その出会いを運命とするなら、運命とはよほど皮肉屋に違いない。
恋愛なんかしないと思っていた私。男の子なんか興味がなかった私。
その私を徐々に変えていく存在。
それが──彼、だった。
『無限の華』
君と出会い……
君と別れ……
この雪が消えるまでに
思い出になるように
夢の中で見つめよう
造花の香りが現実(ここ)に引き止める
僕の指先から抜けて
永久(とわ)に微笑みを捧げよう
「ふぇ〜、また新しい詞、できたのか?」
とある喫茶店に、私たちは集合した。
今日はバンド“TROY”のミーティング。作詞家として私、山口麗奈も参加することになった。
“TROY”のメンバーは現在三人。
まず、私の幼なじみでギターの田原雪人。通称ユキ(Yuki)。いつもちゃらけているものの、ギターの腕はこのあたりのバンドでは一番との折り紙つき。
ベースはこの“TROY”のリーダーでもある庄内泰弘(しょうないやすひろ)。通称ヤス(Yasu)。気立てのいいお兄さんタイプで、現在南高の三年生。来年は受験なのに、バンド活動に精力的に取り組んでいる。
そしてドラムの門倉吉樹(かどくらよしき)。通称ヨシキ(Yoshiki)。無口で優しい好青年。西高の二年生。ヤスさんとずっと二人で中学のときから組んでバンドをしていたという。
最後に私、山口麗奈。一応“TROY”の作詞家として招かれたんだけど……。
「説明してもらいましょーか」
とことん不機嫌だった。不機嫌にもなろうというものだ。
貴重な時間を割いて(ほとんど授業中だけど)歌詞を作ったというのに。
「ボーカルいないんじゃ話にならないじゃない!」
そう。
“TROY”には、なんとバンドの顔ともいえるボーカルが存在しなかったのだ。
「レイさん、いたんですよ。少し前までなんですけどね」
ヤスさんが話しかけてくる。ここの人たちは私のことをレイ(Rei)と呼んでいる。
「少し前って?」
「やめたんです。もうすぐ受験ですからね。ボーカルも、もう一人ギターがいたんですけど、そいつも三年になってやめてしまいました」
いい加減受験もある。東西南北の高校にいる生徒は国公立の大学へ行くことは義務のようなものだ。当然といえば当然である。
「でもよかったんじゃねえか? 前のボーカル、なんかイマイチだったんだよな」
ユキが言うと、ヤスさんも神妙に頷く。
「……あいつは、音楽で食っていくつもりはもともとなかったからな。目指す方向が違う、というやつだ」
一応(といっては失礼だが)“TROY”はメジャーデビューを考えている、らしい。たしかにテクニックはあるし、曲も悪くないものを作っているのは分かる。
ただ、声に力がなかったのは私も感じていた。一度デモテープを聞かせてもらったけど、メジャーで通用するようなレベルではないという感想を抱いたのは確かだ。
「でもボーカルいないとバンドはどうしようもないでしょ?」
ギターやベースなら打ち込みでしのげるけど、声だけはそうはいかない。
「その通りです。いろいろ、探しているんですが」
「心当たりはある」
と、ずっと黙っていたヨシキさんが言った。
「じゃあ、ユキたちと同じくらいうまい人、見つかったんですか?」
「なんだけどな。ちょっと問題ありでさ」
ヨシキさんではなくて、答えたのはユキの方だった。
「問題?」
話を聞くと、その人物がすごい人だということが分かった。
どこかのバンドに所属したということはなく、ときどき飛び入りで現れるボーカル。助っ人としてあちこちのバンドに参加しているらしい。
彼についてはいろいろな噂がある。
まず、同じバンドには原則として二度顔を出すことはない。
そして、一回ごとの助っ人料がとても高いらしい。
「お金とるの?」
「って話だな。まあ、メンバーになれば話は別だろうけど」
ユキが言ってコーヒーを飲む。
「で、交渉の方はどうなってるのよ」
「今日、これからなんですよ」
ヤスさんの言葉に、私は目を見開く。
「これから?」
「ええ。場所はちょっと違うのでこれから移動になります」
横目で、ユキを睨む。ユキは勢いよくそっぽを向いた。
「騙したわね」
「いいや、黙ってただけ」
「首しめるわよ、しまいにゃ」
ユキは肩をすくめた。
「それに、お前にそこまで来てくれなんて言ってないだろ。バイトならかまわないから、行けよ」
「私のバイトなし日を指定したのはアンタだろっ!」
チョップがみぞおちに入り、がふっ、とユキは息を吐き出す。
「お、お前少しは、手加減しろ……」
「じごーじとく」
そのやり取りを、ヤスさんは困ったように見て苦笑を浮かべ、ヨシキさんはいつものように能面で見ていた。
「それで、来てくださいますか。うちの作詞家として紹介したいのですが」
「う〜ん」
正面から尋ねられ、私は考えるフリをして目線をそらす。照れ隠しのためだ。
なんといっても、私が作詞をオーケーしたのはこのヤスさんの影響が強い。というのはこの人、とてもかっこいいのだ。
思わず見惚れてしまうくらいの美形。ヤスさんと話すことができるなら引き受けてもいいかなと思ったのは否めない。
「もちろん、移動費はユキが出すんでしょうね」
「おい」
「もちろんです、他には何か?」
「こらヤスッ!」
「ここはユキのおごりよね」
「当然です」
「おいおいおいおいっ!」
ユキが文句を言うが、私たちは完全に無視して話をすすめた。
大事なことを私に黙っていた、当然の報いだ。
この町は駅の傍はいろいろと店があってにぎわっているけれど、そこから離れるとあとはびっしり住宅街だけが続いている。
市としては結構面積も人口もあるけれど、見所やスポットが少ない。
というわけで、人と待ち合わせるのもそれなりに場所を選ばなければならなくなる。
とはいえ。
「こんなトコで待ち合わせるって、すごい神経の持ち主よね」
正直な感想を言う。
時間は土曜日、午後六時。
誰もいない、郊外の開発地区。
「確かになあ」
ユキもさすがに怪訝な表情であった。ヤスさんがちらりと時計を見る。
「来ないな」
「もしかしてはめられたとか」
「それはない」
ユキの疑問に、ヨシキさんが答える。
「他のバンドやってる奴に聞いた。時間ぎりぎりで現れるそうだ」
ヨシキさんは、そういうところは本当に几帳面だと思う。
そのヨシキさんがドラムを叩いている姿はクールとはほど遠い。音楽の世界に入り込み、髪を振り乱して全身でスティックを打つ。
それが唯一の自己表現であるかのように。
「でも、次のバスって三十分も後だぜ?」
ユキが言うと、ヤスさんは何かに気づいたように遠くを見つめる。
「いや、来たようだ」
視線の先には、まだ何の姿もない。
やがて、道路の向こうから一台のバイクがマフラー音と共に登場した。
(バイク)
どんな人だろうか、とようやくどきどきし始めた。
やがて、ゆっくりと私たちの前にバイクが止まり『彼』が下りて声をかけてきた。
「“TROY”?」
高い、澄んだ声。ヘルメットごしにもそれがよく分かった。
「ああ。俺はリーダーのヤス。こっちはドラムのヨシキ。ギターのユキ。それから」
私の方を振り返り、紹介する。
「俺たちに詞を提供してくれる、レイだ」
「作詞?」
『彼』は私の方へ近づいてきてヘルメットを脱いだ。
(う、わあ)
今日。
今、このときまで。
私は自分のことをドライで冷めた人間だと思っていた。
だが、難だろう。この胸の高鳴りは。
一目ぼれとか、そういうレベルじゃない。
『彼』を見た瞬間、心臓の鼓動が激しくなったのが分かった。
少年といっていい幼い顔立ち。美少年だ。でも問題はそんなところじゃない。彼の漆黒の瞳。本来ありえないその色が鮮やかで目を奪われる。
いや違う。その色が問題なんじゃない。
(この子、何て目をしているんだろう)
なんといえばいいのだろう。それを表現するのに相応しい言葉──そう、拒絶、といえばいいだろうか。
この少年は、どうしてこんな目をするようになったのだろう。
どくん。
(なに……)
この少年の瞳を見ていると、私の中から勝手に言葉が溢れ出してくる。
(詞)
これは、そうだ。
『あのとき』と同じだ。
私の中で勝手に世界が構成され、詞が書きあがる──
(トランス、する……!)
『傷口に染み込む雨』
流された魂の向こう
癒されてゆく闇のほとり
止まらない傷口に染みる
雨はまだヤみそうにない。
何故、戻れないのか
オマエは進むしかないのか。
何故、譲れないのか
ワタシはついていけないのか。
サビついた躯(からだ)、今はもう動けないで
心は今も、道の向こうへ進んでいる
キズついた心、夢はもう消え失せて
誰も見えない、闇の中で、朽ち果てる……。
(な、何よ、今の)
理屈ではない。
この少年を見たときにそう感じた。
「あんた、何者だ?」
突然、少年が言った。
「おいおい、そういう聞き方はねえだろ」
ユキが間に入る。が、少年はまるで無視している。
「詞を見せろ」
彼が言う。私はまるで催眠術にでもかかったかのように、鞄から一枚の紙を取り出した。
「お、おい」
ユキが声をかけたが、ヤスさんが肩に手を置いてそれを止める。
「この詞」
それは、この間、初めてトランスしたときの、
『追憶の愛』
「……なるほど」
彼はその紙を私に返すと「他には?」と尋ねてくる。私はようやくここで気を取りなおすと、自分が作った詞を書きとめてあるノートを出した。
それを、1ページずつ確認していく彼。
「それで、名前を聞いてもよかったかな」
一段落してノートを閉じた彼に、ヤスさんがようやく声をかけた。
「ソウ」
「そう?」
ユキが鸚鵡返しに聞く。
「立つ風、で颯(そう)。名前」
つっけんどんに言う。そして、
「あんたらも、下の名前しか言わなかっただろ」
と付け加えた。たしかにそうだ。
「なるほど、ソウ、ね。それで、話はヨシキの方から聞いてるとは思うけど」
「ボーカルの件か」
「ああ。といって、すぐに決めたいというわけじゃないんだ。一度、一緒にプレイしてみて、もしフィーリングが合うなら、その先もずっとやっていきたいと思っている」
「俺は高いぜ」
「一度きりのアルバイトじゃなく、メンバーとして入ってほしいんだ」
ソウは右手で頭を押さえた。短い髪が、くしゃり、とつぶれる。
「金を払う気はない、と?」
「一緒にプレイしてメジャーに上がれば、おつりが来るほどもうけが出るさ」
「あまり現実的じゃないな」
ソウが言うと、視線を私に移した。
「そうだな、条件次第で引き受けてもいい」
「本当かい?」
ぱっ、とヤスさんの顔が明るくなる。
「どのみち一度プレイしてからだろ。条件はそのときに言う」
「そんなに厳しい条件じゃないといいんだけど」
ヤスさんの声に、ソウはまた私をちらりと見た。
──なんだろう?
「時間と場所は?」
「明日昼一時。北六東三のスタジオ『ミュー』を押さえてある」
「了解」
そうして、ソウは再びバイクにまたがった。ヘルメットをかぶり、エンジンをかける。
「ああ、そうだ」
ハンドルをにぎってから、ソウが言った。
「あんたは明日も来るのか?」
私の方を向いて言った。
「私?」
特別用事があるわけではなかった(明日練習があるということも今初めて知った)。
「うん、多分」
それでも、どうして頷いたのかは分からない。彼の魔法にでもかかったかのようだった。
「オーケー。楽しみにしててくれ」
楽しみ?
何を?
「ちょっ──」
聞き返すより早く、ソウはバイクを発進させていた。
「変な奴」
ぽつり、とユキがもらした。私もこくんと頷く。
「でもまあ、一度は一緒にできるみたいだからな。今日のところはこれでいいさ」
「やーな予感がするぜ、俺は」
ユキが顔をしかめて言う。
「何我だ?」
「あいつの言った『条件』だよ。なんだかとんでもないこと言いそうな気がするぜ」
「同感だな」
ヨシキさんも、同じ印象を持ったらしい。
「深く考えても仕方ないだろ? まずは一緒にプレイしてみてからさ」
ヤスさんはそう言う。
でも。
私も正直、このとき不安な気持ちを抱えていた。
(また、トランスした)
この現象を、私は『トランス』と呼ぶことにしていた。
あの日、瀬波さんと水森さんの信頼関係を見たとき。
私の体の中から、勝手に言葉が浮き上がってきた。でも、あれ以来一度もそうなることはなかったのに。
「どうした、レイ?」
びく、と私は過剰に反応する。
「ううん、別に?」
「そっか? ならいいけど」
ユキはすぐにまたヤスさんに話しかけていく。
(本当に、なんだったんだろう)
あの少年の瞳を見て、私はまた『トランス』」した。
今後もこういうことがあるのだろうか。
怖い。
自分の書いた詞みたいじゃなくて、怖い──
その夜。
私は携帯電話のメモリから一件の電話番号を選んだ。
どうしても、確かめたいことがあったのだ。
『もしもし?』
あまり聞くことのない、でも聞きなれた声が聞こえてくる。
「あ、裕香? 私、レイ」
『えっ』
驚いた声。当然だ。彼女は私にナンバーを教えていない。あの保健室で、私が勝手に盗み見たのだから。
「ごめんね、勝手に携帯の番号、見せてもらっちゃった。あ、でも、誰にも回したりしてないから」
『……うん』
この子は変わらない。
初めて会ったときから、心を閉ざしたまま。
「ちょーっとお願いあって、電話したんだけど、いいかな」
私はさらに、続けた。
「明日、そっち遊びに行っても、いい?」
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