「お前に帰還命令は出していなかったはずだぞ」
 謁見の間に突如現れた上半身裸の男を見て、シーハーツの執政官は露骨に嫌な顔を見せた。
「アドレー。久しぶりですね」
 だがシーハーツの寛大な女王様は命令違反など全くかまわずに声をかける。
「なに、国の一大事ともなれば戻ってくるのもやむなしじゃ」
「それで、向こうの様子はどうなのだ、アドレー」
 執政官が威厳を保つようにして尋ねる。
「あの悪魔たちのことならしばらくは大丈夫じゃろう。シーハーツに近いところの悪魔は軒並み退治しておる。だが、近いところの奴らは可愛げがあっていいが、奥の方になればなるほどひどい。さすがはロメロが残していったといわれるだけのことはある」
「悪魔とは、そこに住む怪物たちの名か」
 ラッセルが確認するように言う。
「うむ。奴ら、完全に消滅させねばすぐに復活する。最初の一匹を倒すときはそれでひどく手間取ったわい」
「現状で問題はないのだな」
「うむ。それについては心配せずともよい。それより今は、アーリグリフの方じゃな」
「うむ」
 仲が悪そうに見えるこの二人だが、他に誰もいないところで無駄にいがみ合う必要もない。
 事務的なことをてきぱきと確認していく二人を見て、女王は少し微笑みをこぼした。






STAR OCEAN 3 IF
【シーハーツ戦役】


第二十三話:戦う宿業の豪星






「戦況は分かっているのか?」
「うむ、先にクレアに会ってきた。あいつも随分と成長しておるようじゃが、まだワシやネーベルのようになるには早いの」
 場所を変え、二人は会議室へとやってきた。女王は別にするべきことが毎日山ほどある。
 であれば、このアドレーに説明することができるのは自然とラッセルしかいなくなる。それは当然の理であった。
「正確な戦力を示したものがここにある」
 ラッセルが紙を手渡し、アドレーが素早くそれを読み取る。
「【光】【土】【炎】の全軍、一万五千……シランドとペターニを守る兵が少なくなるぞ」
「承知の上だ。サンマイトとグリーテンは【水】と【風】が抑えている。残り全軍を集めねばアーリグリフ三軍にかなうまい」
「確かに【疾風】【風雷】【漆黒】が仮に全軍出てきたとして、二千、一万五千、六千。およそ二万三千というのが【闇】が手に入れてきた情報じゃが」
 アーリグリフ三軍はその軍の性質上、同じだけの兵数がそろっているわけではない。【疾風】がエアードラゴン部隊百騎を中心とするのに対し、【漆黒】は第一大隊【飛燕】を除く五千すべてが重装歩兵。【風雷】はほとんどがルムによる騎兵隊だ。
「敵は強大じゃ。勝負の鍵はこちらのサンダーアローにある。それを後はどれだけ効果的に使えるかじゃな」
「その辺りはエレナから報告を受けている。威嚇として利用するだけで十分効果を発揮する。あたら無駄にアーリグリフを痛めつける必要はない」
「全く同感じゃ。叩きすぎれば過度の反抗心を植えつけることになる。そうなればいつまでも戦争は繰り返すばかりじゃ」
「だが、今のままなら何をしたところで戦争は終わらん。その元凶を取り除かなければな」
「ヴォックスじゃな」
「そうだ」
 やはりラッセルは話がよく分かる。お互い確認するだけで事足りる。基本的に自分もラッセルも、そして死んだネーベルも、三人とも国に対する気持ちは全く同じだし、方向性も基本的に変わらない。
「既にウォルターとは話をつけた。ヴォックスをこちらで倒せば講和条約を結ぶことができる。そういう段取りが出来上がっておる」
「ふむ。だが、そのヴォックスを倒すことができるかどうかが難しいぞ。あいつの武力は、全盛期のお主やネーベルとほぼ互角」
「まあ、その辺りはなんとかする。いくつか策もあるのでな。とにかくヴォックスさえ倒してしまえば決まりじゃ」
 お互いの方向性を確認しあうと、ラッセルがため息をつきながら言った。
「お主がクリムゾンブレイドを返上せねば良かったのだがな」
 だが、その言葉にアドレーは苦笑しながら答える。
「何をお主らしくないことを言っておる。【闇】のクリムゾンブレイドにはネーベルの娘が内定しておった。ワシとネルとではつりあわぬから引退を勧告したのはお主だろうに」
「その判断は間違っていない。そしてお主を北方諸島へやったのもな。だが、クレアとネルは甘すぎる。クリムゾンブレイドとしては経験が少なく、人間としては成熟していない。技量はお主を除けば文句なしに最高の力を持ってはいるが」
「ただ、若さゆえに判断の間違いが生じる」
「そうだ。その点、お主が帰ってきてくれたのは良かった。今はお互いいがみあっている場合などではない」
「全くじゃ。今はこのシーハーツを一番いい場所へ持っていくために協力するときじゃ。そこで、提案がある」
 アドレーは大きく腕を組んで言う。
「何だ」
「今は優秀な兵が一人でも多く欲しい時。現代の『ライゼール』に出てきてもらおうかと思っておる」
「あやつか……だが、やつが素直に協力するとも思えぬが」
「それはまあ、説得次第じゃろ。国難に何もしないでいられるような男でもないのだしな」
『ライゼール』とは、かつてグリーテンの機工兵団が攻め込んできたとき、はるか遠くにいる敵の人形使いを射殺した弓の名手である。
 武器の主流がどうしても剣や槍であり、または施術などを使った攻撃などもあるため、弓の使い手は基本的に少ない。
「確かに【疾風】に対して弓による攻撃が有効なのは認めるが」
「何、駄目なら駄目でかまわん。ただ、駒が多くなる可能性があるならそれは試してみるべきじゃろう」
 そう言って、アドレーは「あとは任せた」と言って立ち上がる。
「行くのか」
「ああ。何しろ、やらねばならぬことが多いからな」
「一つだけ忠告だ、アドレー」
 真剣な表情でラッセルが言う。
「なんじゃ」
「北方諸島へ戻るつもりはないか」
「このままか。何故そんなことをせねばならん」
「でなければ、お主が死ぬかもしれんからだ」
 そう言ったラッセルに対して鼻で笑う。
「つまらんことを」
「この戦争で死ぬものは多く出るだろう。だが、お主ほど死相がはっきりとしておる奴は他におらん」
 ふん、とアドレーは軽く笑った。
「かまわんよ」
「何?」
「ネーベルの奴も先に逝った。ワシだけが生きておる必要もあるまい」
「未婚の娘を持つ親の台詞ではないな」
「無駄に生きるのならば、戦いの中で死ぬ方がいい。その意味ではネーベルの奴が羨ましい」
「本気か? お前が死ねば娘が悲しもう」
「ふん、娘ならお主とておるではないか」
 逆に話を振られて、一瞬ラッセルは怯む。
「アレは私を父親とは思っておらん。私もアレを娘だと思うつもりはない」
「だからといって、自分にできないことを戦友に託すのはどうなのだ? ワシはお主ではないし、お主はワシではない。それぞれの生き方をするのに何をはばかることがある」
 するとラッセルはその気難しい顔をさらに険しくした。
「む。道理だな。お主のような破天荒な男に道理を諭されるとは思わなかったぞ」
「ならば気にする必要はあるまい。お互い、自分の職務に精励しようぞ」
 アドレーは笑って言った。そして、後にラッセルだけが残される。
「ネーベルもお主も生き急ぎすぎだ。死んだ先には何もないだろうに」
 やれやれ、とラッセルはため息をついた。






 アドレーはその足でネーベル家へと向かう。
 ここはネル・ゼルファーが住む場所でもあるが、同時にネーベルの妻であるリーゼル・ゼルファーが住む場所でもある。
 そして、今はリーゼルと一緒に『現代のライゼール』が住む場所でもある。ネーベルの死後、彼はここで住むようになった。
 アドレーがアポイントもなしにゼルファー家へ入っていく。そんな無礼がまかり通るのもこの男だけだ。それはアドレー個人の人柄によるところもあるが、ネーベルとアドレーが旧友同士だということが一番大きい。
「久しいですね、アドレー殿」
 来客室で出迎えたのはネーベルの妻、リーゼルだった。
「おお、リーゼル殿。相変わらず美しさを保っておるようだな」
「ふふ、嬉しいことをおっしゃる。私のような世捨て人に会いに来てくださるのはアドレー殿だけかと思っておりましたが、今日のご用向きはそうではなさそうですね?」
「ああ、大変すまんがな。あいつに用がある」
「そう思って、既に呼び出しております。間もなく──ちょうど、来たようですね」
 扉が開き、一人の青年が現れる。
 自分がブルーに目をかけていたならば、ネーベルが目をかけていたのがこの青年だ。
「久しいな、ルーファ。随分成長したみたいではないか」
 黒い髪、黒い瞳。その中に強い意思と決意を感じる。痩身で、必要な筋肉はしっかりとついているが、余分なものは一切感じられない。まだ若い相貌は精悍さを感じる。アドレーの記憶が確かならちょうど三十になるはずだった。
「アドレーか。リーゼル様がお呼びになるから、何かと思ったが」
 明らかなほど不満そうな顔を見せるルーファに「そんな顔をするでない」とアドレーが笑う。
「用件が分かっているから不機嫌にもなる。俺はもう弓は持たない。そんなこと、何度も言わなくてもいい加減分かるだろう」
「確かにな。だが、今はお前の力が必要だ、ルーファ」
「無駄だ。帰れ、アドレー」
「ルーファ」
 だが、そうした強い拒否反応に対して、リーゼルが優しくたしなめる。
「アドレー殿は我が夫、ネーベルの数少ない友。ルーファにとっては恩人の友もまた恩人にはならないのですか」
 ルーファは口では答えなかった。そのかわり、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。
「話を聞くだけだ。協力はしない」
「ありがたい。ならば話だけでも聞いてくれ。お主が戦いを嫌う理由は存じている。お主は自分の部下をその手で殺した。そうだったな、先代【炎】の団長」
 だがルーファはそのような言葉には全く耳を貸さない。反応もない。
「多くの命を助けるために、自分が大切に育てた部下の命を奪わねばならなかった。軍を率いていればそういう場面に出会うこともある」
「ならば分かるはずだ、アドレー。俺はもう戦いで人を傷つけたりしない。二度と、誰もだ。俺がそうする、しないの問題ではない。結局戦場は命を散らす場だ。そのようなところにいたくない」
「お主が戦いを嫌っても戦いは起こる。それよりも戦いをなくすために動くべきではないか?」
「理屈の問題ではない。俺の感情の問題だ。俺に構うな。もう俺は誰の命令も聞かない。誰に指図もされない」
 強情な奴め、とアドレーは苦笑した。



 あれはネーベルが亡くなる直前のことだった。
 前線を務めていた【炎】の一小隊がまとめて捕虜となった。そして敵軍を率いていた【疾風】の副将デメトリオが人質をアリアスの手前で虐殺してみせるという暴挙に出たことがあった。
 小隊の命が惜しければただちに砦から出てきて戦え、と。
 その時アリアスには【炎】の軍が半分しかいなかった。【疾風】【風雷】の二軍が攻め込んできたのだから、打って出て戦うことはできなかった。
 思えばあの事件が、アーリグリフとシーハーツの関係を完全に冷え切らせた結果となったものだった。
 あの小隊にいたメンバーは六人。
 目の前で、六人が痛めつけられた。無論、殴る、蹴るといった生易しいものではない。血生臭い、血に餓えた野獣が行うような卑劣なやり方だった。
 目の前で部下がいたぶられるのに耐えられなくなったルーファが、自分の武器である弓を手に取った。そして彼は、泣きながら六射した。
 寸分違わず、それは彼らの心臓を確実に射抜いていた。そのため、アリアスの崩壊は免れることができた。
 だが同時に、戦いというものを敬遠するようになったルーファが、その戦いでネーベルが亡くなったことを機に、団長を返上することになったのだ。



「ならば、お前に一つ頼みがある」
「頼み?」
「そうだ。この戦争に参加する。それについてはともかく」
「ともかくじゃない。何度言えば分かる。俺は戦争に参加するつもりは──」
「そこで、デメトリオを殺してほしい」
 ルーファの声が止まった。
 自分の部下たちの命を奪うきっかけとなったデメトリオ。確かにとどめをさしたのは自分だが、そのきっかけになったのは紛れもないあの男だ。
「……俺に、デメトリオを殺せ、と。この俺に」
「そうじゃ。お主にしてもデメトリオはただの仇でもなかろう。ワシらはお主の行動を制限などせん。お主は与えられた条件の中でデメトリオを倒せばよい」
 その言葉はルーファにとって堪えた。
 何かきっかけがあれば、確かに借りを返したいと思っていたことは確かだった。
 そのために毎日鍛錬を絶やすこともなかった。
 それが今、絶好の機会となって目の前に現れている。
「なるほど。それは魅力的な誘いだ」
「じゃろう?」
「だが、戦いに出ないという誓いを裏切ることになる。それは俺の部下との誓いだ」
「その誓いにもはや価値はない。お主の部下にも、お主自身にもな」
 その通りだ。きっと部下はシーハーツの安寧を、そして自分はデメトリオへの復讐を求めている。
「やはりいやな男だな、お前は……」
 ルーファは笑いながら立ち上がった。
「少し時間がかかる。だが、戦争が始まるまでにはアリアスへ行こう」
「助かる。お主が来てくれれば千人の兵に勝る」
「勘違いするなよ。俺はあくまで、デメトリオに復讐するために行くだけだ。お前たちに協力するわけじゃない」
「うむ。それで十分じゃ」
 アドレーも立ち上がると笑って手を伸ばす。その手を大きく叩いた。
「お前と馴れ合うつもりはない。ネーベル将軍を見殺しにした冷血漢め」
「ルーファ!」
 リーゼルがたしなめる。だが、その評価をルーファは覆そうとはしない。
「まあ、それは嘘ではないからのう」
 ぽりぽりとアドレーは首筋をかく。ふん、とルーファは鼻を鳴らしてその場を出ていった。





第二十四話

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