十.渦巻き合う魔力が最初の悲劇を生む












 すう、と浮いたままユリアはゆっくりとデッドに向かって近づいていく。デッドは剣を構えて対峙する。
 隙だらけだ。
 それなのに、どうしてここまで圧力を受けなければならないのか。
(強え)
 以前に会った時はウィルザの影に隠れていたのでたいしたことはないと高をくくっていたのだが、この強さは半端ではない。
(伊達でウィルザにくっついてるわけじゃねえってわけか)
 だが、デッドとしても当然簡単にやられるわけにはいかない。十分にタイミングを見計らって、一気に間合いを詰めた。
(もらった!)
 剣がユリアに届こうかと思った瞬間、ユリアの右手に剣が『生まれて』いた。
「なにっ!?」
 そして、その剣がしっかりとデッドの剣を受け止める。浮いた体は少し後ろに揺れてから、しっかりとその場を維持した。
「この程度?」
 明らかに挑発されているのは分かったが、デッドにも戦士としての誇りがあった。すぐに二撃目、三撃目を放つ。が、ユリアに回避され、そして剣を受け流される。
「最強火炎呪文──メラゾーマ!」
 背後から、ゼフォンの魔法が放たれる。だが、それはユリアの体に到達しようかというところでかき消されてしまった。
「なっ?」
「残念だけど、消させてもらったわ。綺麗なお肌に火傷の痕を残すわけにはいかないものね」
 そして、ゼフォンに向かって左手が延びる。
「極大真空呪文──バギクロス!」
 無数の真空の刃がゼフォンに飛び交う。
「くっ」
 防御体勢でなんとか防ぐが、外套ごといくつもの切り傷を負う。
「ガライの弟子って、この程度なの?」
 挑発的な仕種をやめずに、再びデッドに向き直る。と、その時。
「極大閃光呪文──ベギラゴン!」
 ギラ系最大の魔法が、ユリアに向かって放たれた。
 魔法を唱えたのは、リザ。
「こざかしい」
 だが、余裕の笑みでユリアは再びその魔法をかき消そうとした、が。
「なっ?」
 その呪文は消えなかった。予想外の出来事に、ユリアは防御体勢すら取ることもかなわずに呪文の直撃を受けた。
「もう一つ──極大真空呪文、バギクロス!」
 さらに追い打ちをかけるように、グランがバギ系最大の呪文を唱える。真空の刃がいくつもユリアに飛び交う。
「やった?」
 グランは光が収まったその先にいたユリアを見つめ、愕然とした。
「無傷?」
「そんな」
 リザもグランも、あまりのことに我を見失いかけていた。が、見た目ほどユリアはダメージを受けていないというわけではなかった。
(この、アタシが)
 魔法を操ることにかけては現在の魔王軍の中では随一である。ルシェル、シャドウはもとより、シリウスですらかなわないはず。おそらく魔法だけで自分と互角以上の戦いをできるのは、魔王であるウィルザのみ。
 相手の魔法でも自分の魔法でも意のままに操ることができる。それだけの能力を持っているからこそ、ウィルザもこの女性を疎ましく思いながらも手放さないのである。
 その、自分が、だ。
 魔法を操ることができず、あまつさえ微量にとはいえ魔法によってダメージを与えられている。
(許さない)
 なるほど、たしかにウィルザが一目置くだけのことはある。
 だがそんな冷静な分析よりも、今は復讐心の方がはるかに勝った。
「許さんぞ、小娘!」
 とはいえ、ユリアは決して落ち着きを失ってはいなかった。魔法のエキスパートとしての誇りは確かに強い。だが、相手はあのゾーマを倒したパーティのメンバーである。自分と同等の魔力があったとしても不思議はない。
 言い換えれば、リザは自分と対等、互角の相手ということをこの時認めた、ということでもある。もっとも私的な感情が先に立って、意識的に認めてはいなかったが。
 ユリアはリザに無造作に近づいていった。だが、デッドに向かった時とは違い、明らかに殺気をみなぎらせている。
「絶対氷河呪文──マヒャド!」
「最強火炎呪文──メラゾーマ!」
 リザの氷の呪文と、ユリアの炎の呪文が衝突し、互いに消滅する。
(互角)
 リザは渾身の力を振り絞ったつもりであった。だが、それでも自分の魔法が相手にとどかない。これほどの相手は、かつていなかった。
「やるね」
 ユリアは微笑を浮かべた。こちらも全力で放った呪文が相手に届かなかったことに驚きを覚えていた。
(これが、ウィルザの選んだ人。ウィルザの傍にいた人)
 自分と同じだけの魔力を持ち、それでいてウィルザに愛されている人物。
 許せなかった。
 自分より魔力が劣っているのであれば、殺せばすむ。自分よりはるかに魔力が高いのであれば諦めもつく。
 だが、同じ魔力を持ちながら、どうしてリザは愛され、自分は邪魔者にされるのか。
(殺さなければ)
 自分に言い聞かせた。
(殺さなければ、アタシはウィルザ様に見てもらえない)
 決してウィルザの昔の仲間と事を構えるな、と命令されたことも既に忘れていた。
(絶対、殺す!)
 ユリアが、動いた。それまでの緩慢な動きとうってかわって、目に止まらないスピードでリザに突進してくる。
「っ!」
 リザは目を見開いたが体は反応しなかった。魔力の剣が振り上げられるのが見えた。
「リザっ!」
 デッドが割って入って、その剣を受け止める。
「邪魔だっ!」
 ユリアは剣ごと、デッドとはじきとばした。受け身もとれずに、デッドは地面に転がる。
「バギクロス!」
 リザを守ろうと、グランが呪文で攻撃する。だがユリアが左手をかざすとそれも直前でかき消されてしまった。
「とどめ──」
 と、その時、逆の方向から火球がユリアを直撃した。
 呪文を放ったのは、ゼフォンであった。
「……っ!」
 ユリアの顔が紅潮した。
 まさか、この自分が、リザならばまだしも格下相手に魔法の直撃を許した?
 それはリザの時とは比べ物にならないほどの怒りを呼び起こした。この時、ユリアは確実に我を失っていた。他の何も目に入らず、真っ直ぐにゼフォンに向かって無表情に突進し、剣を振り下ろした。
「ゼフォンーっ!」
 デッドの叫びが、荒野に響く。
 続いて、魔力の剣で左肩からななめに切断されたゼフォンの上半身が、ずるり、と滑り落ちた。
「……っ……!」
 声にならない叫びが、デッドの口から溢れた。
 そして、駆けた。
 ユリアが剣を構えたのが確認できたが、デッドにはそんなことはどうでもいいことであった。
 デッドの剣は、確実にユリアを切り裂いていた。
「なっ」
 ユリアは信じられずに目の前の戦士を見つめる。
 それはとるにたりない、どこにでもある顔であった。仲間の死に涙する、ごくありきたりな顔であった。
「このアタシが」
 二度も、不覚をとるとは。しかも、二度目は。
(まずい、かな、これは)
 ユリアは、がっくりと両膝をついた。致命傷ではなさそうだが、どうにも動くことができない程度には、重傷のようであった。さらに、この隙を狙ってグランとリザが動いたのが分かる。
(ウィルザ)
 ユリアは、ゆっくりと目を閉じた。
 直後、ごうんっ、という爆音が聞こえてきた、が、衝撃は襲ってこなかった。
 目を開いた時、目の前に立っていたのは、実体のない影であった。
「何者だ?」
 デッドが注意深く尋ねる。だが、影は何も答えない。
「デッド、気をつけて。そいつ、強いよ!」
 グランの声に、デッドが頷く。それはよく分かっていた。こうしてすぐ傍に立っているだけで、空恐ろしいまでの戦慄を覚えている。
「シャドウ」
 ユリアが弱々しい声で呟く。その声に、影は振り向いたかのようであった。
(引き上げだ)
 直接、頭の中に言葉がかけられる。
「でも、」
(お前はゼフォンを倒した。それで十分だ。それともこのまま戦いを続けて、その命を落とすか?)
 ユリアは唇を噛みしめた。どのみちこのままここにいれば、リザたちによって倒されるのは目に見えている。
「分かった」
(…………)
 すると、影が伸びた。
 伸びた影はユリアの体を包み込み、一瞬の後に跡形もなく消え去ってしまっていた。
「てめえっ!」
 ここにきて、ようやくデッドは事態を理解した。この影、シャドウは、ユリアを逃がそうとしているのだ。
 デッドは一足でシャドウの懐にもぐり込み、剣で斬り上げた。
「なっ?」
 だが、それは空振りしたかのように手応えがなかった。剣の軌道はたしかにシャドウの体を突き抜けているはずなのに。
「…………」
 影はそれを無視するかのように、地面に溶け込んで、消えた。
 まんまと、逃げられたのだ。
「…………っ…………!」
 デッドは痛むほどに歯をかみしめ、影が消え去ったところを眺めていた。






「首尾よく、ゼフォンを殺したようだな」
 ユリアは畏まって答えなかった。
 ウィルザが怒っているのが、分かったからだ。
「リザを殺そうとした。そう報告を受けている」
(シャドウ、喋ったわね)
 ユリアは後ろにいる三人のうちの一人を、恨めしく思った。
「何か、言いたいことは?」
「デッドとゼフォンを殺そうとしたところを、邪魔されたから」
「なるほどな」
 ウィルザはくつくつと笑った。
「まあ、今回は何もなかったことだし、大目に見よう。だが、次はないと思え」
「畏まりました」
 思わずユリアは、敬語で答えていた。
 魔王の剣を手に入れてからというもの、ウィルザは毎日のように変化を見せている。その一つが、この魔気だ。魔王だけが発することができる、この独特のオーラ。部下とて、その気にあてられたなら精神を焼き殺されかねない。
「ルシェル。ムーンブルク攻略の準備はできたか」
「はい、完了いたしました」
「よし。それでは攻略に先立ち、お前たち四人に称号を授けておく」
「称号でございますか」
 答えたのは、シリウスである。
「魔族軍を率いる将軍である、ということの証だ」
 親衛隊のアークデーモンが恭しく盆を持って現れる。その盆の上には、四つの紋章が置かれていた。その中の一つをウィルザは手に取る。
「シャドウ。お前に“影騎士”の称号を授ける」
「…………」
 シャドウは影を移動させ、その紋章を受け取る。紋章は影に溶け込んでなくなった。それを見て、ウィルザはふっと笑いをもらす。
「ルシェル。お前に“悪魔騎士”の称号を授ける」
「謹んで、賜りとう存じます」
 四人の中でもっとも忠誠心が厚いものが、このルシェルだったのかもしれない。シャドウ、シリウス、ユリアと癖のある人材の中で、きわめて人間に近い、礼節をわきまえているのはこのルシェルであった。
「ユリア。お前に“魔導騎士”の称号を授ける」
「あ、アタシも貰えるの?」
 ウィルザは再び苦笑した。
「お前の他に、誰がいるというのだ?」
「嬉しい、ウィルザ」
 近寄り、紋章を手渡される。その瞬間、ユリアはウィルザに抱きついた。
「やっぱり、ウィルザはアタシのことを」
「離れろ。この称号がほしいのならな」
 だが、すぐに冷徹な声が帰ってきたので、しゅんとなって元の場所に戻る。
(もう、ウィルザってば照れやさんなんだから)
 都合のいい解釈をしたが、それが自分を誤魔化していることにも当然気づいている。このあたり、複雑な心境であった。
「そして、シリウス。お前に“死神騎士”の称号を授ける。同時に四騎士の筆頭たる責務を負え」
「畏まりました」
 シリウスはウィルザ一の部下である。もっとも最初に部下となった、という意味でもあれば、もっとも有能な、という意味でもある。
 だが、だからこそシリウスはウィルザのほぼ全てを把握していたといっても過言ではない。人間として、勇者としての心をまだ幾分残しているウィルザにとって、シリウスはいうなれば監視役のようなものであった。
 この両者の関係がいかに複雑なものであったか、それはこのふたり以外の誰も知るよしもなかった。
「騎士の称号を授けるものが今後増えることがあったとしても、騎士筆頭の地位は揺るぐことはない。そのことも忘れるな」
「承知しております。ということは、いよいよ、彼らを?」
「シャドウがひとりだけ居場所を見つけてきてくれたのでな」
 ウィルザは不敵に笑う。
「かつてバラモスブロスの下で働いていたという三魔将。その中の一人、竜魔将フィードの居場所をな」






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