女子高生、バイト先でナンパをされる

 最初のアルバイト代は父親へのプレゼント代にほとんど消えた。
 手元に残ったお金ではとてもではないが目的のものを買うことはできない。こう見えても女子高生、いろいろと物入りで、ファッションなどにも手をぬいたりはしない。何しろアルバイト先には目下片思い中の先輩がいるのだから、少なくともアルバイトのときには全力でおめかししなければいけない。
 真奥からの指導は懇切丁寧だが、厳しいときは厳しく、また優しいときは優しかった。メリハリのきいた人物だ。仕事はまじめだが、冗談も言う。なんとバランスのとれた人間だろう。頼りがいのある、素敵な先輩だった。
「でも、完全に私、単なる後輩としか思われてないよなあ」
 学校からの帰り道、人に見られないように千穂はため息をついた。
 真奥は非常に良い人で、他のクルーからも頼られているようだった。木崎店長も一番信頼しているということだったし、もう一人の研修担当である女子クルーの三浦も真奥のことを気に入っているようだった。それが恋愛感情こみなのかはまだ判明していないが、真奥のことを話す三浦は獲物を狙う猛禽類の目をしていた(ように見えた)。
 女子クルーは全部で十一人。そのほとんどが一番頼りになるクルーに真奥を上げるのだから、これはもう大激戦だ。本気で狙っている子がはたしてそのうち何人なのか。
 真奥は週六で、一日八時間勤務だ。朝シフトのときもあれば夕方シフトのときもある。マグロナルド幡ヶ谷店はさいわい二十四時間店舗ではないので、深夜勤は存在しない。朝は七時からで、平日と土曜は夜十二時、日曜は夜十一時まで。なので、真奥のシフトは必ず朝七時のオープンからか、夜十二時のクローズまでのどちらかなのだ。
 夕方に三時間から四時間のアルバイトとなると、真奥が午後四時から午後十二時までの時間帯でなければならない。さすがに午後十二時までのアルバイトは親が止めるので、せいぜい午後五時から午後八時。真奥と一緒にいられるのは週二回、この時間帯しか存在しない。
 あらかじめ真奥からシフトを聞いていた千穂は、真奥とシフトがあう曜日を選んでいた。それを聞いた木崎店長は「ふうん」と言ったあと、にやりと笑う。
「よいかな、よいかな。若者はこれくらい積極的でなければいかん。三浦くん、彼女の希望、なるべく通してやるんだよ」
「え? あ、はい。ですが、火曜日はともかく金曜日は人手も余って──」
「や・る・ん・だ・よ」
「わかりました」
 はあ、と三浦がため息をついたのが印象的だった。そういった木崎店長の取り計らいで、千穂のシフトはすべて真奥と一緒のシフトになったのだ。
 そしていよいよ店頭に立つことになった。レジ打ち、商品出し、店内清掃など、すべての基本動作は頭に入っている。そして何より真奥に褒められた一言。
「ちーちゃんは笑顔がかわいいからな。その笑顔でお客さんを幸せにしてやらないとダメだぞ」
「は、は、はいっ!」
 思わず声が裏返っていた。ストレートに『笑顔がかわいい』なんて言われたのは生まれて初めてだ。いや、言われたかもしれないが真奥が初めてでいい。初めてになれ。
「私、きちんとできてますか?」
「ああ、見事なマッグクルーだと思うぞ」
「本当ですか? やったっ!」
 誰よりも何よりも、真奥に褒められるのが一番うれしい。
 こうしてマッグクルーとなった千穂は週に二回、真奥に会えるのを楽しみに生活を送るようになっていたのだ。
「おつかれさまですー!」
 マッグについた千穂は元気いっぱいの笑顔でクルーとあいさつする。同じようにあいさつが戻ってくる。が、今日は目的の真奥がレジにいなかった。
「あれ、真奥さんは今日は来てないんですか?」
 たいてい真奥は自分より一時間早く仕事に入る。だから店に入ると必ず魔王の笑顔がまずそこにある。それが週二回の楽しみなのだ。
「ああ、真奥くんなら、今日はちょっと敵情偵察」
「敵情?」
「ええ。木崎店長と一緒に、駅前通り沿いのモズバーガー。ほら、今日ってモズの新製品が出る日でしょ?」
 モズバーガーはマッグと肩を並べる大手ハンバーガーショップの一つ。店名でもある鳥のシンボルが目印だ。業界では魚(マッグ)か鳥(モズ)か、と二つを並べることがよくある。
「じゃあ少ししたら戻ってくるんですか?」
「ええ。さっき出ていったから、あと少ししたら帰ってくるんじゃないかしら」
「わかりました」
 ならば真奥のいないこの店で、自分がお客様に幸せを届けなければ!
 そんなやる気に満ちた千穂が急いで着替え、準備を整えてレジに入った。
「いらっしゃいませ!」
 すぐに帰宅途中の大学生たちが入ってくる。男子三人組だ。
「店内でお召し上がりですか? お持ち帰りですか?」
 男子大学生たちはラッキーセットを三つ注文し、子供向けのおもちゃを普通にもらっていった。どうやら集めているようだった。
「いらっしゃいま──おかえりなさいませ!」
 その男子大学生に対する笑顔より百倍明るく千穂は話しかけた。もちろん戻ってきたのは木崎店長と、連れの真奥だった。
「ああ、今日もいい笑顔だな、佐々木くん。その意気でディナータイムまでがんばってくれたまえ」
 木崎が大人の笑顔で千穂をほめる。はい、と元気な声で返事をする。
「なんだか、いつもと反対ですね、真奥さん」
「ん、ああ、そういやそうだな。いつもちーちゃんを出迎えてたからな。こういうのもなかなか新鮮だ」
「はい!」
「それじゃ、すぐに準備してくるからここよろしく」
「お任せください!」
 そうして木崎と真奥が奥に入っていく。何件かの客をさばいて一段落したときに真奥が戻ってきた。
「お待たせ」
「お疲れ様でした」
「いや、たいしたことはしてないよ。木崎さんのおごりでモズの新製品食べて、店内の様子をチェックしてきただけ」
「お互い顔を見知っているだけにやりづらいですよね」
「まあな。逆に言えばそういう相手こそ手は抜けないってことだからな。下手なことをしたら恰好の攻撃の的にされちまう。お互い仲良くやれればいいけど、ま、ライバル店の宿命だよな」
 幡ヶ谷にはマッグはここ一件しかない。だが、対抗するモズはすぐ近くの駅前店と、もう一つ北の方に車通りに面した幡ヶ谷店が存在する。ただ、そちらはドライブスルーをメインにした店舗経営をしている。やはり当面のライバルは目の前にある駅前店だ。
「どうだったんですか、新製品のフライドチキンバーガー」
 客が来ていない隙に尋ねてみる。
「ああ、まあまあかな。好きなやつは好きだろうし、そうでなければそうでない。人によって好き嫌いがはっきり分かれる味だと思うぞ」
「ふうん。真奥さんは美味しいと思ったんですね」
「ああ。ただ、木崎さんはすごい困った顔してた。あの人の好みじゃないみたいなんだが、売り上げはいいだろうって言ってたよ」
 新製品の寿命は短い。次から次へと新商品を開発していかなければ、この業界ではすぐに飽きられてしまう。もっとも、同じ商品を名前を変えて何度も出しなおしたりするのも常なのだが。
「うちのマグロバーガーもすごく美味しかったんですけどね」
 残念ながら売れ行きがダウンしてきた頃合いを見計らってすぐに店頭から消えた。やはり基本はハンバーガー、てりやきバーガー、チーズバーガーなのだ。
「あとは飲み物な。意外にお客さんの中にも飲み物にこだわる人って多いんだぜ」
「? どういうことですか?」
「ちーちゃん、ハンバーガーショップの三大チェーン店は?」
「それはもちろん、マッグとモズ、それからロッチリアですよ」
 魚(マッグ)と鳥(モズ)と、それからロッチ。みんな違ってみんないい。
「だけどな、この三つの中で、うちだけが唯一違う飲み物があるんだ。それは?」
「ええ? なんだろう、コーラもコーヒーも普通にありますよね」
「そのコーラが問題なんだ。うちはコココーラだろ? でもモズとロッチは違うんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ。あの二つはヘクシコーラ、それもゼロカロリーのヘクシネクサスを使ってる」
「ああ、あのウルトラマンみたいな名前のやつですね」
「ハンバーガーでカロリーが高くなるから、ドリンクはカロリーをひかえようってことなんだろうけど、その味が嫌でマッグじゃなきゃダメだっていう客もいるくらいだからな」
「そうなんですか。でも、コーラが駄目ならジンジャーエールをのめばいいのに」
 うむ、我ながらきわめて論理的。
「確かにな。でも、お客様の中には、やっぱりハンバーガーにはコココーラ、っていう人もいるってことだよ」
 なるほど。確かに人の好みは人によって違う。当然のことだ。
「わかりました。それに私、ココの方が好きですから問題ありません!」
「そうだな。俺もどっちかっていうとココの方が好きかな。でもヘクシツイートはけっこう好きなんだよな。レモンの風味がなんとも。あとヘクシ社製だと、マウンテン・ビューとか」
「ああ、美味しいですよね! 私もビュー大好きです!」
「こらこら、若者たち。勤務時間中は私語禁止だぞ」
 そこに木崎店長が戻ってきて二人をたしなめる。
「すみません、ちょっとモズの話をしてました」
「を、しかもライバル店の話とはいい度胸ではないか真奥くん。そういう話は店の奥でしてもらわないとな」
「すみません」
「いやいや。それより今日は予想通り客足がよくない。向こうに客を取られているな。こういう場合はどうしたらいいと思う」
「チラシ巻いてきましょうか」
「うむ。そろそろ帰宅するサラリーマンの方が通っていく時間帯だ。真奥くんならどうやって配る?」
「モズは新製品で売ってくるでしょうから、モズのチラシを見る前にこっちのチラシを見せる方がいいんじゃないですかね。ここはあえてセオリーに反して駅側でやるのはどうでしょう」
「うむ。モズからやってくる方はあまり客足が見込めないだろうしな。その意見を採用しよう。というわけで佐々木くん、緊急任務だ。頼まれてくれるか」
「はい! もちろんです!」
 夕方になればもう日差しもそれほど厳しくない。チラシ配りは一度や二度ではないのでもう慣れている。
「君の笑顔で、お客様を一人でも呼び込んでくれたまえ」
「了解です、ボス!」
「ふむ。その呼び方は感心しないが、まあ佐々木くんに免じて許そう。では頼むぞ!」
 と、木崎店長からクーポンつきのチラシを渡されて、そのまま外に出ていく。
 店内で真奥と一緒にいられなくなったのは残念だが、チラシ撒きは大事なお客様とのつながりを作るチャンス。
「マグロナルドでーす! よろしくお願いしまーす!」
 駅前でチラシを配布。客足を考えて、駅から出てくる人を中心に手渡していく。
 時折、チラシをもらった人が店内に入っていくかも追跡確認。うん、けっこう人は流れているみたい。
「あ、すいません、チラシもらってもいいですか?」
 大学生くらいの男の人から声をかけられる。
「はい、よろしくお願いします!」
「ああ、君、最近新しく入った子だよね」
「え? あ、はい。そうですけど」
「まさかこんなところで声をかけられるとは思わなかった。もしよかったら、今度一緒にお茶しませんか? ずっと見てたんですよ」
 男の人は笑顔で尋ねてくる。
 えーっと……これって、もしかして。
 ななななな、ナンパ、ですか! まさか!?
「別にすぐじゃなくてもいいよ。今は仕事中だろうしね。ただ、一回でいいから一緒に話だけでもできたらうれしいな」
「ええええええっと、ですね、その、あの、私、あああああうううう」
 完全にパニックに陥ったのがわかる。こんなときどうしたらいいんだっけ? マニュアルにはなんて書いてあった? 断っていいのか? でも断ったら店に何か悪い評判とかおこらないだろうか? うわああああ。
「すすすすすすすみ」
 ません、と言おうとしたときだった。
「あ、お客様、申し訳ありません」
 と、横からすっと現れたのは、
「うちの店員は、店外でお客様と個人的に話さないようにしております。大変申し訳ありません」
 真奥さんだった。
「そう。仕事の邪魔しちゃったかな。それならまた今度にしますよ。それじゃ」
 と、男の人はすぐにどこかへ行ってしまった。
「大丈夫だった、ちーちゃん?」
「ま、ま、真奥さん、私」
「大丈夫大丈夫。女の子一人だとこういうこともあるよなって、木崎店長が様子を見てこいって言ってくれたんだ。とにかくちーちゃんに何もなくてよかった」
「私、どうしたらいいか分からなくなって」
「初めてのことはみんなそんな風になるよ。ほら、一度戻ろう」
 真奥は自分の手からクーポンチラシを取り上げて先に歩き出そうとする。
「あ、は、はい!」
 その後ろをついていって、店内に戻る。すぐに奥に追いやられて、一時休憩を取らされた。
 気持ちが落ち着くまで、しばらく時間がかかった。ふうー、とようやく大きく息をついたとき、「大丈夫か?」と声がかかった。木崎店長だ。
「あ、はい。すみませんでした」
「いや、私のミスだ。いくら人手がないからといって、女の子を一人でチラシ撒きにやるのは間違いだった。すまない」
「いいえ、私がちゃんと応対できればよかったんです。自分だけじゃなくて真奥さんにも迷惑かけちゃったし」
「なに、男に迷惑をかけるのが女の特権というものだ。まあ、冗談はともかく、今日はもう帰る準備をしなさい。動揺したままでは良い接客はできないからな」
 どれだけ木崎店長が優しい言葉をかけてくれるとはいえ、自分のミスで迷惑をかけたことにはかわりない。
「なに、心配することはない。マッグのクルーというのは、いろいろな経験を通して成長していくものなのだよ。真奥くんを見たまえ。立派そうに見える彼でも、最初は対応の仕方一つなっていない、どこにでもいる若者だった。それが今や、どこのマッグに送り出しても恥ずかしくない人材に育った。まあ、私の教育のたまものだが」
 さりげなく自慢。
「なにごとも最初からできる人間などいないのだよ。だから今日のことは気にしなくていい。同じ失敗を二度繰り返さないことが大切だ」
「はい」
「というわけだ。確か、家は近所だったのだな」
「はい」
「真奥くんに送らせる。万が一のこともあるからな」
「はい……って、ええええええええええええっ!?」
 頓狂な声を上げてしまう。真奥さんが、私を、家まで、送る!?
「往復で三十分もかからないのなら、休憩時間が少し長いくらいのものだ。どのみち今日はモズの新製品のおかげで、それほどの穴にはならんよ。遠慮なく連れまわすといい」
「あ、で、でも、さすがにそこまで迷惑をかけるわけには」
「気にするな。これはご褒美だ」
「え?」
「いつもがんばってくれているちーちゃんに私からのご褒美だ。他のどんなご褒美より、この方がうれしいだろう?」
 なんか、もう。
 木崎店長が、あまりに私のことを考えてくれているので、嬉しくて涙が出てくる。
「木崎店長、大好きです」
「これこれ。私にはその気はないから誤解のないように」
「ありがとうございます。ご褒美、頂戴します」
「うむ。若者はそれくらい素直であるほうがいい。だが、あまり帰ってくるのが遅くならないようにと真奥くんに伝えておいてくれ。夜勤はバイトの人数も少ないからな」
 と、言って木崎は部屋を出ていく。
「おつかれさん。今日は、ありがとう」
 最後にそう、彼女は言い残した。
 本当にかっこいい人だ。背も高いし、頼りがいがある。ああいう店長だからこそ、真奥も信頼してついていっているのだろう。
「あまり、真奥さんを待たせちゃいけないな」
 急いで準備。そして店の裏口から外に出る。
「お待たせしました!」
 私服に着替えなおした真奥が外で待っていた。
「おう。それじゃ、行こうか」
「はい!」
 こうして。
 憧れの先輩と、一緒に、家まで帰った。
 学校も、年齢も、何もかも違う『先輩』。
(まさか、こんなことがあるなんて思わなかったな)
 いろいろあった一日だったけど、最後に店長からもらったご褒美のおかげで、これからしばらくはがんばることができそうだった。






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