『山犬と9人の捕虜』







「間、です」

 響はニヤリと笑った。どうやら私の答は彼が期待していたものと合致していたようだ。

「具体的に言ってみろ」

「はい。1922年11月6日から18日までの間、それからこれをどう見るかは難しいですが、12月3日から12月16日までの間、これが疑問です」

 響は右手で私の頭を強くなでた。多分、百点に近い答だったのだろう。

「そうなんだ。カーターはこの期間のことをほとんど記録していない。墓は見つけたものの、カーナーヴォン卿が来るまで封印して誰も入らないようにした。さらにはミイラのある玄室ではなく、副葬品のおさめられている前室を正式に調査するまでの期間もまた封印している。理由は確かにつけられている。だが納得はできない。さて、そこでだ」

 響が意味ありげな笑みを浮かべる。どうやら私はまだ試されるらしい。
 この抜き打ちテストのような感覚はどうにかならないものだろうか。

「ツタンカーメン王墓の全容を教えておこう。まず最初に16段の階段があり、その先が封鎖扉だ。ここに『山犬と9人の捕虜』を描いた封印がされている。封印は分かるか?」

「中世日本でも紙で扉を封印してましたね。割り印のようなものですよね」

「割り印か。まあそう考えた方が分かりやすいだろうな。この場合はぴったりと閉じられた扉に封印が刻まれていたんだが、それに描かれていたのがこの『山犬と9人の捕虜』の絵だ」

「それにはどういう意味があるのですか?」

「さあ。ただ山犬といえば冥界の裁判官アヌビスの象徴だ、何か意味はあるんだろうけどな。まあその絵自体は別にどうだっていい。問題は封印そのものだ。この最初の封印扉の先が長さ約9メートルの通路、その先にあるのがまた封印扉だ。その奥が前室で、膨大な数の副葬品が納められている。正面壁の左側には付属室への封印扉があり、ここにも多数の遺物が納められている。右側の壁にはファラオのミイラがある玄室への封印扉。入って正面にはファラオの棺、右側の壁には宝庫があって、ミイラの内臓を入れた厨子や宝石箱などがあった」

「え、ええと」

 一気に説明されたので頭の中で整理ができない。と思っていると響が改めてホワイトボードに図を描いてくれた。



「こんな感じだな。この前室の調査にだいたい2ヶ月かかり、玄室に初めて入ったのが1923年2月16日のことだった」

「そんなに……?」

 私は驚いた。おそらく全ての部屋をあわせても、総面積が家2つか3つ分くらいの広さだ。見るだけなら1日もかからないだろう。
 それほど所狭しと前室に副葬品が置かれていたのだろうか。響に尋ねると笑われてしまった。

「そういやお前、発掘作業とかってやったことなかったんだよな、正式には」

「この間はずっと鉄鉱石を掘らされつづけましたからね。延々10日間」

「大事な作業だったんだから仕方ないだろ? まあそれはともかく、遺品っていうのは何が置かれているかっていうのが問題なだけじゃないんだ。どこに何があるのかとかもきちんと記録しておかなければならない。また何千年も昔のものだから木製品や布製品なんかは少し触っただけでも崩れてしまう。というわけで、最初に必要な作業として、まず写真をとらなければならないんだ」

「はあ」

「そうすれば本体が壊れても写真が記録として残るだろ? もちろん本体の方だって壊れないようにしなければならない。ビーズやなんかで装飾された衣服の類は、原形をたもつようにロウをかぶせて形を固定して運び出さなければならない」

「慎重をきわめる作業だったわけですね」

「それだけ慎重をきわめているくせに、いろんなところで大胆というか、めちゃくちゃというか……まあその話は後だな。玄室の調査中、一大センセーショナルともいえる事件が起こった。4月6日のことだ。カイロに滞在していたカーナーヴォン卿が亡くなった。原因は蚊を媒体とした伝染病。このこともあって一度玄室の調査はストップしたが、結局翌24年2月12日、外棺の蓋が開けられた。中に入っていたのはなんと! なんだと思う?」

 妙な質問である。棺の中に入っているものは王のファラオ以外の何ものでもないはずだ。

「ファラオのミイラではなかったのですか?」

「違うんだな。棺の中にはまた棺が入っていたんだ。棺は三重になっていて、外側から順に、第一の人型棺、第二の人型棺、第三の人型棺、といわれている。その第三の人型棺の中にいたのが、黄金のマスクをかぶったツタンカーメンのミイラだった。1925年10月末のことだ」

「棺の上に棺、ですか。ロシアの入れ子人形みたいですね。なんていいましたっけ」

「マトリョーシカ、だな。エジプトに行ったときに人型棺は実物を見に行くから期待していろ。黄金のマスクもな。さてと、本題に入るぞ」

 はい、と私は真剣に頷く。

「さっきも言ったが、この王墓の封鎖壁には封印がしてあった」

「はい。山犬と9人の捕虜をかたどったものですね」

「そうだ。これは前室を塞いでいた第2の扉にもあった。だが問題は、この2つの封印はいずれも、一度破られた跡があった」

「一度、破られた?」

「そうだ。これが意味することはたった一つ。墓泥棒が入った。それだけだ」

「で、ですが、中の副葬品は手付かずだったのでしょう?」

「いや。記録を読む限りでは『付属室が』『盗賊によって』荒らされていたとある。また宝庫の宝石箱なんかも荒らされていたみたいだな。だが、これはどう考えても妙だ」

 私にもそれは分かる。図を見れば一目瞭然だ。
 付属室にせよ宝庫にせよ、それぞれ一番奥の部屋であって、必ず前室を通らなければならない。宝庫にいたっては玄室を通らなければならない。
 盗賊が入ったのだったら、まずはこの前室の副葬品を手にするのではないだろうか。

「分かりません」

「何がだ?」

「響が何を私に教えようとしているのかが、です」

 響は苦笑した。

「さて、そこで話は最初に戻る。由紀、お前は。1922年11月6日から18日までの間、それから12月3日から12月16日までの間、2つの空白期間があるといった。そして今回取りにいく秘宝は、カーターが横流ししたものだという情報までお前はつかんでいる。これから何を連想する?」

 言われて考える。響の言いたいことの半分は分かる。盗賊の正体が実はカーターその人なのだということなのだろう。だが、それだけでは推量の域をこえない。そのための状況証拠とも呼べるようなものが、これまでの情報の中にあるというのだろうか。
 カーターは何度かカイロへ行っている。何故? 調査に必要な道具をそろえるため? だとしたらそれは何故部下に任せなかったのだろう。しかも最初の一回はカーナーヴォン卿の到着直前だ。卿を迎えに行くのならルクソールが筋だ。それなのにわざわざカイロへ行っている……。

「ヒントをいただけますか」

「何についてだ?」

「封印は3つ目の扉にもあったのでしょうか」

「もしそこに封印がして、それも破られていた形跡があるのだとしたら、当然記録には残っているだろう。また封印があって、それが破られていないのだったら、前との比較から当然記録に残っているはずだ。だが記録には三つ目の扉について封印の有無は何も記録されていない。おそらくはなかったのだと思われる」

 なるほど、と私は考え込む。ということは、盗賊は封印を破っている時点でどの部屋にも入ることができる状況にあったと思ってかまわないということらしい。

「推測でかまいませんか」

「推測することしかできないんだよ、この世界はな。あとはどれだけ説得力のある説明ができるかどうかだ」

「はい。要するに、墓に入って副葬品を持ち出したのはカーター本人です」

「それはいい。それから?」

「カーターはカーナーヴォン卿が来る前、すなわち第一の空白期間に王墓に侵入、幾つかの副葬品を盗み出すと近辺に隠し、扉を再封印した。そしてカイロへ移動し、闇市でツタンカーメンの副葬品を買ってくれる商人を探し出した」

「ふむ、それで」

「前室の事前調査を終えて墓を封印した後、すなわち第二の空白期間に副葬品をカイロへ持ち出し、商人と取引を行った……こんなところでしょうか」

「80点、だな」

「じゃあもう一つ付け加えます。これは完全にあてずっぽうなのですが、そのことがカーナーヴォン卿に感づかれているようだった。証拠を捕まれる前にカーナーヴォン卿を殺さなければならないと思い込んだカーターは、蚊に食われたように見せかけて毒を盛った。それもゆっくりと効果が発動するものを。さらにカイロで滞在している間の卿の主治医を買収して──お金はいくらでもあるわけですから──治療を遅らせる、さらには毒を盛ることに協力してもらった、ということが考えられます」

「由紀」

 真面目な表情をして響が言った。

「すいません。あてずっぽうで言っていいことではありませんでしたね」

「違う。お前、トレジャーハンターの才能あるぜ。カーナーヴォン卿のことは教えないようにしていたのに、よくそこまで気付いたな」

 真剣な瞳で、響が私を見つめていた。

「……褒めてくださっているのですか?」

「それ以外の何かに聞こえたか?」

 動揺した。
 普段、こんなことは滅多に言わない響だ。自分をからかったり叱ったりはいつものことだが、褒めるなどということは、まずない。

「……響のヒントが良かったんです」

「封印のことか?」

「いえ。昨日、響は『違う呪いならある』みたいなことを匂わせていました。つまり、ツタンカーメンの財宝に目がくらんだカーターは、あたかも呪いがかかったかのごとくに、カーナーヴォン卿の殺害に手を染めたのではないか、と」

「やれやれ、たいしたやつだ」

 ばふっ、と響は私の頭に手を置いた。

「お前は鍛え甲斐のあるやつだよ」

「褒め言葉ですよね?」

「そのつもりだぜ? 聞こえなかったか?」

「響はときどき、思っていることとは別のことを口にしますから」

「失礼なやつだな。人が真面目に褒めてやってるってのに」

 なんとなく、和んだ空気が事務所を包んでいた。
 ここでは滅多にこうした気分にはならない。いつも何かしらの小言を言われているせいかもしれない。

「さて、カーターの横流しについてはこれくらいにしておこうか」

「まだ、具体的な中身が何なのか、説明されていませんが」

「それは後のお楽しみ。今日はもう時間がないしな。最後に一つだけ」

「はい」

「from EG to SA──この暗号、解けたか?」

「はい」

 さすがに1日もあればどこの国くらいかはわかる。それに今日の説明で、その内容も鮮明に見えていた。

「エジプトから南アフリカへ。カーターは盗掘した副葬品を、南アフリカの商人に売ったということですね」

「今日のお前は完璧だな」

「褒めても何も出ませんよ」

「そいつは残念──というわけで、今日の課題はこれ」

 響は文庫本を2冊取り出して、私に手渡す。なんだろうと思ってタイトルを確認すると、そこには『ツタンカーメン発掘記(上)』と書かれていた。

「ちくま書房からちょうど今年の1月に日本で初めて翻訳出版されたものだ」

「今年の1月に? 今まで翻訳されたものはなかったんですか」

「みたいだな。俺は原文で呼んでるから知らなかったが。まあお前にはちょうどいいだろうと思って、さっき買ってきた」

「わざわざありがとうございます」

「というわけでエジプト出発の土曜日までに読んでおくように。資料の方は好きに使ってくれ」

「分かりました」

「それじゃ、今日はもう上がっていいから。おつかれさん」

「はい」

 そう言うと、響は事務所を出ていった。多分給湯室かトイレにでも行ったのだろう。
 それにしても、と思う。
 この2ヶ月で、私はそんなにも成長したのだろうか。
 今日は随分と褒められてばかりだったが、もしかして響の作為ではないだろうか。
 本当に響の気をよくしていたのなら、私としても嬉しいのだけれど。
 ふう、と小さく息を吐いて、私は資料と本をバッグに納めた。

(そうだ。また出発前に寄っておかなきゃ……)

 私はバッグを手にし、事務所を出た。



金色の少女

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