海の見える屋敷で
南アフリカ共和国。
アフリカ大陸最南端に位置し、面積は122万平方キロ、日本の約3.3倍に相当する。国土のうち3分の2が内陸高地で、高原、サバンナ、森林、砂漠、山脈など変化に富む。南岸では花々が咲き乱れるが、北西にカラハリ砂漠、西側にナミブ砂漠が広がっている。人口はおよそ4千万人。アフリカ系が4分の3、ヨーロッパ系は8分の1しかいない。公用語は11語もあり、主に英語とアフリカンス語が使われている。
この国には首都が3つある。世界的にはケープタウンということになっているが、これは単に国会議事堂のある立法上の首都でしかない。行政上の首都はプレトリア、司法上の首都はブルームフォンテンと、三権分立を完全に確立している。
国内は9つの州に分かれている。主要都市としては経済の中心地であるヨハネスブルク、そしてリゾート地としてケープタウン、ダーバンなどが知られる。
気候は南半球に位置しているため、日本とは逆になる。現在6月であるから、初冬の時期にあたる。だが赤道に近いため、冬でも雪が降ることは滅多にない。平均気温がこの時期のケープタウンで15度程度である。
宗教は80%がキリスト教を信仰している。宗派はさまざまで、オランダ改革派協会やイギリス国教会、カトリック、メソジスト教会など。さらにキリスト教と伝統的なアフリカ宗教が結びついた独立教会がある。
国歌・国旗は1994年4月27日に新しく制定された。
神よ アフリカを祝福したまえ
大地に幸福を与えたまえ
私達の祈りを聞きたまえ
神よ アフリカを祝福したまえ
あなたの家族である私達を
神はわが国を祝福したまえ
戦いと苦しみを止めたまえ
救い給え! 救い給え!
わが祖国
わが祖国、南アフリカ
私達の願いは深い海の割れ目から
晴天にまで鳴り響く
どこまでもつづく山を越えて
和解を呼びかける声
団結せよ
祖国南アフリカの
自由のために戦わん
南アフリカ共和国は他のアフリカ諸国とは若干異なる歴史を持っている。
当初はオランダが植民地とし、このオランダ移民はボーア人(オランダ語で『農民』の意)と呼ばれた。
その後、フランスと敵対関係にあったイギリスが対仏制海権を手にするためにここを占拠、1814年のウィーン会議で正式にイギリスの植民地となった。だがイギリス人とボーア人との間で衝突がおこり、国内は分裂する。
これが一応の解決を見たのは1910年のこと。イギリスは現地で黒人奴隷を従えて農場や鉱山を経営していたボーア人たちを懐柔するために南アフリカ共和国連邦を成立させた。これにより経済はイギリス人、政治はボーア人(アフリカーナーと自らを称した)が仕切るという形態を迎えた。
ボーア人たちがイギリス支配から逃れようとしたことには理由がある。イギリスは当時既に奴隷制度を廃止し、植民地にもそれを適用していた。ボーア人は、アフリカ人をはじめ、アジアから連行してきたインドネシア人やマレー人などを奴隷として働かせていたので、イギリス政府の政策とは相容れなかったのだ。
1910年の連邦成立で初代首相となったのはボーア人のルイ・ボータで、翌11年に鉱山労働法、13年には原住民土地法という人種差別法案を成立させる。
第2次大戦後、国内で反人種主義闘争が繰り広げられるが、これに対して人種隔離政策(アパルトヘイト)を展開、1957年には南アフリカ民族会議のメンバーであるネルソン=マンデラ氏を逮捕、拘留した。
アパルトヘイトのような人種差別を認める政策が世界的に認められるはずもなく、国連がこれに対して非難決議を採択、各国は経済制裁を与えることとした(ただしこのような国際状況の中でも日本は国交を保ちつづけた)。
結局1991年にアパルトヘイトは廃止、先年釈放されていたマンデラ氏が94年に大統領に就任した。96年には新憲法が採択され、翌97年に施行されている。
南アフリカ共和国において平等というものが確立されてから、まだ10年しかたっていないのである。
飛行機は午前11時20分、定刻にケープタウンに到着した。
旅行ケースを引きながら響の後についていく。ジェシーも一緒についてきている。
相変わらず響の機嫌が悪いので、私たちは話し掛けることもできない。沈黙の状態がずっと続いている。
ケープタウン国際空港は、市内からだいたい25キロの位置にある。タクシーで移動することもできるが、響はその予定はないらしい。どうするつもりなのかと聞いてもまるで答えてくれない。
カイロで響は出迎えがあるはずだと言っていたけれど、本当にあるのだろうかと不安になる。
が、私の心配は杞憂だったらしい。
一人の中年の黒人男性が近づいてきて、こちらに向かって頭を下げる。
「お待ち申し上げておりました。ヒビキ様、ジェシー様」
流暢な日本語だった。
「あんたが『ハワード』さんかい?」
響が口元を緩ませて尋ねる。が、男性は「いいえ」と答えた。
「私は執事のサイモンと申します。ご主人様はお屋敷にてお待ちしております」
「5人、呼ばれたって話だが、俺とジェシーと──他に誰が来ている?」
「お屋敷へ行けばお分かりになります」
「他の連中は来ているのか?」
「はい。もう皆様、お二人が到着されるのをお待ちになっておられます」
「屋敷ってのは市内にあるのかい?」
「はい。お車を用意してありますので、どうぞ」
「ああ、それから」
響は私の腕をぐいとつかんで、前へ連れてくる。
「こいつも連れていくが、かまわないか?」
「私の役目はお二人をお屋敷へお連れすることです」
それは拒否されているということだろうか。
私は不安になって響を見つめたが「大丈夫だ」と答える。
「本当に大丈夫なのですか?」
私が小声で尋ねると、響は苛々しながら答える。
「お前を連れていくことを断るんだったら、俺は屋敷には行かない。サイモン氏はそのことを心得ているらしいから大丈夫だ」
「はあ」
「つまり、役目を果たすにはお前も連れていかなければダメだということを分かっているんだよ。いちいちこんなくだらないことを俺に説明させるな」
どうも響の不機嫌はまだ続いているらしかった。
これ以上不機嫌にさせるわけにもいかなかったので、私は「分かりました」と答えて下がる。
サイモン氏は先に立って歩き始めた。
私たちはその後をついていく。途中に免税店もあったが、今はゆっくり見ている暇もない。
空港を出ると、大型のリムジンが私たちを出迎えていた。荷物をトランクに載せ、後部座席に乗り込む。
サイモン氏は助手席に乗り込む。運転手はまた別にいた。
「それで、どこへ連れてってくれるんだい?」
「ミューゼンバークビーチの方です。屋敷から海を見渡すことができますよ」
「へえ。じゃあ市街地の方じゃないんだな」
「そうなりますね。でも海岸沿いも夏になれば賑やかになりますよ」
「今はさすがに泳げないだろうな」
たしかに、多少肌寒い。ただ、これでも一年で一番寒い方なのだというから、私たちとは感覚がまるで違う。
ケープタウンは、ケープ半島の最南端、喜望峰のすぐ目の前に位置している。
市街地は西側、海水浴客で賑わうのは南側のサンライズビーチ、ミューゼンバークビーチの方。ケープタウン国際空港は若干内陸に入り組んだ場所に位置している。
空港から市街地まで、空港から私たちが目指しているミューゼンバークビーチまで、どちらも25キロから30キロくらい。
だいたい1時間をかけて、私たちは屋敷へと連れていかれた。
少し小高い丘の上に屋敷はあり、サイモン氏の言うとおり、水平線を一望にできた。
屋敷は回りの一流ホテルにもひけをとらないほどの大きさで5階立て。屋敷に面している海岸はプライベートビーチなのだという。
「屋敷の中はお好きな部屋を使ってけっこうです。ただし、5階はご主人様の使っており、1階は使用人たちが使っておりますので、2階から4階の中から好きなお部屋を使ってください」
バリアフリーの玄関をとおり、エレベーターで4階まで上がる。できるだけ高いところの方が眺めがいいと思うのは単純だろうか。
と、エレベーターの扉が開いたときだった。
「待ってたよ、響」
扉の向こう側に、金髪白人の男性がいた。一瞬私の頭の中に、前回同じ秘宝を求めて争ったアンリを思い浮かぶ。
「なんだお前も来てたのか。今回は知ってるやつばっかりだな」
「涼子くんのことかい? 彼女は今プールにいるはずだ。会いたいなら案内するが」
「……嫌がらせだろ、お前は」
男性は涼やかに笑った。それがサマになる人だった。
背は響よりも若干高いくらいで、髪は短く切りそろえている。白でコーディネートしたスーツに黒の革靴。これでもか、というくらいキザに決めている。
好きにはなれそうにない人だった。
「こちらのレディは?」
「ジェシー・ランバートの名前くらいは聞いたことあるだろう? そうでなきゃ、アール・グラハムの名前は知っているはずだな」
男性の目が見開かれる。ジェシーはぺこりと頭を下げた。
「はじめまして、ジェシー・ランバートです」
「……ええと、あなたが、R・グラハム?」
「そうですけど」
「極悪クラッカーの、ユーゴ内紛にも関わったことがあるって噂の、あの?」
「そうですけど」
男性は頭を押さえて、私には分からない言葉を呟いた。英語ではないみたいだった。
「まさかこんなところでお目にかかれるとは思わなかった」
「そういうあなたのお名前はなんていうんですか?」
「俺かい? 俺はロアル・バードセン。遠慮なくファーストネームで呼んでくれ、ジェシー。それから日本のお嬢さん」
これは私にも自己紹介しろと言っているのだろうか、と首をかしげる。
「申し遅れました。響のもとで働いている三鷹由紀といいます」
「ユキ、ね。前のバイトやめさせたのは半年前のことだったっけな」
響の方に向き直ってロアルが尋ねる。響は肩をすくめた。
「ああ。そういやお前もバイト、使ってたよな」
「あいつは独立させた。いつまでも下働きさせるのも悪いしな」
「なるほどな。俺とお前と、涼子にジェシー。あと一人は誰だ?」
「知りたいか?」
「ま、同業者の顔と名前くらいは知っておきたいがな」
するとロアルは人差し指をぴっとたてて、笑った。
「『孤高の黒眼鏡』どのだ」
「う」
「わ」
嫌そうな顔をしたのが響で、逆に嬉しそうな顔をしたのがジェシーだった。
「あいつ、無口でコミュニケーションとらないからあまり好きじゃないんだよな」
「えー、リンさんはいい人だよ」
同じ人に対してこうも評価が分かれるというのもおかしな話だ。
「響は『黒眼鏡』どのとは知り合いか」
「一度顔合わせただけだけどな。話したことはないぜ」
「どうせ顔合わせは今日の夜にあるさ。何か話したければそこですればいい」
「パス。今回はジェシーに涼子までいるんだ。余計な気苦労はしたくない」
「ヒビキ、それどういう意味?」
トレジャーハンター同士の会話となると、私に口を挟む余地はない。
もっといろいろ尋ねてみればいいのだろうが、なかなかきっかけが得られない。
しぜんと、私はできるだけこの場の会話を覚えておくという方法で知識を得ていくしかない。
「まあいい。とりあえずは部屋を決めるか。由紀、行くぞ」
「あ、はい」
私は床に置いていた荷物を持ち上げようとしたが、それをロアルが手に取った。
「部屋までお持ちしましょう、お嬢さん」
「いえ。荷物は必ず自分で運ぶように響に言われていますから。人に頼るな、なんでも自分でしろ、と」
「やれやれ、響は相変わらず硬いな。これは女性に対する礼儀。響、かまわないだろ?」
「好きにしろ」
また響の声が刺を含む。あまり神経を逆撫でするようなことはしたくない。
「好意だけ、受け取っておきます。やはり自分で運びますから」
「そうか、残念」
ロアルは素直に引き下がった。
失われた瞳
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