月の、女神。
 たおやかな透き通る銀の髪、そして紅く輝く唇と、強い意思のこもる瞳。
 最初に彼女を見た時、それは幻想なのではないかと思った。
 だが、しっかりと覚えている。
 彼女の唇が、自分の頬に、冷たく落ちてきたことを。
「あなたが?」
 クリムゾンブレイド。
 それは、シーハーツ軍を統べる、女王の代理を司る役職。
 クレアは、少し寂しそうに笑った。






STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】


第十三話:重なる瞳の微熱






「どうし──っ!」
 体を起こそうとした途端、体中に鋭い痛みが走る。五体がばらばらになるかのような激痛。声すら出せず、フェイトはただ痛みが引くのを耐える。
「無理をしないでください。なんとか回復したとはいえ、全身打撲、骨折六箇所、傷の数なんて数え切れないほどだったんですから」
 笑顔で怖いことを言う。だが、彼女は『回復した』と言った。つまり、彼女の力で癒してくれたということだ。
「ありがとう」
 だから素直に言った。その言葉にクレアは驚いたように目を丸くする。
「……私は、シーハーツの人間ですよ?」
 おそるおそるといった様子でクレアが尋ねる。
 ──そう。ここにフェイトがいた時、いっそのこと彼をこの場で殺してしまおうか、と思った。
 彼がここにいるということは、自分たちが銅を取ろうとするのを妨害するためにアルベルに付いてきたということなのだ。
 未知の大国、グリーテンの技術者。
 どうするか悩んだものの、結局は彼を助けることにした。
 話を聞いてからでも充分だと思ったからだ。
 だから、体は完治させなかった。怪我を残しておけば、相手は満足に動けない。それを見越してのことだ。
「僕は、そのシーハーツの代表者と話がしたかったんです」
「話?」
「そうです。この戦いのことについて──くっ!」
 また彼の顔が歪む。
 治癒できるのに、それができないことがもどかしい。このまま治してしまえば、牙をむいて自分たちに襲い掛かってくる可能性は否定できないのだ。
「どういうことですか?」
「僕は、戦争を止めたいんです」
 なんとか自分の考えを伝えようとするフェイトに、クレアがとまどったような声を上げる。
「戦争を?」
「そうです。僕じゃ、アーリグリフを止めることはできません。陛下は戦争を起こし、シーハーツから略奪を行うことで、食糧不足を解消しようとしている。この流れを止めることができないのは僕にだって分かります。でも、戦争なんか、起こしたら駄目だ」
 苦しそうに、それでもはっきりと言うフェイトから、クレアは目を背けることができない。
「戦争で苦しむのは弱い人だ。戦争で泣くのは殺された人の妻や恋人だ。戦争なんかで、そんな苦しんだり悲しんだりするのは間違ってる。あなたは、そうは思わないんですか」
「アーリグリフから戦争を仕掛けてきているのに、私に答えろと言うのですか?」
「そうです。だって僕には、話すことしかできないから」
(この人は)
 クレアはこの青年の強さを見た。
 この青年の強さは腕っぷしや知恵・技術の有無などではない。
 自分が信じることに対して、真っ直ぐにぶつかっていくことができる信念。それも、戦場となるこのベクレル鉱山にまで来て、こんな怪我を負ってまで。
 ただ、相手のことが知りたい。そのためだけに。
「ヒーリング」
 クレアは考えることもなく、彼を癒していく。
 この青年は信頼できる。
 そう。シーハーツやアーリグリフといった国の枠を超えて、戦争で苦しむ民を第一に考えることができる人だ。
(私だって)
 クレアは治癒しながら思う。
(私だって、戦争で恋人を失くしたとしたら)
 そんな理不尽な死に対して、どうすればいいというのだろう。
 嘆く相手もなく、責める相手もない。
 戦争だから。
 死の危険のない戦争はないから。
「私も同じ考えです」
 すっかり体の痛みが取れて自分の体を呆然と見つめるフェイトに言う。
「私も戦争は起こすべきではないと思います。我らシーハーツはあくまで、アーリグリフが攻めてくるからこそ、自衛しているにすぎません」
「クレアさん」
「ですが、現実はアーリグリフがこうして攻めてきているんです。戦わなければ自分たちが滅びます。フェイトさんは座して滅びを待てと言うのですか?」
「もちろん違います。だからこの山の銅が必要になる」
 クレアがそれを聞いて顔をしかめた。
「やはり、ご存知なのですね。ということは、シーハーツの機密がアーリグリフにまで」
「そうです。施術兵器サンダーアロー。シーハーツはあの殺戮兵器を完成させるつもりですね」
 殺戮兵器。
 全く彼の言うとおりだ。もしサンダーアローが完成したなら、敵軍は瞬く間に消滅させられるだろう。あれはこれまでの戦争とは全く違う、別のものだ。
「他に方法はありません」
 そこでクレアは目を逸らした。
 そう。その兵器を使えば今度はアーリグリフの兵士たちが何百、何千と殺されるのだ。
 その虐殺を、この青年が許すはずがない。
 だから目を逸らしたのだ。
 だが。
「ええ。僕もそれを止めるつもりはないんです」
 信じられないことを言った。つまり彼は、アーリグリフの兵士たちが虐殺されることを容認するということなのだろうか。
「サンダーアローの力は歴然です。あれが完成して戦場に出てくればアーリグリフに勝ち目はない。問題はその力を威嚇として見せてくれれば戦争は終わる」
 威嚇。
 そう、自分たちはいつでも相手を倒すことができるのだという切り札を持っておくことで、相手の動きを制限する。
「そんな……」
「現実は難しいというのは分かっています。でも、サンダーアローの力を一度見せつけることによってアーリグリフの戦意を奪うのはできるはずです。可能なら前線を率いるヴォックス将軍がそれを目の当たりにすることが一番望ましい。戦場で、それもアーリグリフの兵士たちを犠牲にしないように、一度見せてくれればいいんです。そうしたら、僕はこのままシーハーツが銅を持っていくことを黙認します。でも、もし、シーハーツが無闇にアーリグリフの人たちを殺したいっていうのなら」
 その月の女神の前で、フェイトの顔つきが変わる。
「僕は何としても、それを止めなければならない」
 命をかけるという覚悟をクレアはその表情の内側に見る。
 もちろん、自分とて無闇な殺戮など全く好んでいない。むしろアーリグリフがサンダーアローに脅威を抱いて引き上げてくれるというのならこれほど楽なことはない。
 ただもちろん、兵器はいつまでも最強というわけではない。サンダーアローを破壊しようとしてくるかもしれないし、乱戦に持ち込んでサンダーアローを打つことができない状況を作り出すことだって可能なはず。
 だが。
「私は戦いを好んではいません」
 クレアは彼の手を取った。
 この人なら信頼できるから。
 彼がアーリグリフにいてくれるなら、お互いの考えていることが通じ合うことができるなら。
 二つの国は、きっと戦争を起こさずにすむ。
「あなたの言う通りにします。我が国がサンダーアローを持ち、圧力をかける。それで戦いは終わる」
「そうです」
「ありがとうございます。クリムゾンブレイドの名にかけて、あなたとの誓約を必ず果たします」
「クレアさん」
 フェイトがほっと安心したように微笑む。
 その笑顔を見た瞬間、クレアの胸が高鳴る。
 それは、新鮮な驚きだった。
 目の前にいる男性は、国にいるどの人物とも違う。
 戦いの中で、常に厳しさと優しさを同居させ、国や大義といったもののためではなく、自分の信念のためだけに行動する。
 それは限りなく『私』の行動だが、同時に何者にも束縛されず、ただ平和のためだけに戦うことができる強さがある。
(平和)
 そう、平和だ。
 彼の願いはシーハーツの勝利でもアーリグリフの勝利でもない。戦いそのものが起こらないこと、それだけを考えている。そのためにどうすればいいのかを考え続けている。
(勝てませんね)
 素直に、敗北を認めた。
 無論、自分はクリムゾンブレイドとして、女王陛下のために、そしてシーハーツ国民のために戦うという義務がある。それを誇りに思えども、卑下したことは一度もないし、これからもするつもりもない。
 だが、そうした国の枠を超えて、敵味方など関係なく、全ての人の幸せを願う、そんな強さには憧れすら覚える。
「あなたは、素敵な人です」
 だから賞賛は素直に出た。逆にその言葉がフェイトの顔を真っ赤にさせる。
「からかわないでください。クレアさんの方がずっと、大変ですごいことをしてると思います」
「否定はしません。でも、フェイトさんは、もっと大きな視野で物事を見られています。それはすごいことだと思います」
「それより」
 フェイトは辺りを見回す。
「銅鉱石はどうなっているんですか」
 その顔が真剣なものになり、クレアも一瞬で気持ちを切り替える。
「はい。ルージュたちが陽動に回っている間に、後発部隊が別ルートから鉱山の中に侵入し、必要分を取っていく手はずとなっています。五人、鉱山に入っていきました」
「アルベルは目の前の戦闘しか頭になかったみたいだけど、念のためだ。急ぎましょう」
「ええ」
 そして二人は近くの洞窟入り口から中に入る。
 ところどころ地面は濡れて、足元が危ない。
「ですが、フェイトさん」
 苦もなく進んでいくクレアに、フェイトは必死についていく。
「私たちを見逃すなんてことをして、大丈夫なんですか、その」
 アーリグリフでの立場というものを心配するなど、何を考えているのだろうかと思いなおす。いっそのこと、この場でシーハーツに来るよう依頼すればいいのではないか。
「僕なら大丈夫です。いざとなれば逃げ出す方法はいくらでもありますし」
「いっそ、シーハーツへ来ていただくわけにはいかないでしょうか」
 暗闇の中。立ち止まり、振り返って真摯に相手を見つめる。
 フェイトも闇の中におぼろげに浮かぶ相手の姿をじっと見返す。
「僕は、そちらの方々にもあまり好かれていないようでしたよ」
「ネルのことなら、申し訳ないと思っています。あの娘は任務に忠実すぎるんです」
「危うくそれで殺されかけました」
「その指示を出したのは私です」
 少し視線を逸らしてクレアは答える。
「グリーテンの技術者をアーリグリフに渡すわけにはいかなかった。国として、クリムゾンブレイドとして。でも」
「分かっています。もしクレアさんが僕を殺すつもりだったら、さっき僕が倒れている間にそうすればよかった。でも、僕はここでこうして生きている」
 少しだけクレアの表情が和らぐ。
「僕はクレアさんを信頼します。サンダーアローのこともそうですけど、クレアさんがシーハーツを率いてくださっていると分かっていれば、安心して僕も行動できますから」
「フェイトさん」
「正直、シーハーツの上層部も僕にとっては見知らぬ人です。アーリグリフへの侵攻を考えているかどうか、僕には分かりません」
「そんなことは」
「ええ、だから憶測では話すことはできませんが、もしこの戦いが思い通りに終わったとすれば、むしろ被害はアーリグリフの方に出ます。何しろ戦争で負けて、食糧もないわけですから」
「はい」
「だから、僕はそれを少しでも助けられるようにしたいと思うんです」
 現状で戦争が優位な状態にいるアーリグリフは、一つ見方を変えればすぐに弱小国家となる。武力が通じなくなれば、アーリグリフには何一つ優れているところなどないのだ。
「そうですか。残念です、本当に」
 言葉以上の気持ちを込めて、クレアが言う。
 少し照れたようにフェイトが苦笑して、また歩き始めた。
 と、
「うわっ」
 足元を滑らせ、倒れそうになる。
「フェイトさん」
 咄嗟にクレアが手を伸ばして掴むが、もちろんクレアの体重でフェイトを支えきれるはずがない。
 フェイトにかぶさるようにして、そのまま倒れこんだ。
「いたた」
「す、すみません」
 幸い二人とも大きな怪我はない。
 ないのだが。
「……」
「……」
 二人は、自分たちが接触していることに気づく。
 クレアの汗の匂いが、フェイトの鼻腔をついた。
 そう。
 初めて出会ったときから、一目惚れ、というのか確かに彼女に惹かれていることは分かっていた。雪の夜に舞い降りた月の女神。その神秘的な光景に目を奪われ、心ごと奪われていた。
 そして、今日話した相手はまさにその月の女神。任務と使命とをその胸に抱き、同時に自分の命令で人が死んでいくということを自覚した、か弱き女性。
 守りたい。
 そう彼が思うことに何の不思議もなかった。
 クレアもまた、同じだ。
 初めて会ったときから、優しい、誠実そうな男性だという意識はあった。だが、今日話してみてそれだけではない、確固たる信念と行動力を備えた勇気ある、強い男性であるということを急速に意識した。
 傍にいてほしい、と思った。だから、シーハーツに来てほしいと誘ったのだ。
 二人の距離は、まさにゼロ。
 お互いがお互いの気持ちを伝えるのに、もう何も言葉はいらなかった。
「クレア、さん……」
 他のことなど何も考えられないように、彼女の名を呟くフェイト。
 クレアもこの瞬間だけは、国のことも何もかもを忘れたように、彼を見つめる。
 その時。

「ああああああああああああああっ!」

 洞窟の奥から悲鳴が聞こえた。
 咄嗟に我に返り、二人は立ち上がる。
「行きましょう!」
 フェイトは頷く。そしてその滑る道を二人は走った。
 その道すがら、フェイトは軽く頭をふる。
 いったい、何を考えていたというのだろうか。
 この星は未開惑星。たとえ、自分が何を望もうとしても、彼女と共にあることなどできはしないのに。
 自分は、地球に帰るのだというのに。

 だが、そう考えていることが既にクレアに惹かれているのだということに、まだフェイトは気づいていなかった。





第十四話

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