季節も冬になろうとしているのに、この北方諸島はそんな季節の変化などないかのような暑さである。気候的には亜熱帯性であり、さすがに海水浴は寒いかというような時期である。
このような気候であれば現在のこの人物の格好も理解できなくもないのだが、そんな善意の解釈など必要ない。この人物はどこにあっても変わらない。常に彼は、彼の生き方を貫いている。
「ほう、アーリグリフが動くか」
上半身裸の元クリムゾンブレイドが、砂浜から海を眺めて仁王立ちのまま答えた。
「そういえばネーベルの奴が逝ってから二年か。アーリグリフの連中も、律儀に約束は守ったらしいな」
「約束、でございますか」
彼にこの件を伝えにきたのは、虚空師団【風】の団長、ブルー・レイヴン。青い髪、そして黒地に緑色の模様がほどこされた隠密服を着ている背の高い男。
その彼も、目前の人物の威厳に完全に圧倒されていた。
「うむ。お主などは知らんだろうが、ネーベルの奴は最後に敵の大将と二年間の不戦の誓いをしたのだ。もっとも非公式だから破られても仕方のないことだがな」
「な、そんなことは聞いていません」
「当たり前じゃ。今まで黙っていたからな」
振り返った元クリムゾンブレイド、アドレー・ラーズバードはいつになく真剣な表情であった。
STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】
第八話:広がる海の軌跡
「それにしても、お主ほどの男が伝令係とはな。全く、今のシーハーツは人材が余っているのか?」
戦争の話から逸れて自分に質問が投げかけられる。もちろん自分に暇などない。ぎりぎりの時間でこの北方諸島まで来て戻れるかどうかを計算した上でのことだ。
「アドレー様からお預かりした方の成長が著しいものですから。【風】のことは彼女に任せておけば私は安心していられるのです」
ほう、とアドレーは優しそうな表情となった。
「サラは元気にしているか」
「はい。今では【風】の一級構成員です。ゆくゆくは師団長に推挙して、私もアドレー様のように引退しようかと思っています」
「若い者が何を言っておるか。引退など十年早い」
だが、それはこのアドレーにこそ言いたい。ブルーの目から見れば、この人物はまだまだ現役だ。それもそのはず、彼はまだ五十前だ。
「ということは、ワシのところに来たのはお主の独断か」
「その通りです。今回のアーリグリフとの戦、アドレー様のご助力なしには勝ち残ることはできないと判断したまでのことです」
アドレーは顎に手を当てて考える。だが、何を考えているのかなど読めるものではない。彼は考えているようで考えてなく、考えていないようなことは考えていたりする、何とも読みにくい人物なのだ。
「ワシに頼むのはお門違いというものよ。だいたい、ワシをこの辺境に飛ばしたのはラッセルの奴だ。先にそっちを説得するべきではないか」
「無理を通せば道理が引っ込む、といいます。行動を起こしてしまえば、ただでさえ人材が不足している現在、ラッセル執政官とて追い返しはしないでしょう」
ブルーははっきりと『命令違反をしろ』とアドレーに言っているのだ。それが分かるだけにアドレーも苦笑するしかない。
「詳しく話を聞こう」
動いた。ブルーはほっと一息つく。ここまで来た甲斐があったというものだ。
「はっ。アーリグリフはカルサアに【風雷】を集結させ、先陣は【疾風】が務めるもよう」
「ほう。虎の子の【疾風】を先手に使うか。それともウォルターの奴が自分の兵力を温存させたか。【漆黒】はどうしている?」
「部隊として動く気配はありません。ですが、一連隊のみ既に【疾風】と合流しているとか」
「今の【漆黒】は統一がされておらんからな」
「【漆黒】恐るるに足らずということですか」
「逆だ」
アドレーは冷たい声で言い放つ。
「といいますと」
「最初から敵として数えられるのならばいい。いくらでも対処することはできる。だが、現状で方向性が見えないものを予測するのは難しい。ばらばらに攻撃をしかけてくるのか、それともある一点で一致団結するか。いずれにしても現状で打てる手などないだろうが」
ブルーの目から見れば、各隊が気ままに動いている【漆黒】はほとんど眼中になかった。だが、その油断こそが危険だとアドレーはたしなめる。
「アーリグリフ三軍をかき集めれば二万強か。シーハーツの実戦部隊は一万五千。いささか分が悪いのう」
拠点防衛を任務とする【光】【土】【火】は各隊五千人ずつ。そして隠密部隊である【闇】【水】【風】は各隊百人程度。全軍を集めても数で上回ることは不可能だ。
さらには【疾風】は二千人のうち百人がエアードラゴンを中心とする部隊だ。あれをどうにか攻略しないことには勝ち目などあるはずがない。
「サンマイト共和国へ助力を願うことも考えておりますが」
「無駄だな。あの国は動かぬよ。それより確実な仲間を増やす方がよかろう」
「確実な?」
アドレーの言葉の意味はブルーには通じなかった。だが、そんなことはおかまいなしにアドレーは続ける。
「こちらの切り札は?」
「は、切り札と──」
「隠さずともいい。件の施術兵器、完成は近いのか?」
サンダーアロー。その名を知る者は少ない。ブルーにしても自分で調査して手に入れた情報のため、おいそれともらすわけにはいかない。だが、アドレーの助力を得たいのならば、隠し事をしている場合ではないだろう。
「私も詳しいことは。ですが、そのサンダーアローを開発するために誰かが銅鉱石を入手しにいくという話は聞きましたが」
「ベクレルにか」
そこまでは知らない。ブルーも「分かりかねます」と正直に答えた。
「まあいい。なおさら好都合というものよ。ブルー、これからお主に二つ、お使いをしてもらうことになるが、よいか」
無論断れる立場になどない。了解しました、と答える。
「一人はバール山脈に住む女性だ。名をミスティ・リーアという。錬金術に長けているのだが、他にもあの女性には一つの特技があってな。竜と心を通わす術を心得ておる」
「は、竜と、ですか」
「うむ。そのためあのドラゴンの巣窟であるバール山脈でも一人で暮らしていけるのだが、彼女の力をもってすればエアードラゴンを混乱させることもできるだろう。それこそ、彼女がエアードラゴンを一箇所に集めてくれれば、サンダーアローの力でエアードラゴン部隊を一網打尽にすることもできよう」
「分かりました。バール山脈ですね」
「うむ。だが、あの女御は動くまい。こう言え。『アドレーがお前の力を必要としている。見返りに魂玉石を渡すゆえ、山を降りて協力せよ』と」
その言葉に何の意味があったのかはブルーには分からない。だが、それをきちんと暗唱できるように記憶する。
「それからもう一つ。バール山脈の帰りに立ち寄ってもらいたいところがあるのだ」
「何なりと」
「うむ。アーリグリフはカルサアのウォルターのところまで行ってきてくれ」
さらりと言ったので、ブルーは最初全く意味が分からなかったが、その言葉が少しずつ浸透してくるにつれ、顔が徐々に青ざめていった。
「か、カルサアのウォルター伯爵に、ですか」
アーリグリフ三軍【風雷】の団長。既にかなりの老齢だが、二年前の戦いでは全軍を率いたのがウォルターであったことを考えればまだまだ現役の将軍だ。
「そうだ。ウォルターの奴は決して戦争推進派ではない。むしろ穏健派だろう。アーリグリフと戦端を開いた後、講和の条約を結ぶ相手は間違いなくウォルターになろう」
講和。
その言葉を聞いて、ブルーはショックを受けた。そう、戦いに勝つか負けるかではない、その後のことまで考えなければならないのだ。
「私は何を話してくればよろしいのですか」
「なに、たいしたことではない。ウォルターの奴めに今回のアーリグリフの動きを聞いて、その真意を聞いてくればそれでいい。奴も一流の外交官、こちらへの条件はそれほど厳しいものではなかろうて」
アドレーは気楽にそう言うが、果たして本当にうまくいくのだろうか。ウォルターという人物が信頼できるのか、できたとして自分が捕まらないという保証はあるのか。
「ウォルターはお主を捕らえたりなどせぬよ。ワシの使いだと言えば間違いなく五体満足で帰すだろう。問題はそこに行くまでに見つからないかどうかだ」
「それはご心配なく。隠密の端くれとしてそれはしっかりと行います」
「うむ。お主ならやれるだろう。何しろワシの娘の婿にと考えておった男だからのう」
ブルーは苦笑した。過去に何度も勧誘されたのだ。そのたびに彼は「心に決めた人がいるから」と常に固辞しつづけてきた。
「クレア様は私などではもったいなさすぎます」
「そんなことがあるものか。レイヴン家の位が高ければクレアではなくお主がクリムゾンブレイドをやってもよいようなものだ。少なくとも実力ではクレアを上回ろう」
「とんでもありません。確かに剣技だけならば負けるつもりはありませんが、家の重さも、責任の重さも、私では抱えきれないものをクレア様は抱えていらっしゃいます。私などよりはるかにお強いお方です」
「しかしのう……あの歳になってもまだ男友達の一人もおらんのでは親として心配でのう」
「クレア様ならばその気になれば恋人候補は百人単位でおりますよ。現在の光牙師団など、半分クレア様の私的親衛隊みたいなものですから」
苦笑しながら言う。その言葉は過剰だったが嘘ではない。全く、二年間の平和というものはそんな幸せな考え方を生み出すことになったのかと、二人は苦笑する。
「ワシはこの地でもう少しせねばならぬことがある。だが、二十日後の戦争には間に合うようにしよう」
「ありがとうございます」
「それからブルーよ、一つ忠告だ」
「は」
かしこまってブルーが次の言葉を待つ。
「お主の恋は報われることがない。早く現実に妥協することだ」
心臓をわしづかみにされたかのような衝撃。
(知っておられたのか)
自分の恋。
ブルーは生涯に一度だけ、恋をした。いや、恋をしている、と言ってもいい。
幼い頃に、失いかけた自分の命を救った『アペリスの聖女』。
あの凛々しさ、気高さ、そしてたった一人で抱える国の重さを。
自分は愛しいと思ったのだ。
たとえ叶わぬ愛だとしても、自分は、あの姿に惹かれてやまないのだ。
「それに、女王陛下とて全てが万能というわけではない。お主が──」
「私は陛下に万能を求めたことは一度もありません」
ブルーは直後に否定する。そしてはっきりと告げた。
「私はあの方に、幸せになってもらいたいのです」
たった一人で、誰にも心許すことなく、国王として、聖女として、国のすべてを、民衆のすべてを抱える女性。
その女性が幸せでないというのは、絶対に間違っている。
陛下が自分に対して笑顔を見せたのは、たったの一度だけだ。
『よかった』
命が助かって、心から安心したように微笑んだ彼女の姿が、目に焼きついて離れないのだ。
「お主はワシが見込んで、紋章術と武術をみっちり仕込んだのだがのう。クレアの婿にするつもりで育てたのだが、相手が陛下となるとちと分が悪い」
「かつてはアドレー様とネーベル様、それにラッセル様とで陛下の『取り合い』をなさったという話はよく聞いております」
「む」
だが、結局は三人とも陛下の目には止まらなかった。陛下の魂はこの世界にない。アペリスの聖女とはよく言ったものだった。彼女は常に、アペリスの恋人なのだ。
おかげで三人とも別の女性と結婚することとなったのだが。
「そういえば、アドレー様はラッセル様より命ぜられてこの北方諸島へやってきたわけですが、それも何か関係があるのですか?」
少しからかうような口調だった。だが、アドレーはその質問に笑顔を見せることはできなかった。
何故なら。
「そう思うか」
この北方諸島の問題は、決して簡単なものではなかったからだ。
「違うのですか」
「全く違う。ラッセルの奴は確かに執政官として正しいのだろうよ。ワシもこの目で実際に見るまでは信じられなかったし、今でも半信半疑に近いところがある。だが、この北方諸島は確実におさえたいというラッセルの考えがあったのだろうな」
また言っていることの意味が分からなくなった。ときどきアドレーは説明を飛ばす傾向がある。
「何のことでしょうか」
おそるおそるブルーは尋ねた。
「この地には悪魔が眠っておる」
さすがにその言葉には、ブルーも言葉をなくした。
「斬っても殴ってもまるで効果がない。唯一施術だけが有効だった。ラッセルもそれを知っていたゆえにワシを北方諸島へよこしたのだろうな」
「ですが、悪魔、というのは」
「うむ。適当な呼び名がないからワシが名づけた。この辺りの島には島ごとに一匹いるようなものだな。この島でシーハーツに近い島の悪魔はほとんど滅ぼしたはずだが」
「お疲れ様です」
「なに、これくらいやることがあった方が体がなまらなくていいわい」
そう言って豪快に笑う。
「掃討には時間がかかる。今は一段落ついたゆえ、ただちにアーリグリフとの戦争に赴く。では、くれぐれも言伝、頼んだぞ、ブルー」
「はっ、アドレー様もお早目の到着、お待ちしております」
第九話
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