王墓発見の疑問
嵐のような一時間が過ぎた。
ふうー、と大きく息を吐きながら響がソファに腰をかけて「悪いけど、コーヒー淹れてくれないか」と頼んでくるので、私はこの上なく丁寧にコーヒーを淹れた。
「いつもより美味いんじゃないか」
「あんなことがあれば丁寧にもなります」
響は笑った。どうやら、響にしても彼女は苦手のようだった。
「それで、先ほどの方はいったいどなたですか?」
「なんだ、自己紹介もしなかったのか?」
「はい。全く」
「やれやれ、仕方のない奴だな」
ぼやいてから、響は説明を始めた。
彼女の名は、三峰涼子(みつみね・りょうこ)。日本人とアメリカ人のハーフで、国籍は日本らしい。現在は京都に在住しているという。
「あいつは厳密な意味で俺たちトレジャー・ハンターとは違う。いうなればジェム・ハンターだな」
「ジェム?」
「珍しい鉱物のこと、要するに宝石漁りだ」
それは軽蔑をこめた言葉なのだろうか、と首をかしげる。
「ちなみにお前より年下だ。現在高校生」
正直驚いた。美人だったし、発育もよかったし、絶対に20は超えているものだと思っていた。
「なるほど。要するに、ツタンカーメンの財宝──カーターが横流しした宝というのは、宝石だということですか」
響は肩をすくめた。この表情は間違いなく私に秘密にしておくつもりだったのだ。
相変わらず、趣味の悪い人だ。
「こうなった以上、ツタンカーメンの時代を説明するより先に、ツタンカーメン発掘のときの説明をしなきゃ駄目みたいだな」
「当然です。前回といい今回といい、最後まで秘宝が何なのかを知らないままというのは勘弁してください」
「俺はお前のことを考えてやってるんだけどなあ」
「どういう意味です?」
「お前が秘密を知ったら、誘拐されて拷問されるかもしれないだろ?」
そう言われて私は眉をひそめる。
それを響が心配しているのは分かるが、この人は絶対に、自分でバラシをしたがる性格だ。それだけが理由のはずがない。
「とにかく、教えてください」
「はいはい。それじゃま、簡単に。1922年11月、ハワード・カーターとジョージ・カーナーヴォン卿がツタンカーメンの王墓を発掘した。そこまでは話したな」
「はい。その直後、カーナーヴォン卿が亡くなったことも聞きました」
「それはあとでいい。そうだな、どこから説明すればいいか──まず最初に、どうしてこんな世紀の大発見が可能になったのか、そのあたりから説明しておいた方がいいだろう」
ツタンカーメン王墓の発掘といえば、20世紀最高の発見に違いない。発掘史的に見ても、これに類する発掘といえばトロイア遺跡の発掘くらいしか例を見ないであろう。
このツタンカーメン王墓発掘の何が素晴らしかったか。それは、その墓の内部の副葬品がほぼ完全な形で保存されていたことにある。黄金の玉座、香油容れ、王等身像、黄金の厨子、櫃、胸飾り、頭飾り、首飾り……そして人型棺と王のミイラ、全てが残っていたのだ。
「でも、それを見つけたからこそ世紀の大発見なのでしょう?」
「もう少し頭を使えよ。じゃあ、他のファラオたちの墓はどうして世紀の発見にはならないんだ?」
「それは、要するに、副葬品がなかったからでしょうか」
「じゃあどうして他のファラオには副葬品がなく、ツタンカーメンの王墓にだけ副葬品が残っていたのか。そこが問題だと言っているんだ」
言われて私は考える。
王の墓というのは副葬品でいっぱいだから、盗掘のおそれがある。従って墓の場所は極秘とされ、作業には奴隷をあてがい、王墓完成後は作業にあたった奴隷を皆殺しにもした。それほどの重要機密だった。
だとすればツタンカーメンの王墓のみ副葬品が残っていたということは、よほど巧妙に隠したとしか思えない。
「違うな」
だが私の考えはあっさりと響に否定された。
「これは偶然の産物だ。ツタンカーメンという王がもつ異色性によって、ツタンカーメンの王墓は守られた」
「どういう意味でしょうか」
「三つ、理由がある。まず一つは──だから先にツタンカーメン王の説明をしようと思っていたんだが、このツタンカーメン王という存在は第19王朝以降のエジプトにおいて『なかったものとされていた』んだ」
意味がのみこめない。いったい響は何を言おうとしているのだろうか。
「さっき、エジプトの王名順は教えたな」
「はい。アメンホテプ3世、4世、ツタンカーメン、アイ、ホレムヘブ、それからラムセス1世です」
「よしよし、教えたことくらいは覚えているんだな」
「そこまで言われるほど私は不勉強ですか」
「ま、少なくとも自分で調べるくらいの意気込みは見せてほしいな。それはともかく、問題はこのホレムヘブ王だ。こいつは自分が即位したとき、国内を混乱に陥れたアメンホテプ4世、ツタンカーメン、アイの3王は即位しなかったものとして記録から抹消した」
「記録から、抹消?」
「ああ。自分がアメンホテプ3世の次の国王であると声高に触れ回ったんだ。そしてそれ以前の国王はいなかったものとされ、記録からも抹消され、そして後世で忘れられたファラオとなった。存在しないファラオの墓を暴くやつはいない。その墓があることすら、知られていないわけだからな」
「ツタンカーメン王のことを、誰も知らなかったということですか?」
「その当時の人間は知っているだろう。50年後でも覚えているものがいても不思議はない。だが百年、二百年と経ってしまえば、記録に残っていないファラオのことなど、誰も覚えてはいない」
「ですが」
「じゃあお前は記録に残っている日本の内閣総理大臣の名前、全員言えるか?」
「全員は、さすがに」
「記録に残っていてさえこれだ。ましてや古代、記録自体が少なく言い伝えでしか事件を確認できない時代だ。百年も前のファラオのことなど誰も覚えてはいない。アマルナ時代のことはよく伝えられたかもしれない。美術的には特にな。そしてその時代の王だったアメンホテプ4世のことを覚えているやつもいるだろう。だがそれを受け継いだ幼年王ツタンカーメンのことなど言い伝えに残るようなものじゃない」
「……」
「大帝と呼ばれるラムセス2世が即位したとき、エジプト歴代のファラオの名前のリストを作った。これが『王名表』と呼ばれるもので、その中にはこの3人のファラオの名前はない。公式になかったものとされていたからだ」
なかなかに信じがたい話ではあるが、響の言うことだ。おそらく真実なのだろう。
「ま、こうした理由からそもそも盗掘の危険がほとんどなかったことに加え、第二、第三の理由があるんだな」
「それはいったい?」
響はホワイトボードに歴代のファラオたちが埋葬された『王家の谷』の部分図を書き出した。こんなものを見ないで書くことができるあたり、この人の頭の中はいったいどうなっているのだろうと思う。
「ここがツタンカーメンの王墓、このすぐ隣の崖に作られたのがラムセス6世の王墓だ」
「ラムセス6世?」
「第20王朝のファラオで、ツタンカーメンからだいたい100年後の王様だな」
「こんなにすぐ傍というか、つまりラムセス6世の王墓はツタンカーメンの王墓の──」
「そう。ほとんど真上に作られた。距離的に4メートルといったところだな。おかしな話だろう?」
「何故──ああ、分かりました。つまり、ツタンカーメンというファラオの存在が忘れられていたために、そこに墓があることを知らずにラムセス6世の王墓を作ってしまった、ということですね」
「よしよし。少しは頭を使うようになってきたな」
響は笑った。
「しかもツタンカーメンの王墓の直上には、ラムセス6世の墓をつくるための労働者の小屋が建てられていた。これもカムフラージュになったんだな。要するに、この場所にはラムセス6世の墓があったとされ、さらにその下に墓があるということに誰も気付かなかったということだ」
「カーターを除いては、ですか」
「そうだな。さらに第三の罠がまだ残っている」
「まだ他に理由があるんですか」
「まあな。これは後世の話だ。ハワード・カーターが王家の谷の発掘権を手に入れる前──」
「発掘権?」
発掘にはそんなものが必要なのか、と思うと同時に納得もした。勝手に発掘をされたのでは画一的な発掘もできないし、乱掘、盗掘のおそれもでてくる。
「……お前、考古学を馬鹿にしてるのか?」
「申し訳ありませんでした。続きをどうぞ」
「ああ。1902年から1914年にかけて発掘権を持っていたのがセオドア・デーヴィスという人物なんだが、こいつが『王家の谷は掘りつくされた』として発掘権を放棄、カーターに手渡したんだがな」
「はあ。ですが、そのラムセス6世の王墓の真下はまだ調べていなかった、と」
「それだけじゃないんだ。当時その場所はごみ捨て場だったんだ」
私は目を丸くした。
「おかしいだろ? デーヴィスは目指すツタンカーメンの王墓の真上にせっせと瓦礫を運んでいたわけだ。馬鹿な話だ。まあもちろん、ラムセス6世の王墓がすぐ隣にあるわけだから、そこには墓がないと信じてごみ捨て場にしていたわけだが……」
「よくそんな場所に目をつけましたね、カーターは」
「全くだな。だがカーターは随分自信があったみたいだな。もしかしたらそこに墓があるって分かっていたのかもしれないな」
「分かって──?」
「いや、それは全くの俺の勘。とにかく、そうした三重のカラクリのおかげで、カーターがツタンカーメンの王墓を見つけることが可能になった、というわけだ」
1.ツタンカーメンというファラオの歴史的消去
2.ラムセス6世というファラオの王墓の存在
3.発掘現場においてごみ捨て場とされていた事実
それらが理由となって、ツタンカーメンの王墓は巧妙に隠されていたのだ。
「まるでドラマですね」
「本人たちがそれを一番強く感じていただろうな。だが現実にファラオのミイラと山ほどの副葬品はそこにあった。カーターも記しているとおり『忍耐づよい労働の多くの歳月が、ついに報いを受けようとしているのである!』というところだな。さてと、だ」
私も思わず座りなおす。ここまでは前置き、これからが本題だ。
「1915年から1922年まで、カーターは6シーズンを何の収穫もなしに終えた。ついにはカーナーヴォン卿から資金提供の打ち切りを提示されるほどだった。まさにこの1922〜1923年シーズンは最後の発掘になるところだった」
「それがこの発見で全て報われることになった」
「ああ。まずは日付を確認しよう。これは非常に大事だ。あとあともな」
そう言って響はホワイトボードに日付を書き込んでいった。
10月28日:ルクソール到着。
11月 1日:作業開始。
4日:『岩の中に掘られた一つの段』を発見。
5日:日没までに12段、及び扉上部を発掘。
無傷の封印を持つ墓であることが分かる。
6日:カーナーヴォン卿に王墓発見の連絡。
18日:カーター、カイロへ移動。
21日:ルクソールへ戻る。
23日:カーナーヴォン卿、ルクソール到着。
24日:階段全部の清掃が完了。
25日:第一の扉の封印を解く。
26日:第二の扉の内部を確認。
27日:第二の扉の封印を解き、前室に入る。
前室の事前調査を行う(〜12月2日)
12月 3日:入口を塞ぐ。
4日:カーナーヴォン卿、イギリスへ戻る。
6日:カーター、カイロへ移動。
13日:鋼鉄の扉が完成。
16日:墓を開く。
17日:鋼鉄の扉を入口に設置。
18日:作業開始。
「カーターの『ツタンカーメン発掘記』から分かるのはこんなところだ」
「はあ」
「はあ、じゃない。これからお前は何か気がつくことがないのか」
「と言われましても」
私は改めてこの日程を確認する。気になることといえば2ヶ所、いや3ヶ所ある。だがそれがどういう意味を持つものかは私には分からない。
「何かあるか?」
「はい。なんといってもこの作業開始から王墓発見までの期間の短さです」
作業開始が11月1日。発見が4日。たったの4日間でこうも簡単に見つかるものなのか。それ以前の6年間は全く何の成果もなかったというのに。
「確かにこれは気になるところだな。だがまあ、いつ見つかるかなんていうのは偶然の産物だからな」
「さきほど、響は『カーターは墓の在り処を知っていたのかもしれない』と言いました」
「ま、それらしいことは言ったな」
「カーナーヴォン卿から資金援助の停止を言い渡されたカーターは、何らかの理由で発見を早めざるをえなくなった、ということではないでしょうか」
「考えるねえ、由紀」
「あなたと一緒にいるとこれくらいのことは考えさせられます」
つまり、こういうことだ。
カーターはすぐに王墓を発見することができないような理由があった。それはもしかしたら財宝の横流しに関係することなのかもしれない。もっとも6年間も回り道をしなければならない理由などなかなか考えがたいが。
だが1922〜23年シーズンで資金提供を打ち切るとカーナーヴォン卿から宣告されたカーターは王墓を発見せざるをえなくなった。それがこの短期間での発見につながったのではないだろうか。
「視点はいい」
「ありがとうございます」
「俺もそれは疑問に思っていた。結論は出てないけどな。それくらいのことが考えられるんだったら、十分にトレジャーハンターの資質があるぜ」
「私はただのバイトですから」
響は苦笑した。
「他に、まだ気づいたことがあるか?」
私は頷いてから答えた。
『山犬と9人の捕虜』
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