「失礼、副団長」
青く長い髪の男は、椅子に深く腰かけ、目を瞑ったままの体勢で尋ね返す。
「言われたことの意味がよく分からない。もう一度、最初から説明をしてもらえないだろうか」
不遜な態度に、目の前にいた男の顔が歪む。『副団長』と呼ばれた男はそれでも声を荒げるようなことをせず、相手の言葉に従ってもう一度繰り返した。
「何度でも言おう。これは取り引きだ。アルベルを【漆黒】団長から追い落とし、俺を団長にする協力をすれば、お前を副団長としよう。悪い取り引きではあるまい?」
目の前にいたのは【漆黒】の副団長。【豪腕】のシェルビー、その人だった。
それに対し、目の前の男はまったく身動ぎもせず、ただ相手の言葉を目を閉じたまま聞いている。その風貌は国でも一、二を争うほどの美形ともてはやされるだけのことはある。
そして同期の中でも群を抜くほどの出世頭だ。まだ十九歳と若年ながら、既に一軍の連隊長まで位が上がっている。それだけの武力、そして指揮能力にすぐれた男であった。
「どうだ、【飛燕】連隊長、クレイオ・ニールセンよ」
名を呼ばれた男が、髪の色より薄い碧眼を開いた。
STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】
第十五話:昏き燕雀の産声
どうやら、この副団長は己が間違った方向へ進んでいるのに気がついていないらしい、とクレイオは判断した。
近年の【漆黒】の内部抗争たるや激しさを増すばかりだ。そもそもの原因は、アルベルが【疾風】ではなく【漆黒】団長になったことだ。彼が【疾風】に行っていれば何事も丸くおさまっていただろうに、まったく竜という奴は人間を選ぶというが。
もっとも一番の理由はそれではない。問題はアルベルが自分の反対勢力を一網打尽にするために、わざと内部抗争を激化させるように仕向けている点にある。
現状でアルベルは別に【漆黒】を意のままに動かそうとは考えていない。それよりも彼の配下の親衛隊、あれだけが別格扱いで、他の連中などはほとんどかまっていない。
それが本気で行っているのなら不満も出ようが、クレイオにはそのような感情は微塵も出ない。何故なら自分は親衛隊ではなくとも、アルベルからの信頼が厚いということを自覚しているからだ。
今アルベルは巧妙に部下を篩いにかけている。誰がアルベルに従って、誰がアルベルに従わないのかを。
(ロッド殿はアルベル側についた。他の三人はシェルビーというより、その後ろに控えているヴォックスを恐れているような連中だ。連隊長が一対三、アルベルの方が旗色が悪そうに見える。だが、シェルビーではアルベルにかなうまい)
何しろアルベルの下には【黒天使】サイファもいれば【黒龍】ロッドもいる。それに【疾風】から転向してきた【黒風】のリオンも当然アルベル側だ。あとは親衛隊が何といってもどの部隊よりも強い。おそらくあの二百五十人だけで一連隊を沈めることができる。
だとしたら兵力的には二対三。あとは自分の【飛燕】がアルベルにつけば五分の勢力ということになる。
もちろん、自分はアルベルを裏切る気などない。
だが、それを半ば知りつつシェルビーが自分を呼びつけたのは、それだけシェルビー側の勢力が思った以上に集まっていないということを意味しているのだろう。ロッドが敵に回った以上、自分を逆に勢力下に収めてしまいたいのだ。
(まいったな。下手な受け答えをすればこの場で首が飛ぶな)
幸い、自分は誰とも交流がないせいか、あまり性格を知られていない。十九にして連隊長という破格の地位をいただいていることもあり、出世欲の高い男であるというふうに見せ付ければシェルビーごときの低脳を騙すことは雑作もない。
「一つ、確認しておきたいのだが」
ふてぶてしい態度なのは諦めてもらおう。今さら自分を変えることなどできはしない。
「派閥争いに全く興味がなかった俺が、団長と副団長のどちらに着くかで【漆黒】が大きく揺らぐ、というのは理解している。それだけに表面化しないのであれば俺はどちらにもつかないつもりだった。誤解のないように言っておくが」
一度言葉を切り、相手の感情を逆撫でしないように気をつける。
「俺は内部で争うべき時ではない、と考えている。シーハーツと戦争を起こす直前という時に内部が動揺するのは得策ではない」
「そうだ。だからこの戦争の中ででも団長の座を俺が手に入れ、そして【漆黒】を強化せねばならん。あの忌々しい親衛隊などとぬかす雑魚どもも一掃してな」
親衛隊は強い。それは誰もが認めている事実だ。だが、それは指揮能力に富んだ五人の中隊長が原因だ。あの五人、そして親衛隊長のサイファはアルベルに心酔している。彼らがいる限り、親衛隊そのものが揺らぐことはない。
「まだ分からんな。この戦争の中で団長を謀殺するつもりか」
鋭く核心を突く。シェルビーも少し動揺したようだったが、得たり、と笑った。
(言われて動揺するようでは未来はないな)
この男についていく価値はない。だが、ここは相手を信頼させなければならない。自分と、そして自分の信頼のおける部下たちがこの修練場を脱出するまでは。
「ならば俺の役割は、戦争の中で団長に誤情報を流し、確実にシーハーツに団長を殺させるということだな。副団長が確実に団長に昇進し、そして団長の死がシーハーツに対する起爆剤となる。一石二鳥ということか」
──自分の素質を誰よりも早く見抜いたのはアルベルだった。
幼い頃から騎士になるために独自に鍛錬を行い、そして父親の書籍も片っ端から読み漁り、文武両道を目指した。
父はそんな自分を心配に思うことも多かったし、今でもそうして自分を心配する手紙も届く。だが、自分は騎士になりたかった。誰よりも強く、賢い騎士になりたかった。
もともと【疾風】に行くつもりはなかった。希望はルムに乗って戦う【風雷】だった。だが、部隊の配置は何故か【漆黒】だった。
失望していた自分に声をかけてきたのがアルベルだったのだ。
『お前は俺が拾った』
まだ【漆黒】の団長となって日が浅かった彼は、一刻も早く信頼のおける部下を必要としていた。その時に発掘されたのが一にサイファ、そして二に自分だ。
『お前の知恵を、この【漆黒】再生のために貸せ』
そして自分はそれを忠実にこなした。期待されているという事実が自分をさらに高めることとなった。
どうすればいい、というアルベルの質問に対して自分はこう答えた。
『【漆黒】の最大の問題点は、その機動力にある。それを補うためには、圧倒的な情報量を持つことだ。【漆黒】最大の特徴であるこの重装備を解き、軽装で四方に散り、情報を収集して【疾風】や【風雷】よりも早く動く。それができれば【漆黒】はどの部隊よりも強くなる。もともと俺は、このシステムを【風雷】で完成させるつもりだったのだが』
騎士となったばかりの男が、よくも大口を叩いたものである。それも自分の上司に向かってなんという口の利き方か。だが、それが逆にアルベルに好感を抱かせたらしい。
『あのジジィが年の若い奴を起用したりするかよ。だが、お前の力はここにいれば今すぐにだって使える。お前、俺に仕えろ』
それは、心からの忠誠を誓え、という意味であった。無論、ただの一兵卒にこれだけの期待をかけてくれているのだ。誓わないなどという選択肢はなかった。
『あなたの剣となろう』
『よし。三年以内にお前を連隊長にする。早く出世しやがれ』
かくして、自分は二年と半年で連隊長にまで成り上がった。
【風雷】のウォルターが敵将クリムゾンブレイドを討ち取った戦いの時が初陣だった。敵を二人討ち取ったし、何よりその時に【漆黒】は自分の意見を取り入れて大戦果を上げた。クリムゾンブレイド、ネーベル・ゼルファーを罠にはめたのも自分の功績だった。
自分はその戦いで、三度昇進した。さすがに多少アルベルの強引さが見えたが、ただの一兵卒が最も手柄を上げたのは間違いのないことであった。
その時点で中隊長。その後の小競り合いでもう一度昇進、そしてアーリグリフ十三世の貴族粛清の際、アーリグリフ三軍も大きく変化を迫られ、それに乗じてアルベルが強引に連隊長にした。もっともその時に空席が三つもあったことがあり、将来性をかって三名を同時に昇格させた。自分の昇格をまぎらわせようとしたのだ。
だが、その昇進人事には裏がある。
(他の二人は、この後にアルベルが行う粛清の対象だ)
何しろシェルビー派、さらに言うならヴォックス派だ。アルベルにとって邪魔になる者を一気に片付けるため、格好のポジションを与えたということだ。
その際、親衛隊と、信頼のおけるロッド、それに自分を味方にしておけばシェルビーに力負けすることはないだろうと見越した上でだ。
(何が力を貸せ、だ。自分の方がずっと辛辣だろうに)
と思わないでもない。だが、自分はそうした人事などを考える立場ではない。自分はいかにアーリグリフという国、そして自分の仕えるアルベルを勝利に導くかということ、それだけを考えていればいいのだから。
「そういうことだ。だからお前の力が必ず必要になる。【漆黒】の情報部隊を統べるお前の協力なくしてこの策は成功せん」
「俺は自分の力でこれまで出世してきた。自分の出世に誰かの力は必要ない」
だが、そのシェルビーの誘いを一度突っぱねる。こうしておいた方が駆け引きはしやすい。
「それはアルベルにつく、ということか」
「そうとは言わん。未来のない男について自分の位置を失うのは御免こうむる」
団長にも副団長にも思い入れがないという立場を取ることを明らかにする。つまり、自分は状況次第ではシェルビーに付く、とそう匂わせているのだ。
「ほう。だとすれば協力をしてもらえるというのかな」
「副団長がそうするというのなら協力するのはやぶさかではない。ただ、俺のように若い男が副団長では格好がつかないだろう。それに、他の『三人の』連隊長が黙ってはいまい」
あえて人数を強調する。ロッドは敵なのだろう、と確認する意味をこめてだ。
「確かにな。だが奴らには別のものを約束している。それに冷静に考えて、今の連隊長を見て、お前以外に副団長に相応しいものはおらんだろう」
それは相手を乗せるためのセリフだろうが、クレイオの心には全く響かない。それは事実であり、言われるまでもないことだったからだ。
それに。
(アルベルはそれを、俺と最初に出会った時から見抜いていたぞ)
表情には出さず相手を軽蔑する。頭角を表してから相手に接触するのでは遅い。原石のうちにその価値を見極めることができるかどうかがすべてなのだ。だから自分はアルベル以外の人間についていく気などまったくない。
(まあ、あのサイファが相手なら勝ち目はないかな)
剣技でも知恵でも自分よりも高い能力を持つ相手だ。自分はこの情報収集システムを完成させることが何よりアルベルのためになると考えている。【漆黒】の運営については彼女に一任すればいい。自分は【飛燕】連隊長が一番あっているのだ。
「そう言われて悪い気はせんが。確かにあの三人は副団長の取り巻きだろうが、能力そのものは高くない。副団長も大変だろうとは思っていた」
副団長も鼻で笑う。その副団長をクレイオは心の中で笑った。自分にしてみれば、シェルビーが副団長でいるということの事実の方が不思議でならない。
形などかまわず、アルベルもさっさとシェルビーを粛清して自分の思う通りに【漆黒】を作り直せばいいのに。全く、上が考えていることというのは複雑で理解しがたい。
「協力はしてくれるか」
「状況次第だと言っておこう。だが、俺は今の団長に未来があるとは思っていない。ついていくつもりはない。団長を消すことでこの【漆黒】がうまくいくようになるというのなら、その時は協力しよう」
あえて自分から近づくことはせず。かといって距離を空けることもしない。
これで、相手の満足を得られればいい。あまりに自分の態度が急変するのは相手にとっても不信感を与えよう。
「そうか。ならゆっくりと考えてみるのだな。俺は決してお前を悪いようにはせん」
どうやらこの場は切り抜けることができたようだ。だが、相手は自分を信頼しないだろう。なんとかアルベルに連絡を取りたいのだが。
「副団長。一人、紹介しておく男がいる」
立ち上がり、一人の【飛燕】の隊員を呼んでくるよう、近くの兵士に伝える。
そしてしばらくしてやってきたのは、クレイオよりも若い、まだ十五ばかりの少年であった。
「俺がこの【飛燕】で最も信頼のおける者だ。第一四八小隊に所属しているセディオという。この者を常時、副団長につける」
何を言われているのかシェルビーは分からなかったのだろう。続けて自分が説明する。
「第一四八小隊は俺の直属だ。セディオに伝えれば、他の誰にも漏らさず、必ず私に話が伝わるように訓練している。他の誰にも明かせない情報はセディオから確実に副団長に伝えよう。同時に、万一の時はセディオを使って俺に連絡をくれ」
それは、最悪の場合はアルベルを裏切るという選択肢を用意している、という意思表示だ。
「いいな。セディオ。万一団長に疑われた場合は」
「分かっています。自分で自分を処分しますので、どうぞご遠慮なくお申し付けください」
美少年といってもいいであろうその少年は、副団長に向かって片膝をついて恭順の意思を表明した。
だが、既にセディオには以前から指示をしておいてある。自分は基本的に立場を表明するようなことはしない、だからシェルビーと自分とのパイプになってもらう、と。だがもちろん、アルベルを裏切ることは絶対にない、と。
そのように自分に命をかけてくれている者が五人、それを集めたのが第一四八小隊だ。
「万が一、の場合だ。俺はまだどうするとも決めていない。セディオから伝わる情報の中で決めさせてもらうことにしよう」
「ああ。いい返事を期待している」
だが、シェルビーはどうやら自分が相手に恭順するつもりだと誤解してくれたようだった。大いに笑顔で自分を送り出す。
(低脳め)
これだから単なる軍人は使えないのだ。親衛隊の中隊長たちが【漆黒】の連隊長より優れているのがよく分かる。
(それだけアルベルが信頼に足る人物しかそろえていないということだ)
あの親衛隊はただの親衛隊ではない。あれはすべてアルベルの意思に従う者だけが集まる、特殊な個人的な組織だ。
(さて。アルベルに連絡を取るのも一苦労だな)
第一四八小隊は自分の配下の中でも特に有能なメンバーばかりだ。シェルビーに悟られず連絡を取ることくらいは不可能ではない。だが、頻繁なやり取りはいずれ疑われるきっかけとなろう。
(状況を説明し、相手にとって必要な情報のみのやり取りをした方がいいだろうな。シェルビーの低脳はこの戦争で片付ける。【漆黒】の再生はアーリグリフが勝利するためには絶対の条件だ)
誰にも見えないところで、クレイオはようやく口端に笑みを浮かべていた。
第十六話
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