戻ってきたアリアスの村は、以前に増して荒廃していた。
 一度アーリグリフの襲撃を受けた件は聞いている。そのときは抗魔師団【炎】がなんとか防いだものの、その被害も甚大なものとなった。そのためクリムゾンブレイド、クレア・ラーズバード率いる光牙師団【光】が前線に出てくることとなった。
 おりしもアーリグリフに墜落した謎の物体の件で、アーリグリフの前線を率いていたアルベル・ノックスが王都アーリグリフに召還されたため、一時戦争が中断されているものの、この後いつ戦いになるかは分からない。時間の問題だということだけが分かっている。
「ひどいものだな」
 ブルーの感想にクレセントが顔をしかめながら頷く。
 この状況に陥ったのはすべて自分たち六師団の責任だ。だからこそブルーもこの戦いでアリアスを守るために前線に出ることを希望した。
 グリーテンは大丈夫。現在不穏な動きはない。そのため、ブルーは自分の配下の隠密部隊のほぼすべてを一度本国シーハーツに戻していた。何人かの見張りだけを残して。
 もともと隠密部隊である虚空師団【風】は人数はそれほど多くない。軍として表の顔を持つ【光】に連なる側は人数がそれこそ各隊五千と多いが、隠密として裏の顔を持つ【闇】に連なる師団の人数は【闇】でも百人単位、【水】や【風】となると二桁の人数だ。
 二人はアリアスの領主屋敷に向かう。
 現在は【光】が接収しているものの、本来この屋敷はこの地方を治めているアリアス伯のものだ。ただ、伯はこのたびの戦いで襲撃を受けた人々を守って亡くなった。そのため、幼い少年がその屋敷の中で【光】の者たちと共に暮らしている。
 その領主屋敷に戻ってくると、二人は──というかブルーは、手厚い歓迎を受けた。
「ブルー様ブルー様ブルー様っ! よくご無事でもどられましたっ! お怪我はありませんか? ああ、こんなにやつれてしまわれて。サラは、サラはもう心配で心配で仕方がありませんでした。まずはお風呂になさいますか? お食事が先ですか? それとも──キャッ♪」

 両手で頬を押さえながらそんな出迎えをしたのは【風】の一級構成員、天然娘のサラであった。






STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】


第十八話:塞がる蒼の幻影






 ペターニ領主でもあるシャロム家の長女、クレセント・ラ・シャロムはこのサラという上官が極めて苦手だった。
 自分がこの地上でたった二人だけ気を許すことができる相手。【闇】の二級構成員ファリンと、【風】の師団長ブルー・レイヴン。任務の性格上、ファリンとはほとんど会うこともできないので、結果自分が心を許せる相手はブルーしかいなくなるわけだが、たいがいブルーの傍には決まってこのサラがいる。
 プリティ・ブロンドというあだ名すらあるクレセントは師団の枠をこえた人気者(もっともそれは彼女の演技力のたまものだが)であったが、それはどのような相手でもわけへだてなく優しく(もちろん演技だが)振舞っていることが評価を高めているポイントだ。
 だが、このサラは異なる。
 外見は正直、クレセントですら舌をまくほどの容姿だ。外見勝負ならば【光】のクレア、【闇】のネル、【風】のサラ。これがトップスリーで決して譲るまい。細く透き通るようなうす水色の髪は背中まで伸び、この激務の中ですら決して痛んではいない。こっちは必死に手入れをしているというのに、サラは全くそのような素振りすら見せずに美しさを保っている。反則だ。そして肌のきめこまかさといい、こぼれ落ちそうなつぶらな瞳といい、何から何まで『美しさ』という装飾が彼女には施されている。
 この上、隠密としての能力にまで長けているから性質が悪い。
 その実力を幼い頃からアドレー・ラーズバードに見込まれ、ラーズバード家でクレアと共に育てられた。成長してからはクレアと同じように仕官としての教育を受け、アドレーが信頼するブルーに【風】の構成員として預けられた。
 めぐまれた境遇、というのだろうか。だが、彼女がアドレーに引き取られる前のことは団のものならずともよく知られている。
 シランドの北は小村が林立する地域だが、その中の一つが盗賊団【陽炎】によって灰燼となった。当時のクリムゾンブレイドだったアドレーとネーベルがその【陽炎】の討伐にあたり壊滅させたのだが、その際に村の焼け跡に残っていた生存者が当時三歳のサラであった。サラの記憶は、村が滅びた時の炎から始まっている。そして、貴族の血を受けていないにも関わらず血統限界値が高く、ラーズバード家で二つ年上のクレアと姉妹として育てられるようになった。
 なんでそのようなことが知られているかというと非常に単純で、サラが自分のことを普通に回りに話しているからだ。その話がされると回りも何も言葉をなくしてしまうのだが、彼女は平然と何度も同じ話をする。
 そして彼女は決して『ラーズバード』という家名を受け入れない。自分は厄介になっているだけで家族ではない、と断固として拒絶しているらしい。自分の生まれ故郷について色々と思うことがあるのだろう。
 そうした容姿、境遇もクレセントにとっては敬遠したくなる理由の一つだったが、何より最大の問題がある。
「ブルー様、今日のお食事は私が腕によりをかけて作りましたのよ。サラの愛情をたんと受け取ってくださいませ」
 常にブルーに恋する瞳を向けている、その精神構造が自分とは極端に合わないのだ。
 自分はそうした面を意識して作り上げている。だが、サラはそれを演技ではなく自然と行っている。そういう考え方ができることも自分には信じがたいことだが、現実に目の前にそういう人物がいると、必死になって自分を偽っていることが馬鹿らしく感じてくるのだ。
「留守中、何かあったか」
 歩きながらブルーが尋ねる。
 このブルーという自分の上司は、サラを女性として見ていない。それもそのはず、彼女のことは幼い頃から知っているのだ。恋愛の対象になるはずがない。いうなれば娘──にしては大きいか。妹でも持っているようなものだろう。
「はい。特別なことがあったわけではないのですけれど、ご連絡したとおり銅は既にシランドへ、そしてノワール様率いる【土】が昨日アリアスへ到着されました。アーリグリフはまた【漆黒】を先鋒にして攻め込んでくるようです」
 そして尋ねられたことにはよどみなく丁寧に答える。そんなところまで優秀な彼女はブルーの素っ気無い態度も全く意に介さず尋ねられたことに正確に答える。
「分かった。ならば先にクレア様に挨拶をしてこよう。食事はその後だ」
「分かりました! ではクレセント、ブルー様を会議室へ」
「はい♪」
 演技のこもった表情と声で答える。
 サラのこのようなところも苦手だ。彼女はブルー一筋なのに、ブルーの回りに女性がいることを全く気にしない。自分がブルーの傍にいられれば、自分を一番と思ってもらわなくてもそれでいいという、不思議な精神構造をしているらしい。クレセントにそう思われるようではよっぽどだということだろう。
「迷惑をかけるな」
 サラと離れてから、ブルーは小声で言った。「いいえ」と普通に答える。別に迷惑とは思っていない。ただ苦手なだけだ。
「ブルー・レイヴン、ただいま着任しました」
 会議室に入ると、そこには【光】のクレアとヴァン、そして【闇】のネル、さらには【炎】のルージュに【土】のノワールが勢ぞろいしていた。これで六師団長のうちそろっていないのは【水】のブラウンだけだ。
「遅いですよ、ブルー」
 そこに、銀髪の女神がいる。アドレーの娘。このシーハーツ全軍を率いるか弱き女性。
 ブルーは幼い頃からアドレーに見込まれ、家名が低いにも関わらず英才教育をほどこされてきた。上昇志向のあったブルーにとってもそれはありがたい話であったが、彼女との婚約だけは断固として拒否した。
 自分の中には、本当の女神が住んでいるからだ。
「申し訳ありません。所要でカルサアまで行っていたものですから」
「カルサア?」
 初耳だったのか、クレアは不審な表情を浮かべる。
「はい。アドレー様のご命令によりまして、ウォルター伯と会ってきました」
 さすがに、その話には全員が硬直した。普段動揺を見せないクレアやネル、ヴァンまでが驚いているのだ。
「お父様の命令?」
 クレアは面白くなさそうな顔をする。それは当然のこと、現在シーハーツを統べているのは彼女であり、アドレーではないのだ。
「はい。密約を交わすために。ヴォックスを殺せば戦争を継続する理由は互いになくなる。ですから、ウォルター伯には確実にヴォックスを前線に出すように仕向けてほしいと、そうお願いしてきました」
「その交換条件は?」
「カルサア丘陵、ならびにアイレの丘を完全にアーリグリフ領として認めること」
 それはシーハーツの領地が少なくなるということを意味する。簡単にそれを呑むわけにはいかない。
「ふざけてるね。戦争を仕掛けておいて、その張本人を殺すっていう一番やっかいなところを相手に任せて、そのくせ領地を寄越せ?」
 ルージュが怒りを露にする。それは当然のことといえたが、ブルーはかぶりを振って答える。
「なら、戦いを継続するか、ルージュ。総力戦になったらシーハーツの方が兵が少ないのは明らかだ。勝ち目はない」
「問題は──」
 と、その時扉の外から声がした。
 凛とした、透明感あふれる女性の声。
 そして、どことなく寂しげな感情を帯びた女性の声だ。
「最大の戦力差となっている【疾風】でしょう。【疾風】の最大戦力であるエアードラゴン部隊を叩けば講和の道は開かれます。もちろん、ヴォックス公を倒すことは必要でしょうけど」
 憂いを帯びた女性がそこにいた。
「リーアさん。お待ちしておりました」
 ブルーが微笑んでその女性を迎える。突然の訪問者に、クレアも顔をしかめる。
「この方は?」
「はい。アドレー様のご紹介で、ミスティ・リーアさんです。ドラゴンと会話できる能力があるということで、今回ご協力いただくことになりました」
「リーア、とお呼びください、クレア様。あなたのお父様には昔、よくしていただきました。今度は私が恩を返す時です」
 協力者というのはありがたいことだが、それはすべて父、アドレー・ラーズバードの掌の上というのが面白くない。
 だが、そんなことはおくびにも見せずに笑顔で「ありがとうございます」と答える。
「私はバール山脈にこもり、ドラゴンと会話することができるようになりました。【疾風】のエアードラゴンを一時的に一箇所に集めることは十分に可能です」
「あとはそこを目掛けてサンダーアローを放てば、ドラゴン部隊を倒すことができます」
 クレアの顔色が変わった。なるほど、アドレーは効率的に敵の精鋭部隊のみを倒し、そのまま講和に持ち込もうと考えているのだ。
 その考えは間違っていない。事実、シーハーツを苦しめているのはエアードラゴン部隊だ。
 だが。

『僕は何としても、それを止めなければならない』

 グリーテンの技術者は、確かにそう言った。そして、彼と約束をした。
 決して、殺すためには使わないと。あくまで威嚇のためだけに使うのだと。
(私だけがそうしたいと思っていても駄目よね)
 こちらに切り札があるからといって、敵を虐殺することを許されるわけではない。強すぎる武器を持つものは自制をしなければならない。そうしなければ、新たなる火種を産むことになる。
 自分の中での方針は決まっている。サンダーアローを威嚇として使い、敵味方ともに損害を出さないこと。
 だが、そうしようと思っても簡単にはいかないだろう。何しろ、シーハーツの中に知人・縁者を亡くした者は多い。アーリグリフ人を皆殺しにしろ、と口にする者まで出ている始末だ。
 あくまでも上層部だけの考えで事を運ばなければならない。それも──
(ヴァン……はいいとして、後は誰が味方になってくれるのかしら)
 ルージュはアーリグリフを憎んでいる。自分の考えを伝えたら反発するかもしれない。ネルもそうだ。ノワールは大局を見ることができるほどの器ではない。そうなると、あとは──
(ブルー……あなたの力を借りなくてはいけないわね)
 彼ならば大丈夫だ。その能力は高く評価できるものだったし、政治判断も、指揮能力も、そして人望にいたるまで、彼が自分と同じ考えに立ってくれればなんとかなると思う。
 そして施術兵器を担当するディオンと、ドラゴンと会話できるというこのミスティの力を借りることができれば、自分の計画通りに行うことは不可能ではない。
「おっと、こりゃまた、随分人数がそろってやがるな」
 ──そして、その雰囲気を破壊する男の声がした。
「ラオ。あなたはここに呼んでいませんよ」
 ミスティ・リーアの後ろから現れた金髪の大男が姿を見せる。一瞬ラオとブルーが目を合わせるが、特別何も言うことなくすぐにクレアの方に視線が移された。
「何言ってやがる。せっかく面白い話をつかんできたっていうのに、たたき出すなんてつれないねえ」
 ラオは空いている椅子にどっかりと腰を下ろす。師団長ですら立っているというのに、随分と遠慮を知らない男だ。
「面白い話?」
「ああ。もうすぐ【疾風】と【漆黒】が動くぜ」
 さっ、と全員の顔色が変わる。だが、それは予測ができていたこと。かねてからの準備どおり迎撃すればいい。
 だが、まだ準備が整っていない。サンダーアローは開発中だ。もう少し時間がほしい。
(いえ、サンダーアローを作らせる前にカタをつけようということね)
 クレアの冷静な分析力がそう決断する。ならば、こちらは時間を稼いで少しでもサンダーアローを作る時間を増やさなければならない。
(手法はいくつかあるけれど)
 やはり、一度アリアスを放棄した方がいいだろうか。パルミラ平原に敵を引き込んで、サンダーアローの威嚇射撃。相手に圧力をかけて引き上げさせる。それが最上手。
 このままアリアスに残って抵抗すれば互いに被害は甚大なものとなる。だとすれば、決断は早いに越したことはない。
「クレセント」
「はい♪」
「すぐにシランドまで向かい、サンダーアローの開発状況を確認。完成までの日数を確実に聞いてきて。それが戦略を立てる上での最重要項目となります」
「わかりました♪」
 一刻を争うと感じたのか、クレセントはすぐに出立する。
「それからノワールは、万一に備えて市民たちをペターニまで誘導してください」
「アリアスを放棄するんですか」
 ノワールの質問は全員が気になっていることだった。クレアもまだ結論は出せずじまいにいる。
「万一に備えて、といいました。その可能性もあります」
「分かりました」
「ルージュとヴァンは迎撃の準備」
「はっ」
「ネルとブルーは、敵情をもっと詳しく調べてきて」
「私は直接アーリグリフに潜入するよ。ブルーはこっちを頼む」
「分かりました」
 そしてブルーはラオに向き合う。
「ちょうどよかったよ、ラオ。君にはやってもらうことがある」
「あ?」
「この国で最も強い君でないとできない任務だ。ヴォックス公と対峙し、その御首をあげること。君以外にこれができる者はいない」
 ブルーには目論見がある。この戦いでラオもろともヴォックスを倒すという。つまり、ヴォックスとラオとを戦わせ、その場所に向けてサンダーアローを放つ。それが一番効率的だ。ラオは名誉の戦死となり、ヴォックスを倒すこともできる。死後名誉一級構成員と勲章をいくつか与えてやればそれですむ。
 だが、ブルーがそう言うとラオは「はっ」と鼻で笑った。
「ヴォックス公がそんな簡単に出てくるかよ。安全な後方で待機してるのが関の山だぜ」
「裏取引は済んでいる。危険な前線に必ずヴォックスは出てくる。だが、討ち取るのはシーハーツの仕事だ。そして、それができるのはラオしかいない」
「はっ」
 今度こそ、あざけるように笑う。
「あんたら、随分とめでたいな」
 ラオはその大きな左足を机の上に乗せた。
「敵はヴォックスだけじゃねえぜ。腕の立つ奴は他にもいる」
「他にも?【歪】のアルベルかい?」
 ネルがそれを見て見ぬふりをしながら尋ねた。
「あいつもそうだが、もう一人だ」
 ウォルター伯ならば今回の戦いに積極的に参加することはない。だとしたら、いったい誰が。
「この左足、いまだに痛みがなくならねえ」
 鬼のような形相で、ラオが言った。
「フェイト・ラインゴッド。奴は絶対に、シーハーツの最大の敵として立ちふさがる」



 クレアの表情が、凍りついた。





第十九話

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