ポンペイの秘宝


ポンペイの秘宝






 朝9時ちょうどの新千歳空港発東京羽田空港行きに乗り、すぐに成田空港まで行って12時ちょうど発のAEROFLOT(アエロフロート)航空のSU584便に乗り、私たちはモスクワ経由でローマへと移動することになった。
 昨日の今日での強行軍になるわけだが、それでも特に問題はない。新しい土地へ行くという楽しみをこのアルバイトで覚えてしまったからだ。
 私達が使うのは、毎度のことながらファーストクラス。なんというか、もういたれりつくせりという感じなのはどこの航空会社でも変わりはないが、今回は前2回に比べると『それほどでもない』というところだった。
 そう考えて、すっかり自分がファーストクラスに慣れきっていることに気付く。この分ではエコノミークラスに乗ることはもうできないのではないか、と心配になる。
 とりあえず椅子の座りごこちを確かめてから、1つ大きくのびを打つ。と、そこに「よう」と声をかけてくる人物があった。

「久しぶりだな。元気してたかい、お嬢ちゃん」

 私を『お嬢ちゃん』扱いするこの人物は、アンリ・シャールというフランス人。響と同じトレジャーハンターだ。私が最初にここでアルバイトをしたときに、秘宝の争奪戦を繰り広げた相手だ。

「おい、アンリ。お前、俺より先にバイトに声かけるのか」

 響が少し怒ったような口調で言う。だがアンリは平然としたものだった。

「男と女なら、女から声をかけるのは当然だろうが。それにしても、譲ちゃん、まだバイト続けてたんだな」

 ほとんど響を無視するかのようにアンリは私に話し掛けてくる。私も愛想よく答えた。

「ええ。毎日オーナーにしごかれてますけど、何とかやってます」

「そいつはひどい。もしよければウチにこいよ。破格の値段で雇ってやるからよ」

「ありがとうございます。クビにされたら是非うかがわせていただきます」

 アンリは私達の商売敵ではあるが、私自身はアンリのことはあまり嫌いではない。
 むしろ、響に比べたらはるかに好意を持っている、と思う。

「お前ら、俺を無視して話をするな」

 仲間はずれの響が怒りを顕わにしていた。

「ローマ行き、ってところをみると、お前らも目当てはポンペイか?」

 アンリは通路を挟んで向こう側の席に座った。私はこちら側の窓側なので、響とアンリの話を外側から伺う体勢になる。

「まあな。お前もってことは他の連中も動きそうだな」

「さあな。情報屋の中には、情報の買い手にランクをつけるところがあるからな。俺たちが一級の買い手だということで情報が回ってきたのは間違いないが、それ以外の連中にまでこの話は回ってるかどうか」

「それにしても、お前がまさか今回の情報に飛びつくとは思わなかったぜ。もっと現実主義だとばかり思ってたからな」

「それを言うなら織宮、お前だってそうだろうが。確定情報が入るまでは動かないのが信条じゃなかったのか?」

 まあな、と肩をすくめた。それを見てアンリがにやりと笑う。
 何か、不思議な感じがした。お互い、今回の事件についてまだ何か知っていることがあるというような素振りだ。

「ところで織宮、お前、ポンペイの秘宝が本当に見つかったらどうする?」

「海に放り投げるか火口に投げ捨てる。あんなもの、ない方が世のためだ」

「同感だな。俺もトレジャーハンターだが、あれはまずい。あれは『宝』なんかじゃない。単なる『兵器』だ。そんなものを掘り当てて喜ぶようなのは三流に任せておけばいい」

 私は首をひねった。
 そういえば、ポンペイの秘宝とはいったい何なのか、まだはっきりと教えてもらったわけではない。この際、今のうちに聞いておくべきだろうか。

「あの、ずっと気になっていたんですけど『ポンペイの秘宝』って何のことですか?」

 アンリが驚いて響を見つめる。

「お前、教えてなかったのか?」

「別に急ぐ必要はなかったからな。すっかり忘れていた」

 何とも薄情な雇い主である。

「うーん、お嬢ちゃん、ポンペイがどうやって滅びたかは知っているよな、当然」

「はい。昨日勉強しました。噴火によって埋没した、と」

「もしその噴火が人為的なものだとしたら、どうする?」

 私は目を丸くした、と思う。
 言っている意味は理解できた。だが、何かが心の中で警告を発していた。それはつまり、正確な理解ができていないといことだ。

「……それは、つまり79年に起こった噴火は、自然現象ではなかったということですか?」

 質問する相手を変える。響は頷いて「分かりやすくいえばそういうことだ」と答えた。

「誰が、いったい何のために──」

「別に悪意があってポンペイやヘルクラネウム、カンパニア地方を埋没させたわけじゃないんだ、あれは。単なる事故。人災といってもいいかもしれないが」

 響がそう言ってから、詳しく説明を始めた。

「70年の連続する余震の後、ローマ皇帝ウェスパシアヌスが行政官スエディウス・クレメンスを派遣したっていう話はしたな?」

 行政官スエディウス・クレメンスはローマ皇帝の、いわば代理人として土地管理の乱れを正すためにポンペイに派遣されたと公式には説明されている。
 これはもちろん間違いではない。スエディウスは実務に携わり、特に市有地を不法に占拠した者を厳しく罰した。これはポンペイ市民の反感を買うどころか、逆に好意的に受け入れられた。というのは、このような不法な占拠のほとんどは悪徳地主によって行われており、彼らに対して聖なる審判がくだされたと市民たちは受け取ったのである。さらに言うなれば、ローマはポンペイの自治に対しては何ら介入しなかった。土地管理、および公共の秩序に乱れがあるとされた時だけ、例外的に介入が行われたのである。
 正当な審判は、ポンペイ市民たちのローマ皇帝への崇敬という形で返ってきた。紀元前後に建設されていたアウグストゥス神殿、これをウェスパシアヌス神殿として改めて建て直されたのだ。場所は市民広場の東側、ほぼ中央。ウェスパシアヌスの存命中に、この神殿がささげられたわけである。

「それが、いったい噴火と何の関係が……?」

「おや、由紀はおかしいとは思わなかったのか?」

 首をひねる。いったい、響は何を言いたいのだろう。

「つまりな、お嬢ちゃん。響はどうして神殿の建設が皇帝の存命中だったのか、ってそう聞きたいんだよ」

「アンリ、あまり甘やかすな。こうして少しずつ頭の使い方を覚えていくんだから」

 たしかに、存命中というのはおかしな話だ。
 どれだけその存在意義が大きいからといって、神殿を建設して生きている人間を祭るというのはよほどのことだ。こういう場合、民衆の意思によって行われたというよりは、皇帝が自らの神格化を推し進めるために行ったと考える方が妥当なのではないだろうか。
 そう言うと、響は満足したように微笑んだ。

「その通りだ。だが、目的のところが少しばかり違うんだがな」

「目的?」

「つまり、何のために皇帝は、そしてスエディウスは神殿を利用したのか、ということさ」

 そして響は紙とペンを取り出し、ウェスパシアヌス神殿の見取り図を書いた。
 市民広場に面している入り口から中に入ると、4本の円柱で支えられたポルティコ(柱廊式玄関)があってロビーの役割を果たしている。その奥に吹き抜けの中央部があって、その真ん中に祭壇。浮き彫りつきの大理石板でおおわれた立派なもので、その上部にはドスレット(副柱頭)のついた厚板がのり、側面には浮き彫りをほどこした4枚の白い大理石板が張られている。
 祭壇の北面には、祭司が肩にかける長い外衣、いけにえの儀式に用いる杖、香箱が並び、その上には二つのブクラニア(牛の頭蓋骨を模した装飾)の間に花綱と果物がつるしてある。逆に南面には皿、ひしゃく、三つの丸い突起がついた水さしがあり、その上には占い用の花輪がつるされている。そして祭壇正面には、いけにえをささげる場面が描かれている。
 そしてさらに奥へ行くと階段があって、そこから2階の神室へ行けるようになっており、この神室は祭壇のところから見ることができるような作りになっている。
 このほかにもいくつか部屋はあるようだが、とにかく大事なのはここまでだという。

「つまり、このウェスパシアヌス神殿で儀式を行ったんだ」

 それは、つまり。

「……ヴェスヴィオ噴火の儀式、ということですか……?」

 私の声は、少し上ずっていたかもしれない。それも仕方のないことではあったが。

「それも、いけにえを使って……」

「そう。まさにスエディウスはいけにえを使って、本来もっと別の時代に起きるはずだったヴェスヴィオの噴火を79年の時点で起こした。それこそがローマ皇帝と行政官スエディウスの真の目的だった」

「でも、いったい何故、何のためにそんな──」

「そこで話は戻るけど、これは不幸な事故だったのさ」

 響が続いて説明したことを要約すると、以下のようなことだったらしい。
 62年の地震を測定した結果、近未来にヴェスヴィオが噴火するだろうことが明らかになった。時の皇帝はネロであったが、彼は何らの対策を行わなかった。行ったのはネロの死後、何人かの有力者の争いに勝ち残ったウェスパシアヌス帝であった。
 ウェスパシアヌスはこの災害を人為的に食い止めようと考えた。そして噴火のエネルギーを永遠に抑え込もうと考えたのである。そしてこの実行者となったのがスエディウスであった。彼はウェスパシアヌス神殿で酒神バッカスにいけにえをささげることによって噴火を引き留めていたのだ。
 だが、人間の手で自然現象を操ることができるはずもなく、逆にヴェスヴィオはその最大の力をもって人間に対して報復行為を達したのである。

「で、この時の儀式に使われたのが『ポンペイの秘宝』ってわけさ」

 響はそう締めくくった。そしてその後をさらにアンリが続ける。

「だから誰も『ポンペイの秘宝』の正体を知らないんだ。形、大きさはもちろん、使い方も何もかもが分かってない。だから『秘宝』なんだ。そう呼ぶしかないんだよ」

 ようやく納得がいった。
 響は秘宝とか、伝説の宝とかに目がない人間なのに、どうしてこの『ポンペイの秘宝』はよくないと言っていたのか。
 それはつまり、存在そのものが呪われているからだ。これを軍事目的で利用することは容易なことだろう。噴火のエネルギーを保存しておいて一気に放出する。そうなれば、罪もない民間人が次々と被災にあうかもしれない。それをこの2人は何より恐れているのだ。

「その『秘宝』は実在するのですか?」

 響とアンリは目を合わせた。そして豪快に笑った。

「当たり前じゃねえか。だって俺たちが今言ったことは事実なんだから」

「ですが、誰もそれを確かめた人はいないわけですよね」

「お嬢ちゃん。この間のロンギヌスの槍の件、もう忘れたのかい?」

 無論、忘れるわけがない。伝説とは史実から生まれるものであるということを、自分は実際にこの目にしている。
 しかし、今回はあくまで2人の推量ではないのかという懸念が拭い去れない。だいたい、今の話には根拠がない。

「根拠ときたか。うーん……」

 そう言うと悩んだのはアンリであった。だが、響は別段まいっているわけではなさそうだ。

「例えば、夏王朝は知ってるよな」

「はい。中国の伝説上、最初の統一国家で、殷の前に中国を支配していた王朝です」

「確かに伝説上には違いないが、夏王朝が実在していたことは皆が知っている。それは何故だ?」

「言い伝えが残っているから……でしょうか」

「近年夏王朝の貿易の記録が見つかったんだけどな。ま、そんなところだ。つまり『ポンペイの秘宝』も、言い伝えとしてはしっかりと残っているんだ。とても一般的とはいえないけどな」

 いったいどこにどう伝わっているのかは気になるところだが、つまり響の言いたいことは『事実だとわかりきっているから疑う必要はない』ということらしい。あまりよい例えだとは思わなかったが。

「だとしたら、いったい私たちは何をすることになるでしょうか」

 最後にそう質問すると、響がうーんと唸った。

「まずはポンペイを見てみようや。それからでも遅くはないさ」



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