ポンペイの秘宝
ドッペルゲンガー
響とアンリはそれぞれ自分が相対する敵に向かってナイフを構えた。
響の相手はエミール。ナイフの腕前は自分より若干劣るだろう。しかし、嫌味なほどに間合いを取ることに長けている。油断してかかったら逆撃を受けることは必至だろう。
(こっちも慎重にやらないとな)
響はアンリから離れてゆっくりとエミールに近づく。エミールも覚悟を決めたのか、焦りの表情を消して響を睨みつけ、慎重に間合いを計る。
先に動いたのは、響であった。
先手必勝、というわけではないのだがいつまでも間合いを取り合っているわけにもいかない。どのみち自分から攻め込まないかぎりエミールから攻撃してくることはないだろう。ならば、余計な体力を使うよりも先に攻撃を繰り出した方がいいと判断したのだ。
ナイフの切っ先を避けながらエミールはしっかりと間合いを取り直す。この微妙な位置取りのおかげで連続して攻撃を繰り出すことができない。
戦いにくい相手だ。たとえ自分より強くてもアンリの方がまだ戦いやすい。この間合い、このテンポに自分が焦らされているのが分かる。
だが、ナイフの腕前でならば自分の方が強いことは分かっている。エミールは回避行動に長けているのであって、攻撃に関しては自分の方がはるかに上回っている。敵のナイフに気をつけながら、相手の隙をうかがうしかないだろう。
「ロード・ヒビキ。こうなってしまった以上、もう仕方がない」
エミールはがらりと雰囲気を変えた。
そして、殺気を放つ。先程までは全く感じられなかったそれは、響を圧迫して包み込んだ。
「ドッペルゲンガーの『1つ目』の秘密を知られた以上、あなたを生かしておくわけにはまいりません。潔いご最後を」
言うなり、エミールの姿が消えた。
(なに?)
響は慌てて四方の気を探る。だが、反対側で戦っているアンリと『ドッペルゲンガー』以外の気は全く感じられない。
(いったい、どこへ)
エミールは『1つ目』の秘密といった。だとすれば、今こうして自分を困惑させているのは『2つ目』の秘密ということだろうか。
双子であることを隠して敵の死角をつく多重攻撃。それが1つ目の秘密だとするなら、もう1つは。
(まずい)
勘だけで、響はその場から右へ飛び跳ねた。直後に、銀閃がその場を両断する。その場にいたなら確実に致命傷であった。
(今のは、いったい──)
すぐに周囲を確認する。エミールは自分の前方、約5メートル。いったいいつの間にそこまで動いたのか。
先程姿を消したことと、何か関係があるのか。
エミールは帽子をかぶりなおすと、さらに殺気を強めた。
「今度は手加減はしませんよ」
響は動揺しなかった。これはエミールが心理戦を仕掛けてきているのだ。こちらの動揺を煽って自分の秘密を探られないようにしているのだ。
なればこそ、今の技はトリックだ。
それを見破ることができれば、エミールを倒すことができるはず。
また、エミールの姿が消えた。
今度はさらに集中力を高めて、エミールの気配を探す。だが空気の乱れすら生じてない。だとしたら、エミールは瞬間的にどこかへ移動していることになる。
そんなことがありうるのか。いや、これはトリックだ。だとしたら必ずタネがあるはずだ。
姿を消してから攻撃に移るまでにタイムラグがある。これこそ、トリックであることの状況証拠に他ならない。
カツン
右側で音がする。
カツン
左側でも、音がする。
そして、全く音がやんだ。
(どっちだ……いや)
自分はまだ身動きしていない。だとするなら、敵は、
(後ろか!)
気付いて、前に飛び出す。その場を再びナイフが一閃する。危なかった。余計なトリックを凝らしてくれたおかげで助かったようなものだ。
攻撃を仕掛けたエミールは、何故か姿を現してこちらを見つめていた。
「なるほどね。攻撃するためには姿を見せなければならないってわけか」
2回の攻撃の共通項を拾うと、そういうことになる。言い当てるとエミールは苦笑した。
「それが分かっても、あなたは『ドッペルゲンガー』の秘密を暴ききれていない──さあ、これが最後です、ロード」
三度、エミールは消えた。
前2回にしてもエミールは油断もしていなかっただろうし、手加減もしていなかっただろう。だが、今度こそ確実にしとめてくるに違いない。
1度目は勘でかわした。2度目は推測で回避した。
次は、確実にかわさなければ殺される。
(何かが、おかしい)
ゆっくりと考えていられる時間はない。だが考えをまとめなければ対抗することができない。
何故攻撃するときに姿が現れるのか。
何故全くといっていいほど気配を感じないのか。
殺気を消すことはできる。ただいくら殺気を消したところで高速で移動したら確実に大気に乱れが生じる。そう、まるでその場に留まっているかのように──
(……その場に……?)
そうか。
分かった。
我ながらこんなことに気がつかなかったとは間抜けだ。いくら実物を見たことがなかったとはいえ、それを目の前にして気付かないとは我ながらトレジャーハンター失格かもしれない。
ゆっくりと場所を移動する。音楽堂の舞台の壁を背に、180度を見渡す。
『ドッペルゲンガー』の秘密は分かった。
あとは、攻略するだけ。
(……まさしく命がけ、だな)
じっと、敵が近づくのを待つ。
そして微かに大気が乱れた、その時を狙って突進した。
「なっ──」
確かにそのうめき声が聞こえた。そしてそこをめがけてナイフを振り下ろす。
「ばかな、何故──」
ナイフが合わさる。すると、徐々にエミールの姿が現れた。
「見切ったぜ、エミール!」
素早くナイフを2、3度繰り出す。そしてさらに突進する。組み付き、その頭にのっている帽子に手をかけた。
「ロード!」
黙って取られるようなエミールではない。だが格闘においては響に一日の長があった。それを奪い上げると間合いを取って、戦利品をちらつかせた。
「驚いたぜ。こんなもんを目にするとはな」
「ロード、何故それに──」
「おいおい、馬鹿じゃねえんだから2回も3回も目の前で見せられちゃ分かるさ。お前『ドッペルゲンガー』なんて二つ名はやめにして『ペルセウス』にしたらどうだ?」
「くっ」
改めて戦利品を見つめる。不思議な形の帽子だ。先がとがっていて、あまり深くない。トールキンが考えたエルフあたりがかぶっていそうな帽子だ。
「姿隠しの帽子か。ペルセウスがメドゥーサを倒す時に使った奴だな」
どうやら正解だったらしい。エミールは今度こそ追い詰められた獣同様に、額に汗を浮かべた。
姿隠しの帽子。正確には『ハデスの帽子』と呼ばれる。ギリシャ神話の英雄ペルセウスが使ったとされるものである。
ペルセウスはある奸計にはまって、見た者を石にするという怪物メドゥーサの首を取りにいくことになった。その時ペルセウスのためにヘルメス神とニンフのナイアスが3つの道具を授けたのだ。1つはキビシスというメドゥーサの首を入れる袋、1つは空を飛ぶことができる翼の生えたサンダル、1つは自らの姿を隠すことができるハデスの帽子。そして女神アテナが彼のために盾と鎌を与え、ペルセウスは見事に本懐を達するのである。
この時に使われた道具は全てそれぞれの神に返されたということであったから、本来この地上に存在するはずのない道具である。だが、神話に異説はつきものだし、異説が本説となることは往々にしてよくあることだ。
「ポンペイの秘宝を取りにきたら、意外な副産物だったぜ」
「ロード、他人のものを盗むのですか。それでは盗賊と何ら変わりないではないですか」
「悔しかったら取り返してみろよ。この世界ではナイフの腕と秘宝への嗅覚だけが序列の基準だぜ」
そう、不思議なことにトレジャーハンター同士の戦いにおいては銃を使うことはない。銃声はこのような観光地であれば特に、民間人に気付かれる可能性が高い。そのため一流のトレジャーハンターから徐々に、銃を使わずにナイフを使うようになった。次第にナイフを使うことが礼儀とまでされるようになった。それも近年のことではあるが。
そして響はその2点、秘宝への嗅覚とナイフの腕においては右に出る者はいないほどである。ただナイフの腕についてはさらにナイフマスターと呼ばれる人物、すなわちアンリに一歩劣るが、それでもなおロードという称号が与えられるあたり、彼の秘宝への嗅覚が他のトレジャーハンターの追随を許さないことを証明している。
「……仕方ありません」
「覚悟を決めたかい?」
エミールは答えなかった。返答のかわりにナイフを構える。
そして、間合いが一気に詰まる。エミールが渾身の一撃を繰り出し、響はそれを笑みをもって受け止めた。
エミールのナイフが折れて、刀身が弾けた。
「ばかな。私のナイフが折れるとは」
「残念だったな、エミール」
響は左腕をしならせて、その顔面を殴りつけた。その一撃で、エミールは失神してしまった。
「俺のナイフは特別性なんだ」
そしてさらに「戦利品はもらっておくぜ」と意識のない相手に言い、アンリの方へと目を向けた。
アンリは終始相手を圧倒していた。
『ドッペルゲンガー』は客観的に見て間違いなく本体であるエミールより腕がたったであろう。しかし、今回ばかりは相手が悪すぎるようであった。アンリは狩をするかのごとくに『ドッペルゲンガー』を追い詰めていく。
苦し紛れに『ドッペルゲンガー』は投げナイフを放つ。だが、アンリは素早くそれを回避して相手の後ろに回りこんだ。
「まだまだだな」
アンリの左足が『ドッペルゲンガー』の背を強烈に打った。頭から音楽堂の舞台から下に落ち、うめき声を上げる。
「お前もそこそこやるようだが相手が悪かったな」
アンリはそう言ってさらに近づく。『ドッペルゲンガー』はふらつく足取りでなおも立ち上がるが、明らかに限界が見えていた。
「まだやる気かよ。ほら、お前の本体も既にやられてるぜ」
そう言って首だけで舞台の方を示すと、響がこちらの戦況をちょうど見つめていた。
「……無念」
そして『ドッペルゲンガー』は膝をついた。ついに諦めたということだ。
「それにしても、実力で立ち向かうつもりがあるんだったら、姑息な罠なんか仕掛けるんじゃねえよ。自分らの価値下げるだけじゃねえか」
アンリは朝のドライアイス事件のことを示唆したつもりであったが、『ドッペルゲンガー』は何も答えなかった。
「……アンリ、今、なんて言った?」
反応したのは、響であった。
「あ?」
「今、何て言ったんだ?」
「自分らの価値下げるだけじゃねえか」
「その前」
「実力で立ち向かうつもりがあるんだったら、姑息な罠なんか仕掛けるんじゃねえよ」
「……」
響は珍しく動揺を顕わにしていた。
「もしかして──お前らじゃないのか?」
響は『ドッペルゲンガー』に向かって言う。
「なんのことだ?」
「違うんだな。ドライアイスを俺とアンリの部屋に置いていったのは、お前らじゃないんだな?」
尋ねると『ドッペルゲンガー』は「そんなことはしていない」と答えた。
「おい響、どういう意味だよ」
「さっき、エミールが驚いてただろ」
「いつ?」
「お前が出てきたときだ!」
エミールは確かに驚いていた。『アンリ……ナイフマスターのアンリか!』あれは予想もしなかった相手が出てきたから驚いたのだ。アンリがポンペイにいることを知らなかったから驚いたのだ。
つまり、自分達にドライアイスを仕掛けた犯人は他にいる。
「しまった」
それに気付いて、響は短く呻いた。
「こいつらが朝の窒息事件の犯人じゃないっていうのか?」
「ああ。だとしたら、そいつは……」
この場にいないその男が狙っているものはたった1つ。ポンペイの秘宝。そしてそれを手にするために行う手段は明らかだ。
「由紀が危ない」
「狙われているのか?」
「俺たちを窒息させようとするやつだ。人質を取ってこっちを脅迫するくらいやりかねない」
「まさか」
「とにかく、急ぐぞ」
「待てよ、こいつらはどうする?」
「放っとけ! 今は由紀の方が先だ!」
言うなり響は走り出す。アンリも渋々それを追いかけた。
響が向かったのはヌケリア門。スエディウスの角柱のある場所であった。そこで足を止めて、周囲を見回す。
角柱に、張り紙がしてあった。
『この女性はポンペイの秘宝と引き換えだ、ロード』
「やられた……っ!」
油断だ。敵がエミールだと誤解して一人で行動させてしまった。由紀を気遣ったつもりが、逆に危険な目にあわせてしまった。自分のミスだ。
「織宮」
「うるさいっ!」
「いいから落ち着け。お前らしくない」
「……!」
言われて、響は大きく息を吐いた。たしかにそうだ。事は起こってしまった。焦りは冷静な判断力を奪う。落ち着かないことには救出もままならない。
「ああ、落ち着いた」
「全くお前らしくないぜ。そんなにあのお嬢ちゃんが大事か?」
「そういうわけじゃないんだけどな」
苦笑する。全く自分でもらしくないと思う。
「随分大事にしてるみたいじゃないか。自分の戦うところを見せないあたりとかな」
「おいアンリ。お前、何か誤解していないか?」
響は疲れたような声を上げる。
「由紀は単なるバイトだぞ?」
「そうか? 俺にはそれだけには見えないけどな」
「あのなあ」
「だいたい、女のバイトなんてお前のとこじゃはじめてだろうが」
「たまたまだ」
「今までのバイトに比べて随分優遇してるみたいだし、それに大切にしてる」
「女の子を大切にするのは当たり前のことだろう」
「それにトレジャーハンターとしての資質もある」
アンリはそう言って笑った。
「お前、彼女を自分のパートナーにするつもりなんじゃないのか?」
「そんなわけないだろ」
「それなら俺のパートナーになってもらおうか」
「俺のバイトを取るな。取るならクビにしてからにしろ」
「……お前、彼女に何も言わないつもりか?」
「お前には関係ない」
「──やれやれ」
アンリは肩をすくめた。
「ま、お前らがどうなろうと俺には関係ないか。さて、それじゃ眠り姫を救出に行くとするか」
「その前に、ポンペイの秘宝を手に入れてからだ」
「ああ。で、結局どこにあるんだ?」
「ここだよ」
響はスエディウスの角柱を見つめた。
「ここに埋まっている。長い時を経て、地上に出る力を再びその身に蓄えて」
秘宝の正体
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