いよいよ明日は出発となる。
 メンバー全員と顔合わせをしたフェイトは一人アーリグリフ城の部屋にいた。
 睡魔はまた来ない。明日は早くからの移動になるのだから早く寝なければいけないことはわかっている。
 だが、考えることは多かった。
 自分はいったい何がしたいのか。
 サンダーアローは完成させるべきなのか、それとも阻止するべきなのか。
 ヴォックスを倒し、戦争状態を止めたいというのなら開発するべきだ。
 だが、それによってたくさんの人命が奪われるというのなら阻止するべきだ。
 問題は、相手の将、クリムゾンブレイドと呼ばれる実戦部隊の長がどのように考えているかだ。アーリグリフを滅ぼすつもりなのか、それとも攻め込んでくる意思はないのか。
 あくまでも抑止力としての使い方しかしないのであれば、開発させてもいいと思う。それで戦争が回避できるなら。
 だが、一度作ってしまった兵器はもはや制限がなくなる。今は抑止力としてしか使わなくとも、十年後、二十年後に同じ状況でいられるという可能性は低い。
 今後のことを考えるならば、阻止するべきだ。
 だがそのせいで、たくさんの人が亡くなるのはいいことなのか。
 コン、コン。
 思考の途中、彼の部屋の扉が二度叩かれた。こんな夜中に、クリフだろうか。
「はい」
「すみません。エリスです」






STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】


第九話:祈る月影の花飾






 エリス?
 こんな夜中に訪ねられる理由などフェイトは当然知らない。それに数度、ここで顔をあわせただけの相手だ。
「今開けるよ」
 扉を開けた向こうには、いつものメイド姿で、黒いショートカットが窓から差し込む月明かりを受けて光る。
「何か、ご用事があれば承るようにとおおせつかって参りました」
 かすかに、彼女の声が震えていた。
 視線も自分と合わせようとしない。
「用……って、別に僕は何も」
 言いかけて、ようやく理解した。
 次の瞬間、フェイトの心の中に怒りの感情が込みあがってきた。
「誰?」
 なるべくフェイトは怒りを抑えたつもりだったが、それでもエリスの体は跳ね上がった。
「君に、そんなことを命令したのは誰?」

 ──夜伽。

 もちろん、そういうことが通用する時代で、自分たちをもてなすための用意だということも同時にフェイトは理解している。
 だが、それが男の欲望を満たすためだけにこのいたいけな少女を利用したというのなら、自分は絶対に命令した男を許すつもりはない。
「あ、あの」
「いいから。僕は決して君にそんな『用事』を頼むことはない。安心していいから」
「あ」
 安心したのか、彼女はほっとした表情を見せる。
「だから、僕のことをそんなふうに評価したのが誰か、教えてほしいんだ」
「分かりません」
 エリスは首を振って答えた。
「分からないって」
「私たちは命令されたらその場所に行くだけのことです。どなたが命令されたとか、私たちは全く」
 それもその通りだ。たった一人のメイドに国の上層部の人間がいちいち命令するはずがない。上の誰かが、フェイトに女をあてがうように命令し、それが部下から女官を通し、白羽の矢が立ったのが顔見知りであるエリスだった、ということなのだろう。
 だがそれでも、そんな形で。
(僕を取り込むっていうのか? そんな手段で?)
 ますます怒りがこみ上げる。
「くそっ!」
 おもいきり床を蹴りつける。これが文明後進国家で、人間の人権など考えられていない時代だということなのだ。
「あ、あの、私が何かしましたでしょうか」
「あ、いや、ごめん」
 フェイトは慌てて謝った。自分の行動が、勇気を振り絞ってやってきたこの少女を怖がらせてしまったようだった。
「えっと、とにかくそういう用事はないから」
「ですが」
「とにかく、僕のいるところは、人間がそういうことをするのは絶対禁止なんだ。そんなことをすること自体が僕は許せない」
 そう、これはフェイトが珍しく見せる怒りだった。知り合いが見たならばいったい何事が起こったのかと思うほどの。
 人が傷つけられること、人を傷つけること。いかなる形であれ、それを許容できるような精神をフェイトは持っていない。
「分かりました」
「うん。あ、こんなところじゃなんだし、上がっていきなよ。お茶でも入れるから」
 言ってから気づく。これではまるで、誘っているみたいではないか。
「あ、ご、ゴメン。そんなつもりはないから」
 自分で言って自分で謝るフェイトを見て、エリスはくすっと笑った。
「はい。フェイトさんにそういうつもりがないことは、見てよく分かりましたから」
「ちぇっ」
 少し悔しそうに舌打ちする。
 もちろん、エリスは可愛いと思う。
 特に今日は予め言われていたのか『その』準備を明らかにしていた。男を誘うような香水に、髪も唇も、全てが男を誘うように仕上げられている。それも女官たちの手によるものなのだろう。
「お茶の用意は私が」
「いいよ。僕のお客なんだから、僕がやる」
 フェイトの部屋にはご丁寧に給湯の設備がある。魔法瓶に入ったお湯と、急須に茶葉という安っぽいものだが、こういうものをきちんと用意することがこの時代にどれだけ大変かということはフェイトにも分かっていた。
「エリスはそっちの椅子に座ってて」
「は、はい」
 普段から相手の世話をすることばかりしているメイドなだけに、逆に世話をされるという感覚には馴れていないらしい。そわそわしてフェイトの手つきをじっと見つめていた。
「はい、エリス。熱いから気をつけて」
 湯気の立つ碗を渡す。それを受け取って、エリスは一口含んだ。
「……おいしいです」
「そうかい? 別に工夫なんてしたつもりは」
「違います。フェイトさんの優しさがこもっているから」
 そう言ったエリスの瞳に、じわりと涙がにじんでいた。
「え、エリス?」
「あ、すみませんしめっぽくなってしまって。私、こういう命令は始めてでしたので、怖かったんです」
 まだ少女のエリスは温かいお茶を手に、少しの間しゃくりあげていた。
(どうして、こんな子にそんな命令を出すんだ)
 誰の差し金かは分からない。おそらくあの高潔なアーリグリフ王の命令ではないだろう。だとしたらウォルターか、それとも名も知らない文官か。
 いずれにしてもその命令を出させたこの国自体が許せない。
「でも」
 少し落ち着いたのか、もう一口飲んだエリスが笑って言った。
「フェイトさんなら、それもいいかなと思ったんです」
「え?」
「この仕事をしていれば、いつかは避けられないことですから。それなら、最初は優しい方のほうがいいと思います」
「エリス」
 そんなことを言わないでほしい。
 自分の気持ちを、自分のことを大切に考えてほしい。
 だが、それはできなかった。
 そう。彼女たちはそれが仕事なのだ。
 拒否することはできない。
「エリス。君は──」
「はい。お察しの通りです」
 そう。彼女たちはこの仕事を拒否することはできない。何故なら。
(売られたのか)
 飢饉が起こったときによく起こることだ。娘の身売り。それも二束三文で売られることが多い。おそらくは平民だけではなく、領地全体で収穫を得られなかった貴族とて同じようなことをするだろう。むしろ売る娘が多いだけに、その辺りは自在にできると考えてもいい。
 そして売った先が王宮だというのなら、むしろその方が彼女たちの生活が保障されるだけでもいいのかもしれない。
 だが。
(僕は、ここで苦しんでいる娘を見て、何もできないのか?)
 自分が何でもできるとは思わない。
 だが苦しんでいる少女を見て全く何も感じない者は人間ではない。
(僕が国王に便宜を図れば、きっと彼女はそんな仕事もしなくてすむ)
 それはエゴだ。他にも彼女と同じ境遇の者はたくさんいるだろう。それなのに彼女だけ特別扱いをするというのは。
 それでも。
 ──せめて、自分に関わった人の幸せくらいは願いたい。
「エリス」
 そっと、優しくその体を包む。
「あ」
 彼女の心臓が、激しく打つのを感じる。
 生きている証だ。
 そう。
 人間は、こうして明日に怯えながらつつましく生きている。
(……戦争を起こすべきじゃない)
 死者が一人でも少なくなるのなら。もちろん、それはシーハーツの将軍しだいだが。
 サンダーアローを、完成させよう。
「ありがとう、エリス。僕は自分のやるべきことが見えてきたみたいだ」
 体を離し、フェイトが優しく微笑む。
「明日から、どこか遠いところへ行かれるという話は聞いております」
「そうか。しばらく留守にするけど、多分また戻ってくると思うから」
「はい。あ、」
 何かに気が付いたように、彼女は胸の前で右手を握る。
「ちょっと、待っていていただけますか」
 そう言って、彼女は突然立ち上がると、足早に部屋を出ていく。
 何があるのかは分からないが、待っていろというのならばおとなしく待っていよう。
 そう決めてじっと待つこと十分、再びノックの音がした。
「どうぞ」
 彼が扉を開けると、少し息切れしているエリスの姿があった。中に招き入れると、彼女は呼吸を整えてから手の中のものを見せる。
「これを、差し上げます」
 花飾りのようなものを、彼女はフェイトの胸につける。
「これは?」
「はい。イリスの巫女花といいまして、旅の安全を祈願するお守りなんです。果実は腐らないですし栄養価が高く、水分も多く含んでいますから、もしものときは非常の食糧にもなります。ここで働いている私には必要のないものですから」
「そうなんだ、ありがとう、エリス」
「いいえ、たいしたものではありませんから。それよりもフェイトさんに、無事に戻ってきてほしいんです」
 エリスはそう言って、フェイトをじっと見つめた。
「戻ってきてください。待ってますから」
「ああ」
 彼女はそのまま目を閉じた。
(……え?)
 これは──もちろん、彼女がキスをねだっている。
 だが、そんなことをするわけにはいかない。
 自分はこの星の人間ではなく、彼女を幸せにすることはできないのだから。
 だから、それには気づかない振りをした。
 かわりに彼女をもう一度優しく抱きしめた。
 しばらく、沈黙が続く。やがて、フェイトは彼女を離した。
「今日はありがとう、エリス。おかげでゆっくりと眠れそうだよ」
「あ、いえ」
「それじゃあ、おやすみ」
「はい。おやすみなさいませ」
 少しだけ残念そうなエリスの表情に、胸が痛んだ。






 翌朝、出発。
 フェイトは朝早くにアーリグリフ王に面会を求め、エリスの身柄の保証を取り付ける。それは国王の名で確実に行われることを誓約してもらった。
 国王からは「惚れたのか」とからかわれたが、フェイトは真剣な表情で否定した。
 この星の人間ではない自分に、そんな気持ちが起こるのは許されないからだ。
「おせえぞ、クソ虫」
「ああ、悪いアルベル」
 全員が揃う。クリフ、アルベル、サイファ。そして二人の中隊長フローラとアラン。そして二十人の部下。
「あら、フェイトさん」
 サイファが何かに気づいたように話しかけてきた。
「なんですか?」
「面白いものをお持ちですね」
 胸の花飾りを見てサイファは言った。
「あ、これですか。エリスからもらったんですけど」
「そうでしたか。イリスの巫女花。月と風の女神であるイリスを象徴した多年草です。旅の安全を祈って造られる花飾りですが、最近は乱獲のせいで数も少なくなっているということです」
「え?」
 フェイトは目を瞬かせた。
「だって、エリスはたいしたものじゃないって」
「余計な気を使わせたくなかったのでしょう。私もよく知っている娘ですが、あの娘はとても感じのいい少女です。好かれましたね、フェイトさん」
 そして。
 その中性的な顔がにっこりと笑った。とても綺麗に。
(エリス)
 フェイトは出てきたアーリグリフ城を振り返る。
 あの中にエリスがいる。自分にこの貴重なものをくれたエリスが。
(帰ってくるよ)
 たとえ戦争を止められるのだとしても、シーハーツと一戦交えるのは避けられない。
 だから、その前に必ず。
(帰ってくる。必ず)
 そして、彼らはベクレルへと向かった。





第十話

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