ダーク・アース。今でこそ戦乱が治まったこの地であるが、ほんの一年前までは人間と闇の者との間で大きな戦争が行われていた。
国王ルアスの体を乗っ取り、闇の者を従えて戦いを起こしたのは、国王の側近だったダウザードという男だった。
闇の者を集めて作った国が戦争を起こしたのがほぼ十年前。
それから長く、人間と闇の者とは戦いを続けていた。
ライトやリステルといった力のある闇の者が人間の側についたことにより、その戦いの均衡は崩れることとなった。
人間側の勝利に終わった戦争だが、ライトやリステルといった人間に協力した闇の者たちのおかげで、今では闇の者も人間に受け入れられるようになってきている。
だが、潜在的な対立意識がなくなったわけでは、当然ない。
第一話
“闇の者”狩り
其ノ四 二つの“狩り”
国王の息子である皇子ミカドはかつて『冷たい皇子』というあだ名を持っていた。
金色の髪に整った容姿の美少年。最近では笑い、話すようになり温かみが出てきたのだが、昔はそうではなかった。何があっても話さず、笑わない。戦争で荒れた地で、皇子は話すことも笑うことも無意識に行わなくなってしまったのだ。
王妃の愛情を受けても、そして皇子のことを気遣う側近たちの中でも、決して表情を変えない。
そのミカド皇子が宮廷の庭を歩いていた時のことであった。
「下がってください、皇子!」
突然、護衛の兵士たちが自分を何かから遠ざけるように取り囲む。
「どうしたの?」
「いえ、そこに、闇の者が紛れ込んでいるのです」
ミカドがそちらを見ると、獣型の闇の者がいた。黒く、凶暴な目をした兎型だった。
「今始末しますので──」
「待って。闇の者だからって、みだりに殺しちゃダメだって何度も言っているだろう」
ミカドが兵士をたしなめると、自らその兎に近づいていく。
「皇子! 危ないです!」
「大丈夫だよ。ほら、おいで」
ミカドは微笑みながら兎に近づき、両膝をついて腕を広げた。
兎からの敵意は消えない。
そのままの体勢でしばらく経ち、兵士たちが待ちきれずに動き出そうとした。
その時だ。
兎が飛び出し、ミカドの差し出した左腕に噛み付いたのだ。
「皇子!」
「大丈夫」
だが、それでもミカドは右手で兵士たちを制すると、自分に噛み付いて離さない兎を、その右手でそっと撫でた。
「大丈夫だよ。ここには君に危害を加える者はいないから。もしそんなことがあったら、僕が絶対に許さないから」
強く噛み付いていた兎だったが、やがて、少しずつ力をなくし、そっと口を離した。
兵士たちが動こうとするのをミカドは改めて手で制する。
すると、その左腕のケガをしたところを、兎はチロチロと舐め始めたのだ。
謝っているのだろうか、と思ってミカドはくすくす笑った。
「この子にご飯を食べさせてあげたいんだけど、用意できるかな」
「は、はい。ただいま」
兵士が何かを部下に命令して急いで食事を取りに行かせる。
「あ、そうだ。僕の部屋に持ってきてもらえるかな。僕はこの子を洗ってやるから」
「み、ミカド皇子、御自ら、でしょうか?」
兵士は戸惑っているようだったが、そうだよ、と軽く答えたミカドは兎を優しく抱き上げた。
「人間も闇の者も、もっと仲良くしないといけないのにね」
そう話しかけながら、ミカドは自分の部屋へと戻っていった。
「“闇の者”狩り、だと?」
国王ルアスは、その優しげな風貌に珍しく嫌悪の感情を浮かべて答えた。
「はい。巷で横行しているようです。特に先の戦争で“闇の者”によって家族や恋人を奪われた者たちが中心になって行っているようです」
ルアスは隣に座る王妃レティアを見る。このルアスにとっても“闇の者”は決して戦うべき相手ではない。何しろこの王妃レティアからして“闇の者”なのだ。
「私怨か。そういうのが一番やっかいだな。だが、憎しみあっていては何も解決はしない」
ルアスは王宮に戻ってくるなり、闇の者との終戦宣言を行った。ダウザードが亡くなった以上、闇の者を統べる存在はない。
そして闇の者に対して一切の差別をなくすという、差別解放宣言を行った。そして王妃レティアからして闇の者であったということをはっきりと明言したのだ。
国王自らそういう立場を明言している以上、下の者がそれに倣うのは当然のことだ。だが、十年という戦いの中で、人間と闇の者との間にできた軋轢は深い。特に表面にあらわれてこないものが一番問題だ。
闇の者に対する潜在的な恐怖、忌避感。それが根強く残っている以上、この地から差別がなくなることはない。
(若い子たちはそれほど大きな差だとは考えていないようだが)
皇子のミカドからしてそうした差別感はまったく持っていない。王宮にいない間も、よくここまで素直な子に成長したものだと思う。
「王命で布告を出す。理由もなく“闇の者”を虐待するものは厳重に処罰する。それと同時に調べてくれ。“闇の者”による犯罪件数がどの程度のものなのか」
王妃が少し曇った表情を見せる。が、これは王として当然の命令だ。
現状で“闇の者”はあまり豊かな生活ができているとは言いがたい。となれば、犯罪行為に走るのは当たり前のことなのだ。
それを改善するための政策なのだが、こうも軋轢が強いのではそれもままならない。
(ダウザード。お前が残した火種は随分と大きいよ)
“闇の者”と“人間”がわけへだてなく生きる国をつくれ。
それが、ダウザードが最後に残した言葉。
友である国王ルアスにのみ伝えられた言葉。
「あいつのせいで、余計なことまで苦労させられるよ」
王は隣の王妃に微笑みかける。くす、と王妃は笑った。
「それから先日、リステルくんから届いた話だが」
王が言うと王妃も表情を厳しくする。
「ええ。こちらだけではなく、向こうの地球でも“闇の者”狩りが行われているようですね」
「まあ、こちらの状況を伝えるためにも、誰かを一度ホープ・アースに送ろうかと思っているのだが」
「ミカドに、ですか?」
言い当てられ、国王は言葉を失って天井を見る。
「ミカドはライトに会いたがっていましたからね」
「ああ。ライトくんのことだから、人間に襲われたくらいで何も問題はないだろうが、お互いの情報を交換するのは悪いことではない。それならミカドに行かせるのが一番だろう」
「異存はありません。ルアスの思った通りに」
そうして、王と王妃との間で、ミカド皇子のホープ・アース派遣が決定された。
雷斗が家に戻ってきても伊恩の靴はなかった。ということは、まだどこかでシエナを思って悲しんでいるということだろうか。
伊恩を探したかったが、これは伊恩が一人で超えなければいけない壁だということも分かっている。それに、闇雲に探しても見つかるはずもない。
「あら、雷斗。今日は一人で帰ってきたの? 始業式だから一緒に帰ってくると思ってたのに」
母親が玄関まで出迎えに来てくれる。こうした一つ一つの幸せが、雷斗にとっては何よりも代えがたいものだった。
「あ、うん。お母さん、今日は世宇留のところに行ってくるんだけど」
「分かったわ。泊まってくるのね?」
昨年までの戦いのために、ダーク・アースの件は両親ともよく分かっている。世宇留やリステルが暮らしているマンションのこともすべて両親には伝えている。そのため、世宇留のところに行くと伝えるだけで、だいたいの状況は察してくれるのだ。
「何かあったの? 少し様子がいつもと違うけど」
「あ、うん。たいしたことじゃないんだけど……あ、そうだ。伊恩にも帰ってきたら、世宇留の家に来るように伝えてくれる?」
雷斗もさすがに一年も暮らしてずっと子供扱いされていると、次第に母親に甘えるようなところも出てきていた。
「ええ、いいわよ。それじゃあ、行ってらっしゃい。明日はお父さんが帰ってくるから、早めに戻るのよ」
「うん、分かってます。それじゃあ、行ってきます」
「あ、待ちなさい雷斗」
母は一度キッチンに戻り、そしてなにやら素早く作業をして、包みを持って戻ってくる。
「さっき作ったんだけど、みんなで一緒にお食べなさい。たくさんあるけど、伊恩の分も残しておくのよ」
「うん、分かってる」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
行ってきます。行ってらっしゃい。
そんな何気ない言葉のやりとりが、すごく心地よい。
ミカドに会うまでずっと挨拶もしない生活が続いていた。
ホープ・アースに来てすぐに伊恩と知り合い、学校にも通うようになり、「おはよう」や「さよなら」を言う相手がたくさんできた。
今では“闇の者”としては本来あるはずのない父親、母親までいるのだ。
あまりにも恵まれすぎている。そう考えても仕方の無いことだ。
(この幸せをなくしたくない)
だから“闇の者”狩りなどに負けるつもりはない。
真剣な表情になって、雷斗は世宇留の家に向かった。
「あれ、珍しいですね、リステル様」
世宇留が家に帰ってくると、他に別宅をたくさん抱えている猫よろしく、リステルが珍しく家にいた。リステルにしてみると、世宇留宅も別宅の一つなのかもしれない。飼い主としては微妙なところだ──と言うとリステルが怒るのでもちろん何も言わないが。
「いろいろと話があってな。ライトを呼んでくれ」
つっけんどんに言う。全く、和解した今となっても、リステルはあまり世宇留を好んではいないようだ。いや、以前と違って嫌いではないのだろうが、それ以上に苦手意識を持つようになってしまったらしい。
「もうすぐ来ますよ。ライトも少しあなたと話したいことがあるみたいですから」
「ライトが?」
「ええ。せっかく今日はライトと二人きりでゆっくりできると思ったんですけどね」
「お前な」
リステルが頭を抱える。どうせ雷斗が来るなら伊恩も漏れなくついてくるに決まっているのに、悠々とそんなことを言えるのが世宇留らしいといえば世宇留らしいのだが。
「まあ、話なんかなくても誰にでも愛想を振りまいて会いたがる奴だが」
雷斗のそんな性格を愛する者は多い。リステルも世宇留も伊恩も、それにダーク・アースのミカド皇子にしても、みんな雷斗を好きだから集まっているようなものだ。そして、四人が四人とも、雷斗という求心力がなければ決して仲間、友人になどなっていなかっただろう。
「せっかくいらしてくださったのですから、お茶でも飲みますか?」
「お前の作った飲み物なんか危なくて飲めるか」
薬使いの世宇留にかかればありとあらゆる薬が出来上がる。薬剤師の鑑というものだろう。
「冷たいなー、リステル様。前はあんなに優しくしてくださったのにー」
「誤解を招く表現を使うなっ!」
「何おっしゃってるんですか。一緒にお風呂に入って、一緒の布団で寝た仲なのに」
瞬間、リステルの顔から表情が消え、その右手に電撃の球が生まれる。さすがにからかいすぎたか、と冷や汗を流しながら「冗談ですよ冗談」とリステルをなだめる。
「お前の冗談は性質が悪い──それより、ライトが話をしたいっていうのは理由は聞いてるのか?」
「ええ。リステル様なら知ってるかもしれないと思って、俺がアドバイスしたんですよ」
「?」
「HDOのハンターって、ご存知かと思いまして」
リステルの顔が険しくなる。
「ご存知ですか」
「知ってるも何も、俺もその話をしようとしていたところだ」
リステルはぶっきらぼうに言う。
「まさか」
「知っている。俺はお前らと違ってホープ・アースで学校に通ってるとかいうわけじゃないからな。何をしていても目立つんだろうよ」
「そりゃ、山の中で熊と一緒に鮭とってたら目立ちますけどね」
「山の中で目立つわけあるか!」
ぜはーっ、と息を荒くしてから、リステルは一つ咳払いをする。
「それはそれとして、今日も三人目が襲い掛かってきたから迎撃した。全く、一年で三人とはよくよくヒマな連中だ」
「この一年で、三人も?」
さすがにそれには世宇留も驚いた。まだまだ自分たちには関係のない出来事だと思っていたのに、リステルは一人でもうこの問題に直面していたのだ。
「どうして先にそのことを言ってくださらないんですかっ!」
珍しく、激しい剣幕で怒る世宇留に、リステルもちょっとたじろぐ。
「そんなにムキになることでもないだろうに」
「あなたの呆れるくらいの強靭さを信じてないわけじゃありませんけど、億万が一ケガでもしたらライトが悲しむんですからね! 少しは残された俺たちのことも考えてください!」
さすがにそこまで言われると(正論だけに)リステルも申し訳ない気持ちになったのか「分かった」と小さく答えた。
と、そこへ、来客を告げるチャイムが鳴った。
「命拾いしましたね、リステル様」
仏頂面のまま、世宇留は雷斗を出迎えに行く。
世宇留が去った部屋で、リステルは、はー、と大きく息をついた。
「あいつ、案外迫力あるんだな」
それは意外な発見だった。
日常と非日常
もどる