フェイトは自分を突き飛ばしたエリスが、微笑みながら彼の方に倒れこんでくるのを見た。そして、ゆっくりと腕を広げ、彼女を抱きとめる。
「どうして」
「よ、かった、フェイト、さん……」
 刀は、深く彼女の身体に突き刺さっていた。
 助かるはずがない。
 致命傷だ。
「どうして、僕なんかを」
「好き」
 最後に。
「それだけ、伝えたく……」
「エリスっ! エリスーっ!」






STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】


第二十一話:翻る深淵の闇月






「ライトニングブラスト!」
 だが、そんなエリスとの別れをいつまでも惜しませてはくれなかった。この優秀な隠密はフェイトを倒せなかったと悟ると、すぐ次の手を打ってきた。
 その魔法の直撃を受けるフェイト。だが、彼の体は身じろぎもしなかった。
「なに?」
 さすがにその様子に声をあげるネル。そして、エリスを横たえたフェイトがゆっくりと立ち上がった。
「どうして、こんなことをするんだ」
 静かだが、決して相手を許さないという決意に満ちた声。そして瞳。
 最初から相容れることのできない相手だった。それが決定的なものになった。
 もしかしたら、別の道もあったのかもしれない。だが、お互いが信じる道が異なりすぎた。
「お前たちはそんなに人を殺すのが楽しいのかっ!」
 フェイトが突進する。武器はない。だが、そんなものはどうでもいい。
 相手を叩きのめす。倒す。それしかフェイトは考えていなかった。
「武器もなしに──」
 ネルは身構えてダガーを手にする。刀はまだエリスに刺さったまま。そうしたときのために隠密は体中にいくつもの武器を仕込ませてある。
「ナメんじゃないよ!」
 鋭く、ダガーを斬りつける。だが、この場合相手を見くびっていたのはネルの方だった。
 フェイトは、シーハーツ最強の兵士、ラオを相手に互角の勝負を演じた人物なのだ。
「消えた?」
 突進してきたはずのフェイトが、瞬時に消える──彼はすでに、ネルの横だった。
「リフレクトストライフ!」
 ネルのわき腹に、フェイトの足が入る。
 血が逆流する。内出血どころではない。どこか肋骨も折れたかもしれない。
(こいつ、何もなくても一流の戦士か)
 ネルがうずくまって、上目遣いにフェイトを睨む。
「やってくれるじゃないか」
 それでも立ち上がろうとするネルだったが、ここで形勢が逆転した。
「おおっと、そこまでだよ、クリムゾンブレイド。この僕がこの場に登場したからにはもうフェイトくんはノープロブレム、さっ!」
 ネルの背後。そこに別の人間の気配。
「……親衛隊のゼルトか。戻っていたとはね」
 ゼルト・ウォート。そしてジェイル・プロスト。
 この二人は別の任務でしばらくアーリグリフ南部の辺境にいたと聞いていた。それが戻ってきているということは、アルベルもいよいよ本気になったということか。
「無論、ゼルトだけではない」
 続けて別の場所から聞こえた声。闇に溶けるようにして現れたもう一人の人物は、先ほどエリスを人質にしていた男に後ろから剣を突きつけていた。
「す、すみません、ネル様」
 男が恐れをその顔に出している。
「……ジェイル、か。まさか二人ともいるとはね。これは分が悪いね」
「悪い、程度ですむと思ってんのかよ、オマエ」
「この城でもう一回フェイトさんを襲うなんて、度胸がいいですね」
 さらに二人。フローラとリジュン。親衛隊の中隊長ズの揃い踏みだった。
「待ってくれ」
 だが、フェイトは彼らを制して言う。
「こいつだけは、僕が倒す」
 フェイトの瞳には怒りの炎が宿っている。
 フローラが横たわっていたエリスの傍に膝をついた。そっとその生死を確認する。が、すぐに表情がゆがんだ。
「フェイトさん。悪いけど、オレだって怒ってるぜ」
 フローラの表情が徐々に険しくなる。
「この城の奴はいけすかないのばかりだったけど、エリスはいい奴だった。そのエリスをやったんだ。絶対に許さねえ」
「駄目です」
 だがフェイトは譲らなかった。そしてネルを睨む。
「あいつは、僕の目の前でエリスを殺した。絶対に許さない」
「君の気持ちは分かる」
 ジェイルが言いながら、後ろから剣でシーハーツ兵をつつく。
「だが、無駄な戦いをする必要はないだろう。シーハーツのクリムゾンブレイド。部下の命が惜しければ武装解除しろ。われわれは誇り高きアルベル様直属の親衛隊。お前たちと違って、必ず部下の命を助けよう」
 大いに皮肉の入った言葉にネルが顔をしかめる。
 そして、ネルは部下を見た。
 部下は恐怖の表情だった。だが、彼の瞳にはすでに決意があった。
 小さく、その頭がうなずく。
 すまないね、とネルの唇が小さく動いた。
 瞬間、
「逃げるな! 逃げるとこいつを殺すぞ!」
 ジェイルが制止したが、ネルはかまわずこの間と同じようにそこから飛び降りていった。
「ジェイル! そいつを止めろ!」
 咄嗟に声を出したのはゼルトだった。一瞬、ジェイルは何を言われているのかが分からなかったが、次の瞬間そのシーハーツ兵はゆっくりと前のめりに倒れた。
「毒か!」
 リジュンが駆け寄って手をその口の中に入れようとする。が──
「……即効性のもののようです。手遅れです」
 リジュンが苦しそうにそう呟く。
 沈黙が降りた。
 そして、フェイトがゆっくりと、赤毛の隠密が消えた場所を睨みつける。
「許さない」
 フェイトの目からは涙が流れていた。
 一般人を巻き込んでも構わないという姿勢。
 状況が不利と悟るや、部下を見殺しにしてでも撤退する態度。
(それがシーハーツのクリムゾンブレイドなのか?)
 あのクレアとネルが、同じクリムゾンブレイドだということが信じられない。
 だが、これではっきりしたことが一つある。
 シーハーツで倒さなければならない相手が、また一人増えた、ということだ。
「僕はお前を、絶対に許さない」
 暗闇に向かって震えながらこぼすフェイトに、ゼルトが少し息をついて近づく。
「フェイトくん」
 ぽん、とその肩を抱くように叩く。
「辛い時は泣きたまえ。僕も辛い。知っている相手を失うことほど辛いことはない。だから、僕たちは彼女のために泣いてあげよう。かわいそうなエリスのために」
 見ると、確かにゼルトも泣いていた。フローラたちも知っているような様子だった。そういえばサイファも以前、エリスのことを知っていた。エリスは彼らにとってもよく知る相手だったのだろうか。
「ゼルトさん。僕は、エリスに告白されたんです」
「うん」
「でも応えられなかった。僕はこの国の人間じゃない」
「うん」
「だからって、エリスがこんな、こんなことになるなんて」
「分かっているよ。君のせいじゃない」
「エリス……っ!」
 フェイトはゼルトの胸にすがりついて、むせび泣く。
 残った三人の中隊長たちが、その情景を辛そうに見つめていた。






 呼吸が荒い。
 やはり、彼に蹴られたところがひどく内出血を起こしている。どうやら肋骨は皹で済んだようだ。おそらく明日になったら相当痛んでくるだろう。動けるうちにできるだけ遠くまで、できればアリアスまで逃げておきたい。
 逃亡する彼女もまた、泣いていた。
 残してきた部下。決して見殺しにするつもりなどなかった。どうすればあの場を二人で脱出できるか、そればかり考えていた。
 最悪、部下の命が助かるのなら、とも考えた。
 だが。
 彼の、恐怖に顔を歪ませながらも、決意に満ちた目を見たとき。
 そして、既に毒を飲み込む準備ができているのを見たとき。
 自分は、撤退するしかないと悟った。
 大切な部下だった。
 自分のことを姉のように慕ってきていた。
 それなのに。
 自分は、彼を、見殺しにした。
 見殺しにした。
(くそっ!)
 これは完全に自分のミスだ。
 もしも連れてきたのが彼ではなくてアストールだったなら、エリスを手放すなどというミスはしなかっただろう。確実にエリスに危害を加えることはなかったはずだ。
 そして、エリスを間違えて殺してしまったとき、自分もまた一瞬怯んだ。誤って一般人を殺してしまったことが自分でもショックだった。
 だから、攻撃動作が遅れた。
 彼がエリスに駆け寄っている間に二撃目を放てば終わるところだった。
 タイミングを外して、しかも致命傷を与えることができない施術まで使って。
 自分が混乱している証拠だった。
 その混乱が、自分を傷つけ、そして大切な部下まで失わせることになった。
「……許さない」
 ネルは呟く。
「私は、私を絶対に許さない」
 このミスは、何倍にもして返す。
 フェイト・ラインゴッド。
 彼を必ずこの手で殺める。それをもって、彼の墓前に立つことができる。
「必ず殺す。フェイト・ラインゴッド」
 暗き闇の中。彼女は空に浮かぶ銀の月に誓った。






「さあ、ぱあっと飲みたまえ! フェイトくん!」

 ──そういう気分には到底なれなかったが、何故かフェイトは勧められるままに酒を飲んでいた。
 そう。本当にそんな気分ではない。それなのにゼルトが「故人を偲ぶのは酒の席と相場は決まっているものだよ」と、埋葬の手続きをするために彼女を教会の方に引き渡した後、ゼルトは強引にフェイトをウォート家へと連れてきて、そこで酒盛りとなったのだ。
 もちろんフローラにジェイル、そしてリジュンも参加している。アランも含めて、この五人はもともと仲が良かったようだ。
「仲がいい五人とも親衛隊の中隊長なんて、すごいですね」
 と、遠慮気味にフェイトが言うと「まあね。それというのもこの親衛戦隊アルベルレンジャーのリーダーであるアルベルレッドのゼルトのおかげだよ!」と何がどこまで本気なのか分からない台詞で答えられる。
「もちろんピンクはフローラだよ! そしてリーダーであるレッドと恋に落ちるのさ! それはもう鉄則! だからね!」
「結ばれないから! だいたいオレはピンクじゃないし! そもそも昔っからなんだよそのアルベルレンジャーって!」
 相変わらず仲のいい兄妹を見て、リジュンが微笑み、ジェイルがため息をつく。
「……こころみに聞きますけど、みなさんの色って決まってるんですか」
 ジェイルが非常に機嫌の悪そうな顔をしたが、リジュンが苦笑しながら答える。
「僕がグリーン。ジェイルさんがブラック。アランはイエローでした」
 過去形。エリスだけではない。アランも既に故人となっている。
「……嫌ですね、戦争って」
 ぎゃーぎゃーいがみあっているフローラとゼルトだけを残して、リジュンとジェイルとフェイトとでしんみりとした雰囲気が出来上がる。
「だが」
 ジェイルが静かな口調で答えた。
「この十年間の数字を見ると、およそ一回戦争を起こすよりも多くの人数が餓えで亡くなっている」
「え?」
「もちろん、それが戦争を肯定する理由にはならない。食料がなければ輸入をすればいい。足りなければ量を増やせばいい。限界はあってもそうするべきだ。だが、国王陛下はそれよりも簡単に、この問題を解決する方法を選ばれたということだ」
 その言葉で、ジェイルもまた決して戦争を全肯定しているというわけではないことが分かる。
「ジェイルさんは戦争を止めたいんですか」
「可能ならば。だが、我々はアルベル様の手足だ。それ以上のことを考えるつもりはない」
 アルベルの命令通りに動き、戦えと言われれば戦い、死ねと言われれば死ぬ。それだけの覚悟が、この親衛隊のメンバーにはある。このゼルトといえどもだ。
「そうだ、いいことを思いついた! フェイトくん、君もアルベルレンジャーに入りたまえ!」
「ええっ!?」
「だから勝手に作るな! フェイトさんを巻き込むな!」
「君は綺麗な青い髪をしているからね、アルベルオレンジを名乗ってもらうよ!」
「髪の色無関係だし!」
「おおっと酒が足りなくなってきたみたいだね。ほらフローラとってきたまえ!」
「脈絡全然ないし! つーかまた使うのかよ! お前が行けよ!」
「おや、フローラは僕と一緒に行きたいのかい。まったく、寂しがりやだなあ、フローラは」
「寂しくない! こら、引っ張るな! オレをさらうなーっ!」
 その兄妹のパワーに巻き込まれた形となったフェイトだったが、ジェイルがため息をついてなぐさめてきた。
「話半分に聞いてやってくれ」
「はあ」
「だが、これでもゼルトの心配りなのだ。悲しい時に沈んでいては、前へは進めない。あいつは心の痛みを知っている男だ。少しでも君をなぐさめようと、いつもより少し強引にはしゃいでいる」
 とてもそうは思えなかったが、ジェイルが少し微笑みながら言うと、そうなのかも、と素直に思えた。
「いえ……きっと一人でいたらすごい思いつめていたと思うので、これはこれで感謝してます」
 言われてみると、確かにエリスを失ったというショックは残っているが、先ほどよりも少しは落ち着いてきた気もする。
 これが計算されたものだというのなら、ゼルトという男はなかなかすごい男なのだろう。
「ゼルトさんがアルベルの部下だっていうのが、今いち理解できないですね」
 リジュンが苦笑した。確かに、ということなのだろう。おそらくゼルトはアルベルの前でもこういう話し方をしているに違いない。
「さて、いくらゼルトの厚意を受けるとはいえ、そろそろ休んだ方がいい。明日は彼女の通夜もある。戦争前だから略式になるだろうが、それでも忙しいことには変わりない。フェイトくんはもう休みたまえ。この屋敷に泊まっていくといい。部屋は──」
「あ、僕が案内しますよ」
 リジュンが立ち上がる。それじゃあお言葉に甘えて、とフェイトも立ち上がった。
「おやすみなさい。ゼルトさんとフローラによろしくお伝えください」
「ああ」
 そうして、フェイトはリジュンと一緒に客室へと向かった。
 慌しい一日だった。それに、大切なものを失った。
 胸のイリスの巫女花に手をあてる。
(エリス)
 そして、今日亡くなった彼女のことを、心の中で偲んだ。
(必ず、仇は討つよ)

 ──彼の顔はもう、戦場に向かう一人の兵士の表情だった。





第二十二話

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