石川県は金沢市。都心から離れたこの場所は、それでも人口五十万近くもいる都市である。
 普段は東京に近い都心に住んでいる館風家だが、大型の連休にはたいていどこか旅行に出かける。正月や盆などはたいがい二泊三日の旅程が多いのだが、今回は雷斗が来て始めての黄金週間ということで、四月二十九日からまるまる一週間、館風家の祖父母の家に来ていた。
 館風家の祖父母とは初めて会う雷斗であった。昨年の盆も館風家は里帰りをしていたのだが、その時は雷斗もダーク・アースに帰っていたので、来ることができなかった。
 父親と同様に、非常に優しげな、よく似た祖父母だった。今や完全な“闇の者”である雷斗ではあるが、もともとは伊恩と双子の兄弟だ。自分のルーツが目の前にあるのを見て、正直戸惑いは隠せなかった。
 というよりも、自分によく似ていた。父はどちらかというと祖父母のどちらにもあまり似ていないような気がするのだが、自分と伊恩は明らかに祖父似だった。
「よく来たね、みんな」
 祖父が背中を丸めて笑顔で出迎える。
「初めまして」
「おお、お前が雷斗か。倅から話は聞いておるよ。ほう、ほう。伊恩と同じで、ワシの若いころにそっくりじゃ」
 それが祖父流のもてなしの言葉であるということに、雷斗はしばらく気付かなくてきょとんとしていたが、やがて顔を赤くして笑った。





第二話

黄金週間

其ノ四 晴れたらいいね





 祖父母は二人きりで住んでいるらしかった。
 館風家の親族は祖父母とその子供が二人で、父親の上に兄がいるらしい。つまり、雷斗と伊恩にとっては伯父にあたる。
 伯父は妻とは死別しているが、娘が一人いて、自分たちと同い年だという。今回はほぼ同じ日程で帰省するということだったが、二日遅れて五月一日の土曜日の夜に到着するらしかった。
 石川県内にも色々と見るところはあるが、二日目は家族四人で能登半島を回った。短い旅行期間ではなかなか能登巡りはできない。伊恩も何度も石川県に来たことはあったが、能登を回るのは二度目とのことだった。
 天気は快晴。有料道路を抜けて七尾方面へ。自宅で編集してきたカセットテープをかけながら、車は快調に走る。おりしも曲はドリームズ・カム・トゥルーの『晴れたらいいね』が流れる。
「本当に、晴れてよかったよね」
 伊恩の言葉に、雷斗も上気しながら頷いた。
 能登島へ橋を渡る。左右が完全に海で、その海の上を道路がつながっている。まさに海の上を走る快感。雷斗も伊恩も窓にぴったりくっついて、わーわーと終始歓声を上げっぱなしだった。
 そのまま能登島のうねった道を進む。何台も車が連なりスピードも出ないのだが、決して回りを見飽きることがない。瓦ぶきの屋根、古い町並みが国道に沿ってどこまでも続く。コンビニとかがないので不便だろうとは思うけれど、その分静かで落ち着いた空気がその島の中にはあった。ただ車だけが急いでその時の止まった島を駆け抜けていった。



 再び半島に戻り、能登半島を横断する。朝早く出ていたので、十時過ぎには日本海側の輪島に到着した。まだ朝市がやっている時間帯だった。
 所狭しと並ぶ出店。加賀友禅なんかも安物ならハンカチ一枚四百円とかで売っている。塗りの悪い輪島塗なども置いているが、本当に叩き売りだ。それでも漆塗の黒い輝きに雷斗は一つひとつ声を上げた。すぐに買いたがる雷斗だったが、伊恩から「きちんと全部の店を見てから一番欲しいものを買いなさい」と注意されて、はやる気持ちを抑えながら全部を見て回った。
 気に入ったのは淡いピンクとエメラルドグリーンの色あわせをした友禅染だった。ピンクの下地に風が流れるように緑を載せていく。値段もそれなりにした。良いものはやはり値段も高い。だが、雷斗はそれを結月へのプレゼント用に買うことにした。今回はみんなにお土産を買うつもりだ。両親からお土産用のお小遣いとして一万円までは自由に買っていいと言われている。もちろん差をつけるようなことはしないが、それでも──好きな人にはいいものをあげたいと思うのは当然のことだろう。
「どう、雷斗。面白い?」
「うん、すっごく面白い! こんなに賑やかなのってすごいよ。ここに来てる人たちってみんな観光に来てる人たちなんでしょ?」
「ちょっとは現地の人もいると思うけど、ほとんど観光客だよ。それに今はゴールデンウィークで観光シーズンだから。朝市じゃなくて夕市の方だと現地の人ばっかりって話だけど」
「あっ、伊恩、あそこに何か面白そうな建物がある。行こうっ!」
 まるで子供だなあ、と伊恩は笑う。雷斗はずっとダークアースにいたから、こうしてホープアースで初めて見たり体験したりするものについてはものすごい無邪気になる。
 雷斗が向かったのはイナチュウ美術館だった。十七〜十九世紀ごろのヨーロッパの絵画や彫刻、美術品、家具などが並ぶ。大理石の床や、絨毯をしきつめた廊下など、まさに宮殿と呼ぶに相応しい造りだった。できたばかりの美術館らしく、どれもぴかぴかに輝いている。
 しかもそこではヨーロッパ貴族の服を貸し出しなんかしていた。せっかくだから、と伊恩が強引に勧めて雷斗に着させる。もちろん貸し出し料がかかるのだが、そうしたものにお金をかけるのが正しい旅行の仕方というものだろう。
 そして黒系の貴族服を着た雷斗は──おそろしく似合っていた。
(か、かっこいい、雷斗)
 いつも優しく微笑む伊恩に比べ、普段の雷斗はきりっとした表情だ。その顔で豪華な貴族服を着られると、まさに容赦ない完全なヨーロッパ貴族の出来上がりだ。
「かっこいいよ、雷斗」
「あ、ありがと」
 だが褒めるとすぐに顔がくずれる。そうしたかっこいいところと可愛いところが同居するのが雷斗が人気のあるところだ。
 伊恩が持っていた使い捨てカメラで撮影する。彫刻や絵画をバックにした雷斗はどこか別次元を思わせる。そういえば一昨年の学芸会で、雷斗は吸血鬼の役をやったんだったっけ。あれもすごい似合っていた。雷斗には黒が似合うかもしれない。
(あとで結月ちゃんにあげよう)
 と、雷斗に黙ってそんな策略を企む伊恩であった。



 日本海側の道路を南下し、能登金剛まで降りてくる。ここで昼食となった。
 その後、ゆったりと半島を南下し、七尾まで戻ってくる。時間は午後三時。ここで温泉に入ることになった。
 和倉温泉総湯は日帰りで温泉に入っていくことができる。五代となる大浴舎はけっこう古びてきており、あと数年したら新しく建て替えるという話も出ているらしい。が、中は売店やゲームコーナー、仮眠室もあったりと、しっかりと設備が整っている。
 じっくりと温泉につかって体の芯まであったまった一行は、五時ごろになってからようやく七尾を出た。途中ガソリンスタンドによってから有料道路に入る。
「面白かった、雷斗?」
 母が微笑みながら尋ねてくる。もちろん答は決まっていた。
「うん、すっごく面白かった。ありがとう、父さん、母さん」
 父さん、母さんと呼べるのが嬉しい。こんな風に家族で出かけられるのが嬉しい。
 ずっと求めてやまなかったもの。子供の時からずっと欲しかったもの。
 それが今、雷斗の手には確かにある。
 伊恩がそのことを思うと、少し瞳を潤ませた。






 三日目、五月一日は雷斗と伊恩の二人で行動することにした。
 もう中学三年生なのだし大丈夫、と両親を説得した。見知らぬ土地で迷ったりしないかと親は心配になるものだ。だが、ダークアースで命がけで戦ってきた雷斗に対して、それは杞憂というものだった。
 今日は伊恩が『お気に入り』の場所に連れていってくれるという。雷斗はわくわくしながら伊恩についていった。
 金沢駅からバスで十分。そこに目的地は存在した。

 日本三大名園の一つ、兼六園。

 観光客でにぎわってはいるものの、そこは景観を一番の見所とする庭園だ。まず入口の桂坂から入る。やや傾斜のある坂を上る土路の左右に桜の木が立ち並ぶ。垂れ下がってくる枝が頭に当たるほどに桜が満開だ。
 その坂を上りきると景色が開け、そこに池が現れる。霞ヶ池だ。
「うわ、きれー……」
 雷斗が目を丸くしてその光景に見入る。
 池の反対側には池に突き出た茶屋が見える。左手奥には小さな島がある。そして手前には徽軫(ことじ)燈篭。その手前に小さな石橋──虹橋がかかっている。左手を見ると、池に向かって横に伸びていく唐崎松。もちろんそのままにしておくと折れてしまうので、池から支え木をしている。
 池に沿って眺望台を抜けていくと、再び木々の間に入る。その先に出てくるのが兼六園菊桜だ。桜の花がビー玉より少し大きいくらいのサイズで咲いている。滅多に見られない桜の花に、雷斗はしばらく呆然とした。
 そのまま進んでいくと梅林があるのだが、さすがにここは時期はずれだった。花が咲いているわけでもなく、観光客もまばらになっていた。その中にある船の御停と呼ばれる、船の形をした石組みのベンチに二人は腰を下ろした。
「どう、雷斗?」
「うん、凄い。圧倒される」
 見るもの全てが美しい景観で雷斗も驚きっぱなしだ。伊恩も連れてきた甲斐があると微笑む。
 少し休憩した後、二人は園内をさらに散策した。
 瓢池(ひさごいけ)をぐるりと巡り、その途中にあった翠滝の美しさにまた心を奪われる。そして池近くにある時雨亭に立ち寄り、そこで食事と抹茶を飲むことにした。
 程よくおなかをすかせた二人に食事は美味しかったが、抹茶は雷斗の口には合わなかったらしい。一口含んで変な顔つきになった。伊恩が笑ったのは言うまでもない。



 そうして時雨亭を出て入口付近まで戻ってきたときのことである。
「あ、ごめん、伊恩。鞄忘れてきた」
 うっかりというにはあまりに大きな忘れ物である。
「ちょっと取りに行ってくるから待ってて」
 だーっ、と一気に走り去っていく雷斗。止める間もなく行ってしまった雷斗に声をかけることもできず、伊恩は苦笑をもらした。
「楽しそうだな、雷斗」
 雷斗の喜ぶ顔を見るのが嬉しい。自分の大切な兄がそうして自分と一緒にいてくれるのが嬉しい。
 自分の、たった一人の双子の兄。
「雷斗が喜んでくれてよかった」
 伊恩は辺りを見回して、手近なベンチを見つけるとそこに腰を下ろした。
 少し疲れたかもしれない。昨日今日ととにかく歩き回ったのだから当然ともいえた。だが、どれだけ疲れたとしても雷斗と一緒なら全然辛くない。雷斗と一緒にいろんなことをするのは楽しい。兄弟として一緒に今までいられなかった分、これからはもっとずっと一緒にいたい。
 そんなことを考えていた時だった。
「捕まえた」
 突然、彼の体が温かい細い腕に包まれる。聞き覚えのある優しい女性の声。
「え」
 伊恩は首だけ振り返る。そこには──愛くるしい小顔の女の子がいた。
「やっぱり伊恩だ」
 もちろん、その女の子はよく知っている。
 館風、玲魅(れみ)。
 自分と同い年の、従妹だった。
「久しぶり、元気してた?」
「あ、あれ、玲魅? どうして? だって、到着は今晩だって」
「だって、父さん遅いんだもん。伊恩に会いたかったから、ボクだけ先に来ちゃった」
 あはっ、と笑顔を見せる。その顔に思わず伊恩も笑顔を見せた。
「久しぶり、玲魅。元気そうだね」
「うーん、伊恩に会いたかったっていうところを綺麗にスルーしたね。ま、いいけど」
 玲魅が離れると伊恩も立ち上がった。去年の盆に会ったのが最後だったが、どうやらまた自分は身長が伸びたらしい。同じくらいだったはずの少女は、いつの間にか目線が下になっていた。
「伊恩、またちょっと大きくなった?」
「そうかも。さすがに一年も経ってるとね」
「これ以上カッコよくなられると、ボクが困るなあ」
「? どうして?」
「だって、ボクがつりあわないじゃん」
 この従妹は事あるごとに伊恩にアタックをしてくる。だがもちろん、従妹なのだしそれを本気だとは伊恩は思っていない。いつもの軽口だという感覚だった。そのため伊恩もその軽口に乗った。
「玲魅は十分可愛いと思うよ」
「そりゃもう、伊恩に会えると思ったから、思いっきり可愛いカッコしてきたんだもん。どう、似合う?」
 小さな身体によく似合う白のワンピース。肩が出ていて肌が露出している。確かに去年の時より魅力的だった。
「うん、すごく似合ってるよ」
「よかったぁ。お父さんはおしゃれしていく必要なんかないって言ってたんだけど、でも伊恩に会うんだもん。綺麗なカッコしてたいじゃない」
「うーん、着飾っている玲魅も可愛いけど、玲魅はそもそも外見よりも中身がすごい綺麗だから。何を着ててもきっと似合ってると思うよ」
 軽口以上に考えていない伊恩の言葉は、元気はつらつな従妹を真っ赤にさせることに成功した。
「もう、照れるじゃない。伊恩のバカ」
 ぽか、と音が聞こえるようにグーで叩いてくる。傍から見たらまさに恋人同士の図、といったところかもしれない。
「それにしても、よく兼六園にいるって分かったね。誰にも言わなかったのに」
「分かるよ。伊恩のことだもん。先に実家に電話かけたら外出したっていうから、多分ここだと思って来てみたの。ビンゴでよかった」
「兼六園に一日中いたのは二年の春だったよね」
 苦笑する。確かにその通りだった。あの時は自分が雷斗のことを完全に忘れていて、胸にぽっかりと穴が空いたみたいだった頃だ。どうしてこんなに寂しくて不安なのか、それが分からなくて一人でいることが多かった。
 ちょうどそのとき、この兼六園に初めて来た。何かよく分からないけれど、落ち着くことができた。それだけこの場所が人に安らぎを与えられる場所だということなのだろうと思う。
「玲魅はその時、ずっと一緒にいてくれたよね」
「そりゃ、大事な伊恩が何か悩んでるみたいだったから。でも、伊恩は要領得ないし。そうしたらずっと一緒にいるくらいしかできないじゃない」
「うん、ありがとう」
「……あー、もう」
 ばふ、と音がするくらいにもう一度玲魅は伊恩を抱きしめた。
「どうしてこんなに可愛いかな、伊恩は」
「え、あ、玲魅、ちょっと」
「好きだよ、伊恩。ずっとずっと好きだった」
「あ、ありがと、玲魅」
「伊恩」
 むー、と玲魅は真剣な表情で怒る。
「もう少し、真剣に受け取ってほしいんだけど」
「いや、でも」
「伊恩がボクの何とも思ってないっていうのは前から分かってるつもりだったけど、ねえ、ボクってそんなに女の子として魅力ない?」
 そんなはずはない。玲魅はあまりに綺麗で、面と向かっていると気恥ずかしくなってくるくらいだ。
「そんなことないよ」
「やっぱり従妹だからなのかなあ。いっそのこと完全な他人だったらボクにもチャンスあったかもしれないのに」
 玲魅はずっと昔からこんな感じだった。初めて言われたのはまだ幼稚園の頃だったか。それから会うたびに告白され続けているような気がする。もはや年中行事の一部くらいにしか伊恩も思っていない。
「ねえ、伊恩、ボク──」
 と、その時、別の人の気配がした。
「あ、雷斗」
 伊恩は立ち上がると困ったような顔をしていた雷斗に近づく。
「えと、伊恩、その」
「ああ、雷斗。こっちが館風玲魅。僕らの従妹。今晩到着の予定だったんだけど、伯父さんより一足先に来たんだって。玲魅、こっちが光夢雷斗」
「うん、パパから聞いてる。伊恩に兄ができたって。伊恩にそっくりだね」
 元は双子なのだから当然といえば当然だ。詳しい事情を聞かされていなければ不思議に思うのは間違いのないことだ。
「ふうん、なるほど」
 少しずつ玲魅の目が険しくなっていく。雷斗はその目に一瞬気おされた。それは『敵意』とも呼べる目だった。
「はじめまして。ボク、館風玲魅」
「はじめまして。俺は雷斗。光夢雷斗」
「雷斗って呼んでいいのかな」
「うん。俺も玲魅って呼んでいいんだよね」
 何だか不思議なやりとりだった。だが仲が良くなってくれるのなら伊恩としても安心できる。
「やっと分かった。あの春落ち込んでた伊恩が、夏にはすごい元気になってた理由が」
「え?」
「雷斗のおかげだったんだね。雷斗がいたから、伊恩は立ち直ることができた」
 雷斗が帰ってきたのは去年の誕生日、五月二十二日。そう、雷斗と再会し、雷斗のことを思い出したのがまさにその日だった。
「よく伊恩のことが分かるんだね」
「そりゃ、ボクは伊恩のことで頭が一杯だもん。伊恩のこと大好きだからさ」
「俺も伊恩が大好きなんだ。仲間だね」
「うん。『伊恩大好き同盟』だね」
 ようやく険悪なムードが晴れていく。が、何とも伊恩としては居づらい雰囲気になってしまった。
「よろしく、雷斗。でも、言っておくことがあるから」
「なに?」
「伊恩は絶対に渡さないからっ!」
 そしてまた強く伊恩に抱きつく。あはっ、と雷斗は笑う。
「うん。俺も大切な伊恩を取られないように気をつけるよ」
「雷斗」
「ごめんごめん、伊恩。でも、こんなに可愛い子に好かれてるなんて知らなかったよ」
「玲魅のは昔からずっとだったから」
「じゃ、雷斗との出会いを祝して、近くでお茶でもしていかない? まだ帰るには早いしね」







空も飛べるはず

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