「私は悠斗にとって特別な存在だと思っていいのか?」
「お前まさか、これで自分が特別扱いされてないって思ってるわけじゃないだろうな」
【7】
「いってきます」
入学式当日。そう言って真央は家を出ていった。
式に出るかどうかは悩んだのだが、真央がそれを断った。保護者として必要なときは行くようにするが、いずれにしても学校は真央個人の問題であり自分が常にいるわけではない。早いうちに一人に慣れる必要があると考えた上でのことだ。
合格後、必死に練習して乗れるようになった自転車で通学する。
「やれやれ」
一人になると途端にすることがない。家事くらいは当然するが、基本的に自分は真央を導くのが役割。学校に通えるようになった段階で目的の半分くらいは達成していると言ってもいい。
そうすると自然、もてあますようになった時間の使い方が問題になるが、それを自分のために使おうとは思わない。真央がしっかりとやっていけるように準備をするのが自分の役割だ。
まずはゴールデンウィークが目の前。北海道旅行で味をしめたのか、真央はその旅行をたいそう待ち望んでいる。前回は北海道なので、今度は沖縄。北と南を制覇する考えだ。一応五月二日から五月五日まで。六日は休養日だ。
ホテルは探せばいくらでもある。問題は飛行機。これは先におさえてあるので問題はない。あとはどこに泊まるかだけだ。早速パソコンでめぼしい宿のチェックに入る。
そんな作業を二時間ほど行い、終わったところで昼食の準備。今日は入学式だけなので、昼には帰ってくるらしい。明日からは毎日弁当が必要になる。弁当箱は既に購入済み。
「友人がうまくできればいいんだがな」
そんな簡単にいけば苦労はない。自分はただこの家で真央の帰宅を待ち、精神的なケアを行って、万全の状態を保つ。それが役割だ。
鍵の開く音がして玄関に出迎える。
「おかえり」
すると、真央が少し戸惑った様子を見せた。
「た、ただいま」
何故か一度ためらってから答える。
「ああ、そうか。そんな挨拶をするのも初めてか。いつも一緒に行動してたからな」
「うん。なんだか新鮮な感じだ。おかえり、か。なるほど」
真央は腕を組んで目を閉じ、しばし考える。
「自分が戻ってくる場所があるというのはいいものだな」
「なんだその達観したものの見方は」
「素直に思っただけのことだが。それとも私が言うのはおかしいことか?」
「年齢的には。キャラクター的には一ミリもおかしくないが」
「人を物語の登場人物みたいに言うな」
少しむくれた感じで真央が中に入ってくる。
「物語の方がまだしも現実味がありそうだ」
「そうだな。自分でも言っていてそう思う。魔王なんていうものが本当に私の中にいるのかと思うとぞっとする」
以前、深夜に怖がっていたことを思い出す。
真央は決して魔王を無視したりその存在から逃げたりはしない。常に正面から立ち向かおうとしている。だが、恐怖を覚えるのは仕方のないことだ。だからこそ自分がいる。
「何度も言うが、お前は魔王になんかならねえよ」
「ああ。何度も聞いた。私は魔王になどならない。悠斗が約束してくれたからな。魔王にはさせないと」
「まるで告白みたいだな」
「違ったのか?」
「歳の差考えろ」
「私はかまわないぞ。私には悠斗しかいない」
と言って、真央が首をかしげる。
「どうした?」
「いや、今のは悠斗に失礼だった。私には悠斗しかいないんじゃない。私には悠斗がいる。そして、私は悠斗の傍にいる。きっかけは偶然かもしれないが、今私が悠斗の傍にいるのは、それが心地よいからだ」
「同感だな。最初は単なる仕事だったが、お前と一緒にいるのは楽しい」
「それは告白か?」
「違う。娘か、せいぜい妹だな」
「悠斗はそういうシチュエーションが好みか。ならがんばるとしよう」
「いいかげんにしろ。昼食、できてるぞ」
からかわれるのにため息をついて答える。ふむ、と真央が頷く。
「私はけっこう本気なんだけどな」
真央が言って、部屋に着替えに行った。
やれやれ、思春期の子供の相手は難しい。
「それで、学校はどうだった?」
食事をしながらの会話。テレビはついているが、ほとんど気にしていない。
「何とも言いがたい。ただ、いろいろ話しかけられたが」
真央は同年代の中では間違いなく一、二を争う美人だろうが、そのかわり性格がこうだし、それが見た目にも表れている。この段階で話しかけるとはどれほどの勇者か。
「女子が多かっただろう」
「うん。男子とはほとんど話していない。女子の何人かと明日、昼食を一緒にする約束をした」
「友人第一号だな」
「一緒に部活をしないかと誘われた。どうしようか困っている」
「運動系はやめておけ。そのかわり文科系で名前が出てこないものならいい」
「とすると合唱とか吹奏楽か。天文部もあるらしいが」
「まあ、そのあたりは体験してみてから考えるといい」
真央も自分の立場はよく分かっている。有名になることだけ避けていれば問題はない。
「クラスは?」
「一年B組。全部で八クラス」
「保護者向けのプリントとかは?」
「いろいろもらったが、何が保護者向けかよく分からない」
「OK。とりあえずまとめて見せてみろ」
そうして食事が終わった真央がプリントの束をまとめて渡してくる。年間行事予定に、連絡事項、そして──
「宿泊研修か。そういえば高校一年だとそんなものもあったな」
「二泊で東北まで行くらしい」
「大丈夫か?」
単純に、自分ひとりできちんとやっていけるかという意味だが。
「初めてのことは何とも難しい。やってみなければわからないこともある」
「それもそうだな。まあ、今のお前ならたいていのことは一人で切り抜けられるだろうけどな」
「信頼してくれていると理解しよう。それから、五月には保護者懇談があるらしい」
行事予定を見ると、GW明けに確かに準備されている。
「お前のことは学校の先生方は知っているのか?」
「さあ。少なくとも教師から特別に話しかけられたことはなかった」
「知っているのかどうなのか、微妙なところだな」
「まあ、どちらでもかまわない。私は三年間通わせてくれればそれでいい」
そのあたりは達観しているというか、諦観しているというか。まあ、期待されすぎてもどうにもならないので仕方ないのだが。
「それから、早速だがアルバイトの許可を取ることにした。これが申込書。保護者の許可がいる」
「OK。前からやりたがっていたからな。何にするんだ?」
「まだ決めていないが、高校生が普通にアルバイトできるところといったら、やっぱりコンビニだろうか」
「金額ならファーストフードだろうな。手際の良さが求められるが、その点お前なら大丈夫だ」
「それも褒められたと思っておこう。女の子らしい可愛らしさという点でどうかと思うが」
「まあ、簡単には見つからないだろうが……」
そしてパソコンを立ち上げる。インターネットから高校生アルバイトの求人を探す。
「インターネットで求人まで見られるのか」
「今は何でもネットの時代だ。県内で高校生可となると……あまり多くないな。この辺りか」
「たこ焼き屋さん?」
「こっちのクレープ屋は残念ながら高校生不可だ。だが週二回で四時間。ビバホームというか、モール街の店舗だな」
「でも加須か。ちょっと遠い」
「お前の保護監督が仕事なだけの遊び人がここにいる。送り迎えはしてやろう」
「いいのか?」
「さすがに夜九時半に終了する仕事で、一人で帰ってこさせるのはためらう。ただでさえJRは痴漢電車の悪名あるところだからな」
「加須だとJRはないんじゃないか? 東武伊勢崎線だが、少し行きづらい」
「というわけで、どのみちここにするなら送り迎えは決定だ」
「悠斗に迷惑が」
「週二回ドライブするくらい何ともない。というより、お前がいない間は暇で仕方がない」
それは掛け値なしの事実だが、真央はそう受け取らなかったらしい。
「すまない。私のために」
「気にするな。というより、俺が楽しんでやっていることだ」
「では、お言葉に甘えよう」
「OK。じゃあ、さっさと応募してしまった方がいい。こういうのは早いもの勝ちだからな」
「分かった」
というわけでその場ですぐにエントリーする。真央もそこまで職種らしきものは考えていないらしく、何でもいいからとにかく働きたいという考えらしい。
「それにしても、たった一日でよくそこまで頭が回ったな」
「当然だ。一日でも早く働きたい。そして少しでも悠斗に恩返しがしたいんだ」
「その気持ちを持ってるだけで、お前は魔王にはならねえよ」
苦笑する。こういう気づかいができるのだから、それくらいのことを期待してもかまわないだろう。
「ただ、魔王はまだ人間が好きだというわけじゃないと思う」
「ほう?」
「私はただ悠斗が好きなだけで、他の人たちを同じように見られるかといったらそういうわけじゃない」
「ふむ」
もちろん、今の言葉の『好き』というのは『気に入っている』という意味だ。それを取り違えるような考え方はしていない。
「学校、バイト先。他にもいろいろと人間関係ができるだろうが、少しずつ慣れていけばいい」
「そうする」
「というわけで早速だが、食後のコーヒーと行こうか」
エントリーを行ったところで立ち上がる。
「コーヒー?」
「ああ。俺がよく行く店がある。そこのオーナーにお前を紹介しておく」
「いいのか?」
「いいも悪いもない。準備ができたら行くぞ」
「分かった。すぐに支度する」
そして急いで自分の部屋へ戻っていく。この辺りは多少、女の子らしさが出てきたというところだろうか。
そうして二人は車で移動する。
本日の真央の服装は、黒と白の横ストライプカットソーにジーンズというカジュアルなもの。とりたてて特筆するほどのことはない。
というか、この間、赤基調のものばかり選ぼうとすると『悠斗は女の子が赤物しか持たないとでも思っているのか?』と叱責された。なるほど、考えてみればピンクを着るような女の子は確かに少ない。
「いらっしゃいませ……おや、悠斗か。久しぶり」
「ああ」
そしてカウンター席に着く。その隣に真央が座る。
「この子が前に言ってた子かい」
「ああ」
「はじめまして。天野真央といいます」
「天野?」
マスターが意外そうな顔をする。
「なんだ、若そうに見えるけど、もう結婚してたのか」
「ふざけたことを言うな。事情があって苗字が同じだが、別にそういうわけじゃない」
「親戚かい?」
「そういうことにしておいてくれ」
「ふうん。複雑そうだね」
マスターはそれだけ言って、あとは追及しなかった。話にくいことを根掘り葉掘り聞くような人物ではない。
「では、そんな真央さんに今日は特別にスペシャルブレンドをサービスしよう」
「ありがとうございます」
「……それで経営が成り立つのか?」
「お前さんの分はきちんと取るよ。当たり前だろう」
金を払うのは結局自分なのだが、とため息をつく。
「悠斗とマスターとはどういう関係なんだ?」
「大学時代にいろいろと教わった程度だ」
「教わったって、コーヒーか?」
「ここでバイトをしていた」
「ふうん?」
「まあ、見てくれが非常にいい奴だからね。悠斗がバイトに入る日は女性客が増えたもんだよ」
「それは分かる。私も悠斗がいるのなら来てみたいと思う」
「コーヒーを味わいに来てほしいものだけどねえ」
「だから俺はここの常連なんだろう」
「いいことを言ってくれるね」
マスターが機嫌良さそうにコーヒーを入れる。
「はいよ、スペシャル二つ」
自分はスペシャルなど頼んだつもりはないのだが、と悠斗は思いながらもコーヒーに口をつける。
「相変わらず美味いな」
「お前さんが女の子を連れてきたんだから、当然特別製さ」
「そういうのじゃないって言ってるだろう」
「でも、一人で来るときよりずっと雰囲気が柔らかい。真央さんのおかげだな」
「悠斗はいつもこんな感じだぞ」
「それは多分、真央さんが近くにいるからだね。一人でむすっとコーヒーを飲んでいる姿を見ると、とても近寄ることができないから」
「へえ」
真央がまじまじと自分を見てくる。
「なんだ」
「いや、意外だなと思って。私は悠斗にとって特別な存在だと思っていいのか?」
「お前まさか、これで自分が特別扱いされてないって思ってるわけじゃないだろうな」
「さすがにそれはないけど……うん、でも、悠斗に特別扱いされるのは嬉しいものだな」
笑顔でコーヒーを飲む真央。それを見ていたマスターが微笑む。
「なんだ」
「いや、お似合いだなと思っただけだよ。もう少し歳が近かったら本当の恋人みたいなのにねえ」
「余計なお世話だ」
連れてきたのは失敗だったかもしれない、ともう一つため息をついた。
8−A
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