九.儚い現実が終わり永遠の悪夢が始まる












「……ここ、は……?」
 目覚めた時、グランは見知らぬ場所にいた。いや、どこかで見たことがあるような気もするが、少なくとも見知った場所ではなかった。
「お、気づいたか?」
 そのかわりに聞きなれた声がした。たしか、デッドとか言った。
「デッドさん、ですね」
「おう。ガライの二番弟子のデッドだ。そしてこいつは」
 と、デッドは側にいた一人の男を紹介する。
「ゼフォンだ。皮肉にも俺の兄弟子ということだな」
「初めましてグランさん。一応傷は治しておきましたが、何か違和感はありませんか?」
 そういえば、身体を裂かれたはずなのに全く痛みがない。自分と同じくらいとまではいかないかもしれないが、相当な回復魔法の使い手だということが分かる。
「ここは?」
「ガライの家さ。俺らの師匠の家。じきガライもここに着く」
「ガライさんが?」
 ガライは前回のゾーマ戦で自分たちに協力した吟遊詩人だ。そのガライが自分たちを──要するに、かくまっている、ということなのだろう。
「こいつがミスしなきゃ、全員集合だったんだがな」
「苛めないでよ、デッド。仕方ないじゃないか、魔王騎士の二人が相手だよ? クリスさんとも離れ離れになっちゃったし、逃げるしか手がなかったんだ」
「クリス? クリスが、どうしたって?」
 グランが話しかけるが、ゼフォンは「あと少し待って」と答えた。
「本当に、あとちょっとで師匠が帰ってくるんだ。だから、一応メンバーが揃ってからということで」
 グランはいてもたってもいられない気分であったが、ゼフォンが「どうしても」というので仕方なく諦めた。
 怪我の方は完治していた。起き上がっても痛みどころか違和感すらない。ゼフォンからコーヒーを手渡されて、少し顔をしかめたが、一口だけ飲むことにした。苦い味が口の中に広がり、ますます顔をしかめる。
「着いたみたいだね」
 ちょうどその時、ゼフォンが外を見て言った。すぐに、玄関が開いて、そこから二人の人影が現れる。
「リザ!」
「グラン! あなたもここに?」
 グランは思わず立ち上がってリザの側に駆け寄り、その瞬間、ウィルザの顔を思い出して、身体が竦んでしまったが、とにかく笑顔でリザと握手をかわした。
「久しぶりね。元気だった」
「うん、何とか。リザも、元気そうだね」
「ええ、もちろん」
 リザは笑顔だった。それもそのはずである。久しぶりに仲間に出会えたのだから。だが、グランとしては野放しで喜んでばかりではいられなかった。
(ウィルザ、どうして)
 ウィルザとリザの関係は、子供ながらによくわきまえているつもりだった。だからこそ、どうしてウィルザがあんなことをしようとしているのか、全くもって理解できないのだ。
「さて、これで全員──おや、クリスさんはどうした、ゼフォン」
 もう一人の人物、ガライが口を挟む。が、ゼフォンは肩を竦めて「すいません」と答えた。
「無事は確認しています。でも、連れてくることができませんでした。今はメルキドで療養しています」
「ふむ。無事が確認できているのであればまあよしとしよう」
 ガライは主人の椅子に座り、ゼフォンからコーヒーを受け取る。リザもグランも、ゼフォンもデッドも皆席についた。まずそれぞれが自己紹介を行い、それからガライが場をとりしきった。
「さて、いろいろと疑問もあることでしょうが、一つずつ答えていきましょう」
「まず、ウィルザのことですね」
 グランが、ガライの言葉に答えた。リザは目を細めて「どういうこと?」と尋ねる。
「リザさん。心してきいてください。今、この世界を破滅せんと企んでいる新しき魔王とは、勇者ウィルザその人なのです」
 ゼフォンの説明に、リザは顔をしかめた。
「ゼフォン、お前は説明をはしょりすぎていていかん」
 ガライが沈鬱な表情で弟子をたしなめる。
「つまり、こういうことです。勇者ウィルザは、ある目的のためにこの一年間行動してきた。彼が何を考えているかということは、正確なところは分かっていないのですが、新しく魔王となって、ゾーマではなしえなかったことを行おうとしているのです」
「……どういうこと?」
 怪訝そうな顔をするリザ。それは、何が起こったのか、ということを尋ねているのではなくて、それが本当のことなのか、ということを確認する質問。
「本当なんだよ、リザ。おいらもウィルザに殺されそうになったんだ。ウィルザはもう、以前とは別人だよ……おいら……おいら……」
 グランは涙をためてリザに訴えかけた。リザは無表情で一つ頷いて答えた。
「ウィルザが魔王に。そう……」
 リザが少しうつむきかげんに、じっと考え込む。
 彼女がいったい何を感じ、何を考えているかは周りの人間には分からない。
 ウィルザのことを考えているのは間違いないが、それは追憶なのか、それとも推考なのかは判断しかねる表情だった。
「一年前からということは、ゾーマを倒して、すぐ、ということ?」
「ええ、そうなります。おそらくは、ゾーマとの戦いが終わった時、ウィルザさんの頭の中には、自分が魔王になるということが予定されていたのではないかと思われます」
「じゃあ」
 リザは手ににじむ汗を感じた。
(あの別れの時、ウィルザはそういうことを考えていた、ということ?)
 そんなことを相談もせず。
 おくびにも出さず。
 彼は一人で、決断していたのだ。
「あんまり、驚かないんだな。正直こっちが驚きだぜ」
 デッドが言うが、リザは平然とした表情であった。
「そうね。自分でも不思議よ。でも」
 ウィルザは、どういう状況にあっても嘘をつく人ではなかった。隠し事はするが。
(三年。そう、あの人は三年待っていてくれと言った。つまり、三年のうちに何かをしようとしている……ということなのかしら)
 魔王となって、どうしようというのだろう。
 三年といっても一年が過ぎたから、あと二年で、何を成そうとしているのだろう。
「ウィルザの目的なら、おいら、聞いたよ。本人から」
「本人から?」
「うん。マイラの北の森で戦った時。ウィルザは、この地上に真の理想郷を作る、人間が死に絶えた世界を現出する。そう、言ってた」
「人間が、死に絶える?」
 全員が、絶句していた。
 いったい何故、ウィルザがそのような暴挙に出なければならないのか。そのようなことをして何になるというのか。
「人が人であるということを、許せなくなった。そう、ウィルザは言ってた」
「どうして……?」
 ウィルザは何を考え、何を成そうとしているのか、グランの言葉からだけではまるで理解することはできない。
「そして、ウィルザは魔王として、既に行動を始めています」
 続けて、ゼフォンが話しだした。
「メルキドの南、大灯台においてはクリスさんに重傷を負わせ、マイラでは精霊ルビス神を封印し、グランさんを倒そうとした」
「そんな!」
「本当なんだよ、リザ」
 グランは、まだ傷が塞がったとはいえ、まだ完全に癒えずに残っている傷痕をリザに見せた。
「ひどい」
「これ、ウィルザがやったことなんだ」
 グランは沈痛な面持ちで言う。
「ウィルザはもう、前のウィルザじゃなくなってるんだよ」
「そして今、ウィルザは名実ともに魔王たらんとしている。いや、もう既になった、というべきか」
 ガライが、ゆっくりと最後をしめくくった。
「真の魔王が手にすべき『魔王の剣』。かつてゾーマですら手にすることがかなわなかったあの剣を、ウィルザは手にした。それと同時にウィルザから『勇者』としての資質は全て失われ『魔王』としての資質を手に入れた。間違いなく、彼はもう『魔王』だ」
 ぐっ、とリザは両手を強く握った。
(ウィルザ──いったい、何をしようとしているの? 魔王になって、何がしたいの? 私に、そう、私に三年待っていてくれと言ったのは、どうしてなの?)
 視線を逸らし、リザはうつむいて哀しそうな顔をしているグランに尋ねた。
「グラン、私のことをウィルザは、なんて言ってたの?」
 グランはさっと目を逸らした。
「グラン、答えて」
「い、言えないよ」
「何を言ったとしても、私は大丈夫だから。お願い」
「…………」
「あいつはこう言っていたぜ」
「デッド!」
 代わりに答えようとしたデッドを、グランが声を上げて制する。だが、デッドはやめなかった。
「あいつ、リザにはまだ使い道がある。しばらくは生かしておくが、いつかは殺す」
「そう」
 いつかは、殺す。
 つまり、私もウィルザにとっては、何よりもかえがたい存在というわけではないということ?
 と、その時。
「いかん。皆、伏せろ!」
 ガライが珍しく取り乱して叫んだ。直後、強烈な揺れがガライの家を襲った。
「キャアッ!」
「な、なんだ?」
 揺れがおさまった時、ぽっかりと天井に穴が開いているのを、一同は見た。そして、その上にいる一人の女性の姿も。男を悩殺するかのようなきわどい服装に、黒い翼と尻尾が生えた、いかにも女悪魔、サキュバスを思い起こさせるような恰好だ。
「あらら、まとめて殺そうと思ったのに、防がれちゃった……ガライの仕業かしら?」
 女悪魔はゆっくりと降下してきた。
「てめえ、たしかユリアとかいったな」
「あら、覚えててくれてどうもありがとう。ガライ、ゼフォン、デッド。それに、グランとリザね」
 最後にユリアはリザを睨みつけた。
「ふうん。あなたがリザ」
 家の中に、五人に囲まれるようにして降り立つと、他の人間には目もくれずにリザを睨みつけて、近寄った。
「なあんだ、まだ全然ガキじゃないの」
 リザもまた、その女悪魔に向かって睨み返した。何だかよく分からなかったが、対抗意識をそそられるものがあったのだ。
「アタシの方がずっと魅力的だと思わない、ボウヤ?」
 ユリアは流し目をグランに送った。魅了の魔力がこもっていたかどうかは定かではないが、グランは軽く首を横に振った。
「リザの方が、ずっと綺麗だよ」
「あら、そう? でも、現実に今ウィルザ様の傍にいるのはリザじゃなくてアタシ。そうじゃなくて?」
 かちん、とリザの癇に障った。
 この女性は。
 この女性は、魔王となったウィルザに近寄っている魔族なのだ。
「お前なんか、ウィルザに邪魔者扱いされてたじゃないか!」
 ユリアは目を丸くして、それからくすくすと笑った。
「ウィルザは照れてるのよ」
「そんなことない。ウィルザが好きなのは、リザだけなんだ。オイラはそれを知っている。ウィルザが魔王になったからって、それだけは変わらない!」
 それは半ば、期待に満ちた台詞でしかなかった。あの時、一瞬戸惑ったウィルザ、自らの立場からリザを殺さなければならなくなったとしても、きっと心の中では躊躇っているに違いない。
「そうかしら?」
 余裕に満ちた表情の裏で、ユリアは心の中ではかなり煮えくり返っていた。グランは的確なところをついている。ウィルザがまだリザに思いをよせている。それはきっと間違いようのない事実。そう、ユリアは思っている。
「ま、今回アタシがここに来たのは別にそんな話をするわけじゃないのよ」
 くるり、とリザに背を向けて、残りの三人を見回す。
「目的は、俺たちの方か?」
 デッドが冷や汗をかきながら尋ねた。
「そ、ウィルザの命令でね、ガライの弟子たち。どちらか一人でかまわないから殺してこいって」
 ゼフォンとデッドが素早く戦闘体勢に移る。それをにこやかな笑みで見つめると、最後にガライに向かって微笑んだ。
「かまわないかしら?」
「無論。だが、こちらも反撃はさせてもらう」
「当然ね。生き残るための戦いですもの。ゾクゾクするわ」
 妖艶な、そして、残酷な笑みをユリアは漏らした。
「人が死にゆく時の表情って、すごくカンジちゃうのよね」
 ふわり。
 ユリアは拳一つほど浮き上がって、胸の前で左手を握りしめた。
「いかん、皆、防ぐのだ!」
 ガライの声で、全員が咄嗟に防御体勢に移る。
「最大爆発呪文──イオナズン!」
 直後に巻き起こった爆発は、ガライの家を粉々に跡形もなく破壊していた。
 一面の荒野となったその場所に、防御体勢になった五人と、ユリアだけが存在していた。
「さあ、始めましょうか」






次へ

もどる