序ノ二.勇者に受け継がれしは数多の力
サマルトリアは辺境の国である。辺境ゆえにモンスターなどの跋扈する地域でもあり、そのせいもあって兵士は鍛えられているといってもいい、武断の国である。
サマルトリアの王子サイラスは今年十八歳になる。ロト三国では同世代に王子王女が多いが、このサイラスがその中でも長男格となっている。
彼はこのロト三国の中で最も評判がいい。頭脳明晰、文武両道、容姿端麗と、彼を装飾する言葉の方が陳腐になるくらいで、彼の真価はそのような言葉で表せるものではない。
病床の国王にかわって国を動かしているのは彼であり、政治・経済から軍事にいたるまで全てが彼の手腕で動いているといっても過言ではない。
そのサマルトリアにムーンペタからの早馬が届く。ムーンブルク落城。この報に対し、サマルトリアの動きはこのサイラスの考え一つにゆだねられることとなった。
「無論、援軍は出せません」
サイラスは家臣たちの前ではっきりと言った。これは国王と相談して決めたことであり、彼の独断ではない。
「ですが、ムーンブルクは最も古き王家、ロト三国の同盟関係もあるのですぞ」
「ええ。ですが、今救援に行っても無駄です。ムーンブルクが滅び、モンスターの軍が去っていってしまった以上、軍隊をどこに派遣するというのですか。あのロンダルキアまで派遣するのは不可能です」
サイラスの言葉には反論しようという気にさせない、独特の威厳がある。それなのに口調は優しいので、言われた方は知らずと諭された感じになる。これは天性の才能というものだろう。
「だから、むしろムーンブルクの現状を調査し、必要な物資を運び、再建が可能ならばこれを援助するのが最良です。既に第一陣はもう派遣しました」
おお、と重臣たちから声が出る。既に手を打っておいて会議に臨む。それは基本だ。
「ただ、ムーンブルク国王と王女の安否は気になります。報告では全くその件について触れられていません。ですから、捜索隊が必要になるでしょう」
「確かに」
「ですから、自分が行きます」
十八歳の王子が言うと臣下たちが一斉に立ち上がる。
「そ、それはなりません! 王子殿下がいらっしゃらなければ、この国はどうなるのですか!」
それは彼らの本心だっただろう。だが、別にこの国はサイラス一人でもっているわけではない。こうして国を憂う人材は多いし、父王も妹もいる。国としてやっていく分には充分すぎる。
「自分が行かなければならないのです。ロトの末裔として、このロトの盾にかけて」
そして、用意しておいたロトの盾を掲げる。
サマルトリアにおいてもこのロトの盾の儀式は存在する。七歳になったとき、この盾に触れて英雄の承認を受ける。そしてサイラスはこのロトの盾の所有者となった。
「ロト三国はお互いに守りあう関係です。だからこそ自分以外の誰にもこの役は務まりません。このロトの防具にかけて」
そこまで王子に断言されては部下たちも何も反論することはできない。
「王子殿下。どうか、無事をお祈りしておりますぞ」
宰相が言う。
「ああ。君たちが国を支えてくれると分かっているから自分も全力を尽くすことができる。必ず無事に戻ってくるから、君たちは陛下と共にこの国を守ってくれ」
『御意!』
このリーダーシップ。このカリスマ。
サマルトリアはロト三国で最も子に恵まれたと称されてもやむをえないだろう。
「行かれるのですか、お兄様」
出発の準備を整えた兄のもとを妹のフローラが訪れる。
「ああ。お前には辛い役目を与えることになるけれども」
「大丈夫ですわ、お兄様」
ふふ、と笑ってフローラはサイラスに抱きつく。
「私、お兄様の妹ですもの。お兄様のようなカリスマを持ち合わせているわけではありませんけれど、必ず代役を果たしてみせますわ」
「お前がいるから安心していけるよ。この国に政争なんていうものはないけれど、自分という楔がいなくなれば部下たちは何を考えるか分からない。でもお前がいれば大丈夫だ」
「信頼してくださっているのですね」
「当たり前だろう。お前がいなかったら自分はこんな役を背負うことはしなかったよ」
サイラスは自嘲気味に笑う。
「お前はこと、政治に関しては自分より頭が回るからね」
「まあ、剣も魔法もお兄様にかなうとは思ってませんけど。体格も違いますし、力だって」
フローラは抱きついたまま兄の二の腕に触れる。
「でも、お兄様のためなら何だっていたします。私にできるのはたった一つ。この国をお兄様が帰ってくるまで守ること。それだけです」
「理解の早い妹で助かるよ」
自分と同じ金色の長い髪をアップにして笑顔をばらまく彼女は女性としても魅力がある。その上政治に秀でている。女性だけに武芸を嗜んでいるわけではないが、魔法だって一通り使いこなすことができる。
まったく、サマルトリアの兄妹は優秀だった。
「それに、ハーゴンをうまく倒すことができれば、お前も安心してローレシアのアレス王子に嫁げるだろうしね」
「いやですわ」
つん、と彼女はそっぽを向く。
「私はずっと、お兄様の傍におりますの。ずっとお兄様を助けてさしあげますわ」
「やれやれ。自分のところにくる妻は小姑にいじめられそうだ」
「もちろんですわ。お兄様のところに嫁いでくるのなら、少なくとも私よりも秀でていなければ認めたりしませんわ。ましてや」
少し彼女の目が細まる。
「ムーンブルクの王女殿下なんて、もってのほかですからね、お兄様」
「おやおや。釘をさされたか」
サイラスが笑う。
「別に自分がムーンブルクへ行くのはミラ殿下のことを気にしてというわけではないよ」
「分かってますわ。でも、あの子がそれを勘違いしてお兄様のことを、と考えると……考え違いもはなはだしいですわ」
どうもフローラはミラと反りが合わない。向こうもフローラのことが好きではないらしい。まあ確かに、ミラの性格は知っている。あれでは国をまとめていくことなどできはしないだろう。
「それに、ムーンブルク国王には一人娘しかいないんだ。誰か婿をもらわないといけないだろう。サマルトリアを継ぐ自分とだけは絶対にありえないよ」
「ムーンブルクが崩壊したとしてもですか?」
だが今日のフローラの追及は厳しかった。
「もう国を守る必要もない。そこへ優しくしてくれたお兄様がいたなら、あの子がどう思うかなんて考えればすぐに分かります」
「まあ確かに、ミラ殿下をサマルトリアかローレシアで預かる形になるだろうけどね。でも国が滅びたとしてもまた再建することだってできる。そのときはサマルトリアとローレシアの二カ国が手伝ってあげないといけない」
「もう一つあるでしょう」
言われて頭をひねる。ロト三国以外で仲がいい国があるとすれば、それは一つしかない。
「ラダトーム?」
「そうです。もともとロト三国はラダトームとの親交が強い国。そこにかくまってもらえばいいのです」
「なるほど。盲点だったな」
ロト三国のことはロト三国で解決する。それしか頭になかったサイラスにとってこの視点は新しいものだった。
「やっぱりお前はよく頭が回るよ」
「ありがとうございます。それで、どうなさるおつもりですか?」
「さあ、それは国王陛下とミラ殿下に会ってから考えるよ。まだ二人とも無事だと決まったわけじゃないし」
「とにかく、ミラだけは絶対に駄目ですからね、お兄様。あの子は滅びの子です」
ずばりと言い切る。そのフローラの真剣な表情にサイラスの方がたじろぐ。
「どういうことだ」
「どうもこうもありません。初めてあの子に会ったときからそう思っていました。あの子のいるところに血の雨が降ると。そして今、現実ムーンブルクは滅びました。もしサマルトリアがあの子をかばえば、次はサマルトリアがそうなりましょう」
「どうしてそんなことが分かる?」
「あら、お兄様は私の予言を信じないのですか?」
王子の端整な顔に綻びができる。確かに彼女の言ったことが外れた試しは少ない。未来を予知できるかのように話し、その言葉の通りに未来が描かれる。
「ともかく、無事の帰りをお待ちしておりますわ、お兄様。そして、一つだけ約束をお願いします」
「何だい?」
真剣ながらも、それまでずっと穏やかな口調だった王女の声が、突然冷たく変わる。
「あの魔法だけは、絶対にお使いにならないよう」
「あの魔法?」
「決まってますわ。自己犠牲魔法、メガンテ」
もちろん使うつもりなどない。古代の魔法書を見て偶然使えるようになってしまった忌むべき魔法。
「自分が死ぬのを承知でメガンテを使うのかい? ありえないよ。自分はそんな後を他人任せにして死ぬような考えの持ち主じゃない」
「ええ、そうですわね。でも、お兄様は自分一人の犠牲で世界が平和になるのでしたら、迷わずにメガンテを使います。それくらいは兄妹ですもの、分かります」
「なるほど」
確かにいざとなれば使う覚悟くらいはある。もとよりこの任務を自分から進み出た段階で命はないものと思っている。もし自分の犠牲でハーゴンを倒し、平和が保たれるのなら使うこともやぶさかではない。
「なら約束しよう。自分はあの魔法だけは絶対に使わない」
「もう一度」
「何度言っても同じだよ」
「いいえ、違いますわ」
王女の瞳は兄を捕らえて離さない。
「お兄様自身の言葉が聞きたいのです」
「もとより自分自身の言葉だよ」
「いいえ、違います。お兄様は父上の代理を務められるようになってから、一度も自分自身の言葉をおっしゃったことがございません。妹としては見ていて歯がゆうございます」
それは言っても仕方のないことだ。自分が国を継ぐのは決まっていることだし、国王という立場は自分の勝手な考えがあってはならない。
だが、妹の言いたいことは分かる。つまり、今の自分はあまりにも客観的になりすぎていて、自分の命すら冷静に判断できるということなのだろう。もっと自分の命を大切にしろと、自分のことを優先しろと妹は言っている。
「分かった」
王子は頷く。
「僕は絶対にメガンテは使わないよ」
「その言葉が聞けて安心しました」
妹はとてもいい笑顔でお辞儀した。
「ごきげんよう、お兄様。再び会える日を心待ちにしておりますわ」
そうして妹は部屋を出ていく。それを見送った王子は荷物を負う。
(行くか)
サイラスは夜の平原を南へと進んでいく。
もとよりサイラスは自由だった。今まで自分が自由でなかったことなどない。自分は自分の意思で国王の代理を務め、自分の意思でハーゴンを倒すことを決めた。
自分の意思。
それはサイラスがこの十八年間の人生でもっとも大切にしていることだった。
(自分は何をしたいのか)
考えたとき、答はそれほど難しくなかった。自分はサマルトリアを愛し、この国のために自分の一生を捧げたいと本気で思った。だから人柱のような役割であったとしても、それを忠実にこなせればいいと思う。
施政者というのは孤独な職業だ。自分を追い落とそうとする者。批判する者。不満を言う者。媚びへつらう者。自分と無関係を装う者。それらのすべての意見を聞き、判断し、行動しなければならない。生半可な覚悟でできる職業ではない。
もしもそれで裏切られたとしたらどうするか? 自分はどうもしない。民衆が国王を裏切るのは当然のことだ。納得がいかなければ背くだけのこと。背かれるのは自分に非がある。
与え、与え、与え続けて、失い、失い、失い続ける。自分の周りに幸福はなく、自分はただ人々の幸福だけを見て、それを糧にまた進むだけ。
そんな国の奴隷のような職業を、自分はやりたいと思った。そしてこの国の人々の笑顔が見られるのならそれでいいと本気で思った。
それなのに。
(自分の意思を妨げる者は許さない)
ハーゴンがそれを阻むというのなら、自分はそれを除去するだけ。
(ムーンブルクのことなんかどうだっていい。自分はただ、サマルトリアに害成す者を倒す。それだけだ)
王子はひたすら南へと歩く。
リリザの町、そしてローラの門、ムーンペタの町を越えた、その向こう。
ムーンブルク城。
全ての始まりは、そこからだ。
序ノ三
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