ミカドの来訪でうやむやになっていたが、結局のところ伊恩の問題は解決していない。
 それに三國教諭の件もある。ミカドがミカと一緒に布団で横になって、くー、と寝静まってから、少年たちは最終的な議論に入る。
 伊恩にここまでの状況を説明し、大変驚愕を受けていただいたところで、さて三國教諭とどのようなスタンスで臨むのか、ということが問題となった。
「その教諭が信頼できるかどうかの問題だ。まあ、雷斗にかかれば誰でも信頼に値するんだろうが」
 リステルが諦めたように吐き捨てる。きょとんとした雷斗に、くすくすと笑う世宇留。
「だが、HDOの連中を俺はそう簡単に信頼はできない。そいつと協力するのはしばらく待った方がいい」
 その間にリステルがPDOの方から当たってみる、というのだ。確かにそれが現状では最善の方法なのかもしれない。





第一話

“闇の者”狩り

其ノ六 変化の日





 寝る直前になり、リステルは風呂上りで髪の毛をドライヤーで乾かしていた。さっき温泉に入ったばかりだというのに、またこの少年は風呂に入っていた。本当に風呂好きである。
 と、後片付けをしていた雷斗と世宇留に対し、同じく風呂上りだった伊恩とリビングで二人きりとなる。
 ミカドを除いた四人の中で、一番接点が少ないといえば、伊恩とリステルだった。
 リステルは普段から目の前に現れることがほとんどない。世宇留の家に来たときは二回に一回の割合で会うことになるが、積極的な会話というものがない。
 伊恩の方は誰に対しても人見知りするようなタイプではないので、この場合避けているのはどちらかといえばリステルの方だった。もともと人付き合いの少ないリステルにとって、世宇留や伊恩は苦手なタイプだ。もちろん苦手の理由は異なる。
「あ、リステルくん、お風呂終わったんだ」
 ──この天然素材に好かれるのが困るのだ。
「ああ」
 と一言呟き、ソファに腰かける。何か飲み物持ってこようか、と言う伊恩に「いや」と答える。
 もともとリステルがこういう人物だと知っているから、伊恩としてもあえて積極的には踏み込まない。だが、好意はしっかりと向けてくる。付き合いやすいタイプだが、リステルにとっては苦手なタイプだ。
 リステルの方から話すことなど滅多にない。が、一つだけ確認したいことがあった。
「──ライトと喧嘩でもした……というわけではないようだな」
 先ほどの雷斗の様子から何かがおかしいと思っていたが、どうやら本当に喧嘩というわけではなかったらしい。
「喧嘩? どうして?」
 伊恩が予想外とばかりに目を丸くする。
「いや。お前たち二人が一緒に行動していないのも珍しいし、それに雷斗にお前のことを尋ねたとき、妙な様子だったからな。雷斗も喧嘩ではないと言っていたが」
「うん。別に雷斗とは何もないよ?」
「なら、今日、ここに来るのが遅れたのはどうしてなんだ?」
 リステルは何気なく尋ねた。だが、その一言で──どうにか冷静を保っていた伊恩の表情が凍りついた。
「あ……そ、それは、ちょっと具合が悪くて」
 見え見えの嘘をつく。そんなあからさまな態度で気付かない者はいない。
「やれやれ。雷斗といい、双子というのは似るものだな。嘘をつくのがとことん下手ときている」
 その一言で、伊恩は一気に泣きそうになる。本当に、雷斗と瓜二つの顔でそんな哀しそうな顔をしないでほしい。
「来い」
「え、わっ」
 リステルは伊恩の腕を掴むと、一瞬でテレポートした。
 現れたのは世宇留の住むマンションの屋上だった。風呂上りの肌に夜風が心地いい。
「ちょ、リステルくん?」
 このように強引なところは前からあったことだが、それが自分に向けられたことがない伊恩にとっては、まさに予想外の展開だった。
「ライトに聞かれたらまずいっていう、お前の考えはなんとなく分かった」
 だが、リステルが先に言う。
「だが、悩んでいるんだったら一人で抱え込むな。アドバイスができるほど長生きはしていないが、話を聞くだけならできるし、決してライトには言わない」
 どのような悩みかは分からないが、わざわざ雷斗を避けているようなところを見ると、伊恩は自分が悩んでいるところを雷斗に気付かれたくないのだろう。だが、雷斗はとっくに気付いている。そういうところは、この弟は本当に鈍感だ。
「僕、そんなに顔に出てる?」
 しかも自覚がない。
「雷斗だってお前が悩んでいることに気付いている。さっき話した感じだと、おおよその見当がついているような素振りだった」
「そっか……」
 シエナのことは終わったことだ。自分はそのことをはっきりと過去のこととして位置づけているつもりだった。
 だが、そうではなかった。
 花壇の中で、毎日彼女の影を探していた。
 それが、彼女のことを全く忘れることができていない証拠だった。
「僕……僕は……」
 伊恩が震える声で言う。
「シエナを……忘れられないっ!」
(シエナ?)
 その名前は知っている。ダウザードに仕えていた女性の“闇の者”の名前だ。ダウザードのいた総魔城のナンバーツー、リュザロの腹心で、ホープアースに行って伊恩を捕らえることが使命とされていたが、逆に伊恩の味方となってリュザロに殺されたと聞いた。
(シエナは、イオンの身代わりとなったんだったな)
 正確にどういう最期を遂げたかは聞いていなかったが、おそらくは伊恩にとってトラウマとなるような、それこそ目の前で殺されるというようなものだったのだろう。リュザロはそれくらいのことを平気でやる男だ。
「今日、花壇のところでクラスメートの子から告白されて……でも!」
 伊恩は取り乱していた。泣いて、気付けばリステルにしがみついていた。
「シエナに会いたい……!」
 だが、それはできない。死んだ者は蘇らない。
「約束したんだ。花が咲いたとき、一緒に見るんだって。でも、シエナは……!」
 その花が咲く前に、死んでしまった。
 シエナの魂魄が、最後に一輪の花を咲かせた。本当に、それが最後。
「僕はシエナを忘れられない……っ!」
 リステルはその背中に優しく手を置いた。
「なら、忘れなければいい」
 ぽつりと、そう呟く。
「──え?」
「忘れなければいい。お前がそう思っているのなら、その気持ちは尊いものなんだろう」
 柄にもない役割に、柄にもない台詞。
 今日の自分はどうかしていると、リステルは自分ながらにそう思う。
「俺は人を好きになったことはないが、お前のように死んでもなお想い続けることができるというのは尊いものだろう。それほど会う機会が多かったわけでもないのに。だったら、忘れたくないとお前が思っている限り、忘れなければいい」
「……」
「どのような過去も、いずれは思い出に変わる。だが、思い出に変わるのは人それぞれだ。お前がいつか自然とその想いを、思い出に変えられるようになるまで、全力でシエナのことを想っていればいい」
「……いいの?」
 伊恩は泣きはらした目でリステルを見上げる。
「いいも何も、どのみち無理に忘れることなんかできやしないからな」
 そっぽを向きながら答える。目を合わせると、こんな照れくさい台詞は言えなかった。
 そのリステルの気持ちが伝わったのか、伊恩はようやくクスクスと笑った。
「リステルくんって優しいんだね」
「馬鹿なことを言うな」
「雷斗も十口くんも優しいけど、なかなか相談することもできなかったから」
「だろうな」
 その点、リステルだと相手のためを思って絶対に口にはしないだろう。
「相談に乗ってくれてありがとう。なんだか、すっきりした」
「気にするな。こんなことでよければ容易いご用だ。それにお前には、返しきれないほど恩があるからな」
 ぽつりと言ってしまったその言葉に、伊恩が過敏に反応した。
「僕が? どんな?」
 だが、それに気付いていないあたりが、やはり雷斗の双子の弟か。
「お前は俺の目を治してくれた。総魔城の一番の医者が匙を投げたこの目をな。感謝してもしきれない」
 かつて、リステルの左目は剣の傷がもとで完全に失明していた。それどころが右目までよく霞むようになっていた。
 それを完全に治癒し、傷痕まで消してくれたのは、雷斗と伊恩が力を合わせて治癒能力を全開にして使ってくれたからだ。ほぼ一日がかりで、体力の消耗などそっちのけでひたすら回復してくれた。
 それがどれだけ大変なことか、じっと見ているだけのリステルだからこそ分かる。徐々に息が荒くなり、それでも自分を治癒しようとしてくれた二人の姿は、今でもはっきりと思い出せる。
「だからお前が俺にありがたく思う必要などない。これくらいは当然のことだ」
「そんなことないよ。それに、僕一人の力で治癒したわけじゃないし」
「そうだ。雷斗がいなければ治癒できなかったのと同じように、お前もいなければ治癒できなかった。だから、俺にとって二人が恩人だな」
 そこまで言われると、伊恩の方が恐縮して真っ赤になった。
(そうさ。お前や雷斗のためなら、いつだって駆けつけてやる)
 この天然素材は本当に純真で無垢だった。悪いことにははっきりと悪いと言い、決して自分を曲げず、力でかなわないからといって逃げ出したりしない。リステルの苦手なタイプだ。
 だが──大切な相手の一人だ。
「ありがとう」
 ようやく伊恩は、物が落ちたかのように笑った。
「そうしたら戻るか。二人でいなくなったからライトたちも心配してるだろうしな」
「うん」
 そうして二人はまたテレポートで部屋へ戻る。
 案の定、雷斗は戻ってきた二人を見て心から安堵したように笑顔を見せる。今の今までずっと心配していたに違いない。
 一方の世宇留は少し息をついただけだった。だが、それでも一応は心配してくれていたらしい。
「伊恩、泣いてる?」
 戻ってきた雷斗が伊恩に駆け寄る。
「まさかリステル様、イオンを泣かせたんですか?」
「そうなの、リステル?」
「ばっ、そんなわけあるか!」
 慌ててリステルは弁明する。伊恩も「違うよ」と優しく答えた。
「ごめんね、雷斗。もう大丈夫だから」
 さっきのリステルの話からすると、雷斗は多分、自分がどうして悩んでいたのかを知っている。だから、もう大丈夫だと、そう伝えたかった。
「無理はしなくてもいいんだよ?」
 そうだ。シエナが亡くなった時も、雷斗はそうやって優しかった。あの時相談に乗ってくれようとしたのは宮で(ダークアースのことを話すわけにはいかなかったから相談できなかったが)、やっぱり雷斗にもう大丈夫だと言ったのだ。そのとき雷斗は「無理をしなくてもいいから」と言ってくれた。
「うん、でも今度は本当に大丈夫。リステルくんが慰めてくれたから」
 雷斗は驚いたようにリステルを見る。その視線を合わせないようにそっぽを向くリステル。
 が、その先にいじめっこ世宇留がいた。
「へえ〜。リステル様、そんなことなさってたんですかぁ〜」
「にじりよるな笑うな企むな」
「何を言ってるんですか、リステル様。僕たちの仲じゃないですか」
「それ以上何か言ってみろ。この場で黒焦げにしてやる」
 リステルが切れかかった目で世宇留を睨みつける。さすがにこれ以上からかうのは身の危険を感じたのか、世宇留は肩をすくめた。
「リステル、ありがとう」
 伊恩ではなく雷斗が感謝した。おそらく伊恩では雷斗自身に相談してくることはないと分かっていたからこそ、雷斗もまた悩んでいたのだろう。
「気にするな。それよりいい加減時間が時間だ。さっさと寝るぞ」
「うん。もう布団は用意できてるから」
 この四人が一緒に泊まるときは、みんな一緒の部屋で、布団を大きく敷いて雑魚寝になる。
「襲わないでくださいね、リステル様」
「襲うかっ!」
 鳥肌を立ててリステルは抗議する。だが、世宇留の言葉はある意味冗談にならない。
「明日の休みは何をしようか」
「リステル様がよく行かれている温泉に招待してほしいですね」
「一人で行け」
「ミカド皇子も連れて、遊園地とかもいいよね」

 ──そうして、三年生の最初の一日が終わる。
 世界はおおむね、平和だった。







BLOWIN’

もどる