五.傾いた天秤の上で二人の想いが別れる












「ウィルザ様」
「どうした、シリウス」
「彼女を、故意に逃がされましたね」
 ウィルザは表情を変えずに「どういうことだ」と無機質な声でいう。
「つまり、あなたはまだクリス殿を殺すことに躊躇いがあった、と」
「たしかに、なかったわけではない。だが、あの魔導士と僧侶が、クリスを連れて逃げだすなど思いもよらなかっただけのことだ」
「そのことも考慮したからこそ、あの二人の入室も許可されたのではないのですか」
「考えすぎだ、シリウス」
 ウィルザは息をついた。
「それよりも、始末は終わったか」
「残念ながら、一人、逃げられました」
「ゼフォンか」
「はい。どうしても、我々の邪魔をするつもりのようです」
「ふっ、あのガライの一番弟子だ。あいつが逃げに専念するようであれば、お前やシャドウでも追いつけないだろうな」
「そういうことです」
 さらりと平気で答える様子に、ウィルザは思わず苦笑する。
「まあいい。ガライのことは後でもどうにかなる。それよりも、準備は整った。すぐに行くぞ」
「精霊ルビスの塔ですね」
「そうだ。ルビスを封印する。マイラに伝令を出せ」
「マイラ方面の司令官は、あのユリアですが?」
「ほう……お前、言うようになったな」
 ウィルザはにやりと笑う。シリウスも鎧を震わせた。
「気にするな。あいつは使える奴だ。もっとも、その部下は使えないがな」
「同感ですね」
「では行くぞ」






 マイラの村。かのゾーマ戦の時、ここは隠れ村として、何とか壊滅を免れた場所である。しかし戦いの最後でモンスターが攻め入ってきて、かなり荒廃していた。もっとも、それも既にほとんどが修復され、活気ある村として栄えはじめている。
 ここへやってきたグランは、町の北東のはずれに教会を建設し、精霊ルビス信仰の、この地方の拠点とすることを考えていた。ゆくゆくは、アレフガルド全域で統一教会ができることを考えているが、今はマイラ方面のルビス信仰を盛んにすることが彼の役割であった。
 教会は、毎日誰かかれかが顔を出していく。ほとんど人が絶えることはない。グランはこの教会の唯一の神父として、その来訪者全員に、きちんと声をかけていく。
 グランは、今まで大きな町の神官として、神殿の仕事をしていたことはあったが、一つの神殿を受け持つということがこれほど大変なことであるとは全く知らなかった。信者の声を聞き、ルビスの教えを伝える。子供たちを集めて読み書きを教え、怪我人が出たときは駆けつけて回復魔法を施す。まさに、目が回るほどの忙しさであった。
「グラン」
 陽も暮れ、来訪者もなくなったのでそろそろ扉を閉めようかと思った時、今日最後の来訪者が現れた。
「ミラーナ」
「お疲れさま……って、まだこれからだよね」
 花のように可憐で美しい女性が、教会の中へと入ってきた。
 ミラーナはマイラ唯一の温泉を営んでいる宿屋の娘である。かつて、ウィルザたち一行がマイラの村を立ち寄った時、グランとミラーナは出会った。
「うん。オイラ、昼間は忙しいからこれから修行しないと」
「一生懸命なのね、グランは。もう、ゾーマはいなくなったのに……」
 グランは微笑んで、右手をミラーナの頭の上に置いた。ミラーナは、安心したように微笑んでいる。
「……嫌な、予感がするんだよ。あれで本当に終わったのか……。オイラにはそうは思えない。いつ、戦いが起こっても大丈夫なように、自らをいつも高めるように努力しないと……ウィルザや、クリスや、リザ。みんなの足を引っ張りたくないからね」
「もし、その時は……グランは行ってしまうの?」
 寂しそうに、ミラーナが見つめる。グランは「うん」と答えた。
「でも、戻ってくる。オイラは、もう故郷には帰れない。今はここがオイラの故郷だし家だと思ってる。他のどこにも、帰る場所がないからね。それに」
(ここには、ミラーナがいる)
 まだ若い二人にとって、その言葉はまだお互いに言えずにいた。だが、互いが互いのことを一番大切に思っているということは、その雰囲気だけでも伝わっている。
「このまま……穏やかに時が流れてくれるといいのに……」
「そうだね。そう願おう」
 だが、その平和な時間は、そろそろ終わりを告げようとしていた。






「モンスターが増えている?」
 その日、マイラの村長が『英雄』グランを訪ねてきていた。英雄、と言われるのは自分にとっては気恥ずかしいことこのうえなかったが、ゾーマ戦をくぐりぬけてきた以上、そう言われることはやむをえなかったであろう。
「はい。村の北側の森に、たくさんのモンスターが確認されているのです」
「モンスターの数は、大陸規模で減少しているはずですが……」
「もしかしたら、マイラの方に逃げ込んで来ているのかもしれません。なんといっても、マイラには軍隊がありませんから……」
「それはそうかもしれません。だからこそ、この辺りは冒険者たちが大陸の中で最も集まっている。今、マイラが復興しているのはそのおかげでもありましょう」
「はい。ですが、それにもかかわらずたしかにモンスターが増えているのです」
 おかしなことだ、とグランは思った。しかし、そうだとすればマイラの村のためにも、至急に調査が必要になるかもしれない。
「私に、状況を調べてほしい、ということですか?」
 こういう時はグランも自分のことを『私』と呼ぶ。少年が自分を『オイラ』と呼ぶのは親しい人との間だけだ。
「……グラン殿がこの村のために必要な方であることは分かっております。ですが、私たちには他に頼る方がいないのです。何とかしていただけないでしょうか」
「無論、村に危害があるようであれば私としても対処しますが」
「引き受けてはくださいませんか」
 やれやれ、とグランは心の中で呟いた。
「分かりました。しばらく、教会の方は」
「はい。こちらできちんと管理させていただきます」
「ではそうですね、明日にでも」
「よろしくお願いします」
 せっかく、教会が軌道にのってきたところだというのに、と悔しく思うことはしかたのないことであっただろう。だが、教会がどうというより、自分にはもっとやらなければならないことがある。そのことを忘れたことは、グランは一度としてなかったのだ。






「行ってしまうの?」
「うん、ごめん」
 その夜。事情を聞いたミラーナが駆けつけ、二人は小綺麗な教会の一室で話し合っていた。
「……どうしてこんな、急に……」
「何か、事態が変化するときっていうのは、いつも急なんだよ」
「でも、私……」
「心配しなくても、ちゃんと帰ってくるから」
「イヤ……私!」
 ミラーナは、グランの胸の中へと飛び込んできた。グランもまた、彼女の身体を優しく抱きしめる。
「嫌な予感がするの。もう、あなたに会えないような気がしてならないのよ」
「そんなことないよ。大丈夫。だいたい、オイラより強いモンスターなんて、そうはいないんだから」
「でもグラン、昨日も言っていたでしょう。嫌な予感がする、って。もしかしたら……もしかしたら、今、もう既に何かが始まっているのだとしたら……」
「だとしたら、なおさら行かないわけにはいかないよ。オイラは、そのためにこそ生きているんだから」
「グラン」
「オイラ、幸せだよ。ミラーナにこんなに強く思われているっていうことが。でも、だからこそ行かなきゃ。ミラーナや、他のみんなの幸せを守るためにも」
「どうしても……行ってしまうの?」
「すぐに帰ってくるよ。大丈夫」
「じゃあ、じゃあせめて、これを」
 ミラーナは、懐からペンダントを取り出した。
「私だと、思って……」
「大げさだなあ。そんなに心配することなんかじゃないって。でも、これはありがたく受け取っておくよ。大事にする」
「うん……必ず、帰ってきて」






 そうして、グランは出発した。マイラの北側の森。最近、モンスターが増えているということだが、こうして入ってみると、グランは全くモンスターに出会わなかった。
「特に、問題ないのかな」
 ふと、思い出したことがあった。ここからさらに北にある小さな島に、精霊ルビスの塔がある島がある。もう一年以上も前に行ったきりだ。
「何だか、懐かしいな」
 そんなことを思い返していた時のこと、大きな木の下で座っている男の姿を見つけた。
「よう」
 男は立ち上がり、馴れ馴れしく声をかけてくる。いったい誰だろう、と思いつつも「こんにちは」と礼儀正しく言葉を返す。
「あんたが、グランだろ?」
 グランはかなり驚いた。グランという名前がいくら知れ渡っているからといって、一目見て自分のことが分かる人間など、そう多くいるものではないだろう。
「そうですが、あなたは?」
「俺はデッド。あんたを待ってたんだ。よろしくな」
「はあ」
「おいおい、そんなに気の抜けたような声を出さないでくれよ。せっかく協力してやるっていうのに」
「協力?」
「ああ。協力、というよりは、護衛、かな。あんた一人じゃ辛いだろうからって、助けてやれって言われてな」
「護衛? 助けろって、誰にですか?」
「ガライにさ」
「ガライ。吟遊詩人のガライですか」
「まあな。こう見えても俺はガライの二番弟子なんだぜ」
「そうなんですか」
 驚くのと感心するのとが交互に起こる。だが、結局のところ、一番の謎が解明されていないということに、ようやくグランは思い立った。
「護衛とはまた、どうしてですか?」
「ん? だって、クリスもリザもいないんじゃあ、大変じゃねえか」
「それはまあ、そうですが」
「はっきりいって、この先にお前を待ってるのは、とんでもねえ奴なんだからよ。俺程度でも少しは役にたつから同行しろってな」
「この先?」
「……いや、ここ、かな? どうやらもう来たようだぜ。早速だがな」
 デッドは剣を抜き、戦闘体勢に入った。グランはいったい何事かと周りを確認すると、一組の男女がこちらへ歩いてくるのが分かった。しかも、男の方には見覚えがあったのだ。
「ウィルザ!」
 グランは笑みをこぼして駆け寄ろうとした。が、その行動をデッドが手で制した。
「久しぶりだな、グラン」
 違和感があった。以前のウィルザとは何かが違う気がした。しいてあげるとすれば、その包容力。何者をも包み込み、そのうちに入れる力。その力が変質しているような感じがする。
「なんだ、まだ子供じゃないの」
 隣にいた女が、その刺激的な恰好を目にして、思わずグランは目を伏せていた。何しろほとんど裸同然、腰と胸をわずかに布で覆っているだけの恰好でしかなかったのだ。
「子供か。だが、その子供に『剣王』は不覚をとり、ゾーマもまた敗れた。油断をすると、お前もやられるぞ、ユリア」
 声が冷たかった。あの優しさが、どこかへ消え失せてしまったかのような話し方であった。
「ウィ……ルザ、だよね? どう……したの?」
 何と言っていいか分からず、グランは目の前の人物に話しかける。
「ああ。間違いなくウィルザだ。一年会っていないだけで、もう俺の顔を忘れたか?」
「いや、忘れてなんか。でも、何だか様子が違うよ。いったい、どうしたの? それに、その横の女性は誰?」
「アタシ?」
 その妖艶な女性は悩ましい仕種でウィルザにまとわりついた。
「アタシはユリアっていうんだ。覚えておいてね、ボウヤ」
「ユリア」
 ウィルザは無表情で、自分に抱きついてくるユリアを睨んだ。
「離れろ」
「いいじゃないの。アタシとウィルザの仲──」
「離れろ」
 ユリアの身体が一瞬光ったかと思うと、ウィルザの身体から五メートルもはじきとばされた。おそらくは電撃の魔法を放ったのだろう。
「何するの、ウィルザ」
「黙っていろ」
 ウィルザは苦々しげにため息をつくと、改めてグランを見つめた。
「それにしても、遅かったな、グラン」
「なん……のこと?」
 グランは先程の女性が気になってしかたなかった。というのは何もその恰好が問題であったというわけではなく、リザという女性がいながら、ウィルザはどうしてあんな女性を側にいさせるのだろう、と不信に思ったからだ。
「精霊ルビスは封印した。お前が来るのは三日ばかり遅かったな」






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