失われた瞳




 出かけてくる。
 そう言い残して響はいなくなってしまった。
 どうも、ジェシーと出会ってからの響はどこかおかしい。
 ロアルさんとはけっこう仲良さそうにしていたのだけれど。
 でも、ここにいる人たちは全員商売敵。
 誰が最初にハワード・カーターの財宝を手に入れることができるのか。
 既に勝負は始まっているのだろうか。
 響は何も言わない。
 だから私も何も尋ねない。
 響からは『手伝うように』としか言われていない。
 だから、必要以上のことはしないようにしている。
 響もそれでいいと言っている。
 宝を探すのは結局、響なのだから。
 私はそのための補助要因でしかないのだから。

「ふう……」

 まだ正午を回ったばかり。
 少しお腹もすいている。
 1階の食堂に行けば食べるものは用意してくれるという。
 このままここにいても別にすることはない。
 食事をとることにした。
 エレベーターのスイッチを押そうとして、ふと指が止まる。

『自分が寝泊りする建物の安全は自分で確認するのが基本だ』

 2ヶ月前に響が言っていたことを思い出す。
 そういえば前回は自分のミスで命の危険にあったのだ。
 建物の安全。
 どこにどういう通路があるのか、電気が止まってエレベーターが動かない場合にはどのような避難経路があるのかを調べておくことは基本中の基本。

(……調べておいた方が、いいか)

 とりあえず階段を探すことにした。
 下へ続く階段はホールには見当たらない。
 屋外に非常階段があるのだろうか。
 4階の案内図を探す──が、それも見当たらない。
 どうやら自分で探さなければならないらしい。

「ふう」

 またため息をつく。
 とにかく屋敷の形状を調べておくのが先だ。
 4階に部屋は20個。エレベーターを降りて右手側の客室に私や響の部屋がある。ジェシーは2階に部屋を取り、ロアルさんは4階の左手側の客室を使っている。
 使われていない客室の扉には鍵がかかっていない。私は1つずつ扉を開けて確かめていった。
 どこも別に変わった部屋はない。
 ただ、その中の1つが客室と見せかけて階段口へつながるものだった。

「まぎらわしいわね」

 階段を見つめる。
 5階には立ち入らないでほしい──とのことだった。
 階段は、上にも続いていた。

「……まあ、別に行く必要はないわね」

 階段を下る。
 そのまま1階へたどりつき、扉を開けると1階のホールにつながっていた。
 すぐ側に玄関がある。

「まあ、これだけ分かってれば充分よね」

 そのまま食堂に向かった。
 途中、使用人が掃除をしているところを通りかかる。
 ここに住んでいるのは、主人の『ハワード』と執事のサイモンさん、それから使用人たち。けっこうな人数だという。
 普通使用人は通うものではないのだろうか。
 まあ、これだけ広い屋敷だとそういうものなのかもしれない。
 そして食堂に入る。さっと見わたすと、見慣れない人物が椅子に座って箸で食事をとっていた。
 黒眼鏡に黒スーツ。
 気難しそうな東洋人。

(……さっき、響たちが言っていた……)

『孤高の黒眼鏡』とかいう二つ名を持つ人。
 ジェシーは『リンさん』と呼んでいた。
 挨拶をした方がいいのだろうか。
 でも無口でコミュニケーションを取らない人だと響は言っていた。
 どうするべきだろう。
 と、考えていると『黒眼鏡』の顔がこちらに向いていた。
 見られている。
 彼の目は見えなかったけれど、明らかにこちらを見ているのが分かった。

「あ、あの、私、響のところで働いている三鷹由紀といいます」

 彼はまるで微動だにしない。
 せめて名乗ってくれてもいいのに。
 と思っていると彼は立ち上がって私の方に近づいてきた。
 けっこう、背が高い。
 私の目の前まで来て、じっと私を見下ろす。
 私は怯まずに、彼を見上げた。

「……ユノ……」

 ぼそり、と低い声が流れる。
 ユノ?
 彼の名前だろうか。
 それとも、私の知らない国の言葉だろうか。

「おっと、こいつはお邪魔さんだったかな」

 明るい声が、私の後ろから聞こえてきた。
 ロアルさんだった。

「どうした、リン。ユキに何か用かい?」

「……」

 す、と彼は私の横を通り抜けて食堂を出ていった。
 まだ食事の途中だったんじゃないだろうか、と彼の座っていた席に目を向ける。
 一口、二口くらいしか手をつけてはいなかった。

「大丈夫だったかい、お嬢さん」

 ロアルさんが声をかけてくる。私はこくりと頷いた。

「あいつは気難しいからな。俺もあいつとは話したことないんだ」

 確かに気難しそうだった。あの人が、最後のトレジャーハンターということか。

「ロアルさんはあの人のこと知ってるんですか?」

「そりゃあ『孤高の黒眼鏡リン』といったら世界で5本の指に入るトレジャーハンターだぜ。俺なんかとは格が違う」

「そんなに凄い方なんですか?」

「へえ、お嬢さん、あまりこの世界のこと詳しいってわけじゃないんだな」

 当然、私がトレジャーハンターの世界のことなど知るはずもない。響のところに通いはじめてからまだ二ヶ月だ。

「響がこの世界では一番凄いっていうのは聞きましたけど」

「あれは別格。なんといっても『秘宝』の収集量が世界ナンバーワンだからな。響に次ぐといえば、まあ1人か2人くらいだろ。リンだって響とは実力的に差があるからな」

「はあ」

「で、俺やリョーコ、ジェシーなんかはそのさらに次くらいだな。『強欲なジェムハンター』と『最凶のクラッカー』か。全く今回はとんでもない連中が揃ってるぜ」

 実力と実績のあるものはトレジャーハンターの世界では『二つ名』で呼ばれる。なんでもこの呼称は短ければ短いほど強いのだという。単純に『ロード』と呼ばれる響は、この世界ではまさに最高の称号で呼ばれているということになる。

「ロアルさんはなんて呼ばれてるんですか?」

「俺かい? 俺は『北欧の貴公子』ってところかな」

「一つうかがいたいんですが、ロアルさんは今回の秘宝がどういうものなのかごぞんじですか」

「つっこめよ、オイ」

 ロアルはどうやら、私が素で流したことが気に入らなかったらしい。

「ま、知らないことはないぜ。カーターの隠し財宝っていや──おっと、お嬢さん、ということは響から秘宝の正体、聞かされてないな?」

 聞かされていない。
 それどころか、下手をすればカーターが横流しをしたことすら教えてもらえないところだった。
 唯一涼子に感謝することができる点だ。

「カーターがツタンカーメンの王墓から財宝を横流しした、と」

「そう。ツタンカーメンの王墓の中に、カーターを狂わせる『秘宝』があったからな」

「ということは、もともとカーターは横流しなどするつもりはなかった?」

「だとしたらもっと計画的にやってただろ。自分の『発掘記』にすら矛盾を隠しきれないでいるんだからな。やはり封印を一度開けて、それを完全に塞ぐことができなかったのが最大の失敗だが。それはカーナーヴォンの手記にもあるがな」

 それは読んだ。
 そして、推測によればカーナーヴォンを殺したのはカーターだという結論を導いたのだが。

「そうだな、じゃあヒントだけ」

「お願いします」

「実はこの宝石は──」

「ロアル!」

 甲高い女性の声。
 無論、聞き覚えのあるものだった。

「やあ、お嬢さん」

 ロアルは振り返ってその女性に声をかける。
 私は、途端に表情を翳らせた。

「Wao! なんであんたがこんなとこにいるのヨ!」

 涼子だった。
 三峰涼子。強欲なジェムハンターとして名を馳せている女性。
 しかも私より年下。

「私がどこにいようと私の勝手です」

「それじゃ、ようやくヒビキも到着したのね! ヒビキはどこ?」

 知らない。
 知っていても、教えるつもりはなかったが。

「ケープタウン市街地の方に行きました」

「嘘つかないで!」

 何故分かったのだろう。
 でも市街地に行くくらいのことは充分にありえるとは思うが。

(そういえば……)

 ジェムハンターとは、稀少価値の高い宝石、レアメタルなどを強奪する人のことを示すという。
 そのジェムハンターである涼子がわざわざここまでやってくるということは、カーターの秘宝とはもしかして、宝石……?

「ありがとう」

「What?」

「あなたのおかげでいろいろなことが分かりました。これで失礼させていただきます」

 私は足を速めてエレベーターへと乗り込む。
 そう。
 宝石──それで全てがつながった。
 もちろん、その『宝石』自体にどれほどの意味があるかは分からない。でも、響が私に教えたかったことの一つが解けたと思う。

(ツタンカーメンは、アンケセナーメと結婚してファラオとなった。このアンケセナーメは、アメンヘテプ3世とネフェルティティの娘)

 ネフェルティティといえば、あの片目の胸像。
 目にはめこまれたのは黒ガラスだという。

(つまり、ネフェルティティは大切な一対の黒硝子の片方を、娘婿に与えることにした)

 ツタンカーメンに、自分の『片目』を授けた。

(そして、それがツタンカーメンの宝庫に置かれていた……カーターはそれを見つけて、思わず手にとった……)

 だから、響もこの点について言葉を濁していた。
 でも、これだけではまだ分からないことがある。

(カーターが黒硝子をネフェルティティの胸像にはめこまれるはずの『片目』だったと判断できた理由、必ずあるはず)

『実はこの宝石は──』

 何か、秘密があるはず。
 自分で、それを見つけなければ。


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