傾斜、30度
ここ数日、響は機嫌が悪かった。
そのため、私もあまり話し掛けることができなかった。まあ、機嫌が悪い理由はよく分かっていた。
「響?」
声をかけてもジロリと睨みつけられるだけ。私は一つため息をついた。
「あの日、響を置いて私だけ先に博物館を出たのがそんなに気に入らないんですか?」
「分かってたんだな」
「そりゃ分かります」
「なら、俺が今猛烈に機嫌が悪くて話し掛けられたくないというのも分かるな」
私にはなかなか納得のいかないことであった。
たとえ苦手な相手だからといって、あんな可愛い子につきまとわれることがそんなにも機嫌が悪くなるようなことだろうか。
私だって、あんなに可愛い子なら妹にほしいくらいだ。
はあ、と息をついて電光掲示板の時計を見る。
6月13日水曜日夜、22時50分。
明日0時10分に南アフリカ、ケープタウン行きの便が出る。
(ここまで意固地になる理由が分からないのよね)
あの様子からして、単に追いかけられているというわけではない気もする。
この間の話の内容からして、彼女もトレジャーハンターのようだが、いったいどういう関係なのだろう。
「あ、いたいた♪」
と。
私が今考えていた当人が現れた。
「見つけたよぉ♪ ヒビキー♪」
響はがっくりとうなだれた。
「ジェシーさん、こんばんは」
「こんばんはぁ♪ 3日ぶりです、ユキさん」
「今日も綺麗なお洋服ですね」
それは私の正直な感想だ。黄色に花柄のワンピース。彼女のように可愛い子だと、こういう人を選ぶ洋服もよく映える。
「ありがとうございます。これ手作りなんですよー」
「そうなんですか? すごいですね、とてもそうは見えないです」
「ありがとうございますー」
「……お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ」
響は嫌そうにこちらを見つめる。別に仲良くなったというわけではないが、この少女と一緒にいるのは──それこそどこかの高飛車女といるよりははるかに、いや比べるだけジェシーに失礼だ。
彼女の可愛さは心を和ませる。少なくとも私にはそう感じられた。
「言っておくがな、由紀。そいつは今回の秘宝探しのライバルだからな」
「分かっています。だからといって仲良くすることが悪いというわけではないでしょう?」
「好きにしろ」
わーい、と喜んだのはジェシーである。その姿を見てどうして自分がこの少女を気に入ったのかがわかったような気がした。そして同時に響がこの少女を苦手に思っているのかも。
子供だからだ。とにかく精神的にまだ幼い。だから私から見ると子供の可愛さがきわだって見える。だが響にしてみると、それがどうにも自分とは合わないのだろう。
「リョウコ、いないねえ。けっこう探したんだけどな」
「あいつはいない方が静かでいい。お前と一緒でな」
「ヒビキ、そんなこと言わないでよぉ」
「媚びた声を上げるな。お前がうるさいのは事実だろう」
「ぶ〜」
思わず私は笑ってしまった。
まるで兄妹の会話だ。響がこんな普通に会話しているのを見るのは初めてかもしれない。
「ジェシーさんもトレジャーハンターなんですよね」
一応、ここ数日気になっていたことを確認する。ジェシーはにこにこと笑って「そうだよ」と答えた。
「響とはいつごろからのお知り合いなんですか?」
「私が孤児院に入ったときからだから、う〜んと、もう8年かな」
「じゃあ随分古い知り合いなんですね」
「そりゃあ、私にしてみればね。でもヒビキ──」
「いい加減にしろ」
響がこちらを睨んでいた。
かなり怒っている。目が本気だ。
どうしたというのだろう。
「ごめんなさい、ヒビキ」
それを見てジェシーは素直に謝った。
いったいジェシーは何か悪いことをしたのだろうか。私には分からない。
「響……」
「黙ってろ。俺は眠いんだ」
しゅんとなったジェシーをソファに座らせ、私はその隣に座った。
いったい何故響はこんなに怒っているのだろう。
私がジェシーと仲良く話しているから?
それとも、他に何かあるのだろうか?
響にもジェシーにも何も聞くことができないまま、時間がきた。3人とも何も話さないまま飛行機に乗り込んだ。
「ごめんね、私のせいで変な雰囲気になっちゃって」
飛行機内。いつものファーストクラス。響がトイレに立ち上がったとたんに、ジェシーは私のところにやってきた。
「いえ、響の気まぐれはよくあることですから」
「ううん。ヒビキは私がいるせいで機嫌が悪いの」
どうやら彼女は、自分が何故響を機嫌悪くさせているのか、心当たりがあるらしい。
「話してもらえますか?」
「ヒビキに怒られるから、あまり深くは話せないんだけど」
そう言って彼女は話し始めた。
「私、両親ともトレジャーハンターだったの。7歳のとき、秘宝を巡る争いに敗れて2人とも死んだの。
私の両親を殺したのはヒビキ。
秘宝のための争いだった。仕方のないことだということはあのころの自分でもよく分かった。
秘宝のことは両親から聞かされていたしね。
だからヒビキを恨んだことはない。それどころかヒビキは身寄りのない私を、自分の知り合いの孤児院に入れてくれた。
ヒビキが無理していること、私には分かった。
感謝してるの、ヒビキには。それに、なんていうのかな。自分のことで一生懸命になってくれるお兄ちゃんに、憧れたみたい。
初恋っていうのかなあ。私、ずっとヒビキのこと追いかけてた。
トレジャーハンターになって、ヒビキの役に立てるようになりたかった。
だから、ユキさんにはちょっとヤキモチ」
てへっ、と笑う。私も思わずつられて笑ってしまった。
「ヒビキ、私には罪悪感を持ってるんだと思う。
だから私がヒビキの傍にいると、ヒビキ、自分が悪いことをしたんだって思うんだと思う。
私、そんなこと気にしてないのに。
ヒビキの傍にいられることが一番なのになあ……」
8年前で7歳ということは、現在のジェシーは15歳だ。
幼いころの恋心をずっと抱いたままこの歳になったのだろう。
年齢の割に随分と幼い子だと思っていたが、ヒビキの前では無理に明るく振る舞っていたのかもしれない。
「ユキさん、前までのバイトさんに比べてなんだか話しやすいな」
「そうですか? そうだと嬉しいです」
「ユキさんは美人さんだし、素敵だから」
私は微笑んで首をかしげる。面と向かって私のことを褒める人はそう多くない。
綺麗な顔立ちをしていると言われることはある。だが同時に、ツンとしているとも言われる。
「ジェシーさんみたいに綺麗な人に言われると嬉しいですね」
「そんなことないです。ユキさんは物腰もたおやかで、私とそんなに歳も違わなさそうなのにすごく大人っぽいし。憧れます」
「ありがとう。でも、私はそんなに褒められるような人ではないから」
言って笑う。
「そんなことないですよ……って、あ」
ジェシーの笑顔が歪む。私もその理由が分かって気まずくなった。
「いつからここはお前の席になったんだ、ジェシー」
椅子に手をかけて睨みつけている響がそこにいた。
「あ、はは……早かったね、ヒビキ♪」
「……」
「あ、私もトイレに行ってこようっと」
逃げるようにジェシーはいなくなってしまった。響はため息をつきながら私の隣に腰を下ろす。
「あ、響……」
「何を言われた」
「はい?」
「何を言われたのかと聞いているんだ」
響らしくない言い方だった。いつもはもっと、不器用な優しさを見せてくれるのに、今は完全に高圧的な態度だ。
「たいした話はしてないですけど……響がジェシーさんの両親とその……いろいろあって、彼女を孤児院に連れていったことくらいで」
「お前、あいつに同情したりなんかしてないだろうな」
「は?」
「あいつは猫の皮を被っている。何枚もな。油断してると、寝首をかかれるからな。気をつけろ」
私は言葉を失った。
先ほどの少女からはそんなところは全く見られなかった。
響の思い過ごしではないのだろうか……響が彼女への罪悪感から、彼女を疑ってしまっているだけなのではないだろうか。
「響は、ジェシーさんに恨まれていると考えているのですか?」
「推測じゃない。事実だ」
「ジェシーさんの様子ではそんな風ではなかったですけど」
「あいつは人を騙す天才だ。良心の呵責がないからな。だからクラッキングなんて真似も平気でできる」
「響はジェシーさんのことをそんなによく知っているのですか?」
「知っているさ。お前以上にな。俺はあいつから恨まれている。あいつが俺に殺意を抱いているわけじゃないのは知っているが、ことあるごとに俺の仕事を邪魔する。それも俺が被害を受けるようにな。あいつは死ぬまで俺の邪魔をしつづけるつもりだ。それがあいつの生きがいみたいなもんだ」
「そんな。ジェシーさんはそんな子じゃありません」
響は何も答えなかった。椅子を倒し、目を閉じた。
もう私とこの件で話すつもりはない、ということらしい。
(何をそんなに怒っているのだろう……)
響の考えが把握できない。
今までも決して分かっていたわけではないが、今はこうなんというのだろう、意志の疎通みたいなものが欠けている。
変な感じがする。
今まで二ヶ月バイトをしてきて、こんな気分にさせられるのは初めてのことだった。
海の見える屋敷で
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