ポンペイの秘宝


秘宝の正体






 私が目覚めた場所は今までに一度も来たことがない場所であった。
 当然ここがどこなのかは分からないが、どうやら地上であるようではなかった。部屋の中に窓がないということは、地下室であることを意味している。そう見せかけておいて実は地上ということも考えられないではないが、少なくとも私が連れ去られてからそう長い時間がたっているわけではないだろう。であれば、ポンペイの近くでそのような場所があるだろうか。
 一息ついて、自分の状況を確認する。ベッドの上。衣服に乱れはない。人売りに連れ去られたのだとしたら、既に自分の身は汚されてしまっているだろう。だとしたら私を浚ったのは、別の理由からだ。つまり、ポンペイの秘宝を狙っているトレジャーハンター。それもおそらく、あのエミールとかいう人物とは別口だろう。
 手と足は縛られている。逃げられないようにするためだろう。かなりきつい。このまま放っておけばうっ血してしまうかもしれない。早い段階でこの拘束は解かなければならないだろう。
 自分から逃げ出した方がいいだろうか。それとも響が来るのを待った方がいいだろうか。いずれにしても今自分ができることはしておいた方がいい。逃げようと思った時にいつでも逃げることができるように。

 しばらくして、部屋に1人の男が入ってきた。
 もちろん面識はない。染めているらしい薄い水色の髪──アニメとかではよく見るが、現実で目にするとそれはもう人間とはかけ離れた感じがした。それにカラーコンタクトだろう、緑色の瞳。というのも、彼は明らかに黄色人種だったからだ。
 いったい何者だろうか。

「はじめまして、レディ」

 思わず吹きそうになった。

「おや、お気に召しませんでしたか」

「……」

 あえて何も答えなかった。かといって萎縮しているように見せかけているのでもない。
 単に答える気が失せただけのことだった。

「三鷹由紀さんですね」

「違います」

 即答するとその男はくつくつと笑った。

「随分と気丈ですね。まあ、その方が私好みですが」

「……私に、何か?」

「分かっているのでしょう。目的はあなたではありません、ポンペイの秘宝です。そのためにあなたには人質になっていただきます。ご安心を。危害は加えませんから」

「それはどうも」

 皮肉をこめて言うとまた男は笑った。

「手厳しい。ですが、ロードと正面からやりあうのはさすがに無謀ですからね。ましてや今ロードの側には何故かナイフマスターまでいる。あの2人が手を組むなどという事態を想定してはいなかったものですから」

「2人ともあなたのように秘宝をくだらない目的で使うつもりがないからよ」

 なるほど、と男は答えた。気分を害したようではなかった。なかなかに手強い。

「私に危害を加えないのは響の報復を恐れているからでしょう?」

「ええ。あなたもご存知でしょうが、彼に怒りの感情に身を任させてはいけない。そんなことをしては身の破滅ですから」

 私は内心で首をひねった。
 すごく意味ありげな台詞だ。まるで、化け物か妖怪か、触れてはならないものを相手にするかのような感じだ。
 響は確かに私のことを大切にしてくれている。もし私を殺したりしたら、必ず仇を取ってくれるだろう。それもおそらくは人間が考えつく限りの苦痛を味あわせるという方法で。それくらいのことができる人間だ。
 だが、それは人間の範囲内でのこと。この男がにおわせるような破壊的な意味を私はこめていたわけではない。だがこの男は明らかにそういう意味で響を恐れているように見える。
 考えてみれば、今まで響が戦ったところを見たことはない。必ず響は私を避けるようにして戦いを続けている。
 何か、秘密があるのだろうか。確かに何があってもおかしくはないが……。

「聞くのが遅くなったけど」

「何でしょう」

「あなた、何者?」

 自分のことばかり知られていて相手のことを何も知らないというのは不平等だ。そう思っての質問であったが、男は首を振って笑った。

「おや、ロードはあなたに我々のことを教えていなかったのですか」

「……?」

「ロードほどの人物なら気付いていたはずです。ホテルに仕掛けたのが我々だということにね」

 ということは、ドライアイスを仕掛けたのはこの男ということか。
 だが、結局この男の正体が分からない。いったい何者なのか。

「遅かれ早かれ、あなたは知ることになるでしょう。我々とロードとは過去に何度も刃を交えた。あなたがロードの側にいる限り、これからも我々に関わることが必ず出てくるでしょうから。
 我々は『ZERO』と呼ばれる、陰で秘宝を集める秘密結社です。ああ、名乗ってしまったら秘密じゃないだろうとか思っても大丈夫ですよ。ロードが必ずあなたに口止めなさいますから。
 結社の目的は、まあ説明しなくても分かってくださると思いますけど、兵器になりそうな秘宝を奪取しては大国に売りつけることです。ポンペイの秘宝ほどのものならば小国を1つ買うことができるくらいの値がつくのですよ。これを逃す手はありません。
 私は今回ポンペイの秘宝を手に入れるための実行部隊を率いているのですが、まあなんといいますか部下になかなか使える者がいないものですから、私が直接動いているのですよ。ああ、名前がまだでしたね。見て分かると思いますけど東洋人です。コードネームで呼んでくださってけっこうです。私はシシュポスと申します」

 その名前は知っている。ギリシャ神話に出てくる人間で、神々を騙して2度死んだのに2度とも生き返ったという男の名前だ。

「説明をしますとね。我々の中にも派閥というものがあるのですよ。派閥ごとにコードネームが違うんです。我々はギリシャ神話閥で、第2勢力というところですね。聖書閥が一番強いのですが、他にも大小様々な派閥がありまして。今回はポンペイということでギリシャ神話の勢力が強いこともありまして私が派遣されたということです」

 べらべらと自分の組織をよく説明する男だ。そんなに情報を渡していいのだろうか。そう思っていると「どうせ後でロードが教えてくださいますよ」と付け加えた。

「ポンペイの秘宝をどうするつもり?」

「言ったでしょう? 大国に売るんですよ」

「ロシアに?」

「何故そう思いますか?」

「何となく」

 根拠が全くないわけではない。ロシアは軍事力でアメリカとバランスを保つためには核とは異なる別の兵器を手元に置きたいだろうと考えただけのことだ。

「……あなたはポンペイの秘宝が何であるか、理解ができていますか?」

 響からそれはしっかりと教わっている。小さく頷いた。

「噴火活動を起こさせる。それにはもちろん現地で儀式を起こさなければならない。だとしたら活火山か休火山が存在する国を仮想敵国とする、軍事国家に売りつけることが望ましいわけです」

 それはロシアではないのか。大国であり、その条件を満たすのは他に考えられないが。

「……まあそれは秘中の秘ですからこれ以上は言えないのですが。ただ1つ言えることとしては、その仮想敵国とは日本である、ということでしょうか」

「……」

「意外、というわけではなさそうですね」

 確かに意外ではない。アメリカではソ連の次の仮想敵国として日本が選ばれたという話もあるくらいだ。いかに景気が悪いとはいっても、日本の経済力を疎む国は多いだろう。概してそれはアメリカはともかく、日本に負債を抱えているアジア諸国の方が強いのではないだろうか。

「もちろん、南アジア方面や中東方面に売りつけてもかまわないのですが。バルカンという手もありますね。まあ私は実行部隊であってそういうことを考える地位ではないのですけれど」

「死の商人、というわけ」

「非難しておいでですか?」

「いいえ。軽蔑しているだけ」

 物怖じしない私の言動は、どうやら相手にとっては好意的にとられるようだ。シシュポスはくすくすと笑って私の側に近寄って右手で私のあごを掴む。

「あなたは魅力的な女性だ。ロードのものでなければこのまま持って帰りたいくらいですよ。それにおそらくトレジャーハンターとしての質も高い。あなたが私の部下になってくれれば、私もけっこう楽になるのですが」

「お断り」

「残念です」

 意外にも紳士的に、シシュポスは私を放した。このまま襲われるのではないかと内心動揺していたのを表すかのように、思わず安堵のため息がもれる。

「あなたは大事な人質です。精神的にも傷をつけるような真似はいたしませんよ──強引にして唇を噛み切られるのもご免です」

 そういい残してシシュポスは出ていった。
 ひたすら嫌悪感だけが湧き上がってくる人物だった。二度と会いたくない、と本気で思った。



「こいつがポンペイの秘宝ってわけか。あんまり高価そうには見えないな」

 アンリが言う。まあ、それが普通の感想だろう。かくいう響にしてもその正体が分からなければ拍子抜けしていたであろう。
 見た目はごくごく普通のナイフ。だが、もちろんそうではない。特別の製法を用いた非金属のナイフである。すなわち響の持つナイフと全く同じ硬度を持つ。それは金剛石をも上回る。

「ダイヤモンドより硬い……? 嘘だろ?」

「試してみるか?」

 とはいえここに砕けるほどの大きさのダイヤモンドがあるわけではない。アンリも「やめておこう」と言った。こと秘宝に関する知識においては響の方がはるかに上だ。

「ということは、だ。このナイフはやはり例の賢者の石を使って作られたってことか?」

「間違いないだろうな。それもかなり純度が高く、大きさもかなりのものだろう。そうでなければこれほどのナイフは作れない」

「お前のナイフより硬いか?」

「硬さは一律同じだ。問題はオプションの方」

 賢者の石。中世の錬金術において最大の謎とされた物質である。その効用は、人間に使えば不老不死が手に入るとされ、鉱物に使えば完全なる物質である金に変換することができるという。すなわちその石が回りにもたらす影響とは、対象を完全なる存在に置き換えること、である。

「だから賢者の石の効用で卑金属が金に変わるというのは真っ赤な嘘なんだ。全ての物質はその金を通り越してさらにその上、金属でありながら金属ではないもの、非金属鉱物になる。オリハルコン、と言ってもいいかもしれないが、純粋な意味ではそれとも異なる。金属であるのは分かっているのに、金属としての性質が不足しているんだ。分かりやすく言えば、電気を通さない、とかな。」

「まじかよ」

「ああ。だから俺は非金属、と呼んでいる。これはダイヤモンドをも凌駕する、まさに最高硬度の鉱物だ」

「そうやって作ったのがお前のナイフなんだろう?」

「ああ。だが、ポンペイで作られたこのナイフ、ポンペイの秘宝の場合は製造方法が少し異なる」

「というと」

 賢者の石、とはいえどもその形はさまざまである。普通の石である場合もあれば、粉末であったり、軟膏であったり、時には液体であったりもする。粉末であれば、それをナイフに振りかけ、日のあたらない場所に置いたり、祭壇の上に置くなりして、しばらく放置する。時間を追うごとにナイフから不純物が落ちて、金へと精錬される。さらに純度の高い石を使えば金から非金属鉱物へ精錬される。

「つまり、ある霊的な物質をナイフの鋳型にはめ込み、それを賢者の石で封印して固めたんだ。だからこのナイフの中にはその霊的存在が今もなお生きている」

 アンリの背筋に悪寒が走った。

「……まじかよ」

「まじまじ真実。正直言ってこうやって触っているとその霊気をびんびんに感じるぜ。おっかなくて今すぐにでも放り出したい気分だ」

 丹念に刃こぼれを調べながら落ち着き払って言うその台詞には何の真実味もない。

「……その霊的物質、ってのは何なんだ?」

「かつてこの地方の神として君臨していたウェヌス神」

 アンリは眩暈がした。

「じゃあ、このナイフは──」

「ウェヌス神の化身、といったら失礼だろうな。とにかく人間の手で捕らえられて、強引に鋳型にはめ込まれて、そのまま賢者の石を使って行動の自由を制限されたウェヌス神そのもの、と言っていいだろう。出来上がったナイフはただの非金属ナイフではなく、ウェヌス神の力を秘めたものになった。ウェヌス神は土地神だったが、後に豊穣の神ケレスと同一視されることで大地の力を持つことになった。噴火の引き金に使われるようになったってことだな」

「この中にウェヌス神がいるってのか……?」

 本物の神を目の前にして、アンリも戦慄を禁じえないようであった。

「少し違う。正確にはこのナイフ自体が既にウェヌス神なんだ。ウェヌス神の霊魂のようなものを、そのまま固めた。鋳型にはめて固体化してしまったんだ。賢者の石がそのコーティングをした以上、土地神クラスでは抗うことができなかったんだろうな」

「元に戻す方法は……?」

「ない。戻っても大変だと思うぞ。おそらくウェヌス神は自分をこんな姿にした人間を許すことはしないだろう。本当ならポンペイのどこかにウェヌス神殿を設けて、そこに奉納するのが一番。さもなくば──」

「さもなくば?」

「ヴェスヴィオの山頂から火口に向かってぽーんと。自分の土地で眠れるんだから、ウェヌス神もその方がいいんじゃないか?」

 アンリはため息をついた。なんというか、どんな状況においても楽観的な男だ。
 とはいえ、結局当初の予定通りにことが進むということだろうか。そういうことなら問題はない。このような危険な代物は、誰の手も届かないところへ放置してしまうのが一番いい。

「それで、どうする?」

「どうするとは?」

「お嬢ちゃんさ。お前がいくらそう主張したって、連中はそんなこと気にしないだろ?」

「だろうな。ったく『ZERO』の奴らはこれだから困る」

「いやなことは先に終わらせるか?」

「そうだな。とはいえ、いったいどこへ行けばいいのやら……」

「ああ、それなら分かるぜ」

「へえ、手際がいいな」

「全世界の『ZERO』の拠点は完全に抑えてある」

 響は苦笑した。

「それで、どこなんだ?」

「ああ。すぐ近くだ」

 そう言われても分かるはずがない。響が繰り返し尋ねるとアンリは答えた。

「ヘルクラネウム」



ヘルクラネウム地下

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