組曲『Ghost』
Overture
翌朝。
フェイトは寝不足でネルの執務室へやってくる。
「おはよう……って、すごい顔だね。寝てないのかい」
まだ若いので徹夜の一日や二日、たいしたことはないのだが、問題は徹夜の内容だ。何しろ一晩中『霊場』を連れまわされたのだ。全部で七ヶ所。そのうち、すぐに霊が現れたのが二ヶ所。空間に『揺らぎ』が出たのが三ヶ所。最後の二ヶ所は手ごたえがなかったらしい。
「まあ、いろいろあってね」
昨日のことをどうやって報告すればいいものか。だいたい、何が起こったのかをうまく説明できる自信などない。
分かったことは、アイーダが人知れずこのシランドを守っているということと、霊現象が実在するということだけだ。
フェイトは自分で紅茶を入れて飲む。眠い頭に心地よい。
「アイーダがらみかい?」
「どうしてそう思うんだい?」
「今朝方報告があったよ。アンタとアイーダが一緒に歩いているところを見たって」
考えてみれば一晩中歩き回っていたのだから、誰かに見られていても仕方がない。
「それにしても、もうそこまで進んでいたとはね」
「何が?」
「夜に一緒にいたってことは、もう付き合ってるってことだろ?」
ぶふっ、と吹き出す。
「な、なんだい突然」
「ごほっ、ちょ、ちょっとどうしてそうなってるの」
「いや、普通はそう思うんじゃないのかい? だったら夕べはアイーダと何をしていたのさ」
「それなんだけどさ」
本当にどうやって説明すればいいのだろう。だが、素直に説明しても信じられるとは思えない。何しろ、昨日三回も霊現象を見たというのに、いまだに自分が信じていないのだから。
「僕は、自分が見たことがまだ信じられないでいる。僕はそれをそのままネルに話してもいいんだろうか」
素直に尋ねてみた。なるほど、とネルは頷いてマフラーに顔を埋める。
「よっぽどのことみたいだね」
「まあ、あんな体験は二度としたくないけど」
「分かった。とりあえずアンタの言うことだ。考えてみれば星の船に乗ってこの世界を滅ぼそうとしていた創造主を倒したっていうのも、今となっては眉唾だからね。とりあえず話半分程度に聞かせてもらえるかい?」
「ああ。でも、本当に僕もよく分かっていない。それをふまえてだけど」
「それでいいよ」
ネルは少し微笑んでフェイトの話を聞く。だが、話を聞き終えると考え込んでしまった。
「ゴーストハンター、か。そういうのがあるっていうのは聞いたことがないね」
「アイーダは六代目だって言ってた。多分、本人たちしか知らないことなんじゃないかな」
「アンタは霊を実際に見たのかい?」
「見た、と思う」
最初の一回が一番はっきりしていた。自分と同じくらいの大きさのゴースト。それがアイーダの一撃で葬られた。
「アイーダは力を使うとき、目が紫色になって、髪が伸びるんだ」
「それも信じがたい話だけどね。ただ、アンタが言うんだからまあ、嘘ではないんだろうさ。ってことは、ルムを殺したり破壊活動をしたのも?」
「霊と戦った結果だっていう話だよ。そんなことを言っても誰も信じてくれないだろうからって、本人は説明する気もないみたい」
「当然だろうね。私だってそんな理由で破壊活動していることを認めるわけにはいかないよ。何しろその言い分だと、アイーダ以外の人間には霊が見えないっていうことだろう?」
「ああ」
「だったら、アイーダが嘘をついている可能性だってある。もしそれを認めたら、意味もなくシランド城そのものを爆破しておいて『霊を倒すためだった』なんて言われても認めることになってしまう」
「ああ。被害が大きくなかったのが幸いだね。でも、アイーダはこれからも霊を倒すために戦い続けるはずだ」
「私らがバックアップできればいいんだけど、アイーダにしか見えないものを手伝うわけにも──」
それからネルは、まじまじとフェイトを見る。
「フェイト」
「ストップ。昨日もそうだったけど、こうして話していて、突然相手が何かに気づいたときって、たいてい良いことがないんだけど」
「正解」
断る余地はなかったらしい。
「アンタ、アイーダに協力してやりな」
「いや、だからさ」
「本当に霊の仕業だっていうんだったら、それこそ特務師団を作ることだって検討してもいい。霊光師団『空』なんてどうだい。アイーダが団長、アンタが副団長だ」
「本気で勘弁してください」
泣きそうになった。
というわけで、フェイト・ラインゴッドは悩んでいた。
安易な気持ちで関係を持つことになったアイーダだが、彼女とこれからも共に行動するべきなのか、それとも何もなかったことにしてしまうのか。
正直、霊というわけのわからないものに関わりたくはない。しかも、自分の力が及ぶようなモンスターならともかく、自分の力が全く通用しないのだ。赤子同然だ。それこそアイーダがいなければ自分はあっさりと霊にとりつかれて殺されてしまうだろう。
だが。
『ゴーストハンターになるということは、一生孤独な存在であるということ』
アイーダの言葉が耳に残っている。
彼女は別に、望んで孤独なわけではないのだろう。ただ、自分のことを誰も理解してくれない。そして自分の活動で誰かを巻き込んでしまうかもしれない。それを怖れて、自分から誰にも近づこうとしないのだ。
ここで彼女を一人にしたら、彼女はいつまでも一人のまま、孤独のままだ。
そして、彼女を孤独にさせないためには、彼女のことを理解できる人物が必要になる。
すなわち、自分。
(僕しか、アイーダを分かってあげられる人はいないんだ)
ネルは状況を理解してくれている。だが、あのゴーストを見ていないものに、アイーダの孤独は分からないだろう。
ただひたすら、シーハーツに災いをもたらすものと戦い、そして誰からも感謝されることがない。
そんな孤独でかわいそうな英雄を、どうして一人にしておけようか。
(それに、僕が協力できることはある)
本当に『霊場』に対して影響を与えることができるのなら、アイーダにとってもそれはありがたいことのはずだ。
(よし)
覚悟は決まった。
ネルの前ではまだ決まってはいなかったが、一人でゆっくりと考えてみればそれほどたいした問題ではなかった。
確かに霊は怖い。自分が何をするでもなくただ殺される。そんなのは絶対拒否したいところだ。
だが、その恐怖とただ一人で戦っている少女の心境を思えば、その程度で怯むわけにはいかない。
「こんにちは」
そうしてフェイトは『土』の詰め所にやってきた。
「あ、フェイトさん!」
すぐに『土』のメンバーが近づいてくる。
「今日も何か御用ですか。フェイトさんのためなら──」
「あ、いや、ごめん。用があるのは一人だけなんだ」
そしてフェイトはその人物のデスクまで向かっていく。
「こんにちは、アイーダ」
アイーダは顔を上げてフェイトの顔を見てから、またデスクの資料に目を戻す。
(あれ、無視?)
昨日、あれだけ協力したのに全く無関心な態度とはどういうことだろう。
「おい、アイーダ! 挨拶くらいきちんと返せよな!」
『土』の一人が言うと、体がびくんと反応して、もう一度顔を上げる。
「ああ、フェイト様」
「もしかして気づいてなかったの」
「いえ、作業に没頭していて、認識するのが遅れました」
「認識?」
「……気づいてはいましたが、フェイト様がここにいると認識するのが遅れました。私の目にフェイト様は映ったのですが、どうしてここにいるのかとか、そういう方向に頭が回りませんでした。無視しようとか思ったわけではありません」
「そっか。でも、挨拶してくれたら嬉しいな」
「……そうですね。ご挨拶してくださったのですね。それでは改めて──おはようございます、フェイト様」
「もう昼だよ」
「……そうですか。そういえば、昨日はフェイト様が眠らせてくれませんでしたからね」
その発言に『土』の師団員たちが異常にどよめく。
「誤解を招く発言はやめてくれ」
頭痛がする。
「というより、寝かせてくれなかったのはアイーダのせいだよね」
「……ええ。今のフェイト様の言葉の方が余計な誤解を生みそうですが、まあいいでしょう」
小さなアイーダは立ち上がってもやっぱり小さい。頭がフェイトの肩までもない。
「それより、昨日で懲りたと思いましたが、案外しぶといですね、フェイト様」
なるほど、あれだけ付き合わされたのは自分がそれで根を上げると思ったからか。なら余計に離れるわけにはいかない。
「僕は気になったことがあったら最後までとことん調べる癖があるんだ」
「……きっと、お父様の血ですね。とても研究者向きだと思います。ネル様のところで働くより、エレナ博士のところの方がいいのではないですか?」
「はは、それも考えたけど、エレナさんのところだとなかなか気が休まらないだろうからね」
「ネル様の傍なら安らげる、と。つまり、それだけフェイト様はネル様のことを愛してらっしゃるのですね」
「そういうふうに僕を誰かとくっつけようとするのはやめてくれないかなあ。前もここのみんなに言われたばかりだし」
「フェイト様がクレア様とネル様のどちらとつきあうか、賭けの対象になっているそうですよ」
「知ってる。それもこの間聞いた」
「ちなみに私はクレア様に一万フォル賭けてます」
『土』の師団員たちがどよめく。アイーダが賭けているということにも動揺するだろうが、それより一万フォルという金額だ。普通は百とか二百とか、お遊び程度の金額だろう。
「意外にそういうところ、興味があるんだね」
「賭け事が大好きなんです」
「意外すぎるよ。アイーダはもっと堅実なのかと思った」
「……なるほど。私はどちらかといえば堅実な方です。賭け事用の金額はいくらまでときちんと準備しています。それも本命に賭けるのは好きではないので、対抗や穴の一点勝負です」
「クレアさんは本命じゃないんだ。自分のことながら妙な感じだけど」
「その様子では、ネル様もクレア様も、あまり見込みがなさそうですね」
「僕もそうだろうけど、ネルもクレアさんも、僕のことをそんな風に見てはいないよ」
実際、さっきもネルが平然と『アイーダと付き合うことになったのか』と聞いてきた。自分のことを憎からず思ってくれているのなら、そんな言い方はしないだろう。
「なるほど。それでは意外な伏兵に賭けておくべきかもしれませんね」
「他にもいるのかい?」
「さあ。ただ、フェイト様が誰と付き合うことになるかを当てたら、当選者で掛け金を分配、としか聞かされてませんから」
「胴元は?」
「エレナ博士です」
「オッケー。ちょっと後で問い詰めておく」
本当にFDの人たちというのは何を考えているのか。
「席を移しましょうか」
アイーダはそう言うと詰め所から出ていく。さすがに同僚に聞かれながら『霊』の話はできないと考えたのだろう。それはフェイトとしても願ったりだ。
「それで、私に何か用ですか、フェイト様」
閑散とした大聖堂の椅子に腰かけて話し始める。
「君に協力したい」
フェイトがはっきりと伝えると、アイーダが顔をしかめた。
「何のことでしょう」
「君がやっていることを手伝いたいって言ってるんだよ。昨日みたいにね」
「……そうですか。私としては協力者がいてくださるのはけっこうなことですが、お断りします」
小さく会釈する。
「どうして?」
「簡単なことです。フェイト様はよく分かっていらっしゃらないかもしれませんが、私は少し、いえ、かなり変わっています。先ほどのみなさんを見ればお分かりでしょう」
アイーダに対する奇異の視線。特に、フェイトを独り占めしているということへの反感が確かに存在していた。
「まあ、それはアイーダが悪いところもあるからね。何かというと人をからかう冗談ばかりだから」
「それについては反省してます。いろいろと考えることがありましたから」
どこまで本気なのかは分からないが、まあ口に出すだけまだいいということか。
「ただ、私に協力するということは、もしかしたらフェイト様に破壊活動を手伝ってもらうことになるかもしれませんよ? あと、ルムを殺したりするかもしれません」
「そうならないように、できる限りのことをしたいと思っているよ」
「死ぬかもしれません」
その言葉にも、フェイトは怯まない。覚悟を決めた以上は、何があっても貫く。
「それも考えた。覚悟の上だよ」
「……フェイト様の覚悟はともかく、フェイト様の周りの人はそう思わないかもしれません。それに、私と一緒にいることで、他のすべての人から憎まれ、嫌われるかもしれません」
「だから一人で憎まれ役を引き受けるのかい?」
アイーダが言葉に詰まる。
「だったら、僕が半分を請け負うよ。アイーダ一人でそんなものを抱え込む必要なんてない」
「私は望んでゴーストハンターになりました。でも、フェイト様は違います。フェイト様は私に巻き込まれただけ。私に付き合う必要なんてどこにもありません」
「君を一人にさせたくないんだ」
真剣な表情で言う。すると、アイーダがため息をついた。
「……確かに、まるで告白ですね」
「でも、君には伝わらなかったみたいだ」
「ええ。過去、私の美しさに同じようなことを言った人が何人もいますから」
「自分で言うか」
「私の見目が良いのは自覚してます。だから余計に、他人に冷たくしないといけなかったんです」
なるほど。確かに見目がよくて、しおらしければ、男なら誰でも『守りたい』と思うに違いない。
「でも、しばらくすればみんないなくなっていきました。霊が怖いのか、私が可愛くないのか、まあ両方でしょうけど、だから私に告白しようとする男性は信頼できません」
「なるほどね」
フェイトは頷く。
「お分かりいただけたなら──」
「いや違うよ。分かったのは、アイーダが考え違いをしていることだよ」
「私が考え違い?」
アイーダは首をかしげる。自分の考えのどこに間違いがあったのかと。
「アイーダはまだ十九歳だったよね」
「ええ」
「付き合った人数はどれくらい?」
「三人ほど」
「僕も、自分がいたところではそれくらい付き合ってたよ。でもみんな別れた」
「……なるほど六人ですか。なかなかプレイボーイですね」
「なぜ二倍!? いやいやいやいや。そうじゃなくてさ、結局人っていうのは、いろんな人と付き合ってみて、それで合うか合わないかを確かめてるんだよ。合わないと思ったら別れるし、合うと思ったらそのまま結婚するんだろう。要するに今までアイーダが付き合ってきた人っていうのは、アイーダとは合わないと思ったから別れただけのことさ。それがたまたま『霊』っていう条件で別れたのかもしれない。でもアイーダがゴーストハンターじゃなかったとしても、別れる人とは別れてたし、付き合っていける人なら別れてなかったと思うよ」
アイーダは真剣に聞いてから頷く。
「まあ、理屈は分かります。納得はできませんが」
「それも分かる。今までアイーダはそういう経験をしてきたからね」
「ただ、フェイト様が私のことを深く愛し、慈しみ、そして生涯の伴侶としたいという気持ちは伝わりました」
「ごめん、そこまでは言ってない」
「私にそこまでのことを言うということは、それくらいの覚悟がなければいけません」
「いやいやいやいや。せめて友人から始めてください、つかお願いします」
「冗談です」
アイーダは苦笑する。
「でも、ずっと孤独だったところにそんな風に手を差し伸べられたらよろめいちゃいますね。気をつけてください」
「僕が?」
「ええ。フェイト様はおそらく無自覚にたくさんの女性を助けていると思います。ネル様もクレア様もそんなフェイト様がお好きなのでしょうし、おそらくフェイト様の知らないところでたくさんの女性がハンカチを涙でぬらしたことでしょう」
「詩的な表現はやめてくれないかな」
「……幼馴染の女の子とか、一番泣いてるんじゃないですか」
「いやいや、ただの妹みたいなもんだし。っていうか、どうして僕に幼馴染がいると?」
「なんとなくそう思っただけです。とにかく、特別な女性以外には、あまり優しくしすぎないことです。フェイト様が手助けするのをやめたとき、その女性たちは拠所をなくしてしまいますから。気をつけてくださいね」
「気をつけるよ」
「さて、そうしたらそろそろ始めましょうか。ちょうど、いらっしゃったようですし」
と言ってアイーダが立ち上がる。
「始めるって、何を」
「もちろん決まってます」
アイーダはナイフを構える。
「『霊』退治です」
「いきなり!?」
「……マジです。『霊』は時を選んでくれませんから」
「場所も選べないよね!? てことはアイーダはそのつもりで僕をここに連れてきたんだよね!?」
「あまり騒がないでください。みっともない男は好かれませんよ」
「気持ちの問題だよ!」
すると、空間が歪曲し、急激に温度が冷え込む。尋常な寒さではない。夏だというのに、これでは氷点下まで下がる。
「これは」
アイーダの顔から余裕が消えた。
「昨日までの雑魚とは違いますね」
「違うって、どれくらいのランク?」
「そうですね、推測になりますが」
昨日は最初のゴーストがランク15。その後に退治したゴーストたちがランク3と4。普通はそれくらいのものらしい。
「おそらくランク100はくだらないかと」
「帰る!」
「もう手遅れです。私の後ろに」
アイーダがフェイトの前に立って、その歪曲する空間にナイフを投げつける。
だが、歪曲する空間に達したところで、そのナイフは完全に破壊された。
「これは随分とディフェンスに定評のあるゴーストですね」
「定評って何!?」
「破邪の力を受け付けることがない、身を守る力が尋常じゃないほどに高まっているゴーストです。どうやら、お目当ての相手のようですね」
「お目当て?」
「はい」
そして実体化していく。その空間に光が集まる。
直視するとまぶしくて目を開けていられない。
「このシーハーツにゴーストハンターが生まれることとなった元凶です」
「それって、かなりの大物?」
「大物も大物。ラスボスクラスです」
「僕は生きて帰れますか」
「そうですね。もしもここで私以外のゴーストハンターがいたとしたら」
アイーダが頷いて答えた。
「生きて帰れたかもしれません」
(僕はもう駄目かもしれない)
協力をかって出たことをいきなり後悔するフェイトだった。
「アイーダはそのゴーストの正体を知っているの?」
「当然です」
集まった光は、やがて人間の女性の姿に近づいていく。
「あれは、光の王と呼ばれた女性。光王シーハート二十四世陛下のゴーストです」
ここにいるよ
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