四.覚めない夢の中で遥かな未来を想う












 クリスが唾を飲み込む。もはやウィルザが自分に向けているものは殺気、それ以外の何ものでもなかった。
 彼は、自分を殺そうとしている。
 姉も同然の、この自分をだ。
「嘘だと信じて死ぬのも、お前らしいかもしれないな、クリス。かつての仲間だ。せめて、俺の手で殺してやりたかった。だから、シリウスとシャドウにここへ来させたんだ」
「待って……それじゃあ、それじゃあ、下に残してきた皆は……」
「無論、今頃全員、始末しおわっているさ。少しでも優秀な敵を生かしておく必要はないからな」
「ウィルザ……あんた……」
 ウィルザの顔には冷笑が浮かんでいる。それはかつての勇者のものではなかった。
 完全に、人間であることを捨てたものの顔だ。
「どうした、クリス。剣を抜かないのか。それなら、俺から行くぞ」
「待って……待ってよ、ウィルザ」
「問答無用」
 殺気がウィルザから溢れ出た。その気迫が本物であることがクリスにはよく分かっていた。幾度も戦場で感じた気迫だ。
 だが、それが自分に向けられたことは一度としてなかった。ウィルザの気迫がこれほどにおそろしいものだとは、今の今まで気づかなかった。
「クリス様!」
 クリスが動かないでいると、マリアとクロムが動いた。
「やめろ……お前たちでは勝てない……」
 クリスは呻くが、二人ともそれで止まるはずもなかった。
「強大閃光呪文──ベギラマ!」
 無数の光の矢が、ウィルザを襲った。だが、ウィルザはにやりと笑って左手を差し出す。
「強大閃光呪文──ベギラマ!」
 ウィルザの放った光の矢はクロムの放ったものより質も量も圧倒していた。全ての光の矢をはじき返し、クロムに無数の光の矢が降り注ぐ。
「がああっ!」
「クロム!」
「まだよっ! 高度真空呪文──バギマ!」
 マリアがウィルザの背後に周り、巨大なかまいたちを作って攻撃する。が、
「高度真空呪文──バギマ!」
 ウィルザは再び同じ呪文を唱えた。ウィルザのかまいたちはマリアのものより小型であったが、質ではるかにまさった。簡単にマリアのかまいたちを無散させると、そのままマリアの腹部に亀裂を与える。
「がはっ」
「マリアッ!」
 大量の出血が床に零れた。それを見たウィルザは無表情であり、クリスは動揺を隠しきれなかった。
「最強火炎呪文──メラゾーマ!」
 だが、攻撃はまだ続いた。再び立ち上がったクロムが最大級の火炎を放ったのだ。これならば──という思いがクロムにはあった。だが、
「最強火炎呪文──メラゾーマ!」
「な──」
 クリスは言葉を失った。
 なぜ、ウィルザがその魔法を使えるのか。あれは、魔法使いにしか使えないもののはず。
 そして当然のことながら、ウィルザの火炎はクロムのそれを上回った。クロムの全身が燃え上がって、倒れた。
「さて、邪魔者はいなくなったな、クリス」
 その瞳が、またこちらへ向けられる。
「……俺は、旅の間、ずっとこの時を待っていたんだ。俺と、お前と、どちらの方が強いか、優劣をつけたかった。お前は、俺の目標であり、こえなければならないハードルだった。こうして敵となった今こそ、その優劣をはっきりさせることができる。俺は──俺は、今すごく嬉しいんだ」
「あたしはいやだ。ウィルザ、あんたは……あんたは……」
「やれやれ、これだけやってもまだやる気にならないのか? お前の腹心の二人は重傷、しかも恋人まで目の前で殺されたというのに」
「!」
 クリスの目が変わった。
「……知ってたの……」
「ああ。俺に知らないことなんてないよ。お前と戦うために、俺がこの手で殺した。スターキメラが殺したわけじゃない。俺が殺したんだ。スターキメラには餌としてくれてやっただけのこと」
「…………!」
 ついにクリスの表情が変わった。
「……あんた……本当に、本物のウィルザか……?」
「本物だよ。なんだったら、出会いから別れまで、全部思い出しながら話し合おうか?」
「いや……もういい……」
 クリスも、剣を抜いた。
「あんたは、もうあたしの知ってるウィルザじゃない。ウィルザは死んだ。ここにいるのは、ただの……ただの、ひとりの魔族にすぎない」
「……やっとやる気になったか、クリス。そうでなくてはな」
 にやりとウィルザは笑った。
「やっと、やっと白黒つけることができる。誰が一番なのか。俺は魔法は使わない。剣だけで勝負だ」
「あんたに正義感なんていうものはもう残ってないだろうけど、元勇者としての誇りに期待するよ。正々堂々、剣だけで勝負してくれることを」
「魔法は使わない。魔法を使ったら俺が勝つのは目に見えている。剣だけだから、互角に戦えるんだ。この互角の勝負がしたかった」
「……あんた、変わったよ、ウィルザ……」
 クリスは、一瞬悲しげな瞳をしたが、すぐに戦士の、戦いを前にした高揚感に満ちたものに戻った。
「いくよっ、ウィルザ!」
「こいっ、クリス!」
 こうして、かつての仲間同士は初めて敵として剣を交えた。キィン、と甲高い音と火花が生じ、一度間合いを取る。
「王者の剣じゃないんだね、ウィルザ」
「あれはもう俺には必要ない。光の鎧も、勇者の楯も。俺には、魔王としての自分が全てだ」
「それならもう、手加減も容赦もしないよ!」
「のぞむところ!」
 再び接近し、素早く三度、打ち合わせる。だが、互いに隙らしい隙が見当たらない。さすがにこの世界で一・二を争う二人である。一歩もゆずるところを見せなかった。
(ウィルザ……こんなに強かったのか。このあたしの全力の三連撃を完璧に受けきるとはね。おそれいったよ。けど、まだこれからだ!)
(クリス……ゾーマ戦のときよりもレベルアップしてるな。互いに、あの時は当時の自分が最強だと思い込んでいたが、互いにそれよりも強くなるとは……)
 戦いは、果てしないと思えるほどに続いた。既に五十を軽く打ち合っている。だが、その全てが互角。まさに実力伯仲であった。
(くそっ。ウィルザめ、隙がない……)
(……ここまでやるとはな、クリス……)
 だが、焦燥を覚えながらも互いの顔に笑みが浮かんでいることに、自分たちは気づいていなかった。強い相手と戦う。それがぞくぞくするほど楽しい。特にこれほど緊迫していると、まるで昔、二人で稽古をしていたときのような、追憶にかられる。
 だが、二人は無論命懸けだった。自分の首筋を、相手の胸元を、寸前のところでかすめていく。それだけ攻撃も防御もぎりぎりのところで行われていたのだ。これほどの戦いは、全世界どこへ行っても見ることなどできない。この二人だからこそ、成立するものなのだ。
 まだ果てなく続くかと思われたが、勝負は一瞬の後についた。後方から放たれたヒャダルコがウィルザに直撃し、攻撃体勢にあったクリスがウィルザの剣をはじき飛ばしたのだ。
「クリス様」
 クロムはマリアの回復呪文でなんとか立ち直っていた。だがクリスにしてみると、余計なことを、という一念しかなかった。これほど緊迫した好勝負は生涯で初めて、おそらくは二度とないであろうに、それを邪魔されたのだ。やはりこのあたりはクリスも戦士だということか。
「まさか、俺ではなくてクリスの方が魔法を使うとはな……完全に失念していた」
「あたしが使ったわけじゃない」
 ウィルザは無防備で、クリスの剣を睨み付けていた。
「負けたか。残念だよ、クリス」
「あんたは負けてないよ。クロムが余計なことをしなければ」
「なに、別に後悔はしないさ。先にとどめをさしておかなかった俺が悪いんだ。さあ、殺せよ、クリス」
「な……」
「何をとまどっているんだ。今戦っていたのは、俺を殺すためだろう?」
「そうだけど、こんな、こんな勝ち方を望んでいたわけじゃない」
「今殺さないと、後悔するぞ? おそらく、これが魔王ウィルザを倒す最初で最後の好機だ。今後、二度と魔王ウィルザを倒すことはできないだろう」
「何で……何で、あんたはそんなことを言うんだ。あたしがあんたをどう思っていたか。それこそ、弟のように思っていたことは知っているはずだ。そのあたしに、あんたを殺せっていうのか」
「クリス。お前はまだ分かっていないよ。ここにいるのはお前の知っているウィルザじゃない。魔王として、人間の消滅を願う者だ。ここで俺を殺さなかったら、間違いなくそうなる。クリスはそれでもいいのか?」
「よくないさ。でも、何であんたはそんなふうに言うんだ。まるで、殺してほしいかのように」
「そうだよ」
 素直に、ウィルザは答えた。
「俺だって、好きこのんで魔王になることを選んだわけじゃない。悩んで、苦しんで、ようやくだした結論なんだ。この世界でやりたいことはたくさんあった。そして、ずっと傍にいてほしい女性だっていた。それを全て吹っ切ることなんて、魔王になることを決心した今だって、できやしない。だから、これが最後のチャンスなんだ。クリス。俺を殺してくれ。そうでないと俺は、俺は魔王になってしまう」
「……できないよ……そんなこと……」
「どうしても、か?」
「ウィルザ、正気に戻ってくれ。頼む……。魔王になるなんて、馬鹿げたことを言わないでくれ……。リザのもとへ帰ってやってくれ……。お願いだから……」
「どうやら、交渉は決裂してしまったようだな」
 ウィルザは鼻で笑うと、一瞬の後に身体を回転させた。直後、クリスの側頭部に衝撃がはしる。
「ぐうっ!」
「やれやれ。これでどうやら、俺は魔王にならなければならなくなった。お前のせいだからな、クリス。責任をとって、ここで死んでもらおう」
「ウィ……ルザ……」
 クリスは何とか立ち上がって剣を構えた。
「今のは手加減をした。今度こそ、本当の勝負をするために」
 ウィルザはそう言うと戦闘体勢をとった。素手で。
「ウィルザ……あんたの剣は向こうだ。素手であたしに勝てるはずがないだろう」
「ためしてみればいい。後ろの二人も、戦闘に参加したかったらそうしろ。こうなった以上、三人を同時に相手にすることくらい問題ない」
「何を言って──」
 だが、クリスは口をつぐんだ。何故か、先程よりも圧迫されているような気がする。いや、それは気のせいではなかった。明らかに、先程とはウィルザの殺気が違う。
 身体が震えた。武者震いなどではない。恐怖のせいだ。クリスが恐怖で身体が竦んだのは、これで三度目のことだった。
(あたしは……今まで、自分より強い相手と戦った時にだけ、こうして恐怖に震えた……。まさか、ウィルザがあたしより強い……? 武器も持っていないウィルザが……?)
 だが、ここで戦いを放棄するわけにもいかない。ウィルザは本気だ。もはや、何を言っても通じないのは明らかだ。とにかく、戦闘をやめさせて説得しなければならない。多少荒っぽいことになったとしても。
「いくよ、ウィルザ!」
 クリスが突進する。ウィルザはそれを黙って待ち構えた。
「たあっ!」
 上段から鋭く振り下ろす。ウィルザは、全く回避しなかった。ただ、左手を、掌を上に向けて差し出しただけだった。
 衝撃がはしったのは、クリスの両腕であった。たしかに全力で振り下ろしたというのに、その剣が途中で止まっていた。ウィルザの左手が、開いたままの左手が、クリスの剣を止めていたのだ。
「硬気孔。肉体の一部を高度に硬くして全ての物理攻撃を受け止めることができる」
「……あんた……」
「そして、これが……仙気発徑!」
 右手が、クリスの鎧に触れたと思ったと同時に、クリスの身体が吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。しかも、触れられた場所がひどく痛んだ。鎧にはひびすら入っていないというのに。
「魔王たるもの、武器などなくとも戦えなければならない……。俺は、自分の肉体を完全に把握することを、この一年間主として行ってきた。その結果覚えたのが、今の二つ。最強の武器と、最強の楯だ。この二つがあれば剣や鎧など俺にはもはや必要ない。すなわち、剣や魔法を使うよりも、素手の、無装備のこの状態が、俺にとってもっとも力を発揮することができるということだ」
 がはっ、とクリスが血を吐いた。もはや戦える状況でないということは明らかであった。だが、ウィルザを止めなければいけない。なんとしてでも。クリスは必死に立ち上がり、剣を構えた。
「……よく分かったよ。さっきのうちに殺さなければ後悔するっていうのが……」
(そして、あんたが本気でこのあたしを殺そうとしているっていうことが)
 目の前が暗くなっていく。どうやら、立ち上がった時点で限界だったようだ。ぐらり、とよろめく。
「クリス様!」
 クロムとマリアの二人が同時にクリスの元へとかけつける。そして、
「リレミト!」
 クロムが呪文を唱えると、三人の身体が光につつまれて消えた。






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