牢獄の冬は寒い。
常に毛布を頭までかぶっていないと凍傷になる。動き回るのは厳禁だ。少しでも汗をかこうものなら、その瞬間から体が冷えていく。動かず、熊のようにただじっとする。それだけが生き延びる手段だ。
もっとも、いまさら生き延びたところで何も自分には価値がない。
愛する女性もはるかな昔に失い、信頼できる友も処刑された。戦争を止めることはできない。
自分の人生は何だったのだろうか。
考えても答は出ない。どのみち、この世界で生きていくことは自分には難しかっただけだ。
ただ、一つだけの心残りは、自分と彼女が過ごした村。今年は必ずあの村は襲われる。蓄えてある食糧を狙ってくる。
それを住民たちに伝えることができないことだけが、ひどく残念だ。
がしゃん。
やってきた男たちが鍵を開けた。処刑だろうか。うっそりと顔を上げた彼の目に飛び込んできたのは、見たこともない蒼い髪をした男だった。
「ミハエルさんですか」
「そうだ」
「僕はフェイト・ラインゴッド。あなたをここから連れ出しにきました」
STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】
第四話:舞降る月の女神
たとえヴォックスがこのアーリグリフ城内にいないとしても、どこにヴォックスの目が潜んでいるかなど分からない。既に決着がついたと思われているミハエル子爵のことなどそれほど重要視していないということが幸いし、三人は子爵を救出することができたが、それでも油断はできなかった。
夜のうちに、衰弱しているミハエル子爵を連れて子爵の館に入る。
「だ、だ、だ、旦那様!」
執事が慌てて飛び出てくるが、金色の髪をした男女に声を出さぬよう注意され、執事が気を取り直して素早く四人を館の中に迎え入れた。
「なんと痛々しい。このようなお姿に」
「なに、拷問されたというわけでもない。足腰もそこまで弱らせてはおらん。ただ、二ヶ月近く牢にいたから髭がすっかり伸びてしまった。すまないが、風呂の用意をしてくれ」
「は、ただちに。お食事はいかがなさいますか」
「あまり胃にもたれるものはまずいな。軽めに頼む。風呂が沸く前に先に取る。それから、彼らの分も用意してくれ。俺の恩人だ。豪勢にな」
「は。かしこまりました」
すぐに執事は飛び出していく。ふう、と子爵はため息をついた。
「すまなかったな。ここまで連れてきてもらって」
「いいえ。国王陛下からお願いされていますから。必ず子爵を領地までお連れするようにと」
「国王が、か」
鋭く舌打ちする。
「借りを作らされたか。残念だ」
いまだにフェイトたちには、この人物がどういう人物なのかということがよく分かっていなかった。国王はこの国になくてはならない人物と評していたが、こちらの人物の方は国王を嫌っているようだった。
「色々と聞きたいこともあるのだろうが、まずは休むことにしよう。フェイト殿はいつまでこちらに」
「明後日にはベクレル鉱山に向けて出発するということでした」
「明後日か。あまり時間がないな。領地へは自分ひとりで戻るから心配しなくていい。フェイト殿はフェイト殿のなすべきことをなされるがいい」
「ですが」
「いずれにしても、この状況ですぐに動くことはできんよ。自分の領地に戻れるほど、今の俺の体は健康体ではない。三日は見なければな。つまり、フェイト殿が俺を送り届けるのは時間的に無理ということだ」
確かに切れる人物だった。状況を客観的に見ることが非常に長けている。国王が高く評価しているのもよく分かることだった。
「色々と知りたいことも聞きたいこともあるだろうが、まずは食事を取ってくれ。俺は、これからまだやることがある」
「ですが、子爵はお休みになられないと」
「いや、これだけは欠くわけにはいかん」
何を、とフェイトは視線で訴える。するとようやく、子爵は穏やかな表情になった。
「墓参りだ」
結局、別室に案内されたフェイトたちはそこで豪華な食事にありつくことになった。今年は食糧が乏しいということで、これほどの料理を出されても大丈夫なのかと尋ねたが、今年の冬に備えて充分に食糧は蓄えてあるので心配は無用とのことだった。
つまり、凶作になることを春の段階から子爵は見越していたということだ。
「ま、あれだな」
鶏肉を豪快に食べながらクリフが言う。
「政争ってやつだ。文民で戦争反対派のミハエル子爵と、軍人で戦争推進派のヴォックス公爵。ま、身分の上からも血筋の上からも実際の実力からも、ミハエル子爵じゃ太刀打ちできんってことだろ」
確かにそうなのだろうが、それでも反対派だからといってすぐに牢に入れるというのはどうなのだろう。国王もあれだけ評価をしていながらそれを認めたということは、国内におけるヴォックスの影響力は国王を凌いでいるということなのだろうか。
「思うんだがな、フェイト。戦争を仕掛けようとしているのはこっちの国だよな」
「ああ」
「それなのにお前は、シーハーツの兵器作りを防ぐんだな」
フェイトは答えられなかった。
目を伏せて考える。確かに、この状況で問題があるのはシーハーツではない。むしろアーリグリフだ。シーハーツは軍事力で劣る分、兵器を作って対抗しようとしているにすぎない。兵器作りを防ぐのは、アーリグリフのシーハーツ侵攻を認めるようなものなのだ。
だがそれはオーバーテクノロジーで、使用すれば犠牲者は何千、何万の単位になるのだ。そんな兵器を作らせるわけにはいかない。
(負の葛藤か。どちらも嫌だけれど、どちらかを選ばなければいけない)
いや、そうとは限らないはずだ。要するに戦争さえしなければいいのだ。戦争を止める。それができれば兵器を作らせなくてもすむし、人が死ぬことはないのだから。
「僕はあの兵器だけは完成させるわけにはいかないと思っている。だから、戦争を止める方法を考えたい」
「未開惑星保護条約にひっかかるぜ」
「かまわない。人が死ぬのは嫌だ」
やれやれ、とクリフは肩をすくめた。
「じゃ、一つだけヒントをやろうか」
「ヒント?」
「ああ。戦争なんて奴は、それをしたい奴が必ずいるんだ。誰も望まない戦争なんて存在しないのさ」
「それは分かるけど」
「だったら、戦争を望んでいる奴を説得するか、最悪の場合はそいつを殺すってことだ。それしか解決の道はないぜ」
戦争を望んでいる者=ヴォックス公爵。
そう。全ての上で、キーパーソンとなるのはヴォックス公爵なのだ。
「アーリグリフ陣営がどうなっているのか、詳しいことが知りたいな」
「ああ。それについてはミラージュ、調べられるか」
「ええ。それほど時間はかかりません。明日一日いただければ」
年上の綺麗な女性は微笑みながら言う。
「お願いしてもいいんですか」
「私はこういうことが専門ですから」
「おいフェイト、あんまりこいつに騙されるなよ。綺麗な顔して──」
「クリフ?」
にっこりと、本当に綺麗に笑う。
だが、その瞬間にクリフはさっと顔が青ざめて視線を逸らした。その顔が異常に引きつっている。
「じゃあ、お願いします」
咄嗟にフェイトはそう答えていた。そうしないとクリフがミラージュに殺されそうな、そんな予感がしたからだ。
「お任せください。今から動きますか?」
「そうだな。子爵とは俺たちが話せばいい。食事が終わったら始めてくれ」
「分かりました」
真夜中すぎ。
ミラージュが出ていってから、二人はミハエル子爵の館で睡眠を取ることにした。だが、どうにも寝付くことができなかったフェイトは、起き上がって一人館を出た。
雪は降っていないし、風もほとんどない。
満月が随分と明るい夜だった。
(こっちにも月ってあるんだな)
そんな当たり前のことを考えたフェイトは、ふらりと夜の街を歩く。
街道はきちんと雪が撥ねられている。街道の除雪は軍の仕事らしい。確かに力仕事だし、人手が必要になる。それに体を鍛えることにもなる。王都の兵士たちはほとんど毎日のように雪撥ねの仕事をすることになる。
夜空の星々を見上げながら、その街道を歩いていく。
(無用心だったかな)
考えてみれば、あのシーハーツのアサシンが自分を狙っているのかもしれないのだ。あまりこうして出歩くのはやめた方が良かったかもしれない。
だが、今は一人で色々と考えたかった。
戦争。
その行為にいったい何の価値があるというのだろう。ただ人を亡くすだけの行為に、いったいどれほどの意義があるのだろう。
国のためを思うなら、おとなしく隣国から物資の援助を頼めばいい。隣国と友好関係を築けばいい。どうしてそれくらいのことができないのだろう。
理解ができない。
(考えても答は出ないのかもしれないけど)
アーリグリフとシーハーツ。過去の歴史上、どれほどのわだかまりがあるのかはフェイトには分からない。だが、分かり合えないことなど決してないはずだ。
親をなくせば哀しいし、子供をなくせば辛い。恋人がなくなれば、どれほど苦しいだろう。
自分にはその苦しみが分からない。分からない人間が、復讐にたぎる人たちに「戦争はいけない」と叫んだところで伝わるはずもない。
だが、戦争を続ければ続けるだけ、同じように苦しむ人たちが必ず増えるのだ。どこかでその輪を断ち切らなければならないのだ。
戦争を止める。
そのために、自分は何ができるのだろう──?
いつしか、彼は町はずれまでやってきていた。辺りにはもう家もなく、ただ雪原が広がっていた。
随分と歩いてきた。どれくらいの時間が経ったのかも分からない。
そろそろ戻ろうか、と思った時だった。
雪原に、一人の女性が立っている。
月明かりに照らされたその女性は、真銀の長く美しい髪をしていた。
風の音に舞い降りてきたかのような、その女性は月の女神か。
その女性は自分に気づいたのか、優しく微笑みかけてきた。
「こんな夜中に、お散歩ですか?」
その透き通る声は、まるで天使のようで。
「あ、はい。あなたも?」
「ええ。こんな天気のいい夜は、星を見たいから」
彼女はそう言って夜空を見上げる。
月と、星が入り混じる空。
「なにか、悩み事でもあるのですか?」
女性の声が、優しくフェイトの体に染みとおってくる。
「そう見えますか」
「ええ。私、こう見えても人を見る目がありますから」
髪をかきあげた際に、ちらりとのぞいたうなじにフェイトは顔を赤らめる。
「色々と考えることがあるんです」
「たとえば?」
「そうですね。こんなことを話しても仕方がないのかもしれないですけど、もうすぐ戦争が起きる、そのことについてです」
女性は笑顔を消して、真剣な表情に変わった。
「何を悩んでいるのですか?」
「何て言えばいいのかな、僕は絶対に戦争なんか起こってほしくないんです。でもそのためにどうすればいいのかが分からない。分からないから、悩んでいるのかも」
「戦争に反対なのですか?」
驚いたように女性が尋ねる。
「戦争なんて、人が死ぬだけです。そんなものがあっていいはずがない。そうじゃないですか?」
彼の真剣な声に、女性は少し考えてから微笑んだ。
「あなたの言うとおりだと思います」
「僕は、どうすればいいのかが分からない。でも、諦めるつもりはないんです」
そう言って彼は苦笑した。
「必ずいい方法があると信じています。おかしいですね、こんなことを初対面の人に話すようなことでもないのに」
「いいえ」
彼女は微笑むと、ゆっくりと近づいてきた。
「あなたの行く道に、アペリスの加護がありますように」
そう言って、女性は頬に冷たい口付けを落とした。
「え……」
「また、お会いしましょう。フェイト・ラインゴッドさん」
すると。
いったいどういうカラクリなのか、彼女の体は闇に溶け込んで消えた。
「ちょっ……」
今のは。
いったい。
夢でも、見ているのだろうか。
(もしかして、シーハーツの人だったのかも)
そう考えるのが一番しっくりとくる。あのネル・ゼルファーと名乗った隠密と同じ組織であれば、今くらいの身のこなしは充分にできそうだ。
それに、夢であるはずがない。
彼女の唇の冷たさが、頬に残っている。
(誰だったんだろう)
月の女神を思わせる真銀の髪。
(敵にならないといいな)
何故か、フェイトは心の中が不思議と満たされていた。
「どうだった、クレア?」
アーリグリフの隠れ家に戻ってきたクレアは、真紅の髪をしたルージュに出迎えられる。
「フェイトさん? 悪くないわね。うまくいけばシーハーツに引き込めるかもしれないし、ネルの言った通り、完全なアーリグリフの味方というわけでは決してないわ」
無論、女性の正体はクレア・ラーズバード。
シーハーツの誇るクリムゾンブレイドの片翼である。
「フェイトさんは敵にしたくないわね」
「お、ついにクレアにも春が来た?」
「茶化さないの。でも、一日駆け続けてここまで来た甲斐はあったわ。彼の考えがこれだけ分かれば充分。アストール、ここは任せるわよ」
「はい、クレア様」
眼鏡をかけた男が頷いて答える。
「それじゃルージュ、行くわよ。ファリンたちと合流して、銅を奪うわ」
「了解。ったく、クレアは相変わらず人使い荒いなあ」
そう言い合った二人はすぐに館を出た。
第五話
もどる