十一.過去の幻影に二人の想いが揺らぐ
ゼフォンの埋葬はデッドが一人で行った。
ガライはそれをただ見守り、リザとグランはかける言葉もなく、ガライの家の残骸の傍に腰掛けていた。
「あんまり、だよね」
ぼそり、とグランが呟く。リザは答える言葉を持たなかった。
「ウィルザ、どうしてこんなことを」
「グラン」
「おいらには分からないよ。あの優しかったウィルザが、どうして」
「私は、まだウィルザに会ってないから」
だから、何も言うことができない。だが実際にグランはウィルザと出会い、命を落とす危険に晒されている。
「本当に、ウィルザだったの?」
「うん」
「誰かが、ウィルザのふりをしているっていう可能性は」
「…………」
そう言われるとそうかもしれない。だが、グランはウィルザに殺されかけたという印象を拭うことができそうになかった。
確かにウィルザがバギクロスを使うことができて、それも自分がたった一度だけ見せた“連射”をその場で使いこなしてしまった。それは勇者としての資質にはない。
だがもはやウィルザは勇者ですらないとガライは言う。だとすればそのあたりの矛盾も整合がつく。
結局、グランもまたウィルザが本気で人間を滅ぼそうなどと考えるとは思えず、その正体に疑念を抱いていたということだ。
だがどれだけ言葉を重ねようとも、二人とも理屈では分かっていた。
ウィルザはもう、敵なのだ。
受け入れたくないという気持ちは二人共存在していたが、グランの体験、ガライの言葉、敵の行動、状況がそれを物語っている。
「人間を滅ぼす、か」
どうしてウィルザがそのような考えに取りつかれてしまったのか。
いつ取りつかれてしまったのか。それはやはり、あの別れの時、その時には決断していたのか。何故私には話してくれなかったのか。
(もし、ウィルザが私に協力を頼んだとしたら)
どう答えただろうか。魔を倒す者として生まれ、魔を倒すために生きてきた自分が、魔王に仕える、協力するようにウィルザに言われたならば。
魔族とは共存することができない。その考えは変わらない。
(私は、戦ってでも止めたかもしれない。ウィルザを)
自分の命は魔と戦うためにある。どれだけウィルザを愛していても、ウィルザ自身が魔であったとすれば。
(戦わなければならないの? ウィルザと)
初めてウィルザと出会ったのは、そう、あれは三年前。私が十六歳、ウィルザが十八歳の時だった。
「何を考えておいでですか」
瞑想にふけっていたウィルザに話しかけたのはシリウスであった。もっとも、自分に気軽に話しかけてくるのはユリアを除けばシリウスくらいしかいないのだが。
「特には何も」
「あの、リザ、という娘のことでしょう」
全く、この騎士には何も隠すことができない。ウィルザは苦笑した。
「リザが、ユリアと互角に魔法を使ったというが、どう思う?」
「ウィルザ様はそれが不思議だと思いますか?」
「いや。ユリアと魔法で互角に戦えるとしたら俺を除けばリザしかいないだろうとは思っていた。だが、この一年でそれほど成長していたとはな」
「クリス、グランもしかり、でしょう。あなたも含めて、光の勇者たちはみなこの一年で驚くべき成長を遂げました。もっとも、その誰もがあなたにはもうかなわないでしょう。あなたの成長速度は異常です」
「お前、魔王に向かってそれを言うか」
やはり面白い。もはやウィルザにとっては唯一の仲間ともいえるこの騎士と話している時が、唯一の娯楽であったともいえる。
「それでも、三人が揃ったならばあなたでもかなわないでしょう」
シリウスは釘を刺すことを忘れなかった。そして無論、それはウィルザも承知していた。
「シャドウの報告では、ユリアがリザの魔法だけは操ることができなかったということだそうですが」
「リザは“魔を倒す者”だ。デモン・スレイヤー。その第一人者の魔法を操ることができるとすれば、ユリアは俺のかわりに魔王になれるだろう」
「つまり、ユリアはその程度の実力だということですか?」
「違う。リザのレベルが高すぎるんだ」
ユリアは決して低能ではない。自分の保護下にいればゾーマと戦って遜色ないだろう。魔法だけならば決して劣るまい。だが、リザはゾーマの魔力を一瞬とはいえ、上回った。ユリアにそれを求めるのは多少、酷であろう。
「ましてそれから成長したというのであればな。もし俺の保護下にいなければ破れたのはユリアの方だろう」
「邪魔ですね」
「…………」
ウィルザは答えなかった。確かに魔族全体にとって、クリスやグラン以上に、ガライ以上に邪魔な存在だ。
デモン・スレイヤー。その末裔。血の中に潜む、魔を払う資質。魔王にとってはたった二つ、勇者と、魔を倒す者、それだけが常に不安の種だ。
魔王を倒すという宿命を帯びた勇者。魔王を倒すことができる能力をもったデモン・スレイヤー。
二人が出会ったのは、そう、あれは砂漠。
イシスの、ピラミッドでのことだ。
ピラミッドは魔物の巣窟と化していた。そこで二人は出会った。お互いが、それぞれ別の目的を持って潜入していた。
ウィルザがパーティからはぐれてしまい、地下に一人取り残された時だ。『影』の一群に囲まれ、何とか突破しようとはかっていたが、力尽きようとしていた。その時だ。
『魔を払います。心を同調させてください』
心に直接響いた言葉に、素直に従った。一瞬で『影』たちは消え失せていた。そして現れたのが、彼女だ。
「怪我は?」
満身創痍の相手を見て平然と言えるあたり、随分と冷たい人間のように見えた。
「かなり、辛い」
「正直ね。残念だけど、ここは魔法の効力を抑える封印がなされているわ。ピラミッド自体にそういう霊的な効果があるのかもしれないけど。とにかく、魔法で治療することは不可能なの」
「それは残念だな」
「どのみち、私は治癒魔法が使えないんだけど」
それを先に言ってほしかった。
「名前は?」
「ウィルザ。君は?」
「リザ。少し待っていて。楽にしてあげる」
そう言って、リザは懐から石を一つ取り出すと、ウィルザの額にあてた。その石にヒビが入り、そして粉々に砕けた。時間にして二分程度だっただろうか。気づいた時には、自分の身体から完全に傷がなくなっていた。
「最後の一回だったんだけどね。目の前で死なれるのは寝覚めが悪いし」
「ありがとう。今のは、いったい」
「わが家に代々伝わる霊験あらたかな秘宝」
よほど貴重なものだったのだろうか、と思ったがリザはくすくすと笑った。
「というわけじゃないから安心して」
「安心したよ」
お互い、微笑む。それが二人の出会いだったのだ。
自分がウィルザに協力したのは、ウィルザもまたバラモスを追っていたから。自分と目的が同じだったから。魔族と戦うことがはっきりしていたから。
本当に、それだけだっただろうか?
今までずっと一人で生きてきて、あの時突然、頭の中に光明がさしたかのように、一緒に行くべきだと思った。そう、私はウィルザが何を成そうとしているかよりも『先に』そのことを感じていたのだ。魔王を倒すということは、後から理由付けをしたようなものではなかったか。
そう。はっきりしていることはしているのだ。自分はウィルザと戦うことなど決して望んではいない。たとえ今後、何があったとしても、その想いだけは変わらない。
だが、自分の血に潜む宿命は、最も戦いたくない相手との凄惨な殺しあいを望んでいるというのだ。
「本当に、ウィルザと戦わなければならないとしたら」
この感情は命取りになる。そして、この感情を律することができないかぎりはウィルザを倒すことなど不可能だろう。何しろ、ウィルザは既にクリスとグランを倒しているのだ。それだけの力を持っているということなのだ。
(倒す。ウィルザを?)
一日であまりにも色々なことがありすぎて、まだ頭の中が整理されていない。ウィルザとまだ会っていないということが、現実感を喪失させていたのかもしれない。
(何故?)
何故倒さなければならないのか。魔王だから。人間を滅ぼそうとしているから。人間。私は? 私は何? 人間? ウィルザが私に求めているものはいったい何? 最後? 最後に私がするべきこととは何?
(分からない。何も分からないわよ、ウィルザ。私には)
何故そのようなことをしなければならないのか。
何のためにしなければならないのか。
(ウィルザを倒せる?)
分からない。実力的には無理。ただ、もしあと一息でウィルザを倒せる、そこまで追い詰めることができたとして、自分にそのとどめをさすことができるか。
できない。間違いなく。
(ウィルザ)
「排除には賛成していただけませんか」
つい過去を懐かしんでしまい、目の前のシリウスのことを失念してしまっていたウィルザは、改めて「駄目だ」と答える。
「その理由は」
「あいつは俺が殺す。最後に殺す。人間の死に絶えた世界に一人残されたあいつを、この手で、永遠に俺の心に刻印するために」
ふむ、とシリウスは頷く。
受け入れられないということは分かっている。それは人間のものの考え方だ。魔族は感情に縛られることはない。感情というものが存在することを知りながら、その感情自体が魔族の中にはない。例外はあるが。彼らはただ、自らの衝動のままに動く。
衝動と、感情。似て非なるものである。何が異なるかというと、感情とは喜怒哀楽や愛憎など、ある物事に対して自らがまず感じて、自分の基準に従ってから生起する心の動きをしめす。衝動はそれとは異なる。理由もなく自らの内から沸き上がり、そうせざるをえなくなる心の動きを現す。本能、といってもいい。問題は、彼らはその本能に忠実に確実に従うという点にある。
単純に魔族は三つの衝動に常に支配されている。破壊、支配(もしくは自らの上位者による被支配)、防衛、である。
従って現段階でウィルザが魔族としての資質を手に入れたとしても、それは破壊や支配、防衛の芽を発したにすぎず、完全な魔族とはなりえていないのである。むしろ、感情が残っている分、本質的には人間(勇者)に属している。
ゾーマはその意味で、人間であることを捨てて完全に魔族となった男である。しかし、ウィルザはそうはならないと考えている。感情と衝動を兼ね備えた、真の意味での魔王になろうとしている。従って感情は決して捨てられない、捨ててはならないとまで考えている。
それは、魔族としては納得しがたいことである。何故ならそれは既に魔族ではないからだ。
ユリアのような異端も時には存在する。彼女は魔族としてはあまりに『感情的』すぎる。もちろん元はウィルザに支配されたいというような衝動を源とするが、それ以上に彼女には感情という資質が備わっている。ウィルザへの愛。そして嫉妬。おそらくそれは衝動が満たされなかったことに端を発したのであろう。
「まあ、いいでしょう。ウィルザ様のそのお気持ちに偽りはなさそうですから」
「俺は彼女を愛している。これは事実だ」
「存じております。ですが、彼女を殺す『つもり』でしょう?」
「その『つもり』だ。感情を忘れず、支配されることもなくありたい。彼女を殺すことができれば、俺は真の意味での魔王となることができるだろう」
そう心から思っている。同時に、自分の感情はリザを決して死なせたくはないという想いと、常に自分の傍にいてほしいという欲求とを訴えている。
それを見殺しにしなければならない。救い上げてはならない。
理想郷を、この地上に打ち立てるためには。
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