フェイトが部屋に戻ってくると、そこには一人の来客がいた。
清楚な姿で自分の帰着に微笑みかけてくる女性。
この女性といると、何故か心が落ち着く。
それは恋とか愛とか、そういうものではなくて。
相手が本当に自分のことを心配してくれている。その気持ちが分かるから。
甘えて、逃げたがっているだけだということは自分が一番よく分かっている。
それも、相手の気持ちを十分に理解しているのだから、自分がいかに非道かということは自分が一番よく分かっている。
「お帰りなさい、フェイトさん」
いつものメイド姿で優しい笑顔を見せるエリスが、そこにいた。
STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】
第二十話:散る褐色の花弁
「ご無事で何よりでした」
フェイトの部屋で、二人はテーブルを挟んで向かい合い、温かい紅茶などを飲む。
こうした寒い日は温かい飲み物が必須だ。身体が芯から温まる。
「エリスがくれた、このお守りのおかげだよ」
胸につけた【イリスの巫女花】に触れて言う。
「そんなことないです。フェイトさんのお力です」
「もちろん運だけで生き残れたわけじゃないけど、でも、生き残るには運も必要だから。それをくれたのは、きっとこれだよ」
そう、生き残る、ということを今回の戦いでは実感した。
ラオとの戦いで命がけの戦いを始めて行い、そしてアルベルと戦い、戻ってきたところには──あの、死体の山。
自分が生きているのが本当なのかも分からない。もしかしたら自分はラオに殺されていて、死ぬ前の夢を見ているのではないか。そんなことすら考える。
だが、これは現実だ。
現実の場に生きていることがこれほどに安らぎを得られるものだということが、死を目の前に見たことによって実感できるようになった。
死にたくない。
漠然とした思いではない。死ぬということがどういうものか分かってしまった以上、自分がそうなることはできない。そうなりたくない。
そして。
戦争を起こすということは、そうやって死んでいく人間が出てくる、ということだ。
「どうしても、この戦いは止めないとな」
遠くを見ながらフェイトが言うと、エリスが少し悲しそうな顔をした。
「フェイトさん」
胸の前で右手を握るエリスが、せつなそうに見つめてくる。
「あ、ごめん。何?」
「……いえ、フェイトさんが、どこか、違うところを見つめていたから」
「うん……ごめん。今回、たくさんの人が亡くなったから、さすがに冷静ではいられない」
今まではアルベルやサイファ、フローラと一緒に行動してきた。だから人が死ぬということを考える余裕がなかった。
だが、こうして時間が生まれてしまうと、あの時の褐色の血液の色がまざまざと思い浮かぶ。
「僕はいい経験をさせてもらったんだと思う」
両手でカップを持ちながら、フェイトはその紅茶の水面に映った自分の顔を見る。
「戦争は終わらせる。そのために何をしなければいけないのかがはっきりと見えてきたみたいだ」
「危険なことをするのですか」
苦しそうにエリスが言う。
「私は、フェイトさんに危険なことをしてほしくありません」
「エリス」
「私が、フェイトさんに変わって差し上げられたら」
「何を言ってるんだよ」
苦笑しながらフェイトが言う。
「僕は十分エリスには助けてもらってる。十分だよ。こうして帰ってきたときに一杯の温かい紅茶を淹れてもらえることがどれだけ嬉しいか、戦場に出ていないエリスには分からないと思う。でも、そうした相手がいるっていうのは本当に嬉しいんだ」
それは素直な気持ちであり、偽りでもあった。
こうしてエリスと二人でいるのは、自分の心を安らげてくれる。それは嬉しい。
だが、同時に、何故か後ろめたい気分にもなってくる。
その気持ちの正体は分かっている。
──月の、女神。
(クレアさんか……あの人は信頼できる。でも、ラオみたいに信頼できない奴だっている。一応、僕が考えていることはクレアさんには伝わっていると思う。一人でも死ぬ人を少なくして、戦争を終わらせる。そのためには)
いくつかしなければならないことがある。そう、お互いの国にいる主戦派を倒すということを。
(アーリグリフのヴォックス公爵と、シーハーツのラオ)
この二人は倒さなければいけない。最悪の場合は、殺す、ということもしなければならないだろう。
(人を助けるために人を殺すのか)
あのような冷たい躯を作らなければ、平和というものが訪れないものなのだとしたら。
平和とは、皮肉によって作られているに違いない。
「フェイトさん」
エリスがカップを握るフェイトに手を重ねてきた。
「あまり、思いつめないでください。フェイトさんがなさろうとしていることは、間違っていませんから」
「……ありがとう、エリス」
その手の暖かさが心地よい。
だが、同時に。
(暖かさ、か)
身体の奥に残っている、月の女神の熱。
こんな気持ちのまま。
(エリスと触れ合っていて、いいのか?)
彼女が自分に気を持っているのは分かっている。
そして、自分はいつかこの星からいなくなる人間。
エリスとも、そしてクレアとも決して一緒にいてはいけないのだ。
そっとフェイトは手を外す。
その瞬間、エリスが悲しそうな顔をした。
「──ごめん、エリス」
こういうことは、早く言わなければいけない。
「僕はいつか、自分のいたところに帰らなきゃいけない。僕は、アーリグリフにいつまでもいられるわけじゃない」
それを聞いたエリスが顔を伏せる。
そして、かすかに震えた。
「……はい。分かっています」
「だから、ごめん」
「いいえ。私の方こそ、フェイトさんを困らせてしまって、すみませんでした」
顔を上げたエリスはもう笑顔だった。
「これ以上困らせないうちに、戻ります」
「ああ。本当に、ごめん」
「謝らないでください。私は、それでも……」
エリスは立ち上がり、フェイトに背を向ける。
「失礼します」
そして、彼女は部屋から出ていった。
「これで、いいんだ」
フェイトはため息をつくと、もうそれ以上紅茶を飲む気にもなれず、ベッドに横になった。
「考えることは山ほどあるのにな」
だが、何故か今、頭に浮かぶのは。
自分の体の中に残っている熱の正体、それだけだった。
少しうとうとしていただろうか。おそらく時間的には十分か二十分。
かたん、と窓が勝手に開く。
そして、一枚の紙がそこから入ってきた。
(なんだ?)
近くに置いてあった剣を手にして、慎重に窓に近づく。
窓の外には誰もいない。
そして、その紙を手にする。
『前の場所で待つ。必ず一人で来い。武器は持ってこないこと。さもないと、お前の女を殺す──ネル・ゼルファー』
「エリス!」
声を上げる。そして、クリフがまだ戻ってきていないことを確かめる。
必ず、一人で、来い。
(……どうする?)
クリフに助けを求めるべきか。きっとそうするべきだ。あのネル・ゼルファーという人物は確実に自分を殺すつもりだ。一人で行けば確実に殺される。だが、同時に無駄な殺しはしない相手だということも分かる。自分が行けばきっとエリスは助けてくれる。
だが、約束をたがえたときは。
(絶対に、容赦はしない)
ほんのわずかな邂逅ではあったが、フェイトは正確に相手の気質を見抜いていた。そうしたプロ意識が相手にはある。ラオのような単なる戦闘狂とは訳が違う。
(くそっ、人質を取るなんて)
クレアの差し金であるはずがない。あの人物は自分と意見を同じにしている。だとしたら、これは、ネル・ゼルファーという人物の独断。
(なら、話し合いの余地はあるかもしれないな)
クレアはシーハーツ軍の統帥権を持つ人物だ。その人物と協力しているということを伝えれば何とかなるかもしれない。
対話だ。ここを切り抜けるにはそれしかない。
「ごめん、クリフ」
信頼していないわけではない。だが、これは自分ひとりでやらなければいけないことだ。
そして、フェイトは物見の塔へと向かった。
塔の屋上まで来ても、誰もいなかった。
相手は隠密だ。そう簡単に気配を悟らせてくれるとは思えない。
だが、もしもエリスが相手に捕われているというのなら、エリスの気配は感じるはずだ。
(どこだ)
まさか、何も言うこともなくいきなり殺されるということはないだろう。
堂々と待っていればいい。それとも、そんな余裕すらなく、すぐに消されるのだろうか。
(くそっ。早く姿を見せろ)
左右、上下をしっかりと確認する。
こういう場合は何かを背にするのもよくない。背後は安全だと思っているとそこから油断が生じる。四方が見渡せる場所が一番いい。
(武器もなしで、あの人と戦うことになるのか?)
おそらく技量でいけば自分の方がはるかに格下だ。戦いになったら奇襲しかない。リフレクト・ストライフをいかに効果的に叩き込むかがすべてだ。
「そこだ!」
フェイトは素早く小石を拾って、闇に向かって投げつける。その小石が、空中で止まった。
「……やるね。まさか、見破られるとは思ってなかったよ」
その闇から、ネル・ゼルファー。真紅の女性が現れた。
だが、近くにエリスの姿はない。
「エリスをどうした」
「後ろを見てみるんだね」
前のネルに十分注意を払いながら、ゆっくりと後ろを確認する。
そこに。
「……フェイトさん」
エリスがそこにいた。その顔は恐怖で歪んでいる。
彼女の後ろから腕を回して、喉元にナイフをあてている男。優男風ではあるが、表情は真剣だった。
「人質を取るのがシーハーツのやり方か」
ラオと同じだ。いや、ラオはそれでも正面から戦ってきた。その方がまだ何倍もマシだ。
「好きに言うがいいさ。私らもなりふりかまっていられないのさ。銅は無事に手に入ったけど、あんたならそれを覆すことだってできるだろう?」
「クレアさんから聞いてないのか?」
ネルの動作が止まった。
「どうしてクレアの名前を知っている?」
「直接会った。もう裏取引は済んでいる。戦争を終わらせるために、僕は銅を君達に渡した。あとはサンダーアローを完成させて威嚇射撃をしてくれれば、こちらの戦意はなくなる。そこで講和に持ち込む。そう話をつけた」
ネルはしばし考えたが、やがて首を振った。
「信用できないね。クレアがそんなことをするはずがない。アーリグリフを倒すのが私たちの仕事だからね」
「だったら確認すればいい。僕はクレアさんに協力すると言った。もしも僕を殺せば困るのはクレアさんだ。彼女にとってアーリグリフとの唯一のパイプが僕なんだからな」
ネルはマフラーに顔を埋めた。
だが、やがて出た結論はやはり同じだった。
「あんたの言葉は信用できないね。それに、サンダーアローさえできてしまえば、講和にするもしないも選択肢を握っているのはこっちだ。不安要素は消すに限る」
「わからずやめ」
「言っただろう? あんたの命は必ず私がもらいうけるってね」
そして、彼女は刀を構えた。
「分かってるね。避けたりしようものなら、彼女を容赦はしない。そこから動くんじゃないよ」
「くっ」
会話が通じなかったこと。そして、相手が一人だけじゃなかったこと。
この段階にいたって、もはやどうにもならないということを悟った。
(死ぬわけにはいかない)
だが、自分が彼女の剣を避けるということは、エリスが殺されることに同意するということだ。
自分か、エリスか。
(選べるわけないだろ……っ!)
どうすればいい。
「どうして君たちはそんなに簡単に人が殺せるんだ」
どうにもならないなら、せめてできるかぎり説得しなければ。
「この戦争を終わらせたいと思っている者同士、どうして戦わなきゃいけないんだよ!」
「決まってる。私たちの仲間を守るためさ」
そして、ネルが大きく振りかぶった。
「黒鷹旋!」
その刀が、うなりをあげてフェイトに迫る。
かわせない。
かわせば、エリスが殺される。
(ちくしょう)
だが、どうにもできない。
(ちくしょう!)
その、時だった。
フェイトは何かに身体を思い切り突き飛ばされた。
「え……」
肉を貫く音。
そして、白い床に零れる褐色の血液。
そこに、いたのは。
「エリスーっ!」
第二十一話
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