ペターニの反乱。それは、以前ネルが確かに防いだと思われていた事件だった。
 アーリグリフとの戦争後、戦争を介して設けていた『死の商人』たちの一斉摘発から始まり、反乱分子の暗殺、麻薬密売の阻止といった、一連のペターニでの事件は、その首謀者を暗殺したことによって全て決着がついたはずだった。
「状況を教えな」
 ネルは腕を組み、厳しい視線で尋ねる。
「はい。本日夜半、ペターニ全方位の城門が閉められました。その後声明が出されています」
「内容は?」
「はい。ネル様とフェイトさんの結婚式を中止し、ネル様を引き渡せとのことです。さもなくばペターニ市民を一時間ごとに一人ずつ殺していく、とのことでした。実際、ペターニ市内がどういう状況になっているのかは分かっていません。こちらから潜入することも、ペターニを守っていた連鎖師団『土』からの連絡も一切入ってきていません」
「そっちは全員捕らえられたか殺されたと思ってみるべきだね。犯人は?」
「この間ネル様が暗殺した男の子供がリーダーのようです」
「あいつか……でもあいつは親の罪を知って納得したと思ってたんだけれどね」
「表面上のことだったと考えられます」
「そういうことだね。証拠不十分で放免したのがまずかったか」
 ちっ、と舌打ちする。
「ことは急ぐね。すぐに城に戻る。行くよ、フェイト、タイネーブ!」
 と、こうして。
 平和だったはずの結婚式三日前の夜は、突如緊迫した空気に包まれていた。





 会議室に集まったメンバーは、さすがに結婚式を目前に控えているだけのことはあってそうそうたる顔ぶれであった。
 国王シーハート27世に始まり、執政官ラッセル、大神官、エレナ、クレア、その部下で光牙師団の1級構成員ヴァン・ノックス、そしてネル、ファリン、タイネーブにフェイトといったメンバーだ。
「さて、この時期にこの状況。どうするべきかということだが」
 ラッセルが重々しい声で言った。
「式を中止にすべきではないと考えます。既にサンマイトからもアーリグリフからも賓客が見えられています。もちろん、犯人たちはその時期を狙って行動を起こしたのでしょうが」
 結婚式を企画していたクレアがそう言う。だが、反対したのは意外にもネルだった。
「まちなよ、クレア。向こうは人質を取ったと言っているんだ。それも一時間に一人ずつ殺していくと宣言している。もしもそれが事実なら、既に何人かがもう殺されているんだ。躊躇している場合じゃない。何らかの行動を起こさないといけないよ」
「だからといって、あなたの結婚式なのよ」
「吉事は延期できるけど、人が一人死んだら二度とその魂は還ってこない。私はこの状況で自分だけが式を挙げるなんていうことはできないよ──フェイトはどう思う?」
 突然話を振られた。今までこうした会議に参加することはあっても、あくまでも部外者という形で自分は発言しないできた。ネルたちもあえて指名したことはない。だが、これはフェイトにも関係してくることだ。だからこそ尋ねてきたのだろう。
「ネルと同意見だな。僕だって自分のせいで誰かが亡くなっているときに、自分だけが幸せになることなんかできないよ。クレアさんだって、その立場にたったときは同じように思うんじゃないかな」
 さすがにそれはクレアも答えられなかった。確かにフェイトの言うとおりだった。
「ではどうするというのかね」
 ラッセルが尋ねる。フェイトはしばらく考えて、あることに気づいた。
「ペターニの状況をまずは確認しましょう。すっかり忘れていました。ここにはテレグラフがあるんですよ」
 彼は懐から通信機を取り出す。そしてペターニにいるはずのウェルチに連絡を取った。
「こちらフェイト、応答願います」
 通信機に話しかけると、そのモニターにいつもの元気少女の映像が映る。
『こんばんは! 新製品開発の……って、そんな場合じゃないんですよっ!』
 そんなノリツッコミをしている余裕くらいはあるんだな、と彼は正直感心した。
「状況は把握しているつもりです。ウェルチ、ペターニの状況を知りたいんだ。そっちの犯人グループは東西南北の門を全て封じ込めて、市民を全員人質にしているって聞いたんだけど、実際はどうなんだい?」
『ええ、それに近いものはあります。今はペターニを守ってくれてる連鎖師団の方たちが市民を守ってくれてるんです。私たちギルドもお手伝いしてるんですけどね』
 なるほど、と正直感心するフェイト。
『ただ、問題があるんです』
「なんだい?」
『犯人グループはだいたい五十人くらいの人質を取って中央広場に拠点をかまえています。そのとき、ファクトリーから逃げ遅れた人がいるんです』
「逃げ遅れたって?」
『はい。マユさんが』
「マユが人質!?」
 さすがにそれを聞いたネルとクレアが目を見合わせる。
『すみません、こんなことにならないようにすぐ退避活動をさせたんですけど』
「いや、ウェルチの責任というわけじゃないよ。それにまだ無事なら助ければいいんだ。どうなんだい、もう犯人グループは人質を本当に殺している?」
『……もう、三人が犠牲になってます』
 さすがに言葉が詰まった。そして同時に怒りがこみあげてきた。
(自分の国じゃないのか?)
 その貴族の息子とやらに対して、強大な殺意を覚えた。
「分かった。それじゃあ、中央広場が根拠地なんだね?」
『そうみたいです』
「ありがとう。何か分かったらまた連絡してくれないか?」
『わかりましたっ』
 そうして通信が切れた。クリエイターのほとんどが捕まっていなくてほっとしたが、マユは問題だ。それこそこのまま時間が経てば、捕まっているマユの身柄はどんどん危うくなるということだ。
「急いでどうにかしないと!」
「ああ。私が行くのが一番だろうね」
 ネルが断言する。迷いのない言葉だった。
「だから、あなたは結婚する身なのよ」
「関係ないさ。夜のうちにペターニまで行って、明日一日で全部片付けてくるよ。それなら式にも十分に間に合うだろう?」
「必ず戻ってこられるっていう保障がどこにあるのよ!」
「保障なんか、この仕事にはないよ、クレア。あんただってよく分かってるじゃないか」
 そう。クリムゾンブレイドの仕事は国王の名代ができるかわりに、責任も重い。命の保障すらできない時に、戦場に出向くのに死ぬなと言ってもそれは気休めにしかならない。
「フェイト」
「なんだい?」
「一緒に来てくれるかい?」
 フェイトは笑った。
「もちろんだよ。ここに残れなんて言われても、絶対についていくよ」
「よし。それならすぐに行くよ」
「了解」
「ネル」
 クレアが呼び止める。だが、ネルは既に覚悟を決めてしまっている。
 それがクレアにも分かってしまったらしく、視線をそらしてうつむく。
「すぐに戻ってくるよ。なに、そんなにたいした仕事じゃない。だからあんたは式の準備を進めていてくれ。明日は私がいなくても問題ないだろう?」
「ええ……必ず、無事で」
「ああ」
「フェイトさん。ネルを、よろしくお願いします」
 クレアはフェイトに向かって深く礼をする。フェイトも「もちろんです」と答えた。
 そして、二人はペターニへ向けて出発した。
 その直後だった。
「やほー」
 シランドの入り口、ムーンリットに一人の女性が立っている。それは二人もよく見知った女性だった。
「ルージュ? あんた、もう着いたのかい」
 抗魔師団『炎』を統括する、アリアス防衛部隊長のルージュ・ルイーズであった。
「ま、ね。キミの結婚式なんだもの、これくらい早くに来るのは当然でしょう? というのはともかく、ペターニのことは聞いてるわ。やっぱりキミたち二人で行くつもりなのね」
 情報が早い。いったいどこからその情報を仕入れたのか。
「そうか。今、ペターニから来たんだね」
「ご明察。ちょうどペターニで休んでいたら反乱が起こったから、状況を全部把握してから来たの。とっておきの情報、知りたくない?」
「意地悪しないで、教えておくれよ」
「じゃ、そこにいるフェイトくんが私にキスしてくれたら教えてあげてもいいわよ」
「え?」
 フェイトは戸惑う。以前、確かにルージュから告白されたことはあったが、まさかこういう形で表面化してくるとは。
「冗談冗談。ネルの逆鱗に触れたくはないものね」
 ルージュは少し残念そうに笑った。
「さて、それじゃあ簡単に話すけど、門は完全に閉められているから通行は不能。でも、抜け道があるからそこを使うといいわ。それから、反乱のリーダーなんだけれど、睡眠場所は決まって『ドーアの扉』を使ってるみたい。使っている部屋は三階の奥から二番目の部屋。この時間ならもう眠ってる時間だと思うわ」
「そこまで分かってるなら自分でどうにかできなかったのかい?」
「無理に決まってるじゃない。私は隠密じゃないもの。言っておくけど、今のドーアの扉はたくさんの私兵で囲まれてるんだから、正面から入るのは無理だからね」
「ああ。どのみち私のヤマだ。迅速に片付けてくるよ。これ以上、誰も殺させたくはないからね」
 がんばってね、と手を振るルージュ。彼女に見送られて、二人はイリスの野へと駆け出していった。





 月が頂点にさしかかる。全力で野を駆けぬけた二人は、呼吸を整えてから抜け道を通って静まり返るペターニへと潜入した。
 今狙われているのはネルの命だ。当然ながら慎重に行動しなければならない。だが、このときの二人はそれよりも先に大切な仲間を助けるという使命感で満ちていた。
「中央広場とドーアの扉、どっちが先だと思う?」
「多勢に無勢だよ。先に頭をたたいて混乱させるのが一番さ」
 さすがに見晴らしのよい中央広場で多勢を相手に二人で戦っても勝ち目はない。だとすれば、ドーアの扉にいるというリーダーを先にたたいて相手を降伏させる方が早い。
 そう考えた二人は、まっすぐにドーアの扉を目指した。
 どのような館であっても、ネルの手にかかれば進入する場所を見つけるのはたやすい。特にこうした大きな館ほど、穴は大きくなるものだ。
 館の中もまた静まり返っていた。ルージュからの情報では、三階の奥から二番目の部屋にいるとのことだった。
 見張りに見つからないように進入し、三階から天井裏へと隠れる。
 そして、天井裏を音を立てずに進み、目的の部屋の上まで来た。
「誰もいないみたいだね」
 通風孔から覗き見る。部屋には誰もいなかった。
「まだこっちに来てないんじゃないか。あくまでもルージュさんのは推測にすぎないんだろう?」
「そうだね……さすがに疲れたし、ここで休むのも悪くはないね」
 そう言うと、二人はその場で柱にもたれかかった。
 光もない天井裏に、二人だけの呼吸音と鼓動が響く。
 不思議と、二人は落ち着きを取り戻していた。
 反乱を起こした町の中ではなく、まるで今もまだシランドで話しているかのような、そんな錯覚に陥る。
「……ねえ、フェイト」
 やがて、ネルの方から話しかけてきた。
「なんだい?」
「こんなときになんなんだけどさ、さっきのことなんだ」
「さっき?」
「ほら、言いたいことがあるって言ってたじゃないか」
「ああ」
「あの話の続き、聞かせてくれないか?」
 ネルの手が、フェイトの手の上に置かれる。
 暗闇は人を怖がらせるというが、闇の中に動く彼女もまたそうした気持ちが少しかはあるのだろうか。
「あの話はもういいんだ」
 だが、フェイトはその質問に答えなかった。
「もういいって、何故だい?」
 当然彼女の方こそ納得がいかない。彼から話しかけてきておいて、いったいどういうつもりだというのか。
「結婚式の前で、あまりにも大事なことを言おうとするから、さっきからずっと緊張しっぱなしなんだ。だから、今ここで教えてほしい」
「うーん、本当に、もうどうでもいいんだけどね」
 困ったようにフェイトは空いた手で頬をかいた。
「ねえ、ネル」
「なに?」
「少し、前のことになるんだけれど、ネルが単独でファリンさんとタイネーブさんを助けにいったときのこと、覚えてる?」
「もちろんさ。それが、どうかしたかい?」
「あの時、僕はネルに文句を言うつもりだったんだ」
「文句?」
「そうだよ。命をかけることがこの国の正義なのか、ってね。たった一人で行動するよりも、僕やクリフが一緒に行く方がはるかに成功の確率が高いのに、どうして命を無駄にするようなことをするんだ、ってね。その文句が言いたかったんだ。ずっと」
「あんた……それだけのために、わざわざあの修練場まで来たっていうのかい?」
「おかしいかな」
 彼女は、ふふっ、と笑った。
「命をかける理由としては、まるでおかしいじゃないか」
「そうかな。助けられる命がそこにあるなら、命をかけるのは当たり前のことだと思うよ。実際、ネルだってそうしてきただろう?」
「ま、そうなんだけどさ」
「それに、もうそれはどうでもよくなったんだ」
「どうしてだい?」
「だって、さっきネルは僕に『一緒に来てくれるか』って尋ねたじゃないか」
 ああ、とネルはうなずいた。
「だからもういいんだ。ネルがどうしても命をかけなければいけないときは、必ず僕に相談するんだっていうことが分かったから。だからもう、そのことで文句を言うつもりはないんだよ」
「そうか……じゃ、私も言わないといけないね」
「何を?」
「今だから言えること、さ。それこそ、あの修練場で追い詰められて、捕らえられそうになったときのことだよ」
 ふう、と彼女は一つため息をついた。
「あんたのことを、思い描いたのさ」
「……」
「おかしいだろう? まだ会って間もないあんたのことを、それもあの頃は理解できてなかったのに、それでも私はあのとき、国王陛下でもクレアのことでもなく、真っ先に脳裏に出てきたのはあんたの顔だったんだ」
「そっか……」
 何故だか。
 いや、理由など分かっている。彼は無性に嬉しくなってきて、思わずネルを抱き寄せていた。
「あ、こら。今は任務の最中──」
「一瞬だけ、それを忘れよう」
 暗闇の中、彼は彼女の顔を自分の方へ向ける。そして、その熱い唇に口付ける。
「ネル、受け取ってもらいたいものがあるんだ」
 彼は懐から、一つの指輪を取り出した。
「本当はもう少し明るいところで渡したかったんだけれどね」
 暗闇の中で、彼女の手にその指輪を握らせる。
「それに、結婚が決まって国の方で交換する指輪も用意することになっちゃったから、せっかく作ったのにどうしようかと思ってたんだ」
「フェイト……」
 その指輪を強く握り締めたネルは、フェイトに抱きついていた。
「ネル」
「嬉しいよ。すごく、嬉しい」
「ネル」
 しばらくの間。
 二人は、その体勢のままでお互いの温もりを感じていた。



 ──そして。



「来たね」
 次の言葉を発したときには、既に仕事をする者の口調に戻っていた。





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