ゴールデンウィークも近づく四月下旬。この頃になると生徒たちは何故か浮き足立つ。それも仕方のないことだろうか、やはり大型連休というのはどこか心を誘うものがある。特にこの鳳雛中学は私立の中高一貫教育ということもあり、教職員は夏・冬の休みもほとんどが講習で消える。そのためゴールデンウィークは七日連休を毎年作っている。生徒たちもこのときは家族で旅行に行ったりと羽を伸ばす。教職員たちは年に唯一の大型連休ということで、それこそ海外へ出かける者もいる。こうした時でなければ休みも取れないというのは、現在の社会の一つの問題点ともいえる。
 まあ、もう少しで学習指導要領を変え、ゆとり教育を導入することが検討されている(注:舞台は1993年)。ただ、そうなると今度は総合学習や何やらで、日本の学生全体の学力が低下するという危険性が出てくる。それはそれで問題だ。
 ただまあ、文部省がどのように考えていたとしても、それが学生たちの思考に影響を与えるかといえばそれほどでもない。休みにはゆっくりと遊び、時に課題に追われたりもしながら歩んでいく。それは過去も未来も同じだ。
 それに、世の中が大型連休になったところで全く無関係な者もいる。例えば、
「……なんか、視線を感じるな」
 一年間三六五日毎日休みの、珍しくCDショップなどに来ているリステルなんかが代表例であった。





第二話

黄金週間

其ノ一 BLOWIN’





 そのリステルがどうしてCDショップなどに来ているかというと、つい先日雷斗たちが持ってきていた音楽が原因だった。
 ダーク・アースには『音楽』という習慣が全くない。よく街中で音楽がかかっていても、変な音が聞こえるという程度のものでしかなかった。
 それが興味を持つようになったのは、雷斗がかけたCDの中でも、曲調が早いJ−POPだった。男なのに高い声で綺麗な曲を歌う。また聞いてみたいと思い、こうして足を運んだのだが。
「『しーでぃー』って奴は、随分とたくさんあるもんだな。いったいどれを買えばいいんだ?」
 二年間もホープ・アースで生活していながら、全くといっていいほどこちらの世界になじんでいないリステルはある意味大物だ。
 店頭にならぶCDには二種類あった。十二インチのものと八インチのものだ。雷斗が持ってきていたのは十二インチのCD。業界用語で『あるばむ』というらしい。
「とはいっても、これだけあるとなあ」
 全部端から端まで一枚ずつ確認していくのは時間の無駄だ。だがなかなか見つからない。どうすればいいのだろうか。
 と、その時である。新曲といっても既に一ヶ月ほど経ち、ある程度ブームも過ぎ去ったかと思われるような曲が店内に流れた。
(こいつだ)
 この間聞いた『あるばむ』の中にはなかったが、この声は間違いない。
「おい、ちょっといいか」
 リステルは近くにいた青年に尋ねる。同じくらいの歳の青年はぎょっとして一歩退く。カツアゲにでもあっているのかと思ったのかもしれない。
「こいつだ。この曲と、この歌ってる奴、なんていうんだ?」
 だが、ただ単に聞かれただけかと少し落ち着いたらしく、呼吸を整えて答える。
「B’zの『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない』っていう曲だけど」
「どこにある」
 リステルが尋ねて離さないので、青年は半泣きで新曲コーナーのところへ連れていく。既に発売されてから一ヶ月以上経っているので、オリコン順位もあまり高くなく、新曲コーナーのちょうど二十位のところに置かれていた。
「これか。こいつの他の曲は?」
 いい加減助けて、と言いたそうな青年に無理矢理案内させ、B’zのコーナーまでたどりつく。
「随分たくさんあるな。まあ、全部買っていけばいいか」
 同じ種類のものを選ばないように気をつけながら『B’z』と書かれているCDを全部で七枚手にする。
「カウンターは?」
 もうどうにでもしてくれ、という感じで青年はレジまで案内した。





 リステルは普段、滅多に金を使わない。だが、ダーク・アースの人間の王家に協力していることもあり、自由に使える金は実は結構多い。
 使わないものを一々気にするのも面倒なので、管理はすべて世宇留に任せてある(ただしチョロマカしてないか、時折チェックは入れている)。結構な金額になっており、その気になれば結構いろいろなことができるのは分かっていた。
 ただ、こうして『音楽』というような新しい趣味を作るのも悪くはない。
 今日は寄り道せず真っ直ぐ帰って、世宇留の『ぷれーやー』を使ってゆっくり音楽鑑賞にいそしもう、と考えていた時のことである。
「兄さん、随分とCD買ったね」
 見知らぬ男に話しかけられていた。
 自分も髪が赤いが、相手はそれよりももっと赤かった。もちろん外国人というわけではない。染料で染めているのだ。
「何か用か?」
「いや、兄さんもバンドやってんのかなー、と思って」
「バンド? いや、特に怪我はしていない」
「は?」
 完全に話がかみ合っていない。そもそもアルバムを業界用語と考えているくらい、リステルには全く音楽に関する知識がない。バンドなどという言葉は未知の領域だ。小学生に微分積分を解かせるようなものだ。
「いやいや、格好もいいし、演奏してんのかなってこと」
「いや、音楽自体、この間初めて聞いたばかりだ」
 また沈黙。どうやらとことん話が合わないらしい。
「……そういや兄さん、学校は? まだ昼間だけど」
「別に行ってない」
「仕事は」
「何も」
「プーか。にしては金持ってんなあ、うらやましい」
 どことなく訛りが入った口調だったが、特別悪い気もしない。気さくな感じが不思議と好印象だった。自分より少しだけ背が低く、人懐こい笑みを浮かべている。美少年、という言葉がよく似合う。
「オレ、ツバサ。キャプテン翼のツバサ。親はサッカーやらせたかったみたいだけど、残念ながら音楽にはまって、高校中退して音楽の道でトップ取るために上京してきたとこ。兄さんは?」
「俺はリステル」
「リステル。へえー、かっこいい名前だな」
 ふむふむ、とツバサは自分を見つめてくる。なんなんだ、と少したじろぐ。
「リステル、何もしてないの? もし暇なら、俺と一緒にバンド組まないか?」
 バンド──つまり、音楽を演奏する、ということか。
「断る」
「つれないなあ。聞くだけより自分でやった方が面白いに決まってるのに」
「そういう問題じゃない。とにかく断る。だいたい、音楽自体、この間聞いたのが初めてだってのに、自分で演奏なんかできるか」
「大丈夫大丈夫。リステルは見目もいいし、暇な時間ずっと練習してればすぐに上達するから、まあまあ、せっかくだからライブハウスでも見ないか? ちょうどオレら、この後午後四時からライブするから」
「あのなあ」
「はい、一名様ご案内〜。あ、金は自腹で払ってくれよな」
 なんだか変なのに捕まった。
 早く帰ってB’zの『あるばむ』を聞きたかったのに、と少し残念に思うリステルだった。





 ライブハウスは随分と人が込み入っていた。
 土曜の午後四時という奇妙な時間帯から始まったライブで、これだけ人が集まっているのも珍しいという。それがどれだけのものかはリステルには分からない。
 五十人ほどが入れる空間に、後ろの方に少しだけ椅子が置いてあったのでそれに座る。少ししたらすぐに帰ろう、と思っていた。
『おっしゃお待たせ! 今日もTROYのステージに来てくれてありがとな!』
 さっきのツバサというのがステージに上がった。ステージといっても、段差が本の十センチくらいしかない、演奏者と観客がすぐ近くで一体的に盛り上がれるようなライブハウスだった。
『だいたいみんな知っての通り、今日でギターのマコトが卒業だ。だからこれはオレたちの卒業ライブだ。でもな、その分今日は心置きなく、全力で暴れるぜっ! じゃーまずはイキナリ『LADY NAVIGATION』!」

 N! A! V! I!

 ライブハウスの観客たちが一斉に声を上げる。その迫力に、リステルは一瞬気圧された。
(なんなんだ、こいつら)
 いったいそこまで熱狂するものがどこにあるというのか。だが、その曲と一緒に全員がのめりこんでいる。
 それに、この曲は──
(B’zの曲か)
 リステルは知らないことだが、要するにこのバンドはB’zのコピーをしているらしい。もちろんオリジナル曲もあるのだろうが、B’zの曲が好きなのだろう、四人とも全力で演奏を続けている。
 次第に、自分の体がリズムを刻んでいた。
(いい曲だな。それに)
 CDで聞くのとは違う。本物のB’zじゃないのに、実際の演奏を聞いているだけで、まるで魂が揺さぶられているかのように。
 曲がどんどんと流れていく。二曲、三曲と歌いついでいくなかで、自然と自分も立ち上がっていた。
 この楽曲にのめりこんでいくのが分かる。
 この空間は、麻薬に近い。

「BLOWIN’ BLOWIN’ IN THE WIND!」





『おっつかれ〜』

 全曲終了して観客達と別れを終わらせ、ようやく打ち上げ。
 ツバサたっての希望でリステルもその場に残された。他の客も一緒にいたかったようなのに、どうして自分だけが残されたのかがさっぱり分からない。
「ツバサ、そいつか?」
 ドラムを叩いていた男が尋ねてくる。
「おうよ! こいつは期待度大! だぜ! そりゃ、まーちゃんに比べたら全然だけどな」
「俺ほどのギターがそう簡単にいてたまるかよ。あんた、名前は?」
 まーちゃん、と呼ばれた男が尋ねてくる。リステル、とぶっきらぼうに答えた。
「悪いな。俺もみんなと一緒に音楽でなんとか食っていこうと思ってたんだけど、実家の父親が倒れちまってよ。家業だから、俺が継がなきゃって話になっちまってな」
 どうやらこのギターのマコトという男がやめるという話らしい。
「あんた、ギターの経験はどれくらいだ?」
「ない」
 つらっ、と答えたリステルに、マコトが呆れ、ドラムの男がアルコールを吹き出し、紅一点のベースの女が面白そうに笑う。
「……ツバサ。お前、確認しないで連れてきたのか?」
「いや? 一応確認したよ。でもB’z好きそうだったし、いっかなーって」
「いいわけあるかっ!」
 鋭く突っ込みが入った。そりゃそうだ。知識に疎いリステルですらそう思う。
「つか、確認したいんだが、あんた、本当にうちのバンドに入るのか?」
 ドラムの男が尋ねる。ため息をついて答えた。
「俺はその男に強引に連れてこられただけだ」
「やっぱりね〜」
 のほほんと、女性が答える。そんな非常識な自体にも動じないのは、ツバサの仲間だということだろうか。
「でも格好いいし、本気でやればすぐに上達するし、それに、見た瞬間に思ったんだよ、オレ」
 ツバサは目を輝かせて言う。
「まーちゃんが一緒じゃないなら、オレ、絶対にリステルがいい。つーかリステルじゃなきゃやだ」
「あのなあ」
 マコトが頭をかきながらぼやく。
「でも素人だぜ?」
「オレもまーちゃんも、最初はシロウトだったろ?」
「過程が違うだろ過程が」
 やれやれと言って、マコトが自分を見てくる。
「やる気、あるのかい?」
「強引に連れてきておいて、やる気も何もあるわけあるか」
「と言ってるぜ、ツバサ」
「やだやだやーだ。オレはリステルとやる。絶対」
 駄々っ子か。
 随分と性質の悪いのに引っかかった、とリステルはげんなりする。
「オレさ、リステルとだったら、絶対にトップに立てるって思ったんだ。理屈じゃない。でも、オレの直感は当たるんだ。今まで外れたことなかっただろ?」
「あたるもはっけ〜、あたらぬもはっけ〜」
 女性が微妙なことを言う。
「なあ、リステル。駄目か?」
 真剣な表情で見つめてくるツバサ。
 いったい、どう答えればいいというのか。
「単純に考えてみてくれ。リステルは、やってみたいと思ったか。イエス、ノー?」
 やれるかどうか、ではなく、やってみたいかどうか。
 それなら答は決まっていた。
 自分の体が、敏感に反応していた。あの反応は、決して悪いものではなかった。
「……後悔するなよ」
 イエス、という意思表示だった。
「いよっしゃあ!」
「はしゃぎすぎだ、ツバサ」
 ドラムの男がたしなめる。
「だあってよお、ゲン!」
「はいは〜い。じゃあじゃあ、あいさつあいさつ〜」
 ぽやぽやした女性がリステルの前に立つ。
「わたし、リンっていいます。よろしくおねがいします〜」
「リステルだ」
「俺はゲン」
「オレは──」
「ツバサは分かる」
「ひでえっ! 言わせろよっ!」
 このにぎやかなメンツに囲まれ、どうして自分は了承してしまったのか、と正直悩む。
 ただ、それほどに『音楽』が心地よかったのだろう。
「ギターは、弾いたことがないんだよな」
 このバンドを抜けるマコトが尋ねてきた。
「ああ。それどころか音楽自体、触れたこともない」
「……本気でやるつもりか?」
「知るか」
「中途半端でやるのならやめておけ。俺ですら、本気だった。今でも、諦めきれない。それでもやめなきゃいけない場合がある。少なくともここの三人は、本気で上を目指している連中だ。それにうちらはオリジナルもやっているが、B’zの曲が好きで、よくコピーをやっている。B’zの命はキーの高さと、ギターだ。お前が下手なプレイをすれば、それでうちのバンドは停まる」
「ああ」
「これをやる」
 マコトは自分のエレキギターをリステルに差し出した。
「一日五時間練習しろ。指が切れるまでやれ。それくらいやらなきゃ、上には行けない」
「上に行くかどうかはともかく、やってみるさ」
 リステルはそのギターを受け取る。
「今まで、やることがなさすぎたからな」







胸騒ぎのafter school

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