七.救われない宿命が二人の絆を断つ












「また逃した、というのですか?」
 魔王ウィルザは本拠地に帰還するなり、全身鎧に身を包んだシリウスから、もともと高い声をさらに高めにして皮肉を言われた。分かっている。相手は自分とこういうやりとりをすることを楽しんでいるだけなのだ。
「そういうな。俺も悔やんでいるのだ。あいつを逃がしたということはな」
「それが本心であることを願いますが」
「やれやれ。やはり二度獲物を逃がすと、辛いな」
 ウィルザも笑う。別に自分は戦いに関しては手を抜いてはいなかった。本気で戦ったし、相手を殺すつもりで呪文を放った。
 だが、自分は分かっていたのではないかとも思う。あの程度の魔法ではグランは倒せないのではないかということが。
「それで、状況は?」
「変わりありません。ただ、彼がようやく到着したくらいですね」
「来たか! 待っていた。早速連れてきてくれ。それから、シャドウとユリアもな」
「もう、扉の向こうに来ております」
 そう言うと、バタン、と扉が開き、そこから三人の魔族が現れる。
 一人は、まさに『影』といった存在。それ以外の何者でもなかった。影が人の形をとっている。いったいどういう術なのか、不思議なものだ。
 一人は女。相変わらず露出度の高いコスチュームである。だからといって、ウィルザは一度もこの女性に欲情したことはなかった。
 そして、最後の一人。白い髪に水色の瞳。そして黒い鎧に身を包んだ、禍々しさと神々しさを同居させた不思議な戦士であった。
「シャドウ、ユリア。そして……ルシェル。よく来た」
 そこに、赤と銀の鎧兜をつけた騎士シリウスが加わり、四人が横一列に並んで、揃って膝をついた。そして、白き髪の騎士が立ち上がり、一つ礼をする。
「初めてお目にかかります。ルシェル、と申します。かつてはバラモスの部下として、もう一つの世界で主として活動しておりました。以後、よろしくお願いします」
「向こうの世界でお前と出会わなかったのは幸運だ。もし会っていたら、あのころの自分たちではきっとお前にはかなわなかったであろう」
「ご謙遜を。バラモスはあれでも私より『強く』存在していました」
「実際の『強さ』ではなかったがな。そのことを俺は、自分が魔族として行動することで分かるようになったつもりだ」
「たしかに、『本当の』強さからいえば、私はバラモスよりはるかに『強い』のですが、当時の状況ではそうも言っていられなかったのです」
「より『魔王に近い』者が、より強く魔王の影響を受け、その結果より強い力を手に入れることができる……。魔族とは難しいな。つまりはゾーマの信任あつかったバラモスが分不相応な力を手にしていたということか」
「おっしゃる通りです。ですが私はウィルザ様のお側に仕えさせていただくことによって、より強い力、本来の私自身の力を現出することができます。これからも、どうぞ私に力をお与えくださいませ」
「無論だ。お前の話はシリウスからよく聞いている。期待している」
「は。必ずや、期待にお応えしましょう」
 二人の話が終わり、再びルシェルは膝をついた。
 なんとなく、それがウィルザには寂しく思えた。せっかくめぐり合えた仲間たち。シリウス、シャドウ、ユリア、ルシェル。誰もが、新しい仲間として共に戦っていきたいと思える者たちである。だが、自分と彼らとの間には、明確な差がある。上下の関係が。
「さて、早速だがお前たちに一働きしてもらわなければならない」
「ついに、でございますな」
「ああ。まずはあのムーンブルク王国を滅ぼす。それが終わったらラヴィア王国だ。最後にアレフガルドのラダトーム。世界の三王国を滅ぼし、全ての人間を絶滅させる、最初の一歩というわけだ」
「ムーンブルク。最も厄介な国ですな」
「そうだ。優秀な剣士が揃っているという。油断はできない」
「では、その役目は是非私に」
 名乗りを挙げたのはルシェルであった。
「まだ私はウィルザ様のために何も働いておりません。これをもって最初の勲功としたいと思います」
「ふふ、気が早いな。シリウス、かまわないか?」
「私ならば一向に」
「ではルシェル。軍はどれほどほしい」
「それは無論、多ければ多いほど」
「素直な奴だ。多数をもって少数を攻める。兵法の常識だな。いいだろう、シャドウの情報部隊と、工作部隊、親衛隊、これらを除いた全軍を与える。そのかわり、失敗は許さないからな」
「必ずや、期待に添いましょう」
「ではシリウス。お前は工作部隊をもって魔王城の建設──いや、浮上の指揮をとれ」
「はい。二年以内に浮上させてご覧にいれましょう」
 ウィルザは苦笑した。まったく、全てを知っている相手というのはやりにくい。
「シャドウは引き続き『例のもの』の捜索を頼む」
 影は小さく頷いたようであった。
「俺はシャドウが発見した『例のもの』の一つ目を取りに行く」
「……いよいよ、ですな」
「そうだ。俺が魔族──魔王になるための、最初の試練というわけだ。俺は、ゾーマのように出来損ないの魔族にはなりたくはない。人の身体も、勇者の資質も、全てを捨てて魔王になりたい」
「無事の、というよりは、目的を達成されて帰ってきていただくことを願っております。どうか、お気をつけて」
「シリウス。そうやって遠回しに俺を苛めるな」
 怒っているわけではない。単に、そのやり取りが楽しい。こうしてつっかかってきてくれると、単なる上下関係ではないつながりを感じることができる。それが嬉しい。
「それでは」
「ちょ、ちょっと待ってっ!」
 一人が声を上げた。
「アタシは?」
 ユリアが不安げに尋ねてくる。
「ああ、すっかり忘れていた」
「まっ、ひっどーい。いくらアタシのことが大事で危険な任務につかせたくないからって」
「お前には、重大かつ危険な任務がある」
 ウィルザはユリアの言葉を無視して話を始めた。
「ある人間を殺してもらいたい。二人いるが、どちらか一人だけでもかまわん」
「ある人間……?」
「ガライの弟子だ」
「!」
 察しがついた。今まで、何度となく自分たちの行動を妨げていたガライと、その弟子二人。
(ついに本腰を入れる気になったということか)
 シリウスはそう感じていたが、実際のところはウィルザにとって邪魔な部下(邪魔というほどではないが、つきまとわれるのが嫌だった)を一時的に自分から遠ざけておくことが目的だったにすぎない。
 ユリアがゼフォンやデッドよりも力があることは分かっているが、人間たちが力を合わせた場合、特にクリスや、グラン、リザといった昔の仲間たちが彼らと共に戦ったなら、ユリア一人で勝てるはずがない。彼ら三人が力を合わせたら、ウィルザですら勝てないかもしれないのだから。
(問題は、彼らがどう動くかだな)
 結局、ウィルザを止めることができるのは、かつての勇者の仲間だけなのだ。






 リムルダールの町。
 ここの小さな宿屋兼酒場で、リザは住み込みで働いていた。クリスやグランと違い、リザは自分の正体を隠し、普通の町娘として暮らすことを選んでいた。
 宿屋の主人には、三年後の再会を約束した人が来るまで住み込みで働かせてほしい、とだけ告げ、それから一年と少しの間、何事もなく平穏な日々が続いていた。
 だが、何となくリザには感じているものがあった。
 このまま、平和が続くことはないのではないか、と。
「リザ、お客さんだよ」
 そしてその日は唐突に訪れた。変化の訪れというものは常に前触れは起こらないものである。
「私に、ですか?」
「ああ。旅の吟遊詩人だということだけど」
 リザは(ついに何かが起こった)という感情を覚えずにはいられなかった。彼女には一人だけ吟遊詩人の知り合いがいる。そしてその人物は、前の戦いでもわずかな援助をしてくれた。目的もなく動く人物ではなかった。
「お久しぶりです、リザさん」
「ガライさん」
 想像どおりの相手を目にしたとき、自分の休暇は終わったのだと思った。
 そして、ウィルザに会うことができるかもしれない、とも思った。
「早速ですが、あなたにお願いがあって参りました」
「何が起こったのですか?」
 ガライは静かに答えた。
「新しい魔王が生まれようとしています」
「やはり」
 だが、リザは予測できていたかのように即時に答えた。






 少し、時間を遡る。
 ガライは、リムルダール島の北西の岬。魔王の島へ渡る虹の橋がかかるところ。だが、もはや魔王の島は海中に沈み、全ての戦いの痕跡は失われてしまった。
 だが、この海の下には今も存在しているのだ。魔王の島も、城も。そして、邪悪きわまりない『あの力』も。
「お久しぶりです、ウィルザさん」
「ああ。久しぶりだな、ガライ。よくも一年間、これだけ俺の邪魔をしてくれたものだな」
「私は詩歌を紡ぐだけの存在です。あなたの邪魔をするつもりはありません」
「確かに俺の邪魔はしていないな。ただ、人間の味方をしただけだ。詩人の中立の力の、ぎりぎりのところでな」
「さようで」
「まあいい。お前と戦うつもりはない。戦ってもお互い、力を無駄に使うだけだ」
「その通りですね」
 こうして対峙するのは、今まで一年もの間戦ってきて初めてのことであった。
 人間を滅ぼそうとする魔王ウィルザ。
 人間を助けようとする詩人ガライ。
 この一年間、お互い多くの部下を、仲間をなくしていた。
「とうとう、来てしまったのですね。ここに」
「ああ。ここに眠る力が欲しくてな」
「『魔王の剣』……」
 ガライはその禍々しい名前を呟いて目を伏せる。
「あなたは、本当にあの剣の封印を解くつもりですか?」
「当然だ。俺は、そのためにこの一年何もかも、仲間も恋人も捨ててまで戦い続けてきたのだから」
「ですが、あの魔王の剣は誰も触れることすらかなわない。あのゾーマですら」
「分かっている。というより知っている。ルビスからあいつの過去を全て聞いた。あいつが本当は何をしたかったのか。絶望したあいつが何をしてきたか。その間には一光年からの隔たりがあるが、少なくともゾーマは単に世界を支配しようとしていた魔王ではなかった。少なくとも最初は違った」
「その通りです。純粋な魔王となることができず、しかし力だけは増大するばかり。彼は、その力を制御することも捨てることもできなかった。まあ、アレフガルドを闇に閉ざしたというのは、彼にとっては最後の理性だったのかもしれません」
「だが、俺はそうはならない。例え魔王の剣をこの手にすることができなかったとしても、俺はゾーマのようにはならない」
「それを聞けただけでも、少しは安心できるというものです」
 一度会話が途切れる。海を見ていたウィルザは、隣に立つガライに視線を向けた。
「ガライ。お前はどうしても俺の邪魔をするのか?」
「ええ。私は人間の味方です。人間を滅ぼすという考え方には賛同できません」
「そうか。そうしてお前は、この先も、永遠に戦い続けていくのだな」
「憐憫も同情も必要はありません。これは私が望んだ戦いなのですから」
「そうか」
 二人の間に、しばし沈黙が流れた。互いに何を思っているか、そんなことは分からなかったが、少なくとも二人共に何らかの哀愁を背負っていることは疑いようもなかった。
「では、俺は行く」
「ええ。お気をつけて」
「こうして会うのも、これが最初で最後なのかもな」
「そうかもしれません。ですが、あなたと話せて良かったですよ」
「そうかもな」
「リザさんには、何か伝言は?」
 ウィルザの表情が曇った。
「いや、いつかは会いに行く。今は必要ない」
「そうですか。それでは、また」
「ああ。いつかまた」
 そして、ウィルザは海の中に消えていった。
 それを見送って、ガライはリムルダールへと足を向けた。






「おそらくは、今日中にでも。それも、ゾーマ以上の力を持つものです」
「それほどの」
 リザは驚愕を隠したりはしなかった。
「それで、協力を願いたいのです。魔族と戦うために」
「魔族……」
「そうです。ゾーマが支配できなかった魔族、そしてあの戦いから生き残った魔族。彼らのうちかなりの数が新しき魔王の下へと集合しつつあります。彼らに勝つには、あなた方、ゾーマ戦をくぐり抜けた人たちの力が必要なのです」
「そう……」
 リザの頭の中に真先に思い浮かんだのはウィルザの顔であった。
 こういう事態になった以上、彼がじっとしているはずはない。それに、他の仲間たちだって。
「みんなは、どうしているの?」
「クリスさんは魔族と戦って重傷を負いましたが命に別状はありません。首尾よくいっていれば、私の弟子の一人が私の家に連れて帰っているはずです。グランさんはやはり私の弟子の一人が呼びに、というよりは救援に向かっています。全員、私の家に集合する予定なのです」
「ウィルザは?」
 それが、もっとも知りたい相手。
 いったい、彼は今何をしているのか。
 三年待ってほしいと言った意味は何だったのか。
 だが、ガライは首を振った。沈痛な面持ちだった。
「ウィルザさんにつきましては、いろいろと説明しなければならないことがあります。ですが、ひとまずは私の家に来てから、全ての事情を説明したいと思っています。全員、揃ってから」
「……まさか……」
「ああ、ご心配なく。亡くなった、というわけではありません」
 ガライの表情と声には嘘は混じっていなかった。リザはそれを見てひとまず安心する。
「分かった。そういうことなら私の力は必要ね。すぐに、準備する」
「お待ちしております」
 リザは自分の部屋へ戻った。そして、いつでも出発できるようにまとめられている荷物を手に取った。
「…………」
 ここは、思い出深い場所であった。
 生まれてから、一つところに留まるということが一度としてなかったリザにとって、一年も同じ場所で生活したというのは生まれて初めてのことであった。
 長くいれば愛着もわく。馴染みの友達もできたし、主人は優しく接してくれるし、ここに来てからいいことばかりが続いていた。
 だが、自分はこういう生活をする人間ではない。
 魔と戦う宿命を背負って生まれてきて、実際に魔と戦って過ごしてきたこの十九年。最後の一年は、その中でも特異な、例外的なものであったにすぎない。
 そのことを忘れていたわけではない。自分は、戦うべき人間なのだ。
 コン、コン。
 ドアをノックする音が聞こえて、リザはびくっと跳ね上がった。「はい」と答えると、静かにドアが開いた。
「おじさま」
 入ってきたのは宿屋の主人であった。
「行くのかい」
「あ……」
 少しだけ、主人は寂しそうな顔をしていたが、すぐに優しい笑顔を浮かべた。
「私……」
「ああ、いい。何も言わなくていい」
 主人は近寄ってくると、リザにぽんと革袋を渡した。
「持っていきなさい」
「え……」
 リザが中を覗くと、そこには金貨がぎっしりと詰まっていた。
「そんな、いただけません」
「いいから。お金はいくらあっても困ることはない」
「ですが」
「リザ。あんたがどういう人間であるか、隠してはいるようだが儂には分かっているつもりだ。リザという名前は少なくない。だが、お日さまを拝めるようになってから私の宿へやってきたリザという娘。疑わない方がどうかしている。そうではないか?」
「……おじさま……」
 では、最初から気付いていたというのだろうか。
 自分が、ゾーマを倒し、この世界を救ったということを。
「あんたが何をしにどこへ行くかなんてことは分からない。だが、あんたは……私たちのために、また行ってくれるんだろう?」
 リザは目を見開いた。
「はい」
「それなら、これはそのための資金だ。私は自分の命と生活を守ってもらうために、あんたに投資するんだ。それでいいだろう?」
「おじさま……」
「部屋は、このままにしておくよ。いつでも好きな時に帰ってきなさい。それじゃあ……元気でな。身体には十分気をつけて」
「はい……はい。ありがとうございます」
 主人が出ていくと、リザはその場に泣き崩れた。
 この思い出を守るためにも、自分は旅立たなければならない。
 決意を新たに、リザはガライの下へと戻っていった。






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