とはいえ、国にほんの何十人かしかいないHDOのハンターをそこまで問題視する必要があるのかと言われれば難しいところだ。
リステルですら年間に三人、雷斗と世宇留にいたっては過去一度も襲われたことなどない。
それでも今のうちに話し合っておかなければならないのは、ハンターの一人が学校にやってきたということだろう。
「何でさっさと始末しないんだ?」
とリステルが尋ねるのはむしろ当然だ。だが、単純に殺せばいいという問題ではない。
何しろその三國教諭は“闇の者”を守ろうとするPDOのメンバーでもあるからだ。
第一話
“闇の者”狩り
其ノ五 日常と非日常
一通りの話が終わって、気付けば時間はもう夜の八時になっていた。
まだ伊恩は来ない。もしかしたら今日はこっちに来ないかもしれない。
「お前の弟、遅いな」
珍しくリステルが伊恩を気にかける。この四人の中では一番接点の少ない二人だが、それでも気になることは気になるらしい。
「うん。今日ちょっと学校で色々あったから」
「兄弟喧嘩か?」
「いや、全然そういうのじゃないんだけど」
だが雷斗まで少し塞いだ様子を見せられれば、世宇留もリステルも心配になる。
「先にご飯作るね。リステルも世宇留も、おなかすいてるでしょ? 今日は腕によりをかけて作るよ!」
主夫雷斗の本領発揮である。戦時はミカド皇子の身の回りの世話をすべて雷斗が一人で行っていたし、ホープ・アースに住むようになってからも雷斗は母親から料理を教わって、さらに腕に磨きがかかっている。ただ、惜しむらくは家庭内だと腕の振るいがいがないということだ。従って、世宇留の家に来た時には日頃から考えているレパートリーを軒並み試そうとやっきになる。
──結果、食べきれないほどの食事が出来上がるのはお約束。
「……誰がこんなに食うんだ?」
テーブルの上に所狭しと並べられた料理を見て、リステルが顔をしかめる。
「三人分どころか、五人分か六人分くらいはありそうだね」
世宇留も感心したのか呆れたのか、微妙なラインの声を出す。
「ご、ごめん」
「いや、別に気にするな。余った分は世宇留に食わせる」
「わー、ありがとうございますー」
ものすごい棒読みで世宇留が答えた。と、思っていたところにチャイムが鳴った。
「伊恩だ」
「これで少しは楽になるな」
と、ごもっともな感想をリステルが言う。そして世宇留がドアを開くとそこに伊恩、そして──
「あ……」
さすがに世宇留も驚く。そこにもう一つの顔。それはよく見慣れた顔。
「雷斗!」
世宇留が急いで雷斗を呼ぶ。なに? と玄関までやってくると、その雷斗の顔が驚愕に変わった。
「ライト!」
懐かしい声が、雷斗の耳に響く。
「あ……」
驚いて一瞬声が止まる。そして、続けて雷斗はその人物に駆け寄った。
「ミカド!」
「ライト! 久しぶり!」
ミカドは満面の笑みを浮かべて抱きついてくる。この辺りはまだ子供属性が残っているのだろうか。
ミカドと雷斗の出会いは、雷斗が十歳の頃にさかのぼる。
毒を受けて体力が落ちていたところを、人間の王宮に拾われた雷斗はそこで“闇の者”としての迫害を受けることになった。まだ子供ということでその場で処刑するということはなかったが、人間の戦士たちから殴られるなどということは日常茶飯事だった。
雷斗自身は強い力を持っている。だから、自分を助けてくれた王宮のお后様に迷惑がかかることを怖れ、自分から手を出したことは一度としてなかった。
そんな折『全く笑わない、話さない皇子』の噂が雷斗の耳に入る。そして、王宮の中で二人は出会うことになる。
当時のミカドはまだ四歳くらいの子供の姿をしていた。ダークアースの王族というのは、成長するにあたって『光のまゆ』に入り、一気に成長するものなのだ。だから今はちょうど十五歳くらいの姿をしている。
ミカドと出会ったのは、雷斗がちょうど人間から殴られた後のことだった。
傷の痛みにその場から起き上がれずにいたところに、一人でミカド皇子がやってきた。
だが、そのミカドは雷斗が闇の者であるにも関わらず、傷口にハンカチを当てて、止血しようとしたのだ。
笑いも、話しもせずに。
そこで雷斗は知った。笑えないから、話せないからといって、ミカドは冷たい皇子なんかではなく、優しい皇子なのだと。
それ以後、雷斗にとってミカド皇子は自分の居るべき場所、帰るべき場所となった。
そして『光のまゆ』に入るため、ミカド皇子と雷斗は二人だけでホープアースへと渡ってきた。そのホープアースへ渡ってきたその日に、ミカドは初めて声を出し、笑顔を見せた。まだぎこちなさは残っていたが、徐々に笑顔を取り戻すようになった。
それは、ホープアースの日の光のおかげだったのだろうか。
ミカドが七歳の誕生日を迎え、光のまゆに入り、成長することができたのは、すべて雷斗のおかげだと言ってもいい。
雷斗はミカドの優しさに心ごと救われていたし、ミカドは頼れる存在として雷斗が大好きだった。
ミカドは今でこそ見た目は十五歳ほどだが、実際はまだ八歳の子供なのだ。
ミカドが雷斗にすきすき光線を出しながら抱きついていた後ろで、世宇留が伊恩に話しかけていた。
「随分遅かったね。大丈夫かい?」
「あ、うん。心配かけてごめん」
「それはいいんだけど──あれ、そいつどうしたの?」
世宇留は伊恩が抱いている兎のような生き物──闇の者を見て尋ねた。
「あ、うん。皇子とさっきそこで出会ったんだけど、皇子が連れてたんだ」
ふーっ、と兎は世宇留に対して威嚇する。伊恩の腕の中では大人しくしているのに、この扱いの差は何だろう。
「でもちょうどよかった。ライトが食事をたくさん作りすぎたところだったから、五人もいれば何とか食べきれると思う」
「ライト、食事作ったの?」
「うん。ちょうど出来たところなんだ。たくさん作ってあるから、ミカドも食べて行ってよ!」
「もちろん! あ、それと──」
ちらり、とミカドは伊恩が抱いている兎を見る。
「この子にも食べるものを」
「ああ、もちろん。多分、五人でも食べきれないくらいあるから──」
「そうだな、それでちょうど六人だからちょうどいい」
騒がしかった玄関に、一番長身のリステルが現れる。
「リステル?」
「気付いてないのか、ライト、セウル。その兎は、ただの闇の者じゃない。珍しい種族だが」
ふーっ、と再び威嚇するように兎が鼻息を荒げる。
「そいつは半人半獣だ。今この場で人間型になることができるだろう」
「え」
全員の視線が兎に集まる。
兎は何を思ったのか、伊恩の腕から飛び降りる。そして、その姿が徐々に人間の形をとり始めた。
「あ……あああああああああああっ!」
伊恩が慌てて反対を向く。雷斗も顔を真っ赤にして俯き、リステルは目のやり場に困ってそっぽを向く。世宇留は慌てて何か羽織るものを取りに行く。
ただ、ミカドだけが呆然と目の前に現れた、金色の髪の、綺麗な──女の子に釘付けになっていた。
「……何か、着るものをくれないか?」
短くそろえた髪が揺れる。自分の体を隠そうともせず、堂々と立って、低いアルトで話す少女は、どこか格好よくもあった。だが、さすがに裸の女の子を前にいつまでもこの場にいるわけにはいかない。すぐに男子は退散し、世宇留から羽織るものを受け取ったミカドが少女にかける。
「じろじろ見るな。恥ずかしい」
「ごめん」
兎の少女に言われて、初めてミカドは自分が彼女の裸を見ていたことに気付いたらしい。顔を真っ赤に染めてようやく俯く。
「でも、綺麗だったから、見とれて」
「分かってる。あんたの目に邪なものはなかった。もしそうだったら張り倒してる」
口調も男らしい勇ましいものだった。続いて届けられたシャツと大き目のパジャマ(おそらくは世宇留が客用に用意していたものと思われる)を着る。
「あまり人間型にはならないんだが、食事を取るならこっちの姿の方がたくさん入る」
それが変わった理由なのかとミカドは感心した。
「えっと、名前ってある?」
「あんた、あたしを何だと思ってるんだ?」
「ごめんなさい」
しょぼん、とミカドが落ち込む。
「あたしはずっと一人で生きてきた。誰もあたしに名前なんかつけたことはない」
「うん」
「だから、好きなように呼べばいい。あんたがあたしに名前をつけてくれ」
「僕が?」
「そうだ。あんたがあたしを拾った。名前をつけるのは飼い主の特権だ」
この少女は本気で言っているのだろうか。今ひとつ、どこまでが本気なのかが区別がつかない。
「えっと……うーん」
「すぐに出ないのか?」
紅い瞳がミカドを射抜く。
「う、うん」
「じゃあ、あんたの名前は?」
「僕はミカド」
「ミカドか。じゃ、あたしはミカでいい」
「え?」
ミカドは目をきょとんとさせる。
「名前がないんだ。飼い主の名前を使うのはよくあることだろう?」
さばさばした少女だった。だが、見ていると自然と目を引かれる。そんな命の輝きを持っている。
その輝きに、ミカドは完全にあてられていた。
「ねえねえ、雷斗、もしかして皇子」
「うん。一目ぼれかも」
「ミカド皇子が闇の者と結ばれたとしたら、またダークアースでの人間と闇の者の垣根が一つ減ることになるな」
半分野次馬状態で扉の裏から様子を確認している双子と、冷静に状況を分析する世宇留。
そして、頭を抱えたリステルが一足先にテーブルについた。
いい加減に、腹がすいている。食事にしたい。
だが、そんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。
というわけで、少し遅れて六人のパーティが始まる。
雷斗の食事は誰の舌をも満足させた。ただ、鍋についてはミカが激しく拒絶した。別にミカを煮る(兎鍋?)だとかいうわけではなく、単に猫舌(兎舌?)なだけのようだ。
「それにしても、伊恩とミカドが一緒に来るなんてびっくりしたよ」
ミカドは相変わらず子供子供していたが、それでも以前よりはずっと大人びていた。少なくとももう食事の世話をする必要はない。それどころか、ミカドがミカにいろいろとよそってあげたりしている。
「うん。僕も慌てて家を飛び出してきたら、そこでばったり皇子に会って」
「ふうん。それにしても今どき、いったいどうしたの、ミカド」
尋ねられてミカドは頷く。
「うん。父上からみんなに伝えなきゃいけないことがあって」
少し緊張した空気が流れる。ミカだけがかまわずに野菜を頬張る。
「実は、ダークアースで今、闇の者がたくさん狩られてる事件が続発してる。ミカも、僕が見つけなかったらきっと誰かに狩られてたと思う」
「ダークアースでも?」
「うん。僕も父上からホープアースのことを聞いてびっくりした。こっちでもそういう話があるって」
「え? 王様、もうそんなこと知ってるの?」
雷斗は驚いたが、逆に世宇留は閃くものがあった。視線を犯人に向けると、その男はわざとらしく視線を逸らした。
「それはね、ライト。リステル様が定期的に報告してたんだよ」
「え、そうなの?」
自分たちの知らないところで、色々とリステルが動き回っていたということだ。
「まあ、こっちの世界で起こったことは逐一報告するよう言われているからな。襲われたことと、HDOの件については一通り伝えてある」
うー、と雷斗が責めるように見つめる。除け者にされていたことが悔しいのだ。
「でも、それだけなのにミカドが来たっていうのは……」
そう。その伝言なら別に通信を使えばいくらでもできる。
「父上が、ライトに会ってきていいって言ったから」
なるほど、どこまでも息子に甘い親だ。
リステルと世宇留は視線で語った。だが双子たちは「よかったよかった」とただ喜んでいる。
「だから、しばらくこっちで暮らさせてもらいたいんだけど、いい?」
ミカドが世宇留に尋ねる。ここは王宮からリステルと世宇留のために与えられていた家だ。もちろん断る理由がないどころか、いわばオーナーからの頼みを断ればこの家を取り上げられる。
「もちろんいいけど、ライトたちのところじゃなくていいの?」
世宇留は純粋な質問をした。
「それも考えたけど、ライトの家族に迷惑をかけちゃいけないから」
なるほど。その辺りはミカドも国王夫妻もよく分かっているらしい。
と、その時。ミカが、大きくあくびをした。
「少し寝る」
と言って、その場で横になる。飼い主の膝を枕にして。
「あ、ミカ」
だがミカドが話しかけても、すさまじい寝つきのよさで既に寝息を立てている。
「懐かれたね、ミカド」
雷斗が話しかけると、ミカドは困ったように笑った。
変化の日
もどる