珍客、襲来




 ふうー、と私は大きく息を吐き出した。
 現在、この事務所の中は私一人だけ。
 あのあとすぐ、響はツタンカーメン王について説明しようとしたのだが、突然鳴り出した電話に呼び出されて出かけていった。ついでにビザ申請もしてくるというから、帰りは少し遅くなるだろう。
 というわけで、現在私は事務所の片付けをしていたところだ。昨日やろうとしたのだが、途中で止まったままだったのだ。
 それも終わり、こうして自分でコーヒーを淹れて飲んでいる。
 少しくらいはツタンカーメンについて調べておくべきだろうか……少しは自分で何か調べようとする態度を示しておかないと、いよいよ響に見切りをつけられるかもしれない。
 何か分かりやすい本はないだろうか、と私が本棚に目をやった時である。

 プルルルルル

 来客のインターフォンが鳴った。私は急いで立ち上がり、入り口へと駆け寄る。

「いらっしゃ──」

「Yeah! 久しぶりネ、ヒビキ!」

 突然、抱きつかれた。
 身の丈は私より若干低い、160弱というところだろう。金色の髪と白い肌が目に映った。どうやらまた外国人のようだ。

「……すみません、響は今外出中です」

 とりあえず放してくれないので、自分から声をかけてみる。

「ん?」

 女の子はようやく放れて、じっと私の顔を見つめた。

「ああっ!」

 どうやら、私と響を間違えて抱きついたことに気がついてくれたみたいであった。

「いつの間にヒビキ、女の子になっちゃったノ!?」

 違った。
 というか、まさかここまで呆けられるとは思わなかった。

「Aha! ジョーダンよ、ジョーダン。そんな目で見るのやめてヨ!」

 随分とノリのいい人である。

「……響のお知りあいですか?」

「知り合いも知り合い! ステディよ」

 ステディ?
 ああ、恋人……恋人!?
 私はまじまじと目の前の金髪美人を見つめる。確かに美人だ。顎のラインもいいし、鼻筋もぴんと整っている。目はくりっとしていて──絵に描いたような美人とはこういうものを言うのだろうか。
 これが響の恋人──?
 あの、秘宝のことしか考えていないような響に、恋人?
 正直、信じられない。
 とてもではないが、由紀の常識から判断すると、響が誰か特定の女性に熱を上げるということ自体がありえないことだ。

「恋人、ですか?」

 おそるおそる、尋ねる。もし頷かれたら私はどうすればいいのだろう、などと考えながら。だが、この女性はあっけらかんと答えた。

「アハハ、ジョーダンよジョーダン!」

 ……さすがに私もここまで馬鹿にされて黙っていられる人間ではなかった。
 事務用の表情に戻り、一つ頭を下げる。

「申し訳ありません。織宮から失礼な客は丁重にお帰りいただくように申し付かっておりますので。どうぞ、お引き取りくださいませ」

 これを聞いて、さすがに彼女も怒ったようだ。

「ちょっと何よ、その態度。たかがバイトの分際で、偉そうにしてるんじゃないわヨ!」

「申し訳ありません。織宮から失礼な客は丁重にお帰りいただくように申し付かっておりますので。どうぞ、お引き取りくださいませ」

 二度、同じ言葉を言われてどうやら憤慨したらしい。
 きっ、と睨みつけられる。美人が怒ると怖いというが、それはまさに正しいということを実感した。
 自分はなかなか度胸がある。そう由紀は思っていた。

「God bless me!」

 英語だ。
 早口だったので何と言ったのか、由紀には分からなかった。

「とにかく、ヒビキがいないんなら、帰って来るまで待たせてもらうワ!」

 もの凄い見幕で、どっかりとソファに腰を下ろす。

「Coffee!」

 ……何様のつもりだろう、この女は。
 悪質な冗談で人をからかっておいて、勝手に怒ってふんぞりかえっている。
 由紀は、無視することに決めた。
 このように礼儀も知らない人間を相手にする必要はないと、響も常々言っている。というわけで、あとは響が帰って来るのを待って、押し付けることにしよう。
 と、由紀が無視してツタンカーメンの本でも見ておこうと本棚に向かおうとしたが、やはりこの女性に止められた。

「Coffee, coffee please!」

 ……たたき出そうか、と一瞬だけ由紀は真剣に考えた。
 だが、自分が意地をはっていても仕方がない。ここは事務の仕事でもあることだし、注文どおりコーヒーを差し出すことにした。
 一応、この事務所にはコーヒーメーカーが存在する。以前はまるで使われていなかったようだが、私が来てからは頻繁に使われるようになった。まあ、生活能力が欠如している響が到底使うとも思えないが。
 当然ながら豆もきちんと仕入れている。といっても地下鉄さっぽろ駅構内で売られている安物だが。それでもインスタントに比べればはるかにましだろうと思う。少なくとも響は私が豆でコーヒーを淹れるようになってから、あまりインスタントを飲まなくなった。
 だのにこの女は。

「Unsavory!(まずい!)」

 嫌がらせか。
 そうとしか思えなかった。

「チョット! あなたはこんなものを客に飲ませるつもり!?」

 私は客として認めたつもりはなかったのだが。
 まあ、それでもコーヒーが飲みたいというのなら仕方がない。
 こっちもそれ相応の手段を取るしかないだろう。
 というわけで、改めてコーヒーを淹れなおす。
 丁寧に『客』の前に置く。
 今度は、もっと苦くしてみた。

「ぶふっ!」

 一口飲むなりいきなり吹き出す。

「ちょっとっ! さっきより苦くなってるじゃないのヨッ!」

 そのつもりで淹れたのだから、私としては返す言葉もなかった。

「よくもやってくれたわね……」

 私は大きくため息をついた。
 この女性と、これ以上関わり合いになりたくなかった。
 今までいくらも嫌な客を見てきたものの、これはとびきりだ。

「あなたは響の客ではあっても、私の客ではありませんから」

 だから、はっきりと言った。

「客だというのなら、それなりの態度というものがあるでしょう。それすらもできない人に、私は礼をもって接することはできません」

「難しい日本語を使わないデ!」

 それだけ流暢に喋っておきながらそれを言うか。

「とにかく、ご不満があるならどうぞお帰りください。私はいっこうにかまいませんから」

 いっこうに、というところを強調して言う。我ながら、ここまで人を嫌うというのは珍しいことだった。
 誰とでもうまく付き合っていくことができるのが自分の取り柄だと思っていたのだが、それはどうやら撤回しなければならないようだ。

「この……」

 相手の目がいよいよ血走っていた。
 これは、取っ組み合いになるだろうか、と私も身構える──

「おいおい、何やってんだお前ら」

 が、修羅場は一人の男──要するに響の登場で回避されることになった。

「ヒビキ!」

「なんだ、涼子(りょうこ)か。何しに来た」

 リョウコ?
 私は首を傾げた。金髪の白人を前にして、響は「リョウコ」と読んだのだ。

「ちょっと聞いてヨ、ヒビキ! この子ったら、私ににっがいcoffee飲ませたのヨ! それだけじゃなくて、すっごいしっつれいなこともたくさん──」

 ……私は頭を押さえた。
 自分のやったことは棚に上げて、自分の正当性をひたすら主張する人間。
 よくいるのだ。高校の時はごく身近に何人もそういう人間を見た気がする。

「あのな、由紀が理由もなくそんなことするわけないだろ。どうせまたお前が由紀のことからかったんだろ」

 その言葉を聞いて、私はため息をついた。
 この言葉は、私が信頼されているというものではない。彼女が信頼されていないだけのことだ。

「なっ、私が、そんなことするわけないでショ!」

「由紀。本当にこいつ、お前に何もしなかったのか?」

 私はなんと答えていいものか悩んだ。自分の正当性を主張するのは彼女と何ら変わらない。

「響は、この方の恋人なんですか?」

「はあ!?」

 響の顎が、がくん、と落ちる。

「んなわけないだろ──こいつがそう言ったのか?」

「ええ、まあ」

「へえ、ほお……」

 響が、ぎろっ、とリョウコさんを睨む。

「そ、それは冗談だって言ったわヨ!」

「冗談の質が問題だな」

「ああ、もう……」

 傲慢不遜な彼女も、どうやら響には逆らえないらしい。
 それにしてもこの2人、いったいどういう関係なのだろうか。

「分かったわよ。謝ればいいんでショ、謝れば!」

 すると彼女はくるりとこちらを向く。

「申し訳ありませんでしタ! これでいいの?」

 ……やはり喧嘩を売られているのだろうか、私は。さすがに響も苦笑している。

「由紀、お前、それでいいか?」

 私は逡巡したが、これ以上この人と関わりたくなかったので「私はかまいませんが」とだけ答える。

「オーケー。じゃ、涼子。お前いったい何しに来た?」

「決まってるじゃない。一緒にアフリカに行こうと思ったからヨ」

「何しに?」

「とぼけないデ。裏の世界じゃカーターが横流ししたツタンカーメンの財宝の在り処が見つかったって大騒ぎなんだから」

 横流し!?
 私は目を見開いて響を見つめる。響はがっくりとした顔で、冷たく彼女を見つめる。

「な、なにヨ?」

「お前なあ……もう少し時と場所を選んでくれたらよかったんだがな」

 やはり響は私に、この間のように秘宝のことを隠そうとしていたのだ。

「どういうコト?」

「ああいや、こっちの話」

 響は私を方を見る。

「由紀、お前、こいつが一緒でもかまわないか?」

 私は当然のように顔をしかめた。
 こんな失礼な人とは一緒に行動したくはなかったが、オーナーの言うことに逆らうわけにもいかない。

「……響がそれを望むなら」

「Wao! いい子ぶっちゃっテ〜」

「やはり取り消します。この人とは一緒に行きたくありません」

 迷いもなく、私は前言を撤回した。その速さに響が思わず吹き出している。

「というわけだ。あきらめてくれ、涼子」

「何ヨ、前は私が一緒でも別にかまわなかったくせに。そんなにこの子のこと、大事?」

 響は肩を竦めた。

「分かったわヨ! それじゃ、私が先に秘宝を取っても横取りしないでよネ!」

「お前が俺より先に見つけられたなら、な」

 響は彼女にウィンクした。
 彼女は真っ赤になって怒り、足音を立てて事務所を出ていった。



王墓発見の疑問

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