アーリグリフ城における【漆黒】親衛隊の消沈ぶりたるや、相当なものだった。
親衛隊の中でも精鋭部隊を率い、副隊長のサイファに二人の中隊長、アランとフローラを連れていった結果が、アルベル、サイファ、フローラの三人を除いたすべてのメンバーが戦死。
ここまで悲惨な結果になることを予想したものは、ただの一人もいなかった。
アルベルがいれば。
アルベル・ノックスさえいれば、絶対に自分たちが負けることはないと信じていた。
それなのに。
「……なんと言っていいのか」
第三中隊長リジュンは機嫌の悪すぎる【漆黒】団長を前にただかしこまっていた。
「何も言う必要はねえ。借りは返す。それだけだ」
だが、アルベル自体が敗れたわけでもなければ、サイファも敵将を一度は倒しているのだ。問題はたった一人の敵のみ。
「リジュン」
「はいっ!」
「あの二人を呼び戻せ。すぐにだ」
「分かりました」
あの二人。
もちろんそれだけでリジュンには何を言われているのかが分かる。
今はここにいない、親衛隊の残る二人の中隊長のことだ。
「シーハーツの連中は徹底的に叩きのめす。何があってもだ」
アルベルの言葉に、いつになく本気を感じたリジュンは、背筋が震えていた。
STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】
第十九話:集う漆黒の剣士
たとえ、局地戦に敗れたとはいえ、アーリグリフ国内は全く動じていない。というよりも、そのことは全く知られていない。
ヴォックスが巧妙に情報操作をしていることも一つの理由ではあるが、それ以上に【漆黒】メンバーに生存者がほとんどなく、情報の出回りようもないことが一番の理由だった。
ただ、情報の少なさは憶測を呼ぶ。
アルベルが敗れただの、【漆黒】はもう駄目だだの、勝手な噂は後を絶たなかった。
(【漆黒】がシーハーツの軍に敗れたってよ)
(ああ。仕官クラスで死者が出たっていうぜ。やっぱ最前線はきついんだろうなあ)
(でも次は大丈夫だろ。ヴォックス様が自ら前線に出向くって話だし、ウォルター様も【風雷】を率いてゆかれるんだろ?)
(じゃあ【漆黒】はどうなるんだよ。お払い箱か?)
(さあなあ。前々から内部はアルベル派とシェルビー派とに分かれてたし、もしかしたら将軍交代もあるかもしれないよな)
(シェルビーの【漆黒】か……なんか、あまり近づきたくねえよな)
(小役人だからな、シェルビー副団長は。なんとか団長になりたくてヴォックス様に取り入ろうとしてるって話だぜ)
(【漆黒】の連中はそれ知っててシェルビーにくっついてんのか? だから【風雷】に入れって言ってんのに)
(お前は【風雷】びいきなんだよ。やっぱ【疾風】だろ【疾風】)
──と、兵士たちの間であることないことが囁かれている。
実際にはアルベルの降格人事などないし、シェルビーの昇格人事も無論ない。だが、ヴォックスとシェルビーがそれを狙っているということは確かだし、今回の件がそれに拍車をかけたことも間違いのないことだった。
その件について、アルベルは無視を決め込んだ。そもそもアルベルにとって役職は重要ではない。自分の思うがままに戦えるかどうかがすべてであり、それには団長という地位が都合よかったにすぎない。
もっとも、自分のためにならないシェルビーを放っておくつもりはなかったが。
そして、そういうことを考えるのはすべて彼の片腕である【黒天使】の仕事であった。
【飛燕】の連隊長であるクレイオからの報告はすべてサイファに届く。クレイオもアルベルに直接報告するなどという無駄なことはしない。アルベルの考えをすべて実行するのはサイファであり、彼女に報告すればそのままアルベルに伝わることが理解されている。
自分が彼との間に持っているパイプは【飛燕】第一四八小隊のカルラという男だった。痩身で背の高い男だった。
第一四八小隊はクレイオに命を捧げている、クレイオの最精鋭たちだ。
「以上でございます」
いつもながらに正確な報告にサイファが頷くと、カルラは再び出ていく。
シーハーツにも隠密部隊があるというが、クレイオの一四八小隊のメンバーならばその技術は決して劣るまい。
「にしても、旦那も随分と窮地に立たされたもんだ」
サイファの傍にいた男がのんきな声を上げる。
「窮地?」
「違うのか? 戦死者を十何人も出しといて戦果なしじゃ、団長の座だって危ないだろ」
「あなたがそれを言いますか。【黒風】のリオン」
この【漆黒】陣営において唯一【疾風】の鎧を着た男が肩をすくめた。
「いっとくがな、お嬢」
リオンは真剣な表情に変わる。
「この噂、単純に流れたものと思うか?」
サイファには言われたことの意味が分からなかった。が、しばし考えて思い至る。
「まさか、ヴォックス公が故意に流したものだ、と?」
「ああ。ヴォックスと旦那の確執なんざ、軍にいりゃ誰だって知ってることだ。噂だけ流しておいて土台を固めて、あとは既成事実で一気にドン、だ」
確かにありうることだ。ヴォックスならば味方を傷つけるくらい平気でやりかねない。いや。
(……こちらが敵と考えているのだから、向こうもこちらを敵と考えていなければおかしい、ということね)
自分の考えが甘かったことを思い知らされた。これは反省点としておさえなければならない。
「ま、今んとこは【疾風】【漆黒】の二段構えで前線をつくるみたいだし、問題はないだろうけどな。だが、今回のことを名目に、シェルビーに前線を任せて手柄を立てさせるくらいのことはするだろ」
「アルベル様は勇退。シェルビーが団長に、ですか」
「さいってー」
自分で言っておきながらリオンは舌を出して言う。
「ときに、フローラの嬢ちゃんはどうしてる?」
既に敵にこてんぱんにされたということはリオンは聞いていた。ショックを受けていないかどうかの確認ということなのだろう。
「城の訓練場にフェイトさんをお連れになったようです。自分を鍛えたいのでしょう」
「なるほどな。ま、意気消沈するよかいいだろうけど、気をつけねえとヤバイぞ」
何が? と表情で尋ねる。
「そういう奴は、糸が切れたら飛んでいく。凧と一緒だ」
「凧、ですか」
「ああ。それもあるんだろ、今回あの二人を呼び戻したのは」
それを聞いて、なるほど、と頷く。
「確かに、ゼルトでしたらフローラの抑制役にはちょうどいいですね」
少しだけ【黒天使】は顔をほころばせた。
「はあっ!」
フローラの木刀を、フェイトは同じ木刀で受け流し、そのまま腹を蹴った。
本気でやってほしい、というフローラの願いを聞いた形となったのだが、あまりに強く蹴りすぎたのか、フローラは完全にうずくまってしまった。
「だ、大丈夫だった?」
やりすぎたか、と思ったフェイトが手を貸す。ふん、と鼻を鳴らして彼女はその手を取った。
「ちっくしょう。オレも結構強いと思ってたのにな。やっぱフェイトさんは強いや」
顔の傷が一つ増えたフローラは、すっかり元気になったように笑った。だが、フェイトですら分かる。それが虚勢だということに。
「やっぱり、無理しない方がいいんじゃ」
「気にしないでいいぜ。フェイトさん以外になかなか頼める相手もいないし、助かってるからさ」
くだけた口調なのに、何故か自分の名前には『さん』とつける。おそらく、その剣技に敬意を払っているということなのだろう。
「なあ、オレが強くなるにはどうすればいいと思う?」
そう思う気持ちはよく分かるのだが、人間はそんなに早く成長はしない。フローラの願いはそう簡単にはかなわない。
「毎日、集中してトレーニングをするだけだよ。それから、できるだけ強い相手と剣を交わした方がいい」
ユニバーサルバスケでもそうだった。自分より上手い相手、自分たちより強いチームと対戦することで、自分たちの実力と必要な技能が分かっていく。そして試合の中で力がついていく。
だがそうしたものは、日々の鍛錬があって初めて成り立つことであって、そのためにはトレーニングを欠かしてはいけないのだ。
「そうだよな。うん。じゃあもちろん、フェイトさんはオレに付き合ってくれるよな!?」
──というような状況なのだから、さすがのフェイトもたまったものではなかったが。
「分かったよ。じゃあ、もう少しだけ」
「よし、行くぜ」
そしてまた再び打ち合う。
「随分と気合が入ってますね」
と、そこへ現れたのはもう一人の中隊長、リジュンであった。
「リジュンさん」
「なんだ、オマエも訓練しに来たのかい」
リジュンは苦笑して首を振った。別件らしい。
「あと二人の中隊長が見えられています」
そう聞いて、フローラの顔が曇った。
「オレ、パス」
「そう言うと思ったから、僕が直接呼びに来たんです」
「オマエでも駄目。オレが苦手にしてるって知ってるだろ……」
がっくりと力を失くしたように俯く。リジュンも困ったように苦笑した。
「先ほど僕も会いましたけど」
リジュンも思わず吹き出していた。
「『とても』心配されておいででしたよ」
「……絶対パス」
「そうはいきません。久しぶりの再会なんですから、逃げては駄目ですよ、フローラ」
リジュンは逃げ出さないように、がっちりとフローラの左腕を掴んだ。
「あ、フェイトさんは右腕をお願いします」
「え、ああ」
リジュンに言われるままに、フェイトは右腕も掴んだ。さながらフローラは連行されるテロリストだ。
「フローラさんが苦手にしてる相手って、同じ中隊長なんだろ?」
フローラ越しに尋ねると、リジュンは「ええ」と頷いた。
「ただ、そのお二人のうちお一人は、フローラにとっては犬猿の仲というか」
「それ以上フェイトさんに話したら首飛ぶよ、リジュン」
う〜、と唸るフローラに、リジュンは肩をすくめた。
「いずれにしても、お二人が揃った以上、完全な親衛隊の完成です。もちろんお二人ともアルベル様の大ファンですし、アルベル様と一緒に剣の腕を磨いた幼なじみに当たるんですよ」
会うのが楽しみなようなはばかられるような。いずれにしても──その残り二人の中隊長は、フェイトの期待をはるかに上回るパワーの持ち主だった。
その部屋の扉を開いた直後だった。
「おおっ! 愛しのマイスイートシスター! シーハーツの悪鬼どもにつけられた傷は──うあああああああっ! この僕のフローラにこんな傷を負わせて! シーハーツの鬼畜どもは千回地獄に落ちるといいよ! だが安心したまえマイシスター! この僕が来たからにはもう百人力さ! シーハーツなんて目を瞑っていても明日には滅ぼせるね! そんな力を出せるのは何故だか分かるかいシスター!? それは無論、愛! 愛だよ! この僕のフローラに対する愛! それだけさ!」
その勢いに、フェイトは何も言えなかった。
「うるさい馬鹿兄っ! ひっつくな! 頬をなでるな! この変態シスコン!」
「イヤよイヤよも好きのうちってね。ああ、僕のフローラは愛情表現が下手だねえ」
「愛してないっ! 本気で嫌ってるからっ! できれば一生のうち二度と会いたくなかったからっ!」
「はっはっは。まあ気にせずかけたまえ。任地から持ってきた希少な果物があるのだ。ほらフローラ準備したまえ」
「オマエは妹を愛してんのかこき使ってんのかどっちだ!」
すごい兄だ……。
もうフェイトには何も言えなかった。浅黒のフローラと違って、アーリグリフ独特の白い肌に金色の髪。しかも剣士のはずなのにやたらと長髪で腰まである。おそるべきはその威厳というか、ありあまるほどの自信。さすがにその人物を前においそれと口を挟めるほどフェイトは度胸が足りなかった。
「……騒がしくして、すまないな」
ぼそり、と声をかけてきたのは少し真面目そうな男だった。こちらは黒い髪の長身の男だった。やはり肌は白いが、能面で表情を感じさせない。
「あ、いえ。それでは、お二人がこの親衛隊の?」
「そうだ。私はジェイル・プロスト。そっちの妹を溺愛している方がゼルト・ウォート。話は聞いている。フェイト殿だな」
二人とも若かった。いや、自分よりは年上のようだった。おそらくはアルベルとだいたい同年輩といったところなのだろう。
「はじめまして。フェイト・ラインゴッドです。それにしても、似ていない兄妹ですね」
「フローラは孤児だ。血はつながっていない」
「なるほど」
「それでもゼルトにとってはたった一人の妹だ。大事でないはずがない。今回の任務で死者が出たと聞いたとき、あいつの表情が凍りついた。正直、おそろしかった」
ジェイルは淡々と話すが、いずれにしてもフローラという女性を大切に思っているという意味ではゼルトもジェイルも同じであるらしい。
見れば結局兄の言いなりになって、フローラは籠一杯のリンゴの皮むきを始めていた。
「フローラは昔は病弱でな。ゼルトがよくリンゴをむいて食べさせていた」
ジェイルがそう言うのを聞いて、改めて二人の姿を見る。不満たらたらでも言いなりになっているフローラと、それを優しく見守っているゼルト。確かに、仲のいい兄妹のように見えた。
「そうですか」
「君にはフローラが世話になっているようだな。二人に代わって礼を言う」
「いえ、そんなことは。それにしてもジェイルさんも大変ですね。あれだけパワーのある人と友人だと疲れたりしませんか?」
瞬間。
ジェイルの表情が初めて曇った。
「……友人だったのか、私は」
何故だか少し落ち込んでいるように見えた。気のせいだろうか。
とにかく。
(これで、四中隊長がそろったわけだ)
本来ならばここにアランもいたはずだが、既に彼は天上の人だ。
と、リジュンとジェイル、三人でその場に立って話していた場にゼルトが飛んでやってきた。
「聞いてくれジェイル! フローラが、僕のフローラが、僕のためにリンゴをむいてくれたのだよ! 食べたいかい? 食べたいだろうジェイル! でも駄目だね! これはフローラが僕のためにむいてくれたものなのだから!」
「いちいちジェイルに報告するな! つーかオレのために持ってきたんじゃないのかよ!」
(にぎやかな兄妹だなあ……)
ゼルトに振り回されるジェイルとフローラを少しだけかわいそうに思った。
第二十話
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