休みに入ってしまえば、もう誰と会うこともない。
リステルはリステルでどこか毎日遊び歩いている(いつものことだが)。そして雷斗と伊恩は家族で石川県旅行だ。ミカド皇子もこの期間は一度ダーク・アースに戻っている。
自分だけが、一人。
『──いらない』
一人になると、変なことを思い返す。
『力のない奴など──』
やめろ。
出てくるな。
夢の中でまで、自分を苦しめるな。
『──必要ない』
「やめろ……」
ダン、と壁を叩く。
いつもなら、これほどまで『彼』の言葉を思い出すことはない。
自分を捨てた男。
彼の役に立つのなら何でもするつもりだった。
裏切ったのは彼。
裏切ったのは自分。
「ふう……」
汗のかいたコップを取り、水を一気に流し込む。
「一人っていうのは、どうも慣れないな」
それだけ、自分は雷斗に依存しているということだろうか。
早く会いたい。
まだ、四月。あと一週間も会えない。
もちろん、自分のテレポート能力を使えば会いに行くことは可能だ。
だが、せっかくの家族水入らずのところを邪魔するようなことはしたくない。
それに。
「……雷斗に心配ばかりかけさせるわけにもいかないからな」
一人が怖いのは、はっきりしている。
自分の体がいつ軋んで壊れるのか、不安で仕方がないのだ。
「もし」
もしも、自分が──元に、戻れば。
第二話
黄金週間
其ノ三 春の手紙
結局、一人でいても悪い方にしか考えないと悟った世宇留は、意味もなく街に繰り出すことにした。
何かをしていた方が気がまぎれるのは確かだ。それがたとえ自分の好きなことであろうとなかろうと、それは自分には関係のないこと。気を紛らわせてくれればそれでいい。
買ったばかりの春物の白いパーカーを羽織る。黒のジーンズと赤いシャツ。リステルをして『あくまのような』と表現させた服装だ。
目的地があるわけでもない。テレポートなんか使わず、購入したばかりの自転車に乗って街を走る。
並木通りを抜けて繁華街へ。この辺りまでくるともうスピードも出せない。この繁華街の反対側には大きな公園がある。
(適当に店を回るのもいいけどな。いっそ公園でのんびりするのもいいかも)
およそ自分らしくない行動であるのは分かっている。だが、今日は図書館で本を読むのも、家で薬を作るのも気が進まない。何か食べるものでも買って、陽気の下で食べるのも気分転換にはいいかもしれない。
そうときまれば食事だ。
とはいえ、繁華街まで来てしまうと手頃なコンビニもなくなる。どこかのデパートの地下ででも適当に食事を購入しようか。
(十一時か)
腕時計を見て時間を確認。すぐに食事にするには早い。だが、買う分には別に問題ないだろう。
デパートのわき道に入り自転車を止めてしっかりロック。そういえば、ここのデパートの五階には新しく本屋とCDショップができているんだった。せっかくだから見ておこうか。別にじっくり読んだり聞いたりするわけじゃないし、ウィンドウショッピングも悪くない。
そういえば、最近は新曲もあまり聞いてない。流行のものはできるだけレンタルしてテープに落とし聞くようにしているのだが、この三月、四月とそうしたことをあまりしていなかった。
(明日で五月か。あ、そういえばライトとイオンの誕生日だな)
せっかくだから誕生日プレゼントの下見もしておこう、と心に決める。小物なら近くのロフトに行けばいろんなものがある。せっかくだし、笑いの取れるものの方がいい。
できれば、雷斗には心に残るようなものをプレゼントしたいけど。さすがに伊恩の手前、雷斗にばかりそうするわけにもいかないし。
「あああっ!」
五階のCDショップに入ろうとしたとき、別の方向から聞き覚えのある声が聞こえる。
「世宇留くん! わあ、偶然!」
見るとそこには真夏と結月がいた。それにもう一人、クラスの雨宮咲。もちろんいつもの制服ではなく私服だった。
真夏はその名前と同じ、赤の上下でそろえていた。少しくすんだワインレッドで足首が出ているカットパンツに、明るい赤を基調とした白いストライプのノースリーブ、その上からオレンジのジャケットを羽織っている。咲は普通にブルーのジーンズの上下。中には薄い緑地に文字や柄がプリントされたシャツ。そして結月は白地に波模様の入った今流行りのロングタイトスカートに、水色で長袖、縦ストライプのブラウスを着ていた。
「こんにちは、紅坂さん。陽ノ水さん。雨宮さん。三人でお買い物かい?」
すぐに紳士の口調で応対する世宇留は、どこのセールスマンも裸足で逃げ出すほどの人当たりの良さで接する。
真夏が自分のことを好きだというのは知っている。それに、咲が伊恩のことを好きなこともだ。そして。
(陽ノ水さん)
彼女だけは、油断できない。彼女は何しろ、雷斗を一番に愛している女性だからだ。
「一人でお買い物?」
真夏がうきうきしながら尋ねてくる。
「そんなところかな。みんなも?」
「うん。朝から色々と見て回ってたんだ。ちょうどこれから食事にするところかなって話してたところ。そうだ、世宇留くんも一緒に来ない?」
確かにそれはそれで気がまぎれそうだ。一人でいるよりは、誰かと一緒にいた方がこの不安からは逃れられる。
だが、相手が真夏だというのが悪い。世宇留自身は決して真夏を嫌っているわけではないが、彼女からの好意に応えることはできないし、それと知って一緒にいることはできない。
「ごめんね」
あえて理由もつけずに謝る。真夏は明らかに残念そうな顔をしたが、すぐに持ち前の明るさが戻ってくる。
「そっか。ま、仕方ないよね」
「本当にごめんね」
と、ちらりと見た結月と目が合った。
(本当は、彼女と一緒にいたくなかったのかもしれないな)
雷斗が本気で愛している少女。雷斗を本気で愛している少女。
自分は雷斗の傍にいることはできないのに、彼女はそれを苦もなく手に入れている。
それが妬ましい。悔しい。
「あ、世宇留くん」
別れようとしたところを呼び止めたのは真夏でも結月でもなく、咲だった。
「何?」
「食事が駄目だったら、少しだけお茶だけでも駄目?」
咲からの提案に正直戸惑う。
そこまでいくのなら、結局同じことだと思うのだが。
「ちょっと、相談に乗ってほしいことがあるんだ」
咲が真剣な表情で見つめてくる。彼女がらみの相談と言われたら、思い浮かぶのは伊恩のことだ。
(ライトは、彼女のことを応援したいって思ってるようだったけど)
以前、伊恩のいないところで雷斗と彼女のことで話したことがあった。伊恩のことが好きだっていうから、伊恩のためにも応援したい、と。
確かにそのおかげで伊恩が立ち直れるのなら自分も応援したい。だが、本当にそれでいいのだろうか。
伊恩の苦しみは伊恩のものだ。他人に助けを求めるのなら自分からそうするべきだし、それを求めていないのなら勝手に他人が癒すべきではない。
いっそのこと、彼女に引導を渡した方が伊恩のためになるのかもしれないのだ。
「分かった。降参」
世宇留は両手を上げた。真夏が嬉しそうに顔を輝かせる。
「ちょうどこの階には休憩用のお店があるからね。紅茶が美味しいところ」
「あ、うん。そうしたらそこにしようか」
真夏が咲と一緒にそちらに向かっていく。二人の間で「ありがとー」「どういたしまして」というやり取りが聞こえてくる。どうやら、咲が自分を誘ったのは真夏のためだったらしい。やれやれだ。
「さ、僕らも行こうか、陽ノ水さん」
「あ、うん」
結月は少し戸惑ったようについてくる。つい、イタズラ心で彼女に向かって言ってしまった。
「ライトに会えなくて、寂しい?」
一瞬で彼女の顔が火照る。全く、本当にこの娘は素直で面白い。
「そ、そういう世宇留くんだって、雷斗くんに会えなくて寂しいんでしょ?」
切り替えしてきた。以前の結月では考えられない芸当だ。
「寂しいよ」
だが、自分は怯まない。
想いを伝えられないのなら、せめて嫌がらせくらいはしておきたい。
「ライトにはまだ六日も会えない。こんなに長く会えないのは久しぶりだ。一人でいても気が滅入るだけだったから、気晴らしに来てるんだ」
堂々と言い切った自分に対して、彼女はどう反応してくるだろう。
だが、結月は少し寂しそうな表情を浮かべてぽつりと言った。
「そうだよね」
少し遠くを見て、
「好きな人に会えない連休って、長いよね」
「まあね」
お互い、思うことは一つだけ。
早く、会いたい。
それだけが、二人に共通した感情。
家に帰ってきて、テレビをつける。時間は午後六時。ちょうどニュースの時間だ。
開幕まであと二週間と迫ったJリーグの特集などやっている。日本サッカー、プロ化元年ということで、十チームの戦力分析などしていた。
「そういや、あいつもスポーツ得意だったな」
雷斗のあれは得意というのではない。単に運動神経が良すぎるだけだ。“闇の者”の中でもリステルと雷斗が最強として位置づけられているし、おそらくその評価は間違いではない。あのダウザードとの戦いでも、雷斗にかなう相手はダウザード本人とリステルの他には誰もいなかったのだ。
「明日は五月一日。まだ随分長いな」
リステルも帰ってこない。今日は温泉近くで野宿だろうか。まったく原始人だ。こんな日くらい帰ってきて、自分のおもちゃになってくれてもいいだろうに。
テレビを消して、棚に並んでいるCDケースから一つ取り出すと、プレーヤーにセットする。昼に会ったかしまし三人娘と音楽の話になって、伊恩や雷斗がどんな曲が好きなのかと質問攻めにあったのだ。もちろん自分もだが。
真夏がお勧めのCDがあると言って紹介した曲は、自分も持っていた。今年の一月から三月にかけて連載されていたドラマの主題歌になっていた曲だ。
緩やかなメロディが、誰もいない、暗い部屋の中に流れる。
「どうして、こんな身体なんだろう……」
雷斗に会ってから、そんなことばかり考えるようになった。
望まれて生まれたわけではない自分。望まれて拾われたわけではない自分。
自分のすべては誰かに利用されるために作られたものであり、それを解き放ってくれたのが雷斗だった。
『お前はライトに会うために、そして仲間になるために生まれて来たんだろう』
リステルがそう慰めてくれたのも、もう一年以上前のことだ。
自分なんかが生まれたことを喜んでくれた雷斗。そして、生きる道標を見せてくれたリステル。二人には感謝しても仕切れない。
だから、自分は雷斗のためならこの命をかける覚悟すらできている。もちろん、雷斗はそんなことを少しも望んでいなくて、ただ自分と友達でいてほしいとしか思っていない。
傍にいられるのなら、それでもいい。
だが。
(想いを伝えられないっていうのは、辛いなあ)
この好きより好きの気持ちを、どうすればいいのだろう。
もしも、自分が。
(……変わらない、か)
どうせ、雷斗は結月のことが好きなのだ。
それならば、今のままの自分でいた方がいいに決まっている。
無理をして、自分の体に負担をかけても仕方がない。
(俺の身体。いつまで、このままでいられるんだろう……)
そんな漠然とした不安も、今は、この曲とともに流してしまおう。
少し自分には、休息が必要だ。
『ただ傍にいるだけで幸せだったのに、好きだとは最後まで口にしなかった』
晴れたらいいね
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