そうして、従兄弟三人組は黄金週間を満喫した。
 五月二日は二家族と祖父母も交えてキャンプに行く。祖父母ともしっかりとしていて、足腰とかに全く不安がないからできる芸当だ。
 去年までこうしたキャンプとかでは、子供組が伊恩と玲魅の二人だけだったため、何かと二人で話すことが多かったが、今年は雷斗もいる。が、そこは館風家。雷斗も伊恩も玲魅も三人仲良くずっと一緒に話し込んでいた。よくもまあそこまで話が尽きないものだと、親たちの目から見ても感心するほどだった。
 夜になって花火が始まる。三人は花火を楽しみながらきゃあきゃあと遊んでいる。
 雷斗と伊恩にとっての伯父、そして玲魅にとっての父である館風総夢(たちかぜそうむ)は、そんな子供たちを見ながら微笑み、そして弟が用意してくれたビールを飲む。
「なんだか疲れてるみたいだね、兄さん」
 雷斗と伊恩の父、館風真琴(たちかぜまこと)が灰皿を出す。妻の詩織(しおり)がその義兄に微笑んだ。
「ん、ああ」
 ライターを擦って煙草に火をつける。ふう、と一息吐くと改めて子供たちを見る。
「あれが雷斗くんか」
「ああ。いい子だろう?」
「そうだな。正直、お前の話を聞いた限りでは、ついに現実と物語の区別がつかなくなったかと心配したものだが」
「そりゃひどいよ、兄さん」
 苦笑して真琴が不満を伝える。
「玲魅ちゃんはだんだん、義姉さんに似てきたね」
 そして少し重い会話になる。詩織の顔がかすかに翳る。
「ああ」
「兄さんが悩んでいるのは、玲魅ちゃんのことかい?」
 総夢の顔が険しくなる。
「まあ、結論はそうだな」
 花火をする玲魅の顔は無邪気で、この世の幸福をすべて自分に集めているかのように見える。
 だが、自分の我侭で、娘に辛い思いをさせることになろうとは。
「真琴」
「はい」
「頼みがある」
 真琴は微笑む。この兄が、こんなに真剣に自分に願い事を伝えたことが今までにあっただろうか。
「もちろん。僕は兄さんのたった一人の弟だからね。どんなことでもするよ。僕にできることなら」
「──すまない」
 そして頼みごとをされたのも初めてなら、謝られたのも初めてだろうな、と真琴は思った。





第二話

黄金週間

其ノ五 空も飛べるはず





 五月三日に祖父母の家まで戻り、五月四日は子供たちだけで街に遊びに行く。
 既に三人は大の仲良しという感じだった。最初は険悪ムードだった雷斗と玲魅も、今では本当の兄妹のように仲が良い。
 しかも三人揃って美形なものだから、街中で三人揃って話しているだけで、通行人の目を引く。
「あーあ、明日になったらもう二人と一緒にいられないのかあ」
 昼ごはんを食べ終わって、しょんぼりとした様子で玲魅が言った。
「また会えるよ」
「そんなことは分かってるし、嫌だって言ってもボク、二人に会いに行くもん」
 その辺りは強気な少女のこと、何があっても実行するだろう。
「別に、向こうが嫌だとかいうわけじゃない。向こうには友達もいるし、いいところだよ。でもボクは、二人と一緒がいいな」
 こういうことを素直に言えるのが玲魅のいいところだ。もっとも、もしそれでずっと一緒にいられるとなると、今度は故郷の友達のことを考えるのだろう。難しいところだ。
「そういえば、玲魅のお父さん──総夢さんって、何の仕事してるの?」
「外資系ってことくらいしか知らないけど。ヨーロピアン・カンパニーっていう会社」
 そんなわけで、給料もよく、扶養家族が一人しかいない館風家は非常に豊かな暮らしをしている。その代わり、家事全般は玲魅の仕事になる。もっとも総夢も仕事が遅く、一緒に食事をする機会は多くない。
 小学生の頃はそれを妬んだりもした。それこそ、父親を心配させてやろうと思って家出とかもした。ちょっとしたいたずらのつもりだった。
「パパ、最近すごい忙しいからあまり一緒にいられないけど」
「でも僕、伯父さんのことは大好きだよ。玲魅のことだってすごい大切にしてるの分かるし」
「そりゃ、たった一人の家族だもん」
 えへん、と何故か胸を張る。
 父親のことを玲魅がどれだけ好きかということは伊恩はよく知っている。自分の父のように優しさを表に出す人ではないけれど、注意深く娘を見守っている。玲魅もそれが分かっているから、父親のことが大好きなのだろう。
「さ、それはそうと次のとこ急ごうよ! ボク、水族館すっごい行きたかったんだから!」
 すっかり二人の妹になってしまった玲魅がはしゃぎ、雷斗と伊恩は顔を見合わせて笑った。






 そんな、連休もあと一日を残すばかりとなった日の夜のことだった。
 明日になればもうそれぞれの家に戻らなければならない。今日が玲魅と一緒にとることができる最後の夕食だ。
 家族みんなで焼肉を食べ、一息ついて果物のさくらんぼが机の上に並ぶ。
 親たちから『重大な』話がされたのは、ちょうどその場面だった。
 お前たちに大事な話がある、と言って祖父母をも交えた八人での家族会議が始まり、その最初の総夢の言葉に、玲魅が目を白黒とさせた。雷斗も伊恩も、どうして突然そんな話になってしまっているのか、全く分からない状態だ。
「……どういうこと、パパ」
 さきほどまで和やかに進んでいた食事のときの光景はどこにもない。そこにあったのは戸惑い、困惑。そして不安と絶望。
 玲魅の顔から、完全に表情が消えていた。
「玲魅。父さんはギリシャに転勤することになった。お前を連れていくことはできない。お前は真琴叔父さんのところでお世話になりなさい」
 真剣な瞳。
 総夢の言葉が本気であるということは子供たちにも伝わった。真琴と詩織が何も言わないのは、既に親同士の話はすんでいるということなのだろう。
「……」
 玲魅は一度何かを話し出そうとしたが、言葉にならなくてとどまる。その動揺を見てとったのか、総夢はさらに言葉を続けた。
「お前には今までいろいろと苦労ばかりかけた。父さんはそれでもお前と一緒にいられればいいと思っていた。だが、今回ばかりは、そうもいかなくなった。これがアメリカとかだったらまだ日本人学校もある、英語も少しは使えるから片言でも話すことはできる。だが、場所が場所だ。治安がいいとはいえ、日本人が一人でいて過ごしやすい環境であるはずがない。お前のためにもならない。だから、叔父さんのところにお世話になるんだ。いいね?」
 だが、今度こそ玲魅ははっきりと答えた。
「イヤだ」
「玲魅」
「イヤだよっ! そんなのっ!」
 だん、と机を叩いて机の上のコップと皿が揺れる。詩織がびくっと肩をふるわせた。
「パパ、ボクに何の相談もしてないよ!? ボクはパパのたった一人の家族なのに! どうして!? パパはボクがいらないの!?」
「そんなことはないよ」
「だったらどうして一人でギリシャに行っちゃうの! どうしても行かなきゃいけないなら、どうしてボクに一緒に来てくれって言ってくれないの! せめて、せめてどっちにするかボクに決めさせてくれないの!!」
「玲魅」
「ボクは絶対にイヤだからね。パパが何て言ったって、絶対にギリシャについてくんだからっ!!」
 そしてやおら立ち上がると、客室として使っていた自分の部屋に飛び込んでいった。
 一陣の風が過ぎ去り、ふう、と総夢が一息ついた。
「玲魅ちゃん、説得は難しいかもしれないね、兄さん」
 真琴がやれやれと言いたそうに総夢に声をかける。
「突然だったからな。先に何らかの形であいつに話を振っておくべきだった。どうも俺は子育てがうまくない」
「誰もこんなことは予想できませんでしたから」
 詩織がフォローを入れる。だが、何も言えなかったのは、玲魅の勢いに圧倒されて何も言えなかった子供二人だ。
「……どうして、今まで一度も何も言わなかったんですか。それこそ、話は今までに何度もする機会はあったはずなのに」
 雷斗が疑問を口にする。大人の──仕事の都合というものが突然起こることだというのは理解しているつもりだ。だが、それを家族に何も言わなかったというのは、どうなのだろう。
「この話が出たのが、ゴールデンウィークに入る前日。こっちに来る前に先に話をしておこうと思ったんだが、玲魅は先に君たちに会いに来てしまっていたからね」
 総夢が言って苦笑する。だが、そうなると一つ問題がある。
「それって、まだ決定ではないってことですか」
「いや、決定だよ。俺がその場で分かりましたと答えたからね」
 それこそ玲魅の、家族の了承も得ることなく、だ。
「……それこそ、どうしてですか」
 雷斗が少し険悪なムードで尋ねる。子供を全く無視した、身勝手な、我侭な態度に見えたからだ。
「雷斗。そこまでにしなさい」
 だが、そうした雷斗を親の真琴がたしなめた。
「兄さんにも事情がある。それを考えずに相手を責めてはいけない」
「でも、それじゃ玲魅が可哀相だ」
 この場合は伊恩も雷斗に賛成だった。どんな事情があるにせよ、もしも自分が玲魅の立場にたったらと思うと、総夢伯父さんを許せない気持ちだった。
「まあ、玲魅には俺からまた話すが、伊恩くんと雷斗くんはどう思う」
「え?」
「俺がギリシャに行くのは決定だ。その場合、玲魅のためには日本に残るのがいいか、それともギリシャに連れていった方がいいのか」
 その二択はずるい。どちらも玲魅が求めていないことだからだ。
「ギリシャに行かないっていう手はないんですか」
「ああ、すまないな。俺はどうしても行かなければいけないんだ。仕事のこともあるけれど、自分自身としてね」
 何か別の事情があるというのは真琴も先ほど言った。それが事実だとしても、今回のこの一件はやりすぎのような気もする。
「僕には選べません。玲魅の気持ちを知っているから」
「俺も分かっているよ。あの子についてきなさいと言ったら絶対にそうするだろう。だが、言語や宗教の壁っていうのは厚いものでね。思うほど簡単に超えられるものではないんだ。俺はギリシャ語を勉強していて、現地でもなじむことはできるだろう。初めてではないしね。だが、玲魅はそうじゃない。全く違う文化のところにいって簡単になじむことはできないだろう」
 総夢のその点に関する言い分は間違っていない。ただ、ギリシャに行くと一人勝手に決めていることだけが問題なのだ。
「僕、ちょっと玲魅を見てくる」
 伊恩が立ち上がって玲魅の部屋へと向かった。
「雷斗くん」
 そして総夢は残った雷斗に話しかけた。
「少し話がある。ちょっと、庭に出ないかい」
 雷斗は少し迷ったが、ついていくことにした。
 玲魅のこともそうだが、この伯父についてはもっと詳しく知っておきたい。そうしなければいけないという、何か予感があったからだ。
「真琴。息子を借りるぞ」
「ええ。よろしくお願いします、兄さん」
 少し安心したように真琴も微笑む。
「父さんは、伯父さんがどうして突然決めたか、知ってるの?」
 庭に出て、雷斗は率直に尋ねた。
「ああ。キャンプの時に話はもう済んでいたからな」
 では、それから二日の間、親たちは自分達にずっとそれを隠していたということだ。おそらく、連休の間はそんなことを考えずに、ゆっくりと遊ばせてあげたかったということなのだろう。
 その心づかいはよく分かる。自分でもそうしたかもしれない。だが、最後の最後で、それこそ考える時間すら与えられない問題を提示されると、さすがにどうしようもない。
「どうしてなんですか」
 庭は虫の声。満月が近い月と、その回りにひそかに輝くいくつかの星。立ったままの雷斗と、縁側に腰を下ろした総夢。
 だが、総夢は雷斗を見ようとせず、ただ庭を見つめながら言った。
「玲魅は最近、妻に似てきたよ」
 突然話が変わったが、おそらくはそれも総夢の説明なのだろう。
「春先のことだ。玲魅が眠れないといって俺のところに寝に来た。もう中学生なのに、まだまだ子供だなと思ったが──あの目が、な」
 なんとなく。
 なんとなく、雷斗には、総夢がこんな突然と思えるほどに転勤を急いだ理由が分かった気がした。
「あいつにそっくりだった。おずおずと俺を見上げる目があいつそっくりで、そればかり頭に残って、もう離れないんだよ。俺は玲魅に、女を感じたんだ。自分の娘にな」
 総夢は自虐的に笑う。
「馬鹿な話だ。だが、一度意識してしまえば後はもう、その意識は膨らむばかりだ。今はまだ中学生だ。だが、これから成長するにつれて玲魅はもっと女らしく、そしてあいつに似てくるんだろう。一緒に暮らしていては、俺がそれに耐えられない。いつか玲魅を傷つける」
 その告白に雷斗は何も言うことができず、ただ立ちすくむばかりだった。
「それが理由だ。俺としては一日も早く玲魅から離れたい。そうしないと、俺の精神が先に悲鳴をあげそうだからな」
「でも、それって……玲魅は、お母さんのかわりじゃないのに」
「ああ、性格は全然違うよ。あいつは玲魅みたいに破天荒じゃない。詩織さんみたいに控えめで大人しいやつだった。おずおずと俺を見上げる目が可愛かったよ。そう。あの目が、あいつに本当にそっくりなんだ」
 自分の娘を、愛する。
 それが総夢にとってどれほど重い悩みだったのか、想像するのは容易いことだった。
「そういえば玲魅が、最近、伯父さんがすごい忙しいって言ってたけど……」
 その言葉に総夢は「ああ」と笑って答える。
「そう。できるだけ玲魅と一緒にいる時間を削ってたんだ。無理に日曜とかにも仕事を入れたり、夜も遅く帰ったりしてな。玲魅と顔をあわせられなかった。顔をあわせるだけで玲魅が──ほしくなる」
 その、直接的な感情にあてられ、さすがに雷斗も怯む。
「……俺が急いでいる理由が分かるだろう?」
 よく分かった。だが、まだ中学三年生でしかない雷斗には、さすがに刺激的な話だった。
「どうして打ち明けてくれたんですか、俺に」
 雷斗が尋ねると、総夢は逆に真剣な顔つきに変わった。
「君に聞きたいことがあったからだよ、雷斗君。ダーク・アースのことを」
 ──総夢はダーク・アースのことを知っていてもおかしくはない。なぜなら、小説家である父が自分たちのことを題材に、未発表小説『TWIN地球』を描いている。主人公はダーク・アースと呼ばれるもう一つの地球の人間で、ホープ・アースと呼ばれるもう一つの地球にいる少年と生き別れた双子の兄弟という設定になっている。そして二人は十三歳の誕生日に出会うことになる──それが真琴の書いた『TWIN地球』だ。
 自分と伊恩によく似ているが、もちろん異なる部分も存在する。たとえば、主人公であるダーク・アースの少年が『人間』であることだ。本当の自分は人間ではない。身体を持つことができなかった『闇の者』だ。
 だが、それは父の真琴は知らないことだ。真琴は自分を本当にダーク・アースの人間だと信じている。伊恩は真相をもちろん知っているが、そんなことは全員が知らなければいけないというものでもない。
 そしてその小説を、伯父である総夢も内容を知っていたし、自分がダーク・アースと呼ばれるもう一つの地球の住人であるということは、祖父母も、そして伯父も玲魅も知っていることだった。
「でも、俺はあまりダーク・アースのことは」
「ああ。言いたくないことまでは言わなくてもいい。ただ『闇の者』である君なら分かることもあるだろうと思っただけだ」
 雷斗は言葉に詰まった。
「伯父さん。どうして、俺が『闇の者』だって知っているの」
 実の親である真琴や詩織にすら教えていないというのに。
「まさか」
「ああ、雷斗くんの思った通りだ。俺の妻は早くに死んだ」
 そう。『闇の者』は──

「俺の妻は、『闇の者』だった」

 ──『闇の者』は、短命。







君がいるだけで

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