四という数字が好きなので」
そこでそうくるのか。思わず力が抜ける。
「君のことはいろいろ聞いたけど、夜中に破壊活動をしたとか」
「霊と戦ったときのものですね。一度や二度ではありません」
「僕が階級章を持っていったのを分かっていたり、ノワールが女遊びをしていることを知っていたのは」
「後ろにいる守護霊の方から聞きました。フェイト様の守護霊は随分と力がありますね」
それは喜んでいいところなのだろうか。
「ルムを一頭殺したっていうのは」
「逃げた霊がルムに取り付いて襲い掛かってきたんです。おかげで始末書を書くことになりました。大切なお給料が大幅ダウンです」
さすがに給料が下がるのは残念らしく、はあ、とため息をつく。
「ゴーストハンターの仕事は給料がないの?」
「ありません。霊と戦うことができる力を持った者が、先代にその技を鍛えられてなるものですから。そこに霊現象があったら解決するのがゴーストハンターです。依頼を受けたりとか、そういったことはありません。シーハーツを影ながら支えるのです。ちょっとかっこいいでしょう?」
無表情で言われても、本当に喜んでいるようには見えない。
「じゃあ、ここで男性が襲われたのは、どうして霊現象だって分かったの?」
「霊が出現する場所は、ゴーストハンターには見れば分かります。ただ、いつ現れるかということだけは予測できませんので、頻繁に訪れるしかないんです」
「だから仕事の合間にここまで来ていたの?」
「はい。散策コース通いも今日で終わりですね」
つまり、霊を消滅させるためだけに、毎日ここまで来ていたということだ。
「シーハーツのためにそんなにしているのに……」
それなのに、誰もアイーダのことは評価しない。霊を倒して、シーハーツの安全を守っているアイーダ。だが、彼女が活動すればするほど、霊のことが分からない人には煙たがられる。
「まあ、そういう存在ですから。先代からもはっきりと言われました。ゴーストハンターになるということは、一生孤独な存在であるということだと。唯一他者と交流できる機会があるとすれば、それは次代を見つけたときだけだと」
つまり、先代にとってもアイーダと会えたことは喜べることだったということか。
「その先代っていうのは?」
「先のアーリグリフ戦争で亡くなりました」
「そうだったのか」
「だから一つ、問題が出来てしまいました」
「問題?」
「はい。私は先代から霊術の技を全部習得してないのです」
「技、っていうと、さっきの『去ね』ってやつ?」
「はい。技はいくつかあるのですが、私がまだ体力的に弱いこともあって、力のある技を習得することができなかったんです。だから、おそらく私は過去のゴーストハンターの中でも、最弱だと思います。先代なら、きっと破壊活動もしなければ、ルムを殺すようなこともなかったはずですから」
自分の力不足を素直に認める。なるほど、素直な子ではあるらしい。
「ですが、今回は驚きました」
「今回?」
「はい。フェイト様がいらしてからここ数日、『場』に乱れが出ていました。おそらく近々現れるだろうと思っていたんです」
「場?」
「はい。霊が現れるところを『霊場』といいます。フェイト様が最初にいらっしゃったとき、この辺りの場が異常に揺らめいていました。もしかすると、フェイト様は霊を引き寄せるような特別な力があるのかもしれませんね」
少しもありがたくない。
「なるほど」
うん、とアイーダが頷く。
「そのタイミングで頷くのは僕にとってあまり嬉しくなさそうな予感がするんだけど」
「いえ、たいしたことではありません。ちょっと付き合っていただけますか」
「まさかとは思うけど」
フェイトはおそるおそる尋ねる。
「他の『霊場』に連れていこうとか思ってる?」
「多分、フェイト様の考えていらっしゃることとは少し違うと思います」
すると初めて、彼女はにっこりと笑った。
「シランドの霊場の『すべて』を回ろうと思ってます」
「じゃ、ちょっと急用を思い出したのでこれで」
「逃がしません」
にこにこと笑いながら、アイーダはフェイトの服の袖を掴む。
「さ、行きましょう。まずはゼルファー家の裏手にある『霊場』からです」
逆らいがたい力でフェイトは引きずられる。
不用意にこの少女に近づいたことが大きな失敗だったと、今さらながらに理解していた。
「準備はできた」
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