十三.現実と真実を求めて戦いの場へ向かう
リザたちはガライに連れられ、メルキドまでやってきていた。
この一年でメルキドにとってクリスという人物は、まさに生ける英雄、守り神とでもいうような信頼を受けていた。
そのクリスが、倒れた。
魔王軍の侵攻こそなかったものの、英雄クリスが重傷を負ったという事実はメルキドをうちのめしていた。
今度の敵はゾーマよりも強いということがほそぼそと伝えられていく。そして徐々に不安が増大していく。
今のメルキドは、いつ暴発してもおかしくはない、そんな中にあった。
「……何だか、変な雰囲気」
グランがまわりをきょろきょろ見回しながら言う。太陽の光が戻ったこの都市の人たちはもっと明るく輝いていたのではなかったか。マイラにせよ、ドムドーラにせよ、リムルダールにせよ、人々はもっと元気だったはずだ。
「クリスがやられたことが、ショックなのね」
リザは冷静に状況を分析する。
「一刻も早く、クリスと合流しなきゃ」
「それではご案内いたしましょう」
ガライが先頭に立って歩く。後ろからリザとグラン、そしてデッドが続いた。
彼らが向かったのは、街の剣術道場だった。
クリスが倒れたとはいえ、道場の人間は少なくなったわけではない。無論、戦いで命を落としたものを除けばだが。それどころかここだけは活気があった。今度は自分がクリスの力になる、と考えて日夜特訓に明け暮れているような少年たちがたくさんいた。
(これだけのエネルギーがあれば、メルキドはきっと大丈夫ね)
リザはほっと一息ついた。
リザたちがクリスの仲間であるということがわかると、道場は上へ下への大騒ぎとなる。
クリスは一人だったから敗れたのだ、かつての仲間たちが揃ったのなら決して負けはしない。
吟遊詩人のガライを筆頭に、大魔道士リザ、高司祭グラン、そして──
「あなたが、勇者ロト様ですね!」
「は?」
思わず間抜けな声を上げてしまったデッドである。ガライが、やれやれ、と苦笑をもらす。
「悪いな。俺は勇者なんかじゃない、ただの剣士だ。ここにいるクリスさんよりもずっと力はないぜ」
だが、おかげでメルキドが戦った相手こそが勇者ロトであるということが広まっていないのは分かった。
「私たちはね、これから勇者ロトを迎えにいくの。そのためにクリスさんに会いに来たのよ」
リザが言葉を添える。分かりました、と勇気をもって尋ねてきた少年が道場の奥へと戻っていく。
「慕われてますね、クリスさん」
「誰だって、クリスになら憧れるわ。私だって」
クリスはまさに太陽のような人だ。懐の深い大宇宙──すなわち勇者ウィルザの傍で強く光り輝く。
最初に二人の信頼関係を見せ付けられたとき、正直、かなわない、と思った。
自分は月のような人間であることはわかっている。光があたったらその存在が消されてしまう。
クリスの傍では自分のような存在は目立たない。
本気でウィルザのことを愛しはじめてから、ずっとクリスという障害が前にあった。
もっともクリスはウィルザのことなど異性としては見ていなかったのだが。
「こちらです、どうぞ」
案内され、四人は奥へと向かう。ベッドの上に横たわるクリス。そして、傍で看病する魔法使いと僧侶が一人ずつ。
「はじめまして。私は僧侶のマリア。先の大灯台での戦いでクリス様と共にウィルザと戦ったものです」
あらかじめ自己紹介で自分の立場を述べる少女に、リザたちは『この二人だけは事情がわかっている』ということを理解した。
「私は魔法使いのクロムです。皆さんをお待ちしておりました」
「待って?」
「はい。クリス様はあの戦い以来、全く目覚める気配を持ちません。あれからもう五日もたっているというのに」
「傷は?」
「ありません。というか、内部から破壊されているようでしたので、私が治癒しました。怪我はないのですが、何故か目覚めていただけないのです」
「それはまだ、傷が癒えていないからよ」
リザが続けて言う。
「ですが」
「あなたが言っているのは体の傷のことでしょう。私が言っているのは心の傷のこと。あなたにとってはウィルザは憎むべき相手かもしれないけど、私にしてみればそんな簡単に割り切れるものではないわ。ましてクリスにとっては、ずっと子供の頃からウィルザと一緒に過ごしていた姉弟みたいなもの。その相手が変わってしまったのがどれだけのショックか、想像できる?」
リザは近づいて、クリスの頬に手を触れた。
「それに……クリスを怪我させたのが、他ならぬそのウィルザだったということが」
リザは涙を流していた。
「起きたくなんかなくなるわよね。だって、目が覚めてしまったらウィルザと戦わなければならないんですもの。私だって、永遠の眠りにつけるのなら今すぐついてしまいたい。ウィルザと戦わなければならない運命なんて、そんなものはいらない。魔を倒すものなんていう呪われた運命なんて捨て去ってしまいたい……でも、そんな我儘を言っている場合ではないの」
リザはクリスの頭をしっかりと抱きしめた。
「辛いよね、苦しいよね。でも、そこから逃げては駄目よ、クリス。だってそうでしょう、私たちにしか彼を止めることはできない。そしてかつての仲間だった私たちだからこそ、彼を止めなければならない。だって、敵味方になってしまったとはいえ、彼は私たちの仲間なんだから。私たち以外に誰が彼を止められるの? 彼が間違った道を歩むというのなら、私たちがそれを正してあげなければ駄目でしょう?」
「……ウィルザ……」
腕の中から、かすかな声が漏れた。
「ウィルザ……どうして……!」
ゆっくりとクリスの手がリザの背に回り、力がこもる。
「……おはよう、クリス。もう大丈夫。私がいるから……だから、今は気持ちを落ち着けて……」
リザは優しく、クリスの髪をなでた。
クリスの意識がはっきりと回復し、身軽な服装に着替えてから急遽臨時会議が開かれることとなった。とはいえ、クリスは五日も寝込んでいたわけだから完全に体力が失われている。マリアの付き添いで粥などを食べながらということになった。
「私があの場の、クリス様とウィルザの戦いをお伝えします」
まず、クロムから大灯台での戦いがリザたちに伝えられた。次々と失われていく仲間たち、そしてウィルザとの戦い。その交わした言葉まで。
『俺だって、好きこのんで魔王になることを選んだわけじゃない。悩んで、苦しんで、ようやくだした結論なんだ。この世界でやりたいことはたくさんあった。そして、ずっと傍にいてほしい女性だっていた。それを全て吹っ切ることなんて、魔王になることを決心した今だって、できやしない。だから、これが最後のチャンスなんだ。クリス。俺を殺してくれ。そうでないと俺は、俺は魔王になってしまう』
ずっと傍にいてほしい女性だっていた。
その言葉を聞かされたとき、思わずリザの目から涙がこぼれていた。
「それなのにどうしてウィルザと戦わなきゃいけないんだろう……オイラ、どんなことがあってもウィルザだけはずっと……」
「みんな同じ気持ちだよグラン。少なくともあたしらにとってはね」
クリスが言葉を挟む。そう、自分たち三人にとっては仲間と戦うなど、それもリーダーであるウィルザと戦うなど、考えたこともなかった。
そしてウィルザが素手でクリスの剣を受け止めたという話を聞いて、ガライが反応した。
「それは武闘家の技ですね」
「武闘家?」
「ええ、硬気孔。自分の全身を鋼のように固くする技です。そして仙気発徑。体内で練られた気を相手の体内に放出し、内側から敵を倒す。これを行われてはゾーマですら身がもたないでしょう」
「そんな技をクリスに使ったの?」
「……むしろ、その技を使わせたクリスさんの力が強かったというところでしょうか。いや、ウィルザさんの中にまだ勇者としての仲間を思う気持ちがあったというところですね」
全員の頭の中に疑問符が打たれる。
「簡単なことです。仙気発徑を使えばどんな相手でも一撃で倒せます。そうならなかったのは、手加減をしたということです。殺すつもりなら一撃でできた。殺さなかったのは理由があったのか、それとも無意識のうちに手加減したのか……後者だと信じたいところですね」
「ウィルザの奴……」
クリスが手を震わせた。
「結局ウィルザが何を考えているのかは誰も知らない、全てはあいつの心の中ってことか」
デッドが締めくくった。そうくくられることに、かつての仲間たちは怒りすら覚える。
「あんた、誰?」
「俺かい? 俺はデッド。ガライの二番弟子。グランの命の恩人さ」
「ふうん、一つ言っておくよ、デッド」
クリスはおそろしい目つきで睨みつける。
「あんたはウィルザを知らない。少なくとも私たちと共に旅したときのウィルザを知らない。だから、あたしたちの神経を逆撫でするようなことは言わないでほしいね」
「とはいうものの、現実を見てみなよ。昔を懐かしんだってあいつは戻ってこないんだろ? だったら行動するしかねえじゃねえか」
「デッド!」
リザとグランの声が重なる。
「私も彼と同意見です」
だが援護は意外なところから出た。
「クロム」
「あの男は危険だ。あの男がいたら冗談ではなく世界は滅びる。それだけの魔気を感じました。たとえかつては光の勇者だったとはいえ、今はそうではありません。クリス様はそのことに気がついてらっしゃらない。あの男は、クリス様を、殺そうとしたのですよ」
「クロム!」
「クリス様。あの男はもう、敵、なのです。それとも、共に戦うわれわれよりも敵であるウィルザの方がクリス様にとっては大切だとおっしゃるのですか?」
「言い過ぎよ、クロム!」
マリアから叱責の声が出たが、クロムはひるまない。
クロムにしても、自分がリザやグランほどにクリスの力になっているとは思っていない。だが、敵となってしまった相手よりも信頼されていないという状況が我慢ならなかった。
「クロム」
クリスは声を落ち着けて言う。
「お前の気持ちは分からないでもない。だが、私にとってウィルザは……弟なんだ。ずっと昔からあいつの面倒を見ていた。あいつが何を求めているのか分からなくても、あいつが昔何をしたかったのかは全て覚えている。お前は私に、その気持ちすら切り捨てろと言うのか?」
「では、私のことは信頼いただけないということですか」
「比べるようなものじゃない。あのまま大灯台で一対一で戦い続けて、戦いの中でウィルザを倒すことができたら、私もウィルザを殺すことができたかもしれない。だが、お前はあのとき私の戦いを邪魔したな。完全に自分が優位になったとき、私はウィルザを殺すことなんてできない。リザにせよ、グランにせよ、同じ気持ちのはずだ」
「逃げないで答えていただきたい。クリス様にとって、私は敵であるウィルザよりも信頼が置けないということなのですね」
「クロム」
「たとえ敵でも、ウィルザの方が信頼がおけるということなのですね」
最終的にウィルザとクロムのどちらを取るのかといわれれば、クリスの答は決まっている。
「──そうだ」
クロムは立ち上がった。
「失礼しました。少々頭を冷やしてまいります」
「クロム!」
「無理に答えさせてしまい、申し訳ありません。ですが、自分の気持ちをはっきりとさせておくことも必要かと思います。もっとも私としては、不本意な結果に違いありませんが。私のことならご心配なさらぬよう。魔法使いは常に冷静でなければ務まりませんので」
クロムは静かに部屋を出ていった。
「クロムのこと、あまり責めないでください、クリス様」
マリアの言葉にクリスは頷く。
「……お前も、クロムと同じ意見か、マリア」
「……申し訳ありません。昔の仲間、それもクリス様がどれだけ大切に思われているかは理解しています。ですが、私たちだってクリス様を思う気持ちは誰にも負けないと思っております」
「その気持ちはありがたい。だが、すまない。ウィルザは……私たちにとっては特別な存在なのだ」
「承知しております。すみません、私も出てまいります。クロムのことが心配ですので」
「ああ。よろしく頼む」
二人が出ていくと、部屋は若干雰囲気が元に戻った。
「問題は……」
リザが沈黙を破って話し出す。
「何故、ウィルザはそんなことをしなければならなかったのか、ということよね」
リザの意見に思い思いに頷く。
「理由が分からないんじゃ説得のしようがないもんね」
グランが言った。リザとクリスは思わず少年を見て、顔を赤らめた。
「説得……」
そうだ。
考えてみれば話は早い。絶対に戦わなければならないなどということは誰も決めていない。問題はウィルザの気持ち一つなのだ。自分たちから戦う以外の道を閉ざす必要は全くない。
「ウィルザはいったい、何をしようとしているの?」
人類を滅ぼす。そうウィルザは言っていた。
「あいつの言葉から読み取るしかないね。ちょっとしたことでもいい、あいつが何を言っていたか思い出さないと……」
クリスは大灯台での会話を必死に思い出す。
『そして……決めたんだ。俺が、第二のゾーマになることを』
第二のゾーマになる。彼は確かにそう言った。そして、
『そして、ゾーマにできなかったことをなし遂げてみせる』
ゾーマにできなかったこと。世界を無に帰すこと。
「そもそも、世界を滅ぼさなければならない理由って何?」
リザが当たり前すぎる質問をした。
「そんなの分かるわけないよ」
「いいえ、必ず理由があるはずよ。ウィルザが正気なら、理由があるからやってるんだわ。グラン、あなたもウィルザに会ったんでしょう。何か思い当たることはない?」
「そ、そうは言っても」
必死に記憶の糸を手繰る。完全に動転していたときのことだったので、はっきりとは思い出せないが、一つだけ覚えていることがある。
『……そうだな。人が人であることを許せなくなったから……そして、真の理想郷をこの地上に現出するためだ』
「人が、人であることを……」
いったい、何を言いたかったのだろう。
「それに、真の理想郷ってのはどういう意味だい?」
「分からない。でもウィルザは『全ての人が死に絶えた世界』って言ってた」
「人が死んで、何が理想なんだ……?」
ウィルザはあのゾーマとの戦いの時、既に魔王となることを決意していた。
ゾーマにできなかったことを自分がするのだと言っていた。
(……ちょっと待って)
リザは、何かそこに矛盾を感じた。
(そう……そうよ。ゾーマがしたかったことは人間世界の破滅。でも、それは私たちがいなければかなえられたはず……ウィルザはゾーマの企みを防いだ。ということは……)
「人間を滅ぼすこと自体が問題なんじゃないんだわ」
その結論に達せざるをえない。
「どういう意味だい?」
「ゾーマのできなかったことをするというのなら、ゾーマの目的を考えればいい」
「それは人間世界を滅ぼすこと……」
「それはあくまで、表面的なものよ。だってその目的をウィルザが目指しているのなら、ゾーマを止める必要はなかった。放っておけばいいんですもの」
「そうか……そうだな」
「ウィルザには、何か別の目的があるのよ。そのためには人間世界が破滅することもやむなし、と考えているのではないかしら」
「それはいったい?」
さすがにそこまでは分からない。あまりにも情報が少なすぎる。
(でも、ウィルザは三年と言った)
何かをしたいのだ。ウィルザは。
それが何なのかが分からない。分からないから、彼を止めることもできない。
「やれやれ、あんたらはやっぱり勇者の仲間なんだな」
会話が途切れたところで口を挟んだのはデッドだった。
「どういう意味だい?」
「簡単さ。ここに魔王のことを少しは知っているガライがいる。聞いてみればいいじゃねえか」
三人の目がガライに向けられる。
だが、誰もガライに尋ねようとする者はいなかった。
「無理を言ってはいけません、デッド」
ガライは竪琴をぽろん、と鳴らす。
「私が魔王に関することで話せることは、多くありません」
「でもな、師匠」
「彼らは知っているのです。私に尋ねても、決して私は答えないということを。そしてそれ以上に、彼らは勇者ウィルザのことは自分たちで解決したい、と考えているのです。当然のことです。彼らの仲間なのですから。誰かの協力をあおいだら、それは仲間であることを放棄するようなものです」
「とは言ってもよ、現実問題、ガライは知ってるんだろ、ウィルザの目的を」
「知っています。ですが、言えません。口にすることを許されていませんから……そうですね、デッド。あなたは知らないのでしたね、私の役割を」
「役割?」
「そうです。私は『世界』と契約をしています。私の役割は魔王が行ったことを後世まで歌い継ぐこと。従って私は魔王と戦うことはできません。魔王の過去を歌うことはできますが、魔王のこれからを語ることはできません。それが『ガライ』という存在なのです」
ガライの言葉の意味は理解しがたいところはあるが、おそらくは何らかの『制約』を受けているということなのだろう。ある意味、三人はそのことを理解していた。ゾーマとの戦いの時から、ガライは意味深なことを言いながらも決して正解は教えてはくれなかった。
おそらくはそれが、ガライが最大できることなのだろう。それだけでも三人にとってはありがたいことなのだ。これ以上甘えることは許されない。
「まあ、私からは何も言うことはできないのですが、直接ご本人から伺うことはできるのではありませんか?」
「本人?」
「ええ。今魔王軍はムーンブルクという国を侵攻中です。それもムーンブルク側が魔王軍の侵攻を押し返したとか。となればやがて魔王ウィルザが出てくることは道理でしょう。
「ムーンブルク……」
ウィルザに、会える。
その衝動は、三人の意識を一つにした。
「連れていっていただけるのですか?」
「その程度なら問題はありません。移動に関してはいくらでもご助力いたしましょう」
「では、すぐにでも」
リザが鬼気迫る様子で言った。
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