ネル・ゼルファーに二人の部下あり。水のブラウンと、風のブルー。いずれも隠密の術に長け、それでいて部下を指揮する能力に秀でた人物である。
 ブルー・レイヴンは、知る人には『万能』の二文字で知られる。ただし、万能とは全てに通じてはいるものの、すべてを極めているというわけではない。軍の指揮官として前線を率いて、自ら剣を振るうことも可能ならば、隠密として敵陣にもぐりこむことも可能だ。だが、結局クリムゾンブレイドの二つ名を与えられたのはクレアであり、ネルである。ブルーはどちらの術にも秀でてはいたものの、それぞれの技量でクレアやネルを超えるとはみなされなかった。
 だが、真実は異なる。これはクレアやネルですら知らない事実。おそらく国で理解しているのはアドレー・ラーズバードただ一人であろう。
 家名の低いレイヴン家にとって、秀ですぎた力など紛争の種にしかならない。そう判断したブルーが自分で実力を制限しているのだ。
 温和な笑みの裏側で、さまざまなことを考えている知将。
 だが、その知将にとって役が満たされたことなどない。任務遂行率は百%。彼にとって与えられた任務に難しいものなどない。
 その彼がアドレー直々に与えられた任務。
「なるほどのう。既に講和のことを考えておるのか。アドレーらしいといえば、アドレーらしいがの」
 老獪にして、武勇の誉れも高いカルサアの英雄、ウォルター伯と直接面識を持つことであった。






STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】


第十七話:揺れる風の暗躍






「ところで、既に我が配下の者が連絡をよこしてきたが、お主は耳にしておるのか?」
「といいますと」
「カルサアの件じゃよ。お主の国の、ほれ、なんといったか。クリムゾンブレイドの片割れが、まんまと銅鉱石を持っていったそうではないか」
 ウォルターの部屋に沈黙がおりる。
 実際、その話は既に部下から聞いていた。だが、外交はすべて駆け引きだ。何を知っていて、何を知らないのかは隠しておいた方がいい。シーハーツの情報網がどれほどあるかということについて、相手を誤解させることもできる。
「そうでしたか。ですが私は今、アドレー様から直接の命令を受けていたものですから、そうした情報については疎くなっておりますので」
「なに、そう気構えんでもよい。お主の言葉一つで、戦後の講和の内容が変わることはあるまいて」
 ウォルターは背もたれに寄りかかり、机の前に立っている男を見る。
「は。ですが私にとってここは敵地も同然ですので、警戒しなければいつこの命が亡くなるか分かりません」
「なに。この【風雷】の敷地内ならば、理由もなく拷問などすることはない。それに、お主ほどの腕のものを捕らえるには、それだけの力のある者が必要じゃて。そんな豪傑が世にそれほど多くいるはずもあるまい。それにお主ならば、この屋敷から誰にも見つからずに逃げ出すことなど雑作もあるまい。何しろここまで、誰にも会わずに来られたのじゃからな」
 確かに自信はある。だが、アドレーは言ったのだ。このウォルターの了解を取っておくようにと。ならば自分はここから引くことはできない。
「伯爵閣下はいかがお考えですか。この戦い、アーリグリフが勝つと信じておられるのですか」
「正面から戦えばアーリグリフが勝つじゃろうな。だが、勝ってもよいことはあるまい」
「と、申されますと」
「簡単なことじゃよ。それから先の占領政策を考えれば、費用と労力だけ多く実りはない。考えてもみるがいい。陛下はアペリス教の弾圧を行い、その上でシーハーツに攻め込んだ。ならば、シーハーツの国民に対し、アーリグリフはどういう立場を取ればよい?」
 一番分かりやすく言えば、アペリス教の信者を皆殺し。すなわち、国民を一人残さず制圧するということだ。
 アーリグリフの試算では、シーハーツのアペリス教信者の割合は九十八%。まさに国民の大部分がアペリス教信者であり、残りの二%はサンマイトから流れ込んできた亜人たちがほとんどで、彼らは大地信仰や無宗教だ。
「アーリグリフ王はそのようなことを本気でお考えですか」
「まさか。だからこそ占領政策が難しいと言っておる。簡単にアペリス教を認めるわけにもいかんじゃろうが、認めないというわけにもいかない。ジレンマじゃよ」
 こう聞いていると、まるでウォルターは戦争に勝ちたくないと言っているかのようだった。
「伯爵閣下」
「ウォルターでよい」
「では、ウォルター伯。閣下はもしや、アーリグリフの勝利を望んでおられないのではありますまいか」
「随分と直接的に聞きよる。そんなことを聞かれたら、わしとしては『何があってもアーリグリフを勝たせなければならない』としか答えようがあるまいに」
 ウォルターはつまらなさそうに言う。
「アーリグリフの占領政策にはまだ問題がある。何しろ、大貴族と、アペリス教徒。二度の大粛清で人材不足でな。下手をすると、シーハーツの占領政策はヴォックスがやりかねん。ふぉふぉ……困ったものじゃてな」
 それはシーハーツにとっては最悪のパターンだ。無論、戦争で負けるわけにはいかないが。
「戦争を終わらせるためにはヴォックス公を排除せねばならないと私は考えております」
 タカ派のヴォックスがいなくなれば、戦争急進派は核を失う。アーリグリフ王もそこまでの暴挙はしないだろう。
「同感じゃな。すべてはお主たちがヴォックスを倒すことができるかどうか。ヴォックスが亡くなれば講和の道もあるじゃろうて」
 それは、同じ国の者でありながら、その排除を示唆するものだった。
 さすがは老獪にして知られるウォルターだけのことはある。
「講和の条件はどのような──」
「アリアス川を国境とし、その手前までをアーリグリフ領とする。シーハーツにとっては不毛の土地じゃろうが、我らアーリグリフの民にとってはあれでも貴重な麦の収穫地帯でな。シーハーツにとっても痛い損害ではあるまい」
「我々はみすみす領土を失うというわけですか」
「国境は明確な方がお互い手を出しづらいもんじゃよ。間に川か山を挟むことができれば最善というものじゃろうて」
「それはアーリグリフの言い分です。我らは何の収穫もなく土地を失うだけ。これでは割にあいませぬ。攻め込んできたのはアーリグリフの方ではありませんか」
「その通りじゃ。そして、そのアーリグリフに攻撃を受けて苦しんでいるのはシーハーツの方で、譲歩案をのまざるをえんのもシーハーツであろう」
 ブルーは詰まる。無論、勝つことができればそれに越したことはない。だが、それが難しいのだからこそ、ウォルターの協力を得なければならない。
「ならば、一つご協力いただきたい」
 ブルーは意を決して言う。
「なんじゃ」
「アリアスの街をシーハーツ領とし、アリアス川をもって国境とする。そのかわりに、戦争を終結させるためにウォルター伯の協力をいただきたい」
「何をさせるつもりじゃ」
「戦争の鍵を握るヴォックス公。この人物を最前線におびき出してもらいたい。後は──我々でそれを取り除きます」
 ブルーの言葉に、ウォルター伯は少し間をおいてから顔をほころばせた。
「奴は慎重な男だ。そう簡単に前線には出んじゃろうて」
「そうでしょうか。ヴォックス公は生粋の武人。戦場で刀を合わせることに喜びを感じる人物です。それに、公は自分の武力に絶対の自信がおありです。ならば、自らの手で戦争にカタをつけてやろうとくらいは思っておられるのではありますまいか」
 随分と観察力のある男だ、とウォルターは目の前の人物を再評価した。
 確かにヴォックスならば、誰よりも高い戦果を得るために、自分で敵将を倒しに行くくらいのことはしかねない。
 彼を止められる男がいるとすれば、それは国内には自分かアルベルのどちらかしかいまい。
「よかろう。ヴォックスは最前線へ送る。そのかわり、確実に仕留めよ」
「は」
「それから、この話はあくまでもアーリグリフの一指揮官と、シーハーツの一指揮官の間でのこと。これを確定することは難しい話じゃ。従って、まずはお前さんたちの女王陛下がこの条件を呑むということをわしに伝えるまで、効力は発揮せんので、そのつもりでな」
「もちろんでございます。ご協力を感謝します」
「なに。こんなところまで入り込んできた若者を少し褒めてやりたくなっただけのことじゃよ。それ以上のものはなにもない」
 ウォルターの表情は変わらない。どこまで本気で、どこまで冗談かが分からない。
「まあ、アーリグリフのためにはお主のような若者は取り除いておいた方が後々のためなんじゃろうが、さすがにヴォックスをのさばらせておくわけにもいかん。今はお主の力を利用した方がいいじゃろ」
「恐れ入ります」
 冷や汗者の台詞だ。もしこの場で戦いになったら自分は逃げようがない。
 何しろ、相手はあのクリムゾンブレイド、ネーベル・ゼルファーを破った剛の者だ。たとえ自分の技量に自信があったとしても、自分ではアドレーやネーベルにかなうとは思っていない。
「それでは、これにて失礼いたします」
「まだ日は高いぞ。夜まで待ってからの方がよいのではないか?」
「問題ありません。私は虚空師団『風』のブルー・レイヴン。風に溶け込むことなど雑作もないことですから」
 そして堂々とその扉を開いて──その向こうに消えた。
「ふん、面白い奴を寄越しおったな、アドレー」
 ウォルターは立ち上がると、壁にかけてある肖像画を見る。
 それは、自分の生涯の宿敵であった敵国シーハーツのクリムゾンブレイド、ネーベル・ゼルファーの絵。
「やれやれ。お主はまだワシに働けというのか? 仕方がないのう……」
 二年前にネーベルを討ち取って以来、もちろん鍛錬を欠かしたことなどない。アルベルやヴォックスと戦っても負けるつもりはない。
 だが、寄る年波には勝てない。体力は徐々に落ちているのが分かるし、持久力では若い者には勝てない。
(ま、この老体が役に立つのならムチ打つとしようかの)
 老いてなお衰えず。ウォルターはこの戦争での自分の立ち位置をようやく手に入れていた。






 風に溶ける、とはよく言ったもので、ブルーの隠行の術はネルに比べても遜色はなかった。まあ、途中で奪い取った風雷の鎧(もちろん中身はロープで巻かれて物置に仕舞われてある)を着ているせいもあるが。
「お疲れさまです」
 アーリグリフ式の敬礼を行って、ウォルターの屋敷を出る。門兵たちも敬礼で答える。誰か、とは尋ねない。風雷はアーリグリフ三軍の中でもっとも人数が多く、一万五千人からいる。知らない人間が通ることなど日常茶飯事なのだ。
 ただ、二人の門兵のうちの一人、騎士に昇格したばかりのサライ・ローエンは、この人物は先にこの門を通って中に入っただろうか、と後になってから首をかしげたものだが。
(やれやれ、身分照会もなしか。この鎧は随分便利なものらしい)
 とはいえ、いつまでもこの鎧を着ているわけにもいかない。適当に脱ぎ捨てると、一路アリアスを目指す。
 ここに来る途中で、バール山脈のミスティ・リーアとは既に契約済みだ。今頃は一足先にアリアスに到着しているだろう。
 そして何より、アドレー・ラーズバードが参戦する。これほど心強いものはない。
(陣営は整ったか)
 クレアも銅を入手してアリアスに戻っているとのこと。後は──
(ヴォックスを倒す、それだけだな)
 ブルーはカルサア郊外に用意していたルムにまたがると、一気に東へ向けて速度を上げる。ルムならば一時間もあればアリアスにたどりつける。
 だが。
 彼の進路に、一人の【漆黒】がいた。仮面は取り外され、その精悍な顔つきが日に照らされている。壮年といってもよい歳だが、漆黒の鎧を見ただけでも分かるくらい、しっかりとした体つきをしていた。
 既に剣は抜き身──やる気だ。
(自分がシーハーツの人間だと分かっているのか。あと少しでアリアスなんだが)
 風雷の鎧を脱いでいる自分にとっては隠し立てをすることもできない。
「空波斬!」
 漆黒はその抜き身の剣を一振り。その風圧でかまいたちを生じさせ、ブルーが乗っていたルムの足が四本とも刈り取られる。
「くっ」
 空中に飛び上がり、体勢を整えて着地する。漆黒との距離は、二十メートル。
「シーハーツの人間が、何故このようなところにいる」
 壮年の漆黒は戦意を少しも損なわずに尋ねる。
「あなたこそ、今は漆黒は一時引き上げているはず。アイレの丘でいったい何をなさっているのですか」
「ここはもともとカルサア丘陵。国境が存在していた時からまだアーリグリフ領だった場所だ。もっとも今はアイレの丘も我らアーリグリフが抑えてはいるが」
「答になっておりませんよ、ご老体。あなたは何者で、どうしてこのようなところに?」
「人に名を聞く前に自分から名乗ったらどうだ、若造」
 無論、ブルーに答えるつもりはない。だが、相手もそれは一緒らしい。
(待てよ、壮年の漆黒といえば、該当する奴が一人いたな)
 漆黒に五人の連隊長あり。その随一は、漆黒最強の連隊【皇龍】を率いる【黒龍のロッド】。
(こんなに強いとは思っていなかったが)
 既に壮年を迎えているとはいえ、その剣技は目を見張るものだった。
 もっとも、自分とてシーハーツのクリムゾンブレイド、ネルやクレアを凌駕する腕だ。負けるつもりは毛頭ない。
 ダガーを抜いて構える。ロッドもまたこれ以上の会話は不要と感じたのか、剣を中段に構えた。
 呼吸を整え、互いに相手の隙を探す。
 そして、一陣の風が二人の間を通り過ぎた瞬間、二人は動いた──
 その時だった。
「エクスプロージョン!」
 その二人の中間地点で爆発が生じた。二人とも予期せぬ事態に飛び退く。もうもうと土煙が舞い、お互いの姿が見えなくなる。
「こっちです。こんなところで死にたくなかったら早く動いてください」
 ブルーの耳に覚えのある声が聞こえる。やれやれ、と思いながらその通りに動く。
 やがて、煙が晴れた後にはロッド一人がたたずんでいた。
「逃がしたか」
 だがそれほど悔しそうでもない。
「たまたま通りがかったとはいえ、あれほどの使い手がシーハーツにいるとはな。シーハーツは押されているともあなどれんということか」
 ともかくこの件を誰に報告すべきか、とロッドは悩んだ。相手の正体も分からないのでは報告したところで価値はないだろうが、今の人物について何か知っていることがあるかもしれない。
 ここは自分の直属の上司であるアルベルに報告するのが筋というものだろう。
「シェルビーが頼りになればいいのだが。やはりあいつを副将軍にしたのは間違いだったか」
 とはいえ、そのシェルビーを副将軍にしたのはアルベルだ。その企みはもちろん分かっていたが。
「私まで粛清されてはたまらないからな。早めに合流するにこしたことはない」
 既に【皇龍】はカルサア修練場から出してカルサア丘陵に陣を張っていつでも動けるようにしている。自分たちがシェルビーの手駒になるなど真っ平ごめんだった。
「まあ、次に会ったときには容赦せん」
 軽く振り下ろした剣からかまいたちが放たれ、近くにひっそりと咲いていた花が大地に落ちた。






「助かった。よく来てくれたな」
 アリアスの近くまで戻ってきてから、ようやくブルーはその小さな女の子に向かって言う。
「全く、あなたは何でも一人でやろうとしすぎです。予め動きをこちらに伝えてくれなかったらアドレー様もサラ様も動きようがないでしょう」
「悪いな。お前にまで迷惑をかけた、クレセント」
 風の二級構成員、クレセント・ラ・シャロム。施術を使って自分とロッドの戦いを強引に仲裁したのは彼女の力だった。
 ただ、今日は少しご機嫌なようである。それもそのはず、自分の他に誰もいないのだから、彼女は悠々と自分の『地』で話すことができるからだ。
 普段は媚を売るように可愛らしさを全面に出した話し方をするが、自分が相手となれば別だ。彼女が本心で話すことができるのは、自分の他には【闇】のファリンしかいない。
「では、アドレー様もサラも、もうこっちに着いているのか?」
「ええ。銅は既に到着して、シランドに搬出済みです。それから──あの男がいます」
 忌々しげにクレセントは嫌そうな顔をする。
「あの男?」
「ラオです」
 その名前を出すのも嫌なのか、吐き捨てるように言う。
「ああ、ラオか。なるほど」
 あの男の力は自分をも上回る。現時点でシーハーツ最強なのは間違いない。あの男の強さというのは規格外だ。それとも、アドレーならば御しうるだろうか。
(ヴォックスの相手、ラオならば務まるかもしれんな)
 だが、もしうまくヴォックスを倒したとして、その後でラオが昇格するようなことになるのはまずい。彼を二級以上にしたくないのは、上層部ならば誰でも同じ意見だ。
「ここだけの話だ、クレセント」
「はい」
「今回の戦いの最大の目的は、ヴォックスを倒してその後でウォルター伯との間に休戦協定を結ぶ」
「はい」
「だが、同時にシーハーツ内の不穏分子を片付けることを考えなければならない」
 その言葉にクレセントは答えず、ただ頷いた。
 ラオ・プローンは消す。そう言っているのだ。





第十八話

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