from EG to SA




 私はため息をついて、相変わらず机の上に大量に詰まれている資料の山に手をつけた。
 私、三鷹由紀(みたか・ゆき)がここ『宝企画』のバイトを始めてからもう2ヶ月にもなろうとしていた。その間の私の仕事といえば、最初の事件を除けば、ひたすら資料の整理と読破。とにかく知識をつけろ、とオーナーがうるさく言う。
 そのオーナーは先ほどからそこにあるソファで寝そべってテレビなど見ている織宮響(おりみや・ひびき)だ。一般教養には全く疎いくせに、こと宝物と芸能関係の話題となると右に出る者がいないほどの知識量をほこる。信頼できるのかできないのか、まだ全く分からない。
 現在のところ、私は最初の事件を除けば彼がどれだけ凄い人間なのかということが未だによく分かっていない。確かに秘宝関係のことで質問して答が返ってこなかったことはない。ただしそのうちの半分以上は、まず呆れ、次に資料を渡して、まずは自分で調べろという感じであったが。
 おかげで私も必要のない知識をたくさん頭に詰め込むことになってしまった。最も、あまりにも膨大な量の情報であったため、系統だてて覚えることが少々大変だったのだが。
 なにしろ、前回の事件でも関係した聖書思想を始め、世界の名だたる宗教の基礎的知識をことごとく抑えた上で、改めて神話や秘宝に関する知識を埋め込んでいくのだ。
 はっきりいって、最近少々辛いと思っている。なにしろ2ヶ月もの間、ただひたすら勉強しているような状態なのだ。まあ、給料がもらえるという点で高校時代に比べるとはるかにマシなのだが。

「手が留守になってるぞ」

 考え事をして、つい資料を整理する手が休んでいたようだ。それにしても、さっきまで寝ていたはずなのに、どうして自分がふと気が抜けた瞬間にうまい具合に口を挟むことができるのか。
 だいたい、このあたり一帯をちらかしたのは響の方なのだから、自分で片付けるのが筋ではないだろうか、とも思う。もっともそんなことを自分でしないからバイトを雇っているのだろうが。

「申し訳ありません。少し考え事をしていたものですから」

「ほう。何についてだ?」

 起き上がり、楽しそうな笑みを浮かべて私に尋ねてくる。私は平気な顔をして答えた。

「株価の急落についてです」

「……なんでまたそんな……」

 冗談を言うにしてももう少し何かないものか、と言いたいようであった。私も苦笑して「申し訳ありません」と答える。

「実は、最近は資料の整理と読破だけで、なかなか本業に出かけないことを気にかけていたんです」

 ここ最近、響の機嫌が悪い。その辺りのことを率直に尋ねたところ、このような答がかえってきた。

『最近、宝捜しに出かけてないからどうも気分が悪くてな』

 どうも、響という人物は宝捜しをしているときでないと生きている心地がしないようなのである。全く困った人間だ。

「まーそうだな。だがそうした仕事っていうのは、もう暇で暇でどうしようもなくなったころ──まあ2〜3ヶ月にいっぺんくらいがせいぜいってもんだ。ま、前回が4月の今ごろだったから、もうそろそろ何か情報が入ってきてもいい頃かな」

 そういって、ちらりとパソコンの方に目を向ける。
 響が使っている情報屋はいくつかあるが、そのうち2つはeメールで連絡を取っている。そのうちの1つは私が担当になってメールを管理している。
 もっともその情報屋から来たメールはこの2ヶ月で3度。いずれも暗号伝聞だった。全然分からなかったのでそのまま響に任せたのだが、たいした情報ではないと響は判断しているようだった。動く気配がなかったからだ。
 ──と、その時ちょうど着信音が鳴って、メールが届いたことを知らせてきた。

「言ったとおりだろ?」

 響は笑うが、本当に情報屋からのメールかどうかも分からない。もしかしたら私の時のようにバイト募集に引っかかってきたのかもしれない。実際その手のメールの方がはるかに多いのだから。

「……情報屋さんからです」

 だが、今回はどうやら響の方が正しかったらしい。すぐにメールを開くと、また不可思議な暗号がそこに書かれていた。


差出人件名
Hawardfrom EG to SA


「……全然意味がわからないんですけど……」

 そう言って響を呼ぶ。響は「やれやれ」と言いながら立ち上がり、私の横に来てディスプレイに目をやった。その顔に一瞬クエスチョンマークが浮かぶが、次の瞬間には目を光らせて下唇を噛みしめた。

「……なるほどな。カースか」

 そう呟く響の言葉も全く私には分からない。

「なんのことでしょうか」

「お前は英語もできないのか。一応高校は出てるんだろう」

「あくまで『一応』ですけど。ということは……」

 カース=curse、すなわち『呪い』だ。だがそれだけでは暗号をどう解いたのかの説明にはなっていない。

「呪い、とはどういう意味ですか」

「分かるだろ、普通」

「まさかこれは呪いのメールだとか」

「阿呆」

 心底呆れた顔で(それこそちびまるこちゃんのキャラのように縦線混じりの顔で)響が言う。

「EGとSAっていうのは国の略名だ。普通はアルファベット3文字を使うけどな。それでも分からないとは言わないだろうな」

 EG=? 私は頭の中で考える、とすぐに出てきた。

「エジプトですか?」

「そ。エジプトで呪いといえば、何のことだか想像はつくだろ?」

 エジプトで呪い……咄嗟に頭の中を泳いだのは2つのことだった。

「死者の書、ですか」

「どーしてそっち方面に頭が働くかな、お前は」

 死者の書は呪いの書でもあるという学説を最近読んだばかりだからこういう答もでてくる。これは教育者の方が詰め込み型学習を学習者に強制しすぎであるために生じた弊害であろう。

「そういう勉強ばっかりさせるからじゃないですか。そうでなければ、ツタンカーメン王の呪い」

 私が答えると、響は嬉しそうに「その通り」と言う。

「でも、エジプトだからといってすぐに呪いが出てくる理由にはならないと思うんですけど」

「その秘密はこの『ハワード』って名前のところだ」

 ハワード……全くその名前に聞き覚えがない私はひたすら表情で『?』と訴えるだけだ。

「ま、神話の話ばっかりで、あまりこういう話はしなかったからな……まあ、話の種くらいで知ってる奴の方が珍しいか」

 そう前置きしてから、響は説明を始めた。ツタンカーメン王墓の入り口が発見されたのは1922年、11月のこと。その時の発掘者として名前が残っているのが2人。1人はスポンサーであったジョージ・H・カーナーヴォン卿。そしてもう1人がハワード・カーターである。

「このカーターという人物が、ツタンカーメンの王墓を発掘した人物だというわけですね」

「そういうことだな。由紀、お前ツタンカーメンくらいは高校世界史で習ってるよな」

 私は「まあ、一応は」と答える。
 ツタンカーメンというのは、エジプト第18王朝末期に即位したファラオ(国王)だ。時期にしてたしか紀元前1300年くらいであったはずだ。
 当時はオリエントが文明の中心地となっていて、その中でも特に力のある国が小アジア、現在のトルコを中心として栄えたヒッタイトと、サハラ以北に拠点を設けたエジプトだ。エジプトは第26王朝まで続くが、このツタンカーメンが即位していた第18王朝時代は新王国時代とも呼ばれている。
 ツタンカーメンという名前のファラオが有名になったのは、彼の王墓がほぼ完全に埋葬された時のまま、すなわち副葬品やミイラなどが全てそのまま残っていたためである。

「……私の知っている限りでは、これくらいですけど」

「ま、世界史レベルならそうだろうな。もうちょっと第18王朝に関しては説明があってもいいような気がするがな」

「というと、アマルナ美術のことですか」

「そう、それそれ」

 ツタンカーメンの前王であるアメンホテプ4世は、首都をテーベからテル=エル=アマルナに移し、それまでのアメン=ラー信仰からアテン神一神教に切り替えている。この時期の芸術はきわめて写実的で描写に富んでいるため、アマルナ美術として注目されている。高校世界史の必須暗記項目だ。

「さすが、だてに世界史の成績がいいと豪語するだけのことはあるな」

「そんなことは一度も言ってません。高校世界史は学校できちんと習ったと言っただけです」

「さてと、だ」

 前置きはこれくらいにして、と響が言う。

「まあ、この時代の外交だのエジプト王国の内情なんかを調べるのはけっこう面白いんだけどな。それは後回しにして──先に、お楽しみの秘宝の話をしようか」

 響の目が笑っている。
 どうやら、今回の情報は響にとっては「ビンゴ」だったようだ。

「ということは、ハワード・カーターが発掘した財宝の中に、響がほしがっている秘宝があるということですね」

「間違ってはいないが、正確でもない」

 響は慎重に言葉を選んでいるようだった。
 間違ってはいないが、正確でもない。
 つまり、カーターが発掘した財宝であるということについては間違っていない──だが、カーターが発掘した財宝であるというには正確ではない……?

「意味が分かりません」

「だろうな。というわけで、だ。お前、ツタンカーメンの発掘に際して流れた2つの噂を知っているか? まあ、1つはお前でもすぐに想像がつくことだと思うが……」

 噂? 私は頭の中で考える。当然、当時の噂など私の耳に届くはずがない。しかし、私でもすぐに想像がつくということは、きっと私の知識の中に答があるということだ。
 解答は、わりと早く出た。

「……呪い、ですか」

「very good!」

「響が英語を使っても似合いませんね」

「言っておくけどな、俺、こう見えても7ヶ国語が話せるんだけど?」

「知っています。でも使っているところを見たことがありませんから」

「あーあー、今回エジプトに行った時には嫌でも聞くことになるだろうさ。で、だ。話を戻すぞ。由紀、お前具体的にどういう呪いが生じたのか、知っているか?」

「たしか、発掘者が次々となくなったとか──ということはハワード・カーターも?」

「種明かしは後。ま、人が死んでるっていうのは知ってるんだな?」

「ええ。ツタンカーメンの呪いといえばそれくらいしか思い浮かびません。多分、子供の頃に人づてに聞いた話だとは思いますが」

「それで十分。ただな、これが本当にミイラの呪いなんかなわけがないんだ、結論から言うとな」

「……と、言いますと?」

「具体的に誰が死んだか、まあ列挙してみようか」

 そう言うと、響はホワイトボードに向かってなにやら書き始めた。


 
年月日事件、人物業績、地位
1922/11/4   王墓発見
1923/4/5カーナーヴォン卿死去カーターに出資
同年アーサー・メイス発病カーターとの共同で『ツタンカーメン発掘記』の著作を行う
同年オードリー・ハーバート死去カーナーヴォンの弟
同年リチャード・ビーセル死去カーターの秘書
1925/10   王のミイラ発見、調査
1926ダグラス・デリー死去解剖学者
同年ジェームズ・ブレステッド死去刻文の解読



「感想は?」

 私は返答に窮した。
 この事実からは、私に相反する2つの解答を導かせたからだ。

「2つあります。まず1つは、たしかに短い期間で発掘に関係する重要な人物が次々に死去、もしくは発病しているということ。この数は説明がつくものかどうなのか、判断できません」

「なるほど、もう1つは?」

「もしミイラの呪いというものが存在するのならば、発掘の第一人者であるハワード・カーターが最初に呪い殺されていてもいいようなものですが、彼の名前が見当たりません」

「excellent!」

 英語が気に入ったのだろうか。響は珍しく私をほめてくれた。

「要するにたたられるならカーターが最初でなければおかしいんだな。それなのにカーターが死んだのはこれよりずっと後、1932年だ。王墓発見から実に10年。呪いが発動したにしては、あまりにもタイムラグがありすぎる」

「つまり、呪いなどというものは存在しなかった」

「まあ、ミイラの呪いなんていうものは嘘っぱちだな。だいたいだ。カーナーヴォン卿はもともと病弱で、長旅に耐えられるような体じゃなかった。王墓は埃だらけで発掘に慣れていないメイスなんかが発病するのは当たり前。それに発掘史的に他に例をみないほどの発見だったから、かなり年輩の学者が協力していた。ブレステッドなんか死亡時に70歳だ」

「死因がはっきりしているわけですね」

「そうなんだ。あまりにもはっきりしすぎている。呪いなんていう言葉がどこが口火となって出てきたのは分かっていないが、誰が言い出したにせよそれはミイラの神秘性とこじつけた単なる風聞にすぎない。少なくともミイラの呪い、なんていうものについてはな」

 引っかかる物言いだ。
 普段の響なら、一刀両断に切り捨てるのに、この歯切れの悪さはなんなのだろう。

「では、違う“呪い”ならある、と?」

 響は嬉しそうに笑う。

「そう思うか?」

「響の口調だとそうとしか聞こえません」

 なるほどなあ、と響は自分のごちゃごちゃの机まで行き、机の下をごそごそとあさる。

「おー、あったあった。たしかあると思ったんだ」

 響は小さな袋を取り出してきて、どさり、と私の前に置いた。

「これは?」

「本」

「読んで来い、というわけですか?」

「大丈夫だって。ただの漫画だから」

 漫画? と、私は袋の中身を確認する。

「……『天は赤い河のほとり』……」

 少女マンガだった。
 何故こんなものを、響は持っていたんだろう……。

「ま、それだけ読んで来い」

「だけって……」

「お前の疑問には明日答えてやるよ──ああそうだ、それと、明日必ずパスポート持ってこいよ。ビザ申請しておくから」

「はあ。では、エジプトに?」

「もう一国も、な」

 私は頭の中でクエスチョンマークを浮かべたが、すぐに先ほどのメールを思い出す。
 from EG to SA.
 すなわち、エジプトからSA国へ向かうということか。

「どこでしょうか」

「自分で考えてみろ。それも明日までの課題」

 私はため息をついた。
 とりあえず、この20冊以上の少女マンガを読破することが、目下私のするべき仕事のようであった。

(なんでなんだろう……)

 頭痛がした。



古代オリエント

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