僕たちは、中学三年生になった。
雷斗がこうして僕たちと一緒に暮らすようになってからもうすぐ一年になろうとしている。今までずっと苦しんできたばかりの雷斗だから、こうして幸せに毎日を暮らせるのは雷斗にとって本当にいいことだと思う。
僕にとっても兄さんがいたという事実はとても嬉しい。そして、こうして大好きな雷斗と一緒に暮らせることが嬉しい。
僕の中には雷斗という大切な存在がある。それは僕にとって何よりも大切なことではあるのだけれど。
ただ、僕の中には一つだけ、拭いきれない傷がある。
花壇の前で、出会った彼女。
守ることも、助けることもできなかった彼女。
一年以上経った今でも、僕はまだ彼女を忘れられずにいる。
第一話
“闇の者”狩り
其ノ一“闇の者”
私立鳳雛中学。未来を担う子供たちを大きく成長させたいという創立の信念をもってつくられたこの中高一貫教育を行う学校は、中三になった時点で進学クラスと文理総合クラスに分かれる。進学クラスは難関国公立大学を目指すためにこれから地獄の学習づけの日々が始まるということになる。
クラスは進学、総合あわせて六クラス。進学と総合は三クラスずつ。
そしていつものメンバーは仲良く進学クラスで全員同じクラスで揃った。
「結月ー♪ また同じクラスだね。三年目もよろしくっ!」
「真夏ちゃん、またよろしく」
中学二年の文化祭で【ミス鳳雛】に選ばれた陽ノ水結月(ひのみゆつき)、そしてその一番の友人である紅坂真夏(くれないざかまなつ)。これでこの二人は三年連続の同クラスである。
「宮くんも、一年ぶり」
「おうっ! ま、去年は残念ながら別々のクラスだったけど、これからは進学クラスで一緒だな。よろしく頼むぜ!」
いつも元気印の右神宮(うがみみや)が親指を立てて結月に挨拶をする。
「それにしても、宮が進学クラスとは思わなかったわ。どういう風の吹き回し?」
「失礼だな。こう見えても俺は第一志望東京工芸大学だぜ。中二の学年末だって学年三十五位。充分狙える位置だからな」
一クラス四十名、六クラスで二百四十名という人数を考えれば宮の成績は確かに上位ということができる。だいたい、真夏からして成績は八十三位。宮の方が上なのだ。
「あー、一年の時は私よりはるかにできなかったのになあ」
「明確な目標持ってるからな、俺は。悔しかったら真夏もどこか目指してみろよ」
「いーだ」
この幼馴染ペアはこうしていつもじゃれあっている。本人たちは決して好き合っているとは言わないが、見ていればこれほど仲のいい男女というものもないのではないか、と傍から見ている結月はいつも思う。
もっとも、真夏はいつも『愛しの君』を追いかけているので、宮という相手が眼中にない。一方で宮は間違いなく真夏のことを思っているように見えるのだが。
「それにしても、結月はラッキーよね。ま、私もそうだけど」
宮が別の友人のところへ行ったところで、真夏がまた話しかけてくる。
「ラッキー?」
「だってそうでしょ。愛しの雷斗くんとまた一緒のクラスで」
「真夏ちゃん!」
慌てて周りを見る。誰かに聞かれていなかったかと。
「大丈夫大丈夫。私だって世宇留くんと一緒で嬉しいし。それに伊恩くんも一緒で、鳳雛の美形三トリオが勢ぞろい。三Aでよかったわよね」
結月は顔を真っ赤にして小さく頷く。確かに雷斗と一緒のクラスになれるのは嬉しい。
中一の三学期。私は、雷斗くんに告白した。
でも、雷斗くんに私の想いは届かなかった。
それはとても残念で、悲しかったけれど。
それからも私は、ずっと雷斗くんのことを想い続けている。
(雷斗くん、他に好きな人がいるっていう話だったし)
年上の女性のことが好きだという話は一度、聞いたことがあった。
だから私が入りこむ余地なんてないんだろう。
今でも雷斗くんとは仲のいいお友達でいる。
でも、私の心の中には、ずっと雷斗くんがいる。
「おはよう!」
と、結月の思考はそこで中断された。
「おはよう、雷斗くん!」
真夏が返事をして、いつも仲良しの雷斗・伊恩コンビ笑顔で近づいてくる。
「また一緒のクラスだね、結月ちゃん、真夏ちゃん」
「うん。よろしくね、雷斗くん、伊恩くん」
光夢雷斗(こうむらいと)。鳳雛中で一番の人気者である。が、本人は天然でその自覚がない。男子、女子を問わず、その素直で真面目で何事にも一生懸命で誰にでも分け隔てることのない性格は、中学の誰からも好かれていたといって間違いはない。
一目したときは凛々しくクールに見える。だが、一度話してみるとそのギャップに驚く。呆れるくらい天然で、擦れていない。結月ですら、この雷斗に比べると自分が純粋ではないのだと考えさせられるくらいだ。
純真・純粋・素直。誰からも愛されるその性格のために、誰もが彼を中心に考えて活動する。それだけの『可愛らしさ』を備えているキャラクターだった。
その雷斗にいつもぴたりとくっついているのが館風伊恩(たちかぜいおん)。雷斗は今、この館風家で一緒に暮らしている。この二人は誕生日も一緒で、とても気が合っている。雷斗にとって一番の友達はと聞かれれば、百人が百人伊恩と答えるだろう。
伊恩をあらわす形容詞は『清らか』であり『聖らか』だ。悪いことに対してはしっかりと向き合い、でも暴力などに訴えるというのではなく常に正面から話し合いで結論を導いていこうとするような、いわゆる『神父』的な感じのする少年だった。
この美形二人が一緒にいるとよく映える。しかもミス鳳雛の結月がそれに混じっているのだし、真夏とてそこまで見劣りするというわけでもない。華やかな空間がその場に生じる。
しかもここに、女性人気ナンバーワンのホスト役が現れるのだから、場は一層きらびやかになる。
「おはよう、ライト、イオン。それに、陽ノ水さん、紅坂さん」
「世宇留くん! おはよう!」
真夏が真っ先に答える。十口世宇留(とぐちせうる)。常に紳士な口調、態度を見せる彼も、雷斗と伊恩に対してだけは多少くだけた感じになる。世宇留にとっても二人がとても大切な友人であるということが分かる好例である。
常に微笑をたたえる彼には女子からの熱い視線が途切れることはない。だが、そうした女子生徒との関係は彼はあまり多く持っているというわけではない。個人的な関係となるとゼロに等しい。ほとんどは男子とばかり一緒にいるため、男子からのやっかみが実は少ない。なかなか得なポジションを取っている。
「おはよう、世宇留。今年も一緒のクラスだな」
「ああ。ライトと一緒のクラスになれて嬉しいよ」
と、いきなり(いつものことだが)世宇留が雷斗に抱きつく。誰にでも紳士な世宇留が雷斗の時だけはこうした親友のような素振りを見せる。それだけ雷斗が誰からも愛されているということだった。
世宇留は『美形』で、雷斗と伊恩は『美少年』。この美形三トリオが揃っているのはある意味、目の保養だ。
と、世宇留が雷斗の肩越しに結月を見、そしてニヤリと笑う。結月は顔を真っ赤にした。
世宇留は一年の時から、この結月には誤解をさせ続けている。つまり、世宇留が雷斗を『恋愛』の対象だと思わせているのだ。無論、男同士で。それ以来、結月にとっては世宇留は恋のライバルであった。異性なのに。
「春休み中はなかなか会えなくて寂しかったよ」
それを聞いていた伊恩が笑う。伊恩も、世宇留が雷斗を特別に(もちろん親友として)思っていることはよく分かっている。春休みの間もこの三人+一人でよく遊んだり話をしたりしたものだ。だから、なかなか会えないというのは単なる比喩であって、本当に会えなかったわけではなかった。
「一昨日会ったばかりじゃないか」
「昨日会ってないだろ?」
「それはそうだけど」
「陽ノ水さんだって、ライトに会えなくて寂しかっただろ?」
「え?」
と、突然話を振られ──当然のように頷こうとして、その言葉の意味に気づき真っ赤になって俯く。
(雷斗と結月ちゃん、うまくいってくれるといいけど)
いつまでたっても初々しい二人の様子に伊恩も微笑む。
(恋、かあ)
それを考える時、自分の心は重くなる。
ほんの数回しか会えなかった女性。
そして、その数回で自分の記憶に刻み込まれた一つ年上の女性。
もう二度と会うことはない。
もう二度と会えない。
「伊恩?」
雷斗が塞ぎこんでしまった伊恩に話しかける。
「あ、ううん。何でもない」
伊恩は雷斗に笑いかける。そう、もうあれは自分の中で決着がついたこと。今さら思い返しても仕方のないことだった。
「よし、席につけ」
入ってきた先生は、雷斗たちが見たことのない若い男だった。短めの黒髪に、少し無精ひげがある。そして白衣。どこかの研究員かのようないでたちだった。
「はじめに自己紹介をしておく。俺は三國政宗(みくにまさむね)。今年から鳳雛にやってきたので、お前たちとははじめての顔合わせになるが、よろしく頼む。科目は見て分かるかもしれないが理科。こう見えても二十五歳。彼女募集中だ。何か質問は」
いきなりそんなことを言われても生徒としては面食らうだけだ。いったいこの先生はどこの宇宙語を話したのかというような、そんな様子である。
「なら、早速で悪いが、決めることは決めてしまおう。まず代表委員は先に決めなければならないが、俺もこの学校の生徒についてはよく分からないんだが、このクラスの中で一番人望がある奴がなるのが一番いいだろう。誰だといい?」
「十口くんです」
「世宇留です」
「世宇留くんだと思います」
「世宇留」
「十口くん」
「十口しかいないだろ」
「世宇留でいいと思うけど」
出てくる名前は一つだけ。世宇留は半ば覚悟はしていたが、こめかみを引きつらせて「そんなに面倒ごとを押し付けたいのかい」と笑いながら怒っていた。
「十口世宇留か。すまないがやってもらえるか」
「ええ。僕が適任でしょうし」
少しため息などつきつつ、世宇留が答える。
「でも先生、代表委員は二人ですよね」
「そうだな、じゃああと一人──」
『はいはいはいはいはいはいはいはい!』
一斉に女子の手が上がる。誰も立候補制にした記憶はないのだが、おそらく世宇留が代表になった瞬間にそう変わったのだろう。
「あー、よりどりみどりだが、どうする十口」
三國教諭が少し困ったように尋ねると、世宇留も困ったように答えた。
「そうですね。誰を選んでもあとあと揉め事になりそうですから、いっそのこともう一人の代表も男子というわけにはいきませんか」
「普通は男女一名ずつだが、別に決まってるわけじゃないな」
「じゃあ、そうしましょう。僕はライトと一緒にやりたいと思いますけど」
「雷斗? 光夢雷斗か」
「え、俺?」
突然の指名にうろたえる雷斗。
「というわけで十口からのラブコールだが、どうする光夢」
「ええと」
雷斗はそっと右斜め前の席に座っている世宇留を見る。世宇留は既に泣きそうな顔で雷斗を見つめている。
──本当に、世宇留は捨てられた子供のような、そんな顔をする。
「分かりました」
「そうか。じゃあ光夢と十口の二人にやってもらうことにしよう。ちょうどいい。二人には話があったんだ。今日の始業式の後、ちょっと職員室まで来てくれ」
それじゃあ式に行くぞ、と三國教諭が言うので、生徒たちは一斉に廊下に出た。
「なんだろうね、話って」
世宇留が話しかけてくる。さあ、と雷斗も首をひねった。
そして放課後。
二人は言われた通りに職員室にやってくる。一緒に帰る約束をしている伊恩については、その間花壇の手入れをすると言って教室を出ていっていた。
職員室にて、来たか、と二人を見た三國は立ち上がると「会議室に行くぞ」と言って歩き始めた。
かなり重大な話なのだろうか、と二人が顔を見合わせる。世宇留の方が背が高いので、どうしても雷斗が見上げる格好になる。
そして会議室に入る。三國教諭は堂々と校長の座る真ん中の席に座り、近くの席を指して「座れ」と言った。
おそるおそる、二人が座る。
そして、教諭の最初に言った言葉は、二人が予想もしない内容だった。
「──どうして、“闇の者”がこんなところにいる?」
“狩猟者”
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